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マリリン・モンロー暗殺疑惑

16歳の頃、モデルとしてデビューしたマリリン・モンローは、少しずつ映画にも出演するようになり、20歳でハリウッドの映画会社と契約したのをきっかけに、本名のノーマ・ジーン・ベイカーから「マリリン・モンロー」へと名前を変える。1951年の「イヴの総(すべ)て」に出演したのをきっかけに、後(のち)にアメリカ映画界を代表する大スターとなった。 たが1962年、36歳の若さにして自宅で不審な死を遂げた。睡眠薬の飲み過ぎによる自殺という結論となっているが、自殺にしては不審な点が多く、当初から他殺説が浮上しており、死の真相は依然はっきりしていない。

遺体発見

1962年8月、マリリンはロサンゼルスの住宅街に最近購入したばかりの豪邸で生活を送っていた。 8月5日、午前3時30分、家政婦がマリリンの部屋の灯りがまだついているのを見つけ、ドアをノックしてみた。しかし返事がない。

マリリンはこの当時、精神的に不安定になっており、狂言自殺を行っては、誰かに電話で助けを求めたこともある。精神科医に診察してもらっていたような時期だったので家政婦は心配になり、家の外に出てマリリンの部屋を覗いてみた。

するとマリリンが全裸でベッドの上に横たわっている。 嫌な予感がした家政婦は、すぐにマリリンのかかりつけの精神分析医であるグリーンソン医師を呼んだ。

10分後の3時40分、グリーンソン医師が到着して遺体を発見し、その後に同じくマリリンの主治医であるエンゲルバーグ医師が到着し、彼女の死亡を確認して警察に通報した。 

死の数時間前

遺体の発見は8月5日、午前3時30分。 前日の8月4日の夕方、マリリンの自宅には、友人である宣伝係のパトリシアが来ていた。また、ロバート・ケネディ司法長官(ケネディ大統領の弟)も訪ねてきていた。

そして更に、17時ごろ精神分析医であるグリーンソン医師もマリリンの自宅を訪れている。 その後ロバート・ケネディ司法長官が帰り、18時ごろパトリシアが帰り、グリーンソン医師も18時30分ごろ帰り、来客は全て帰った。 マリリンは20時ごろ寝室に入った。ここで一度電話をかけている。

マッサージを呼ぼうと、いつものマッサージ師のところへ電話したのだ。しかし不在だったらしく受けたのは留守番の者だった。「酔っぱらった感じの女性から電話がありました。」と留守番の人は後にこのマッサージ師に報告している。 この電話を最後に、午前3時30分までの約7時間でマリリンに何かが起こり、マリリンは遺体となって発見された。

不自然な自殺

死亡確認から5日後、検視結果が発表された。死因はバルビタール剤(睡眠薬の一種)の過剰摂取による急性中毒である。彼女の血液100グラムの中から4.5ミリグラム、肝臓から13ミリグラムのバルビタールが検出された。

「自殺の可能性が高い」とも発表され、この結論が現在でも公式な見解となっている。 バルビタール自体はエンゲルバーグ医師から処方されたもので、エンゲルバーグ医師はマリリンに50錠入りのビンを与えたという。だがマリリンの部屋にあったビンの中には3錠しか残っていなかった。 

ここまでの事実であれば、マリリンが自分の意思でバルビタールを大量に飲んだ自殺と考えられる。 しかし後の調査によれば、エンゲルバーグ医師が50錠を渡したというのは間違いで、薬局の記録によると、25錠となっていることが判明した。

また、ロス検視局では、死因はバルビタールとなっているが、その朝検視官が彼女の胃を調べたところ、バルビタール服用の際の屈折性結晶は検出されなかった。また、消化器官や腎臓にも薬を飲んだ痕跡が残っていなかった。 バルビタールを飲んで死に至るには少なくとも52錠、多ければ89錠が必要で、これだけの量を飲んで、胃や消化器官に何も残っていないということはあり得ないという。

それに、バルビタールの飲み過ぎ特有の症状である引きつけも起こしておらず、マリリンは身体をまっすぐにして横たわっていた。 つまりマリリンは、バルビタールを飲んだのではなく、別の手段で身体に入れたということになる。考えられるのが注射であるが、注射器などは部屋からは発見されていない。遺体にも注射の跡はなかった。 

また、この他にも自殺にしては不審な点が多くある。 遺書が見つからなかったこと、寝る前には必ずカーテンを閉めて寝る習慣があったのに、その日に限ってカーテンが開いていたこと、裸で寝ることなどなかったマリリンが裸で横たわっていたこと、彼女の電話の通信記録が失われていること、日記の代わりに使っていた赤い手帳がなくなっていたこと、などである。

また、動機に関しても不明で、確かにこの時期、わがまま放題で精神的に不安定だった彼女は撮影中の映画の役を降ろされていたものの、監督が替わってから再び50万ドルで再契約が成立しており、数週間後には撮影が再開されることになっていた。そのような時期に自殺に走るとは考えにくい。

ケネディとの出会い・深まる関係

マリリンが殺害される理由があったとすれば、それは仕事上のことではなく、私生活に原因があったとされる。その際に重要な要素となっているのは、ジョン・F・ケネディ大統領と、その弟ロバート・ケネディとの、2人との不倫関係が大きく関わってくる。

撮影の合間 いまだにファンの多いマリリン・モンロー マリリン・モンローは1950年代に「紳士は金髪がお好き」「億万長者と結婚する方法」などでトップスターとなった。マリリンの輝きが絶頂を迎えていたこの時期、マリリンは、後(のち)の大統領であるジョン・F・ケネディと知りあうこととなった。

紹介者はピーター・ローフォードで、彼はケネディの妹・パットの夫であり、また、俳優でもある。彼が、ロサンゼルス・サンタモニカ海岸のビーチハウスで、ケネディとマリリンを引き合わせたのだ。 初めて出会った時から2人は一気に仲を深め、マリリンはたちまちケネディに夢中になっていった。

ただ、ケネディの方には妻がいたので、こちらは不倫ということになる。もちろん、ケネディは、マリリンとの関係で刺激的な日々を送りながらも、妻と離婚までしてマリリンと結婚しようという気はなかった。 世間にバレないように、2人が合う場所としては、紹介者であるローフォードのビーチハウスを主に使った。ケネディが大統領に就任した後は、ニューヨークのカーライルホテル内にある大統領専用のペントハウスで会うようになった。 


このペントハウスは完全に外部の者をシャットアウト出来る理想的な場所であり、大統領の側近でさえ、ここに頻繁(ひんぱん)に出入りするのが誰なのか知らないような場所だった。

1960年の民主党大会の二日後、ケネディとマリリン、そしてローフォードは、レストランで食事をしていた。会話の最中、ケネディはテーブルの下でマリリンの身体を触りまくり、スカートの中に手を突っ込んだ時、彼女がパンティをはいていないことに気づいた。ローフォードは後でこういった話を聞かされて、ケネディとマリリンの関係がかなり進んでいることを知った。

また、2人で大統領専用機で旅行したこともあり、日が経つにつれ、マリリンはいつしか、ケネディと結婚したいと本気で思いつめるようになった。 頻繁に会っているにも関わらず、しばらくの間2人の関係がバレなかったのはマリリンの変装のおかげである。顔の半分くらいを隠すようなサングラスに地味な服、カツラなどで完全に別人となっており、周りの人も彼女のことをローフォードの秘書くらいにしか思っていなかった。 

破局

しかしだんだんとシークレットサービスやFBIに怪しまれ、間もなく2人の関係は突きとめられてしまう。両組織はマリリン本人の調査も進め、この頃マリリンが睡眠薬中毒とアルコール中毒で精神科の病院に入退院を繰り返していたことも調べ上げた。

マリリンはケネディに夢中になる一方であり、ホワイトハウスに電話をかけたり手紙を送ったり、果てはケネディ夫人にまで電話してケネディと離婚してと頼むほどだった。

そんなある日、FBIのフィーバー長官からケネディ大統領に対して警告が発せられた。「2人が会う時によく使っている、ローフォードのビーチハウスにマフィアが盗聴器をしかけ、2人のセックスを録音している」「マリリンとはもう会わない方がよい」、という情報だった。

マフィアたちがケネディ大統領の私生活や、マリリンとの不倫を調べていたのは、大統領を脅(おど)すネタを探していたためである。 ジョン・F・ケネディが大統領になり、そしてその弟のロバート・ケネディが司法長官という役職についてからは、彼らはマフィアの取り締まりをかなり強化した。

大統領の私生活での秘密を握り、これをネタに、取締りから逃(のが)れるような取引に持っていこうという意図があったらしい。 一方、ケネディの方は、マリリンに対する熱が冷(さ)めつつあった。マリリンが精神科の病院にお世話になっていることや妻に電話をかけたこと、そしてこの情報も大きな要素を占め、ケネディはマリリンと別れることを決めた。 

5月19日、ケネディはこれを最後と決めて、いつものカーライル・ホテルの部屋でマリリンと会った。この日は日中、ニューヨークのマジソン・スクエアガーデンで、民主党員1万5000人が集まり、ケネディの45歳の誕生日パーティが開かれた日でもあった。

マリリンもこのパーティに招かれており、パーティの後、これが最後となるとも知らずにマリリンはケネディとの約束の部屋に入っていき、いつもの甘い時を楽しんだ。 

ケネディの弟・ロバートとも不倫関係となる

あの夜を境として、ケネディはマリリンを避けるようになった。態度を豹変(ひょうへん)させ、急に冷たくなったケネディに対してマリリンは怒りが爆発した。 何度もホワイトハウスに電話をかけ、手紙も何通も出したが、ほとんど無視のような状態である。怒りが頂点に達したマリリンは、「これまでの2人の関係をマスコミにばらすわ!」と言い始めた。 脅しにかかったマリリンに対し、ケネディは弟のロバートをマリリンの元へ差し向けた。

もちろんマリリンの説得のためであるが、結果は説得とはまるで違う方向へと向いてしまった。 ロバートとマリリンはそれまでは挨拶をする程度の仲でしかなかったが、ロバートがマリリンの家を訪れた時、彼女は嘆(なげ)き悲しみ、その姿は本当にかわいそうで、ロバートは同情してしまい、翌日もマリリンと会い、その日の夕方にはすでにかなりの仲となり、そのまま夜を一緒に過ごして体の関係となってしまった。

ロバートとも関係を持ったマリリンは、今度はロバートのいる司法省に電話をかけるようになった。そして相手かまわず「ロバートは私と結婚の約束をした。」と口走るようになった。それは、元々の相手である大統領ジョン・F・ケネディと、その弟ロバート・ケネディとの区別さえつかなくなってしまったかのようだった。 行き過ぎの行動に、だんだんとロバートもマリリンを避けるようになっていった。 

ロバートにも敬遠され始めたマリリンは、再び不安定な精神状態となっていき、孤独感と悲しみ、寂しさの中で日々を過ごすようになった。 「ひどい人たち・・人を利用するだけ利用しておいて、後はゴミのように捨てるなんて・・。」そう言いながら絶望状態となったマリリンは更に睡眠薬に頼るようになってしまった。

失恋の悲しみと酒、睡眠薬が度を過ぎるほどになってしまい、仕事においてもこの時には自分の出演映画「女房は生きていた」の撮影は始まっていたのだが、自分の出番になってもセリフもろくに覚えておらず、しゃべってもろれつがまわらず何を言っているのか聞き取れないような状態となってしまった。 

心配したローフォードは「このままでは女優生命が終ってしまう。」と警告したのだが、マリリンの状態は変わらなかった。 そして間もなく決定的なことが起こった。あまりの彼女の態度に腹を立てた製作会社が彼女を役からはずし、この映画は撮影中止となったのだ。

ケネディ兄弟たちとの関係だけではなく、仕事までも失ってしまい、精神的にボロボロとなったマリリンは、家にこもって酒を浴びるように飲むようになり、ひたすら泣いて過ごす日々となった。 

死の直前の出来事

ローフォードはマリリンを何とか立ち直らせようと、自分たち夫婦と一緒に旅行に誘った。2回ほど行った旅行の最中でもマリリンは酒を大量に飲み、睡眠薬も多用した。マリリンの気晴らしに、と思って計画した旅行だったが、結局マリリンの身体のことを心配して旅行は途中で中止せざるを得なかった。

ローフォード夫妻との2回目の旅行が終わって数日後、マリリンが死亡する2日前のことであるが、マリリンは、ケネディの弟ロバート・ケネディがサンフランシスコの近くに来ていることを知った。

すぐにロバートに電話し、「今すぐ会いに来て!」と電話口で狂ったように叫んだ。だがロバートも予定は詰まっており、家族と来ているのにそのようなことが出来るはずがない。 相手にせずに断ったがマリリンは食い下がり、どうしても会いたいと言う。強引に口説き落とされて、ロバートは結局会いに行くことになった。 

ロサンゼルスまで飛び、そこからはヘリコプターで映画製作会社の広場まで飛び、ローフォードに迎えに来てもらって2人でマリリンの自宅を訪れた。2人が家に到着したのはマリリンが電話をかけた翌日・8月4日の14時ごろだった。家にはマリリンの他に、友人である宣伝係のパトリシアも来ていた。

2人で彼女の家に入ったが、ローフォードは気を使って一人だけすぐに外に出た。しかしローフォードが外で立って待っていると、中からケンカをする声が聞こえてきた。ローフォードはすぐにまた家の中へと入ってみた。 ロバート・ケネデイが「すぐに帰らないといけない。」と言ったことから「午後いっぱい私といると約束したくせに!」とマリリンが逆上している。 ヒステリーはどんどんひどくなり、 「明日の朝一番に記者会見を開いて、ケネディ兄弟にもてあそばれて紙クズみたいに捨てられたことを世間にバラしてやる!」 と叫んだ。

ロバートもこれには頭にきて 「俺たち兄弟に指一本でも触れてみろ!タダじゃおかない!」と言い返した。 マリリンは叫びながらロバートに殴りかかり、近くにあったナイフを持ってロバートに切りつけようとした。 ロバートはローフォードと一緒にマリリンに組み付き、床に押しつけてナイフを奪った。

その後ロバートは、電話でマリリンのかかりつけの精神科医であるグリーンソン医師を呼んだ。グリーンソンはすぐに駆けつけ、マリリンに鎮静剤を注射した。時間は17時ごろになっていた。 それからロバートとローフォードは帰り、グリーンソン医師も18時30ごろ帰っていった。

この時点で友人のパトリシアも帰っており、マリリンの家には来客は誰もいなくなった。 そしてここからが謎に包まれた時間帯であり、そのまま夜がふけ、午前3時30分、マリリンは全裸で遺体となって発見された。 

真相を語る本

1991年、マリリンの死から30年近くが経って、この事件の真相として、一冊の本が発行された。「ダブル・クロス」というタイトルのこの本は、アメリカマフィアのボスであるサム・ジアンカーナ(故人)の弟・チャックと、その息子サム(故人と同じ名)が書いたものである。 この本によれば、マリリンは自殺ではなく、CIAの依頼によってマフィアに殺されたというのが真相となっている。 

※CIA:アメリカ中央情報局(Central Intelligence Agency)。アメリカの情報機関であり、裏の仕事を手がけることから「もう一つのアメリカ政府」との呼び名もある。 警察や軍隊とは全く異なる組織で、国民に知られてまずいような情報の隠滅や証拠物件の抹消、敵国の要人の暗殺、スパイ行為、脅迫、戦時中の捕虜の拷問、情報操作など、闇の活動が多い。

政府からは莫大(ばくだい)な予算と権限を与えられている。存在目的はアメリカの外交や国防のためであるが、秘密の部分が多く、詳細は明らかにされていない。アメリカの裏の部分担当とも言える組織。 

2人の政界の大物の愛人となったマリリンは、外部に漏れてはまずいような政界内部のトップシークレットまでも色々と知ることとなり、危険な女となっていた。 例えばマリリンが死ぬ1ヶ月くらい前に、スラッツァーという男がマリリンから以下のような話を聞いている。

「CIAが、キューバの独裁者・カストロを暗殺しようと計画を立てているらしいわ。マフィアの力を借りるみたい。」 現在でこそ、CIAがマフィアにカストロの暗殺を15万ドルで依頼したことが2007年の文書公開で分かっているが、この当時ではトップシークレットだった。 

これは一例として、こういった情報を色々と知ってしまったマリリンは、CIAや政界の者にとっては非常に脅威を感じる女となっていた。 その上で、7月ごろ(死の1ヶ月くらい前)からケネディ兄弟と不仲になり、「何もかもバラす」と脅しをかけ始めた。 この「何もかも」に、政界の情報も含まれていたとすれば、それはCIAにとってもケネディにとっても非常にまずいことになる。CIAは、彼女を始末することに決めた。 そしてそれをマフィアのボスであるサム・ジアンカーナに依頼した。

ジアンカーナは、マリリンとケネディ兄弟との関係も知っていた。 元々ケネディ兄弟の父親は、このジアンカーナと親密な関係にあり、自分の息子であるジョン(後のケネディ大統領)が大統領に立候補した時も、ジアンカーナから50万ドルの援助金を受け取っている。 また、この父親が何物かに命を狙われた時に助けたのもジアンカーナである。

ケネディの父親は、ジアンカーナに対して、「いずれジョンの側近として、ジアンカーナの子供も政界に入れてやる」という約束をしていた。しかしこの約束は実行されることはなかった。 

その上、ケネディ大統領の弟であるロバートは司法長官になると、ジアンカーナを犯罪者リストのトップに上げ、厳しいマフィア弾圧を行った。ケネディ家とジアンカーナの親密だった関係は崩れ、ジアンカーナは、ケネディ家に対して激しい憎しみを持つようになっていった。 その上でこの依頼だったので、ジアンカーナはこれを機会にマリリンとケネディ兄弟の関係を世間に暴露(ばくろ)し、あわよくばロバート・ケネディ司法長官をマリリン殺害の犯人に仕立てあげようと画策した。

ジアンカーナはマリリン暗殺をOKした。 手下に命じ、マリリンの自宅に盗聴器を仕掛けて機会をうかがった。理想的な日はロバートがマリリンと会うか、家に来た日である。 「ロバートがマリリンの家に8月4日に行くことになった」という情報がCIAからジアンカーナへもたらされた。これを受けてジアンカーナの組織の殺し屋であるニードルズ・ジアノーラとマグシー・トルトレーラ、それに他2名を加えた、4名の殺し屋チームも現地に到着した。

そして8月4日、殺し屋たちが盗聴器を通じてマリリンの家の様子を探っていると、ロバート・ケネディが到着したようだった。 激しい口論をしており、間もなく精神科医が来て、ロバート・ケネディが 「注射を打って彼女を落ち着かせてくれ。」 と頼んだ。注射をしてしばらくしてマリリンのヒステリーがおさまったのか、ロバートも医者も帰って行った。 

そしてマリリンが寝付いたであろう午前0時ごろ、殺し屋たちはマリリンの部屋に侵入した。マリリンは最初こそ少し抵抗したものの、医者が打った鎮静剤が効いており、思い通りにするのは簡単だった。

手際よく口をテープでふさぎ、裸にしてベッドに横たえ、バルビタール剤と包水クロラールを調合した強力な座薬を肛門に突っ込んだ。口から無理矢理飲ませるのは、顔や身体に揉みあった証拠を残す恐れがある上に吐く可能性があるため、肛門から入れたのだ。 ほどなくして入れられた座薬は血管から体内に入っていき、マリリンは意識を失った。


殺し屋たちはマリリンの口のテープをはがし、身体を拭き、室内の侵入の痕跡を消し去った後、静かに立ち去った。 マリリンの殺害自体は成功したものの、ロバート・ケネディを犯人に仕立て上げるという計画までは実行出来なかった。

ロバートが、警察が来る前にマリリンの死を知ってしまい、すぐにローフォードと探偵オタッシュに指示して、マリリンの部屋から電話番号簿や日記など、自分との関係を示すようなものを総て奪い去ってしまったからだ。 もちろんこの時点ではロバートは、マリリンの部屋に殺し屋たちが来たなどとは知らず、自殺か医者の過剰投与による死亡だと思っていた。

この「ダブル・クロス」に書かれた内容は、事実として公式に認められたものではない。マリリンの死は自殺というのが公式見解となっている。 

しかし不自然な点の多い自殺説よりも、この他殺説の方が説得力を持っているのは確かである。真相は依然闇の中であり、今後もおそらくはっきりと判明することはない。

マリリン・モンロー暗殺疑惑より

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日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 前文

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誰が陛下の処刑を止めたのか 当初米国上院は、昭和天皇を戦争犯罪人として処刑することを全会一致で可決しており、マッカーサーは議会から、昭和天皇に戦争責任ある証拠を集めるように命令されていた。しかしフェラーズがマッカーサーに、

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 覚書を出すと、マッカーサーも態度を一転、米国陸軍に対し電報を打つ。

天皇を告発すれば、日本国民の間に想像もつかないほどの動揺がが引き起こされるだろう。その結果、もたらされる事態を鎮めることは不可能である。天皇を葬れば、日本国家は分解する。連合国が天皇を裁判にかければ、日本国民の憎悪と憤慨は、間違いなく未來永劫に続くであろう。―中略―そのような事態が勃発した場合、最低100万の軍隊が必要である。軍隊は未來永劫駐留しなければならない。―後略― これによってこれによって米国政府は昭和天皇の訴追をやめることになる。これは比較的著名な事実だが、評書ではもう一つ、昭和天皇処刑方針を転換するにあたり、重要な事実を紹介している。 それは伊藤たかさんという婦人が、マッカーサーに宛てた直訴状、手紙だという。そして日付のあとには署名血判が押してある。当時の右翼はそのような直訴状を出していないということ、直訴状を出したのは婦人ばかりだという事実を紹介している。
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国際関係論で論じられる理想主義

リベラリズムほど解釈が多様にある言葉はないと思う。日本語では自由主義と訳される場合が多いのだが、昨今では自由主義とリベラリズムは対立する政治姿勢ともいえる。よって自由主義をリバタリアニズムと呼ぶのが一般的になりつつある。本稿の場合はリベラリズムを社会自由主義的な用法、ようするに国際関係論で論じられる理想主義として論じることにする。

20世紀の戦争 20世紀は戦争の世紀と呼ばれるように産業革命による技術革新が戦争を巨大化、無慈悲化させた。世界は巨大化・無慈悲化する戦争に対して、一定の規則を締結したが、その後に勃発した第一次世界大戦は大規模かつ無慈悲な消耗戦によりヨーロッパ社会に大きな衝撃を残した。

第一次世界大戦の塹壕戦や化学兵器の使用は、ただ敵を消耗させるための戦略で、それまでの戦争とは様相が大きく変化した。戦争は国家が軍に命令して、軍が名誉をかけて行う営みから、国家国民全体で行う営み全体戦争つまり総力戦へと変容した。

パリ不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)は大戦のような悲惨な戦闘を二度と繰り返さないために交戦国、非交戦国も含めて63カ国が署名した。目的は戦争の違法化、特に侵攻戦争の違法化を目指したが、最終的には侵攻戦争を非難するにとどまった。


貧困が戦争を起こす もし社会が現状で固定されるとしたら、現在比較的幸福な人はいいが、もし不幸な人はどうだろうか。それはその人の希望を奪い去ることになる。国家同士の戦争もある一面では現状に満足できない国家と、それを阻止しようとする国家の営みといえる。

第一次大戦後ヨーロッパの比較的裕福な人々の間で戦争が二度と起こらないように、家族友人の死、あるいは戦争による破産などの不幸をなくすには、どうしたら良いか考えられたのは自然なことだ。そして彼らは結論した。「貧困が戦争を起こす」。

大戦中ロシアでは革命が起こりソ連邦が誕生する。国民(ソ連に国民がいたかは定かでないが)に貧困のない平等な生活を提供する統治体の出現に、ヨーロッパのエシュタブリッシュメントは期待と不安の眼差しを向ける。
リベラリズムの誕生 フランス革命の惨劇を経験しているヨーロッパの裕福な人達は、現状を維持しながら戦争を防止する政治体制の確立を急いだ。そのような背景でリベラリズム理論が誕生することになる。その理論は金持ちはそのまま、貧乏人はもう少しお金持ちにすることだ。

日本国憲法24条

日本国憲法を研究していて常々思うのだが、24条は非常に特異な条文だ。14条で男女の同権(平等の権利で単に平等ではない)を規定しているのだから、特に婚姻まで権力が関与するまでもなく、自由な恋愛や婚姻は保障されていると考える方が自然だろう。むしろ自由権の侵害ともいえる。
第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

○2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
ところが、ダメ押しのように「婚姻は当人同士で決める」と宣言している。当時の男女が制度に縛られて自由な婚姻ができなかった怨念の条文に思えて仕方がない。24条について条文を廃止するという声もあまり聞かれない。あの自民党案でさえ、第1項に「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」と加えただけで、条文はそのまま残るとしている。

日本国憲法の施行当時は「新憲法実施のよろこび 男女の権利は同じ 結婚は父母の同意なくできる」や「堅苦しい戸主権よさらば 男女は完全平等に」などという見出しが躍るように国民にも歓迎されたと思われる。ではこの特異な条文はどのように規定されたのだろうか。日本国憲法に影響を与えた憲法草案要綱にもそのような条文はない。GHQが1946年2月13日に日本政府に手交された草案に以下の条文があった。
Article XXIII. The family is the basis of human society and its traditions for good or evil permeate the nation. Marriage shall rest upon the indisputable legal and social equality of both sexes, founded upon mutual consent instead of parental coercion…

正しいTPPの止め方 ―条約承認の手続き

もはや原発もTPPも国民感情は否定的である。安倍総理は、にも関わらずそれらをやめると云へないことに深く敬意を表する。しかし双方とも安倍総理にしか止めることも止めることも出来ないのだから、決断は早いほうが国益になる。

さてTPPの議論で荒唐無稽なのは、交渉に参加したら抜けられないとか、条約は憲法より優先されるので大変だとはいう主張である。もし抜けられない交渉があるのであればそれはマフィヤか何かの交渉なのだろうか。抜けられないのであれば交渉とは呼ばないし、費用をかけて集まる必要もない。さらに滑稽なのは条約が憲法をも優先されるというものだ。国内法というのであればまだしも憲法より優先されるという議論には開いた口が塞がらない。そこで保守的アプローチ戦略第2弾として、憲法によるTPP阻止の戦略を議論してみたい。
憲法と条約の関係を以前国際法の教科書から抜粋して紹介したことがあるが、今回は日本国憲法の解釈学説の立場からの議論を中心に検証してみたい。まず条約を交渉する権限は、憲法の73条3項に、
条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。 内閣の権限として規定がある。少なくとも条約の締結は国民の付託により内閣の専権事項となっている。内閣が条約を締結することに対して国民から法的に異議を唱えることはできなくもないが、手続き的に正しくない。しかし国民が内閣の締結した条約に唯々諾々と従うのが憲法の規定かといえばそうではない。内閣の締結した条約を批准する手続きが規定されている。条文後半の国会の承認を経ることを必要とするとは一時的な熱狂で内閣を信任した国民が冷静になる期間を設ける意味で重要な手続きだ。

さらに、61条に、
条約の締結に必要な国会の承認については、前条第二項の規定を準用する。 と規定されるように衆議院優先の規定があり、予算案と同等な手続きが規定されている。これらはさらに7条の8、
批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。 と、陛下の認証を必要とする。これら、二重三重の手続きはなぜ設けられているのかといえば、それはやはり国民に冷静な判断を求めるためのクーリングオフ期間といえるのだろう。条約が締結された場合には、98条2項の、
日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。…

年次改革要望書

サイトで偶然みつけた原文の、いわゆる「年次改革要望書」だが、TPPと比較してみても面白い。アメリカの戦略なのか執念なのか、はたまた信仰なのか、1994年からもう20年くらいやってる市場開放交渉だ。我国政府も辛抱強くそれに対応していることがわかる。

日韓併合 百年目の真実 李完用が救った大韓帝国

本年2010年8月29日は法律上の専制君主大韓帝国皇帝純宗が勅諭を発表して日本と韓国が合併したことを内外に示してから100年目にあたる。


韓国皇帝の勅諭 皇帝、若(ここ)に曰く、朕否徳にして艱大なる業を承け、臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望み無し。中夜憂慮善後の策茫然たり。此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底(いた)らん。寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せいむるに如かず。

故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、自ら断じ、茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国日本皇帝陛下に譲与し、外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。惟爾大小臣民は、国勢と時宜を深察し、煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。

朕が今日の此の挙は、爾有衆を忘れたるにあらず、専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ。爾臣民は朕の此の意を克く体せよ。

隆煕四年八月二十九日 御璽

日韓併合100年目を前に韓国の反日派からの様々な動きがあるのでまとめてみたい。

2010年5月11日のこのようなニュースを目にした。

日韓知識人が共同宣言「日韓併合は当初から無効だった」
看過できないのは多くの日本人学者が関わっているという点 …今回の声明には発起人である和田春樹東京大学名誉教授をはじめ、日韓歴史共同研究委員会の日本側の座長を務めた三谷太一郎東京大学名誉教授など105人が声明に署名している。一方、韓国ではイ・テジンソウル大学明楊教授やカン・マンギル高麗大学名誉教授、詩人の高銀氏や金芝河氏のほか、幅広い層から109人が声明に署名した。… …声明では、「併合は大韓帝国の抗議を軍事力で押さえつけたもので、韓国側が国権の譲与を申し出たとする内容も虚偽(きょぎ)である」と指摘し、日本政府が日韓併合条約について「無効」であることを認め、8月の総理談話に関連内容を盛り込むように、積極的に働き掛けるとしている。… 2010年07月18日には、

日韓併合100年で日本が韓国へ謝罪、中国も大きな注目

8月29日に日韓併合100年を迎えるにあたり、日本政府は韓国に過去の植民地統治を謝罪する方針を明らかにした。17日、環球時報は「日本は韓国側…

米国の戦略 ―日米平行協議という法規戦

現在TPP交渉とともに粘り強く行われているいわゆる日米並行協議だが、平行協議が何故行われるかを論じた議論が少ないので考えてみる。いくつかの議論を参照してみても、日米平行協議の問題点を、その片務的な内容であると指摘するのみで、米国の狙いが経済的な分野のみだとする見解が多い。