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日本は〝心〟という字に見える ─ 日韓永遠の架け橋たらんとした悲劇の知日家・朴鉄柱会長 ─

戦後ソウルに設立した「日本文化研究所

(高千穂商科大学教授) 名越二荒之助
「朴鉄柱大人を偲ぶ」より

恒久的な日韓友好を考えるうえで、避けて通ることのできない人物がおります。それは朴鐵柱という一人の韓国人です。彼は大正十一年(一九二二)、釜山市の東?(トーライ)に生まれ、大東亜戦争下に日本の皇典講究所を卒業。卒業後は釜山の龍頭山神社や、新羅時代から関係の深い下関の住吉神社(長門一宮、元官幣中社)に奉職しました。彼は学生時代から古事記・日本書記を通して、日本の成り立ちと天皇朝の存在に深い関心を寄せ、その尊貴性に目覚めていました。だから彼としては、神社に奉職することに何のためらいもありませんでした。

終戦後は韓国に帰りましたが、李承晩大統領の反日政権下にあって苦汁を嘗めさせられました。日本の学校を出た者は、「民族反逆者裁判条例」にひっかかって追放の憂目を見ました。やがて朝鮮動乱が勃発。その荒波をくぐって生きのび、動乱が終るとソウルに出て、昭和二十九年五月には、「日本文化研究所」(ソウル特別市中区奨忠洞二街一九七)」を設立しました。「社団法人・日本文化研究所」の「内容書」は、韓日両国語によって書かれており、「趣意書」の冒頭は次のような書き出しで始まります。

「日韓両民族は、各自悠久なる伝統と文化を護持してき、上古よりの密接なる文化的相互交流は、両民族の芸術、風俗、道義観にまで相似共通のものを形成してきたのであります。特に一衣帯水の地理的条件は、お互の全歴史を通じて政治的、経済的、協助を不可避にし、文化的、精神的にも緊密にして不可分離なる関係を確立してきたのでありま
す。」

「趣意書」は大局観に立って、悠久の日韓のあり方を踏えたものです。しかしながら両国の間に、文禄・慶長の役のような「互恵扶助の原理に違背したとき」があった。それは「久遠なる歴史に於てひとつの瞬間的な疾患であり、両国の健全な将来と恒久友和のための契機」にしなければならないとして、研究主題を次の三つに置いております。

一、日本上代文化の研究
二、帰化文化の研究
三、日本の信仰、道徳等精神文化の研究

韓国で朴氏が「日本文化研究所」を設立した昭和三十年頃の日本は、敗戦のショックから醒めやらず、自国文化を
否定し、罵倒する言論がまかり通っていました。その頃韓国で、日本の精神伝統と国体研究の運動が起ったことは、文
字通り驚嘆すべきことでした。もし当時から日本に、日本人の手によって「韓国文化研究所」を設立し、

一、韓国上代文化の研究
二、帰化文化の研究
三、韓国の信仰、道徳等精神文化の研究

を研究テーマとしていたらと思うのです。そして韓国の「日本文化研究所」と日本の「韓国文化研究所」が相互に研究交流を重ねていたら、日韓関係はいかに好転したことでしょうか。

まぼろしの遺著『日本と韓国』

この研究所は二階建でアパート風の「学生会館」を持っていました。会館には常時二十五名から三十名が共同生活をしながら、朴所長の講義を中心に勉学に助みました。日本語の勉強をはじめ、研究の中心テーマは、「日本の国体と歴史の究明、そして恒久的な日韓関係のあり方の探求」でした。塾生の心構えを、「学究修身、忍苦鍛練、弘道先駆」の三ケ条に置き、会員はソウルだけで千二百名に達しました。

朴所長は一方で『日本と韓国』と題する二八〇頁の著書(韓国語)を刊行しました。この本の題名は、『韓国と日本』ではなく、『日本と韓国』となっているように、全体の三分の二が日本に言及しており、日韓の恒久的安定を説いたものです。即ち
「日韓の安定のためには、日本は古事記さかのぼって、日本の本然の姿をとり戻すべきであり、韓国は韓国形成の 根源を知らねばならない。豊臣秀吉の“朝鮮征伐”(文禄慶長の役)とか、日帝三十六年の韓国統治とかは、長い日韓の歴史からすれば、派生的なことに過ぎな い。それは一時的な兄弟喧嘩のようなものである。日韓は相互に国家形成の原点に回帰すべきである。」
という主題をもったものでした。反日感情渦巻く韓国で、このような運動を展開したことは、何度もいうようですが、奇蹟にも等しいことでした。案に違わずこれが「反共法」にひっかかり、朴氏は裁判にかけられました。その結果著書は全部没収・焼却され、三年半の刑を言い渡され、「日本文化研究所」も解散のやむなきに到りました。

私が晩年の朴氏に会った時、当時発刊した『日本と韓国』を是非読ませてほしいと懇願しました。朴氏は「自分の手もとには一冊もない。しかし今も一人だけ持っている人がいるはずだから、捜して送る」ということでした。しかし遂に発見できなかったのか、「日本文化研究所・内容書」だけが送られてきました。別掲しているので、是非参照してほしいと思います。

日本人必読の名講演

朴氏は三年半の刑期を終えて釈放されてからも、「国家安全企画室(KCIA)」からの査察を受け、何回か投獄の憂目を見ましたそれでも初一念を曲げず「日本文化研究所」は名称を「韓日文化研究協会」と改め、細々と続けていました。資金なく、生活は文字通り赤貧洗うがごとき状態でした。

昭和四十一年、日韓基本条約が締結され、国交が樹立されました。昭和四十二年十月、私は「社団法人・国民文化研究会(小田村寅二郎理事長)」から派遣されて、学生たち七人(九大、長崎大、早大、上智大学等)と訪韓しました。韓国では、ソウル大、梨花女子大、高麗大、慶北大、そして中・高校では京畿、城南の学校訪問を行い、どこに行っても教師・学生を混えて懇談会を持ちました。当時反日感情の根強さは予想を超えるものがあり、豊臣秀吉・加藤清正の「朝鮮征伐」と「日帝三十六年に及ぶ侵略」を攻撃してきました。それに対して我々は「謝罪」をせず、当時置かれた極東アジアの状況を語り、反日的怨念だけでは健全なる愛国心は育たないことを強調しました。そういう「たたかい」のさ中の十一月一日、我々は朴鉄柱氏主宰の「韓日文化研究協会」を訪ねたのです。

その協会の建物は荒廃して目を当てられぬくらいでした。朴会長は荒れ果てた建物を指差しながら、「これで松下村塾なみになりましたとカラカラと笑いました。朴氏は吉田松蔭のような生き方をもって、日韓永遠の架け橋たらんとしていたのです。私たちが来るというので、朴氏の弟子数人も集まっていました。朴先生と弟子たちの目は爛々と輝き、底知れぬ迫力を感じました。対座していると、反日砂漠の中でオアシスに出会ったような安らぎを覚えました。

朴会長は我々の訪問を待ちかねたように、語り始めました。それは堰を切った急流のように溢れ出て、とどまることを知らず、三時間がアッという間に過ぎました。
「韓国から日本をながめていると、日本が〝心〟という字に見える。北海 道、本州、四国、九州と〝心〟という字に並んでいるではないか。日本はすばらしい。万世一系の御皇室(御をつけらる)を戴き、歴史に断絶がない。日本固 有の神道が、現在に至るまで相続されており、全体が調和された形でできている。〝八紘為宇〟という考え方は、日本の大らかさの現れであって、これは積極的 に世界に知らせる必要がある。それに較べて韓国の歴史は、悲惨であって断層が深く、涙なくして見ることはできない。暗い場所から見れば、明るい所は余計にはっきりと解る。韓国は日本文化の豊かさの中から学ぶことによって、内面的支柱を確立するよう努力したい。」
「韓国の檀君神話といっても、あれは高麗時代、モンゴルの支配下に置かれた時、 一然上人が民族精神を振起するためにまとめたもので、高麗神話の性格が強い。ほかに新羅や百済や駕洛にも神話がある。韓国は、日本のように統一した一つの 神話にはなっていない。日本神話は、ギリシャやユダヤの神話に較べて明るく、ロマンの香りが高く親しみやすい。それに日本神話は檀君神話より四百年も前に まとめられた。私が日本神話に内面的親しみを感ずるのは、日韓は同祖だと信ずるからである。それは民族学的な立場からも立証できる。韓国は古来から祖先信 仰と自然崇敬の念が強く、山神霊廟があり、それらをまつるために、『鳥居や『しめなわ』『ヒモロギ』を使ってきた。それに日韓両国には、「白衣」の思想が あった(これらは中国にはない)。
日本の神職は、神に近ずく時には白衣を着る。韓国民も霊廟に参拝する時には白衣を着るし、目上の人に会う時にも白衣を着るのが礼儀となっている。まず自らの身を浄める訳である。」
「第二次大戦後の日韓関係は、李承晩政権の影響もあって、共産主義以上に日本を 憎む傾向があった。そのため日韓の氷山の一角を誇大に強調して、隠された部分を見落していた。お互いの精神的歴史的豊かさを掘り起す努力をしようではない か。そのために日本は自信をとり戻して、おおらかに民族形成の原点に立ち返ってほしい。」
「現在の日本人の自信喪失は敗戦に帰因しているが、そもそも大東亜戦争は決して 日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後までとり組んだ。それまでの日本はアジアのホープであり、誇り高き民族 であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。〝事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし〟というのが、 開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦 争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争-この二つの捨身の戦争が歴史を転換し、アジア諸民族の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調し過ぎ ることはない。」
「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスを始めとする植 民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝ったか敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって 決る、というのはクラウゼウィツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、〝聖なる戦争〟であっ た。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐ回復できたではないか。二百数十万の戦死者はたしかに帰ってこないが、しかし 彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇の対象となるのである。」

私の反論とエール交換

豊かな語彙を駆使した熱誠あふれる朴会長の雄弁は、日本人必聴の名講演でした。朴氏は当時四十五歳。油の乗りきった頃の、文字通りいのちのほとばしりともいうべき流露でした。今もその時の一語一語が鮮やかに甦ってきます。それに対して私は日本側団長として何か應えなければなりません。私は実は朴氏の名調子を聞きながら、一方では何か空しいものを感じていたのです。朴氏は韓国人ではないか。韓国人なら韓国人らしく韓国の誇りを語るべきではないか。日本人以上の日本讃美をやられるのはおかしいではないか。私もあの時四十四歳。韓国ではどこでも論戦をやってきたので、その癖が頭をもたげたのです。私は次のように「反撃」しました。
「私はこれまで外国人による日本讃美の言葉をいろいろ聞いてきた。しか し今聞いた朴会長程の徹底した日本讃美を聞いたことがなかった。過激とも思われる日本讃美論には圧倒されてしまって言葉がない。しかし朴鉄柱先生は韓国人 ではないか。韓国人なら韓国人らしく、韓国讃美をやられたらどうか。韓国に来てまで〝日本讃美〟の言葉を聞こうとは思はなかった。

韓国は素晴らしい。半島国家という地政学的な悪条件下にあって、韓国は独自の文 化伝統を失はなかった。北からは隋や唐や元に攻められ、戦後は北朝鮮からも攻撃された。そして南からは日本の侵入を受けたことも何回かある。サンドウィッ チのようになりながらも韓国はその都度甦り、不死鳥のように立ち上がった。そして現在は檀君紀元を復活させ、国防意識に燃え、民族としての誇りに生きてい る。それに対して我が日本は、たった一度の敗戦で神話を忘れ、歴史を否定的に見、民族の自覚も誇りもなく、経済成長にうつつを抜かしている。我々こそ多くの教訓を韓国から学ばなければならない。」
私は朴氏程の迫力はなかったが、このように「逆襲」したのです。韓国民の朴氏は日本讃美をやり、日本国民の私は韓国讃美をやった訳です。このような相互のエールの交換によって、私は朴氏と深い友情に結ばれるようになったのでした。

初心に生きた晩年の朴氏

その後朴氏は半身不随の大病にかかり、会うこともできなくなりました。しかし氏は長い闘病の末漸く回復して来日しました。それは十数年後の再会でした。しかしその時、朴氏には昔日の迫力は失せていました。ギラギラと磨ぎすましたような切れ味も、シャープな語り口もどこへ行ったのか。昭和四十二年に会った四十五歳の時の朴鉄柱氏の印象が余りに強烈であったために、挨拶を交
しながら、我が目と耳を疑った程でした。

氏はその後次第に健康をとり戻しましたが、昔日の「朴鉄柱」ではありませんでした。氏は玄洋商事株式会社の代表理事(取締役社長)として新事業にとり組始めました。度々来日するようになり、その都度私は彼の宿舎を訪ねました。事業の内容についてはお互に触れたことがありませんが、一度だけ私の方から、「武士の商法がうまくいっていますか」と聞いてみたことがあります。それに対して「やりたくてやっているんじゃありません。決して初心は忘れてはいません。日韓の架け橋となる運動を展開するために、先立つものを用意しなければ…」と答えるだけでした。

その間私は朴氏に、何度か著書の刊行をすすめました。朴氏もそれを考えており、目下執筆中でもある、とのことでした。翻訳の事を質ねると、「自分はいつも日本語で発表しているし、韓国語より日本語の方が書きやすいので、日本語で書く」と、もらしていました。

テーマは二つあって、一つは明治の頃の『日韓併合史』、もう一つは『満洲事変後の日韓関係史』の二本立で行きたい、としてその梗概を聞きました。私は聞きながら、これができれば「日本を犯罪国家に見たてた『日帝三十六年史』がひっくり返るのではないか。日韓友好の原点を示す名著として、古典的価値を持つに違いない」私は何度かこの点を力説して激励しました。癌に侵されてからも来日されたので、「朴鉄柱の名を不滅たらしめる著書」の執筆を懇願しました。それが病気を超える活力になると思って、東京から電話で激励したこともあります。

しかし癌と戦いながらの執筆、それに資料の不足もあり、事業の後始末にも追はれ、遂に完成を見ないままに他界されてしまいました。御本人の無念を思えば、想像を絶するものがあります。今は前述した『日本と韓国』と共に、「まぼろしの名著」として語るよりほかなく、何としても残念の一語につきます。

考えてみれば、日本人以上に日本を知り、日本を愛し、永遠の日韓友好の道を説き、中途にして戦い倒れた朴鉄柱氏の生涯でした。このたび「日本の戦友」として忘れてならない悲劇の韓国人を追悼し、記録に留めるべく、文集出版の運びとなったのです。

出版のために一念発起された伊藤行宏、野村健、京田葦男の三氏に心から敬意を表しっつ、最後に晩年に語られた朴氏の言葉を思いだすままに紹介して筆を擱きます。
「日本統治時代、私の父は頑固に改姓に反対したが、私は自発的に〝新井 清資〟と改名した。それでも私は後悔していない。フィリピンはスペイン統治時代には、スペイン流に改名した者が多かった。建国の偉人と仰がれているホセ・ リサールはスペイン式の名前なのだ。ベトナムへ行けばフランス人のような名前が多く、アメリカに住む黒人の中にはスミスとかジョージとか、英語国民の名が 多い。ポーランドに住むドイツ人は、ポーランド式に名を改めている者もある。

現在日韓両国では、〝創氏改名〟を悪政のように言っているが、あの頃自発的に改 姓した者も多かったのだ。それに日本は改姓を強制した訳ではなかった。南次郎総督時代に、「内鮮一体」の掛声が高くなり、「朝鮮民事令」を一部改正して、 家の制度を確立するために、〝氏〟を名乗ることができるようにした。昭和十五年二月一日から六ケ月間に届け出た者に限って、改姓を認めた訳だ。すると改姓 しなければ不利になると脅したりして、各地で創氏者数を競い合うようになった。全羅北道のある面長(日本の県長にあたる)や小学校長が改姓しなければ子供 を学校にこさせないと迫ったために、両班の薛氏が井戸に投身して自殺する悲劇が起った。そういう悲劇が起ったが、結局七九%が改姓した。しかし改姓しな かった者も多かった。例えば日本の陸軍中将にまでなった洪思翊は、改姓しなかった。それでも彼は日本帝国陸軍中将として刑死した。」

「日本統治時代、私は『朝鮮人』として差別されたことはある。配給の砂糖等が、 朝鮮人なるが故に貰えなかったことがある。屈辱を味わい、残念に思ったことがあるが、それらは心ない一部の日本人の仕業であって枝葉の事である。いつまで も枝葉にとらわれる事は日韓の不幸である。日韓は大所高所に立って、恒久の友好策を考究しなければならない」。 

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日韓併合 百年目の真実 李完用が救った大韓帝国

本年2010年8月29日は法律上の専制君主大韓帝国皇帝純宗が勅諭を発表して日本と韓国が合併したことを内外に示してから100年目にあたる。


韓国皇帝の勅諭 皇帝、若(ここ)に曰く、朕否徳にして艱大なる業を承け、臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望み無し。中夜憂慮善後の策茫然たり。此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底(いた)らん。寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せいむるに如かず。

故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、自ら断じ、茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国日本皇帝陛下に譲与し、外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。惟爾大小臣民は、国勢と時宜を深察し、煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。

朕が今日の此の挙は、爾有衆を忘れたるにあらず、専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ。爾臣民は朕の此の意を克く体せよ。

隆煕四年八月二十九日 御璽

日韓併合100年目を前に韓国の反日派からの様々な動きがあるのでまとめてみたい。

2010年5月11日のこのようなニュースを目にした。

日韓知識人が共同宣言「日韓併合は当初から無効だった」
看過できないのは多くの日本人学者が関わっているという点 …今回の声明には発起人である和田春樹東京大学名誉教授をはじめ、日韓歴史共同研究委員会の日本側の座長を務めた三谷太一郎東京大学名誉教授など105人が声明に署名している。一方、韓国ではイ・テジンソウル大学明楊教授やカン・マンギル高麗大学名誉教授、詩人の高銀氏や金芝河氏のほか、幅広い層から109人が声明に署名した。… …声明では、「併合は大韓帝国の抗議を軍事力で押さえつけたもので、韓国側が国権の譲与を申し出たとする内容も虚偽(きょぎ)である」と指摘し、日本政府が日韓併合条約について「無効」であることを認め、8月の総理談話に関連内容を盛り込むように、積極的に働き掛けるとしている。… 2010年07月18日には、

日韓併合100年で日本が韓国へ謝罪、中国も大きな注目

8月29日に日韓併合100年を迎えるにあたり、日本政府は韓国に過去の植民地統治を謝罪する方針を明らかにした。17日、環球時報は「日本は韓国側…

翻訳者からのメッセージ

国家と国民 民族が国民となるためには国家を確立しなければならないのが国際的なルールだ。主権国としての権利が付与されるには統治機構(以後政府)がなければならない。政府によって領土(領海、領空)と被統治民族(国民)が認定されるわけだ。現在ではその政府が民主的な手続きで選ばれるのが(普通選挙)望ましいが、それは民族が決めること(民族自決。民族が自ら、自由に政府を組織すること、民族自決)ということも国際的なルールだ。国際社会では民主的にせよ、力尽くにせよ領土と民族を実効支配していることが重要なのだ。竹島は力尽くで奪われたのだが、それを民主的なルールで取り返そうとしてもある意味空虚だ。中国は尖閣諸島を民主的に奪いとろうとしているが、最後は武力行使をしてくる可能性は否定出来ない。国家(領土と領民)というのは受動的に与えられる概念ではなく能動的主体的に確立した民族に認められる概念なのだ。

憲法は国民からの命令書 憲法は民族が国民となり暴力を政府に独占させるにあたってやってほしいこと、やってほしくないことをお願いした手紙であり、法という見方をすれば国民から政府対する命令書だ。よってその前文は我々は~命令する(政府に対して)、という文章が望ましい。そのことをふまえて前文を読んでみると、
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由 のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を 確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれ を享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安 全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地 位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民…

国際関係論で論じられる理想主義

リベラリズムほど解釈が多様にある言葉はないと思う。日本語では自由主義と訳される場合が多いのだが、昨今では自由主義とリベラリズムは対立する政治姿勢ともいえる。よって自由主義をリバタリアニズムと呼ぶのが一般的になりつつある。本稿の場合はリベラリズムを社会自由主義的な用法、ようするに国際関係論で論じられる理想主義として論じることにする。

20世紀の戦争 20世紀は戦争の世紀と呼ばれるように産業革命による技術革新が戦争を巨大化、無慈悲化させた。世界は巨大化・無慈悲化する戦争に対して、一定の規則を締結したが、その後に勃発した第一次世界大戦は大規模かつ無慈悲な消耗戦によりヨーロッパ社会に大きな衝撃を残した。

第一次世界大戦の塹壕戦や化学兵器の使用は、ただ敵を消耗させるための戦略で、それまでの戦争とは様相が大きく変化した。戦争は国家が軍に命令して、軍が名誉をかけて行う営みから、国家国民全体で行う営み全体戦争つまり総力戦へと変容した。

パリ不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)は大戦のような悲惨な戦闘を二度と繰り返さないために交戦国、非交戦国も含めて63カ国が署名した。目的は戦争の違法化、特に侵攻戦争の違法化を目指したが、最終的には侵攻戦争を非難するにとどまった。


貧困が戦争を起こす もし社会が現状で固定されるとしたら、現在比較的幸福な人はいいが、もし不幸な人はどうだろうか。それはその人の希望を奪い去ることになる。国家同士の戦争もある一面では現状に満足できない国家と、それを阻止しようとする国家の営みといえる。

第一次大戦後ヨーロッパの比較的裕福な人々の間で戦争が二度と起こらないように、家族友人の死、あるいは戦争による破産などの不幸をなくすには、どうしたら良いか考えられたのは自然なことだ。そして彼らは結論した。「貧困が戦争を起こす」。

大戦中ロシアでは革命が起こりソ連邦が誕生する。国民(ソ連に国民がいたかは定かでないが)に貧困のない平等な生活を提供する統治体の出現に、ヨーロッパのエシュタブリッシュメントは期待と不安の眼差しを向ける。
リベラリズムの誕生 フランス革命の惨劇を経験しているヨーロッパの裕福な人達は、現状を維持しながら戦争を防止する政治体制の確立を急いだ。そのような背景でリベラリズム理論が誕生することになる。その理論は金持ちはそのまま、貧乏人はもう少しお金持ちにすることだ。

TPPとはなにか ―国際法・条約から考える

フェイスブックのTPPって何?の議論を通じTPPを検証してきたが、ここに来て議論が成熟してきた。JAなどがTPPの「聖域なき関税撤廃で農業はだめになる」という主張はWTO・GATTのウルグアイ・ラウンドで我国が聖域として議論した農産5品目が自由化されるという主張だが、TPPはWTO・GATTの規定内で交渉される自由貿易協定であるから、「聖域なし」は「実質上」と同じ「すべて」ではないという例外を表した言葉だ。

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 第1章

近代憲法は、主権者である国民の意志として、組織される政府に対する命令書なので、前文は、その意志を表現したものがふさわしい。そしてその目的を明確にする必要がある。さらにその目的のために、憲法を制定するわけなので、そういうことを頭に入れたうえで、再び前文を読むと、合衆国憲法は、

われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここに アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。
目的意志がシンプルかつ明確に表現されている。これと比較して、日本国憲法における国民意志もしくは達成したい目的は、

政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。に色濃く現れ、

これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
が次にくる。なぜわざわざ一切の憲法と法令と詔勅と断る必要があるのだろうか。ここにこの憲法を制定した意志があるのではないだろうか。そして最後には、

国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

目的を達成することを、宣言命令するのではなく誓ふ。さらに誓ふ対象も明記されていない。我々日本国民は、誰に対して目標を達成することを誓ふのだろうか。 これに答えを出せる憲法学者や国会議員が、我が国にはどれほどいるのだろうか。国民はそれを疑問とも考えていないのだろか。

第 1 章はその意志を具体化する、そして目的を達成するための第一歩ということだ。最重要なことを最初に申し述べているのである。アメリカ合衆国にとって最重要なことは法の支配、法による秩序であり、日本国では天皇―スメラミコトによる秩序―これをしらすという―であるということだ。大日本国憲法では、

大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

と統治の根拠となる天皇が過去、現在、未来に渡つて、日本国と日本民族の秩序の源であることを示している。この場合の統治とは伊藤博文が解説するように、しらすであり現実的な権力、うしはくと厳密に分けなければならないのである。

合衆国憲法は合衆国の秩序は法によって護られるゆえ、第 1 章では立法府についての規定が列記される。一方、日本国憲法では天皇についての条項が…

不要な電波がユビキタス —あなたの私生活は公開されている

このところ政治の話が多かったので、専門の危機管理のお話を少ししたいと思う。皆さんはノートパソコンを使ってますか?それとも自宅のWIFIでスマホを使って、インスタグラムに投稿してますか?これらはすべて私生活の公開の危険をはらんでいることにお気づきですか?

ネットワーク簡単に接続できることは簡単にのぞかれているということ 自宅のペットを監視するや赤ちゃんを監視するためにWEBカメラを購入してスマホで見ている、という人は結構多いのででないだろうか。実は「簡単に」接続できることは、容易にのぞかれることだ。また、自宅用の防犯用監視カメラはDDos攻撃の道具として使用されていることもある。これらは簡単で安価に使用できるというメリットは、逆にリスクになるということを理解しなければいけない。

私がある地方都市に出張して、古いホテルに宿泊したとき、部屋で仕事をするために無線LANに接続したところ、いろいろなノードが参照できたことがあった。通常はVLAN等で他のノードを参照できないようにするのだが、予算の関係かあるいは自力で無線化したのか、セキュリティ対策が杜撰だった。



大量のアクセスポイントが大量の電波をだしている 無線LANのサーベイをしていると、付近のマンションなどから多数のアクセスポイントが検知される。今や家庭に一個はアクセスルーターがあるが、その中の半数はアクセスキーが設定されていないものがある。おそらくセットアップ時に設定を飛ばすか、しないかだろうが危険だ。

簡単に設定できるうえ、再セットアップが簡単なのでそのようにしているか、若しくは全く意識しないでしているかだが、悪意の三者に利用される危険がある。安易な電波が不足しがちな無線環境をさらに悪化させている。
写真には位置情報が付加されている フェイスブックやインスタグラムに写真を投稿しているが、アップロード場所の位置情報を付加している人がいる。自宅で自撮り写真や子供の写真をアップロードしている人も位置情報が付加されているのを散見する。

フェイスブックやインスタグラムアプリの位置情報機能をオフしても写真自体に位置情報が付加されていることには気づいていないようだ。ほとんどのスマホ撮影の写真に位置情報が付加されてる。僕はフェイスブックの友達の女性が自宅で自撮り写真をアップロードしているときはそれを確認して連絡をしてあげている。…

小和田恒悪玉論を問う ―衆 - 外務委員会 - 1号 昭和60年11月08日 その2

引き続き、村田春樹さんが國民新聞に書いた記事「小和田恒悪玉論を問う」への激励投稿を続けたいと思う。さて国会会議議事検索システムで昭和60年11月8日衆議院外務委員会の土井たか子委員の質問に対する答弁を検証しよう。

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 前文

これから日本国の新憲法草案を提案しよう。どうしてそう思ったかは単純だ、今の日本国憲法は近代憲法の要件を満たしていないと思われるからだ。近代における国家は主権者である国民の国家形成への強い意志によって成り立っているとする。―するとしたのはもっと奥深い部分では違うと考えているが、近代に対応するためにそう仮定することにしよう。

近代思想において国家は、たとえ国民がひとりでも、国民意志があれば形成することができるとされる。しかしそれは利己的な個人意志ではない。五箇条の御誓文で公論と示された、意志を国民主権では民意というのであって、それがなければ近代国家は存在しないのである。さらにその意志は個々人の中にある不条理で熱い志であり、それを顕現しあるいは不当な隷属の強要から擁護されなければならないと考えている。

そして近代における憲法はその国家を統治する権力を制限するために制定するものであり、国民から政治権力への手紙であり、もっと強く表現すれば命令書として機能するのもである。よって国民が必ずしも従うべきものではないという性質のものである。
統治体というのは国際的には近代国民国家が国際関係を維持するため、またはその関係が破綻した場合に起きる紛争を解決したり、戦争を遂行し条約を締結するための代表府である。同時に国内においては共同体秩序を維持発展させるために制度や法律を制定する立法府、制定された法律をもとにそれを執行する行政府、そして行政が正しい手続きで行われているかを監視したりあるいは手続きの瑕疵を判断する裁判所などの組織のことである。

しかしこれらの組織は主権者である国民の自由を拘束したり法律を不当に行使したりする可能性があるので主権者は組織に対し、してはいけないことと、積極的にしなければならないことを文書によって命令する、それが憲法の本質なのである。そういう視点をもって世界最初の憲法らしい憲法であるアメリカ合衆国憲法と戦後アメリカの占領下制定された日本国憲法を比較してみよう。


アメリカ合衆国憲法(日本語訳)
前文
われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。The Constitution o…