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日本は〝心〟という字に見える ─ 日韓永遠の架け橋たらんとした悲劇の知日家・朴鉄柱会長 ─

戦後ソウルに設立した「日本文化研究所

(高千穂商科大学教授) 名越二荒之助
「朴鉄柱大人を偲ぶ」より

恒久的な日韓友好を考えるうえで、避けて通ることのできない人物がおります。それは朴鐵柱という一人の韓国人です。彼は大正十一年(一九二二)、釜山市の東?(トーライ)に生まれ、大東亜戦争下に日本の皇典講究所を卒業。卒業後は釜山の龍頭山神社や、新羅時代から関係の深い下関の住吉神社(長門一宮、元官幣中社)に奉職しました。彼は学生時代から古事記・日本書記を通して、日本の成り立ちと天皇朝の存在に深い関心を寄せ、その尊貴性に目覚めていました。だから彼としては、神社に奉職することに何のためらいもありませんでした。

終戦後は韓国に帰りましたが、李承晩大統領の反日政権下にあって苦汁を嘗めさせられました。日本の学校を出た者は、「民族反逆者裁判条例」にひっかかって追放の憂目を見ました。やがて朝鮮動乱が勃発。その荒波をくぐって生きのび、動乱が終るとソウルに出て、昭和二十九年五月には、「日本文化研究所」(ソウル特別市中区奨忠洞二街一九七)」を設立しました。「社団法人・日本文化研究所」の「内容書」は、韓日両国語によって書かれており、「趣意書」の冒頭は次のような書き出しで始まります。

「日韓両民族は、各自悠久なる伝統と文化を護持してき、上古よりの密接なる文化的相互交流は、両民族の芸術、風俗、道義観にまで相似共通のものを形成してきたのであります。特に一衣帯水の地理的条件は、お互の全歴史を通じて政治的、経済的、協助を不可避にし、文化的、精神的にも緊密にして不可分離なる関係を確立してきたのでありま
す。」

「趣意書」は大局観に立って、悠久の日韓のあり方を踏えたものです。しかしながら両国の間に、文禄・慶長の役のような「互恵扶助の原理に違背したとき」があった。それは「久遠なる歴史に於てひとつの瞬間的な疾患であり、両国の健全な将来と恒久友和のための契機」にしなければならないとして、研究主題を次の三つに置いております。

一、日本上代文化の研究
二、帰化文化の研究
三、日本の信仰、道徳等精神文化の研究

韓国で朴氏が「日本文化研究所」を設立した昭和三十年頃の日本は、敗戦のショックから醒めやらず、自国文化を
否定し、罵倒する言論がまかり通っていました。その頃韓国で、日本の精神伝統と国体研究の運動が起ったことは、文
字通り驚嘆すべきことでした。もし当時から日本に、日本人の手によって「韓国文化研究所」を設立し、

一、韓国上代文化の研究
二、帰化文化の研究
三、韓国の信仰、道徳等精神文化の研究

を研究テーマとしていたらと思うのです。そして韓国の「日本文化研究所」と日本の「韓国文化研究所」が相互に研究交流を重ねていたら、日韓関係はいかに好転したことでしょうか。

まぼろしの遺著『日本と韓国』

この研究所は二階建でアパート風の「学生会館」を持っていました。会館には常時二十五名から三十名が共同生活をしながら、朴所長の講義を中心に勉学に助みました。日本語の勉強をはじめ、研究の中心テーマは、「日本の国体と歴史の究明、そして恒久的な日韓関係のあり方の探求」でした。塾生の心構えを、「学究修身、忍苦鍛練、弘道先駆」の三ケ条に置き、会員はソウルだけで千二百名に達しました。

朴所長は一方で『日本と韓国』と題する二八〇頁の著書(韓国語)を刊行しました。この本の題名は、『韓国と日本』ではなく、『日本と韓国』となっているように、全体の三分の二が日本に言及しており、日韓の恒久的安定を説いたものです。即ち
「日韓の安定のためには、日本は古事記さかのぼって、日本の本然の姿をとり戻すべきであり、韓国は韓国形成の 根源を知らねばならない。豊臣秀吉の“朝鮮征伐”(文禄慶長の役)とか、日帝三十六年の韓国統治とかは、長い日韓の歴史からすれば、派生的なことに過ぎな い。それは一時的な兄弟喧嘩のようなものである。日韓は相互に国家形成の原点に回帰すべきである。」
という主題をもったものでした。反日感情渦巻く韓国で、このような運動を展開したことは、何度もいうようですが、奇蹟にも等しいことでした。案に違わずこれが「反共法」にひっかかり、朴氏は裁判にかけられました。その結果著書は全部没収・焼却され、三年半の刑を言い渡され、「日本文化研究所」も解散のやむなきに到りました。

私が晩年の朴氏に会った時、当時発刊した『日本と韓国』を是非読ませてほしいと懇願しました。朴氏は「自分の手もとには一冊もない。しかし今も一人だけ持っている人がいるはずだから、捜して送る」ということでした。しかし遂に発見できなかったのか、「日本文化研究所・内容書」だけが送られてきました。別掲しているので、是非参照してほしいと思います。

日本人必読の名講演

朴氏は三年半の刑期を終えて釈放されてからも、「国家安全企画室(KCIA)」からの査察を受け、何回か投獄の憂目を見ましたそれでも初一念を曲げず「日本文化研究所」は名称を「韓日文化研究協会」と改め、細々と続けていました。資金なく、生活は文字通り赤貧洗うがごとき状態でした。

昭和四十一年、日韓基本条約が締結され、国交が樹立されました。昭和四十二年十月、私は「社団法人・国民文化研究会(小田村寅二郎理事長)」から派遣されて、学生たち七人(九大、長崎大、早大、上智大学等)と訪韓しました。韓国では、ソウル大、梨花女子大、高麗大、慶北大、そして中・高校では京畿、城南の学校訪問を行い、どこに行っても教師・学生を混えて懇談会を持ちました。当時反日感情の根強さは予想を超えるものがあり、豊臣秀吉・加藤清正の「朝鮮征伐」と「日帝三十六年に及ぶ侵略」を攻撃してきました。それに対して我々は「謝罪」をせず、当時置かれた極東アジアの状況を語り、反日的怨念だけでは健全なる愛国心は育たないことを強調しました。そういう「たたかい」のさ中の十一月一日、我々は朴鉄柱氏主宰の「韓日文化研究協会」を訪ねたのです。

その協会の建物は荒廃して目を当てられぬくらいでした。朴会長は荒れ果てた建物を指差しながら、「これで松下村塾なみになりましたとカラカラと笑いました。朴氏は吉田松蔭のような生き方をもって、日韓永遠の架け橋たらんとしていたのです。私たちが来るというので、朴氏の弟子数人も集まっていました。朴先生と弟子たちの目は爛々と輝き、底知れぬ迫力を感じました。対座していると、反日砂漠の中でオアシスに出会ったような安らぎを覚えました。

朴会長は我々の訪問を待ちかねたように、語り始めました。それは堰を切った急流のように溢れ出て、とどまることを知らず、三時間がアッという間に過ぎました。
「韓国から日本をながめていると、日本が〝心〟という字に見える。北海 道、本州、四国、九州と〝心〟という字に並んでいるではないか。日本はすばらしい。万世一系の御皇室(御をつけらる)を戴き、歴史に断絶がない。日本固 有の神道が、現在に至るまで相続されており、全体が調和された形でできている。〝八紘為宇〟という考え方は、日本の大らかさの現れであって、これは積極的 に世界に知らせる必要がある。それに較べて韓国の歴史は、悲惨であって断層が深く、涙なくして見ることはできない。暗い場所から見れば、明るい所は余計にはっきりと解る。韓国は日本文化の豊かさの中から学ぶことによって、内面的支柱を確立するよう努力したい。」
「韓国の檀君神話といっても、あれは高麗時代、モンゴルの支配下に置かれた時、 一然上人が民族精神を振起するためにまとめたもので、高麗神話の性格が強い。ほかに新羅や百済や駕洛にも神話がある。韓国は、日本のように統一した一つの 神話にはなっていない。日本神話は、ギリシャやユダヤの神話に較べて明るく、ロマンの香りが高く親しみやすい。それに日本神話は檀君神話より四百年も前に まとめられた。私が日本神話に内面的親しみを感ずるのは、日韓は同祖だと信ずるからである。それは民族学的な立場からも立証できる。韓国は古来から祖先信 仰と自然崇敬の念が強く、山神霊廟があり、それらをまつるために、『鳥居や『しめなわ』『ヒモロギ』を使ってきた。それに日韓両国には、「白衣」の思想が あった(これらは中国にはない)。
日本の神職は、神に近ずく時には白衣を着る。韓国民も霊廟に参拝する時には白衣を着るし、目上の人に会う時にも白衣を着るのが礼儀となっている。まず自らの身を浄める訳である。」
「第二次大戦後の日韓関係は、李承晩政権の影響もあって、共産主義以上に日本を 憎む傾向があった。そのため日韓の氷山の一角を誇大に強調して、隠された部分を見落していた。お互いの精神的歴史的豊かさを掘り起す努力をしようではない か。そのために日本は自信をとり戻して、おおらかに民族形成の原点に立ち返ってほしい。」
「現在の日本人の自信喪失は敗戦に帰因しているが、そもそも大東亜戦争は決して 日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後までとり組んだ。それまでの日本はアジアのホープであり、誇り高き民族 であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。〝事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし〟というのが、 開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦 争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争-この二つの捨身の戦争が歴史を転換し、アジア諸民族の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調し過ぎ ることはない。」
「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスを始めとする植 民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝ったか敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって 決る、というのはクラウゼウィツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、〝聖なる戦争〟であっ た。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐ回復できたではないか。二百数十万の戦死者はたしかに帰ってこないが、しかし 彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇の対象となるのである。」

私の反論とエール交換

豊かな語彙を駆使した熱誠あふれる朴会長の雄弁は、日本人必聴の名講演でした。朴氏は当時四十五歳。油の乗りきった頃の、文字通りいのちのほとばしりともいうべき流露でした。今もその時の一語一語が鮮やかに甦ってきます。それに対して私は日本側団長として何か應えなければなりません。私は実は朴氏の名調子を聞きながら、一方では何か空しいものを感じていたのです。朴氏は韓国人ではないか。韓国人なら韓国人らしく韓国の誇りを語るべきではないか。日本人以上の日本讃美をやられるのはおかしいではないか。私もあの時四十四歳。韓国ではどこでも論戦をやってきたので、その癖が頭をもたげたのです。私は次のように「反撃」しました。
「私はこれまで外国人による日本讃美の言葉をいろいろ聞いてきた。しか し今聞いた朴会長程の徹底した日本讃美を聞いたことがなかった。過激とも思われる日本讃美論には圧倒されてしまって言葉がない。しかし朴鉄柱先生は韓国人 ではないか。韓国人なら韓国人らしく、韓国讃美をやられたらどうか。韓国に来てまで〝日本讃美〟の言葉を聞こうとは思はなかった。

韓国は素晴らしい。半島国家という地政学的な悪条件下にあって、韓国は独自の文 化伝統を失はなかった。北からは隋や唐や元に攻められ、戦後は北朝鮮からも攻撃された。そして南からは日本の侵入を受けたことも何回かある。サンドウィッ チのようになりながらも韓国はその都度甦り、不死鳥のように立ち上がった。そして現在は檀君紀元を復活させ、国防意識に燃え、民族としての誇りに生きてい る。それに対して我が日本は、たった一度の敗戦で神話を忘れ、歴史を否定的に見、民族の自覚も誇りもなく、経済成長にうつつを抜かしている。我々こそ多くの教訓を韓国から学ばなければならない。」
私は朴氏程の迫力はなかったが、このように「逆襲」したのです。韓国民の朴氏は日本讃美をやり、日本国民の私は韓国讃美をやった訳です。このような相互のエールの交換によって、私は朴氏と深い友情に結ばれるようになったのでした。

初心に生きた晩年の朴氏

その後朴氏は半身不随の大病にかかり、会うこともできなくなりました。しかし氏は長い闘病の末漸く回復して来日しました。それは十数年後の再会でした。しかしその時、朴氏には昔日の迫力は失せていました。ギラギラと磨ぎすましたような切れ味も、シャープな語り口もどこへ行ったのか。昭和四十二年に会った四十五歳の時の朴鉄柱氏の印象が余りに強烈であったために、挨拶を交
しながら、我が目と耳を疑った程でした。

氏はその後次第に健康をとり戻しましたが、昔日の「朴鉄柱」ではありませんでした。氏は玄洋商事株式会社の代表理事(取締役社長)として新事業にとり組始めました。度々来日するようになり、その都度私は彼の宿舎を訪ねました。事業の内容についてはお互に触れたことがありませんが、一度だけ私の方から、「武士の商法がうまくいっていますか」と聞いてみたことがあります。それに対して「やりたくてやっているんじゃありません。決して初心は忘れてはいません。日韓の架け橋となる運動を展開するために、先立つものを用意しなければ…」と答えるだけでした。

その間私は朴氏に、何度か著書の刊行をすすめました。朴氏もそれを考えており、目下執筆中でもある、とのことでした。翻訳の事を質ねると、「自分はいつも日本語で発表しているし、韓国語より日本語の方が書きやすいので、日本語で書く」と、もらしていました。

テーマは二つあって、一つは明治の頃の『日韓併合史』、もう一つは『満洲事変後の日韓関係史』の二本立で行きたい、としてその梗概を聞きました。私は聞きながら、これができれば「日本を犯罪国家に見たてた『日帝三十六年史』がひっくり返るのではないか。日韓友好の原点を示す名著として、古典的価値を持つに違いない」私は何度かこの点を力説して激励しました。癌に侵されてからも来日されたので、「朴鉄柱の名を不滅たらしめる著書」の執筆を懇願しました。それが病気を超える活力になると思って、東京から電話で激励したこともあります。

しかし癌と戦いながらの執筆、それに資料の不足もあり、事業の後始末にも追はれ、遂に完成を見ないままに他界されてしまいました。御本人の無念を思えば、想像を絶するものがあります。今は前述した『日本と韓国』と共に、「まぼろしの名著」として語るよりほかなく、何としても残念の一語につきます。

考えてみれば、日本人以上に日本を知り、日本を愛し、永遠の日韓友好の道を説き、中途にして戦い倒れた朴鉄柱氏の生涯でした。このたび「日本の戦友」として忘れてならない悲劇の韓国人を追悼し、記録に留めるべく、文集出版の運びとなったのです。

出版のために一念発起された伊藤行宏、野村健、京田葦男の三氏に心から敬意を表しっつ、最後に晩年に語られた朴氏の言葉を思いだすままに紹介して筆を擱きます。
「日本統治時代、私の父は頑固に改姓に反対したが、私は自発的に〝新井 清資〟と改名した。それでも私は後悔していない。フィリピンはスペイン統治時代には、スペイン流に改名した者が多かった。建国の偉人と仰がれているホセ・ リサールはスペイン式の名前なのだ。ベトナムへ行けばフランス人のような名前が多く、アメリカに住む黒人の中にはスミスとかジョージとか、英語国民の名が 多い。ポーランドに住むドイツ人は、ポーランド式に名を改めている者もある。

現在日韓両国では、〝創氏改名〟を悪政のように言っているが、あの頃自発的に改 姓した者も多かったのだ。それに日本は改姓を強制した訳ではなかった。南次郎総督時代に、「内鮮一体」の掛声が高くなり、「朝鮮民事令」を一部改正して、 家の制度を確立するために、〝氏〟を名乗ることができるようにした。昭和十五年二月一日から六ケ月間に届け出た者に限って、改姓を認めた訳だ。すると改姓 しなければ不利になると脅したりして、各地で創氏者数を競い合うようになった。全羅北道のある面長(日本の県長にあたる)や小学校長が改姓しなければ子供 を学校にこさせないと迫ったために、両班の薛氏が井戸に投身して自殺する悲劇が起った。そういう悲劇が起ったが、結局七九%が改姓した。しかし改姓しな かった者も多かった。例えば日本の陸軍中将にまでなった洪思翊は、改姓しなかった。それでも彼は日本帝国陸軍中将として刑死した。」

「日本統治時代、私は『朝鮮人』として差別されたことはある。配給の砂糖等が、 朝鮮人なるが故に貰えなかったことがある。屈辱を味わい、残念に思ったことがあるが、それらは心ない一部の日本人の仕業であって枝葉の事である。いつまで も枝葉にとらわれる事は日韓の不幸である。日韓は大所高所に立って、恒久の友好策を考究しなければならない」。 

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日本は北朝鮮と国境を接していない

朝鮮民主主義人民共和国はなぜ生存しているのか 「北朝鮮は脅威ではない」が、思いのほか好評だったが、危機が現実化する過程の関心高さがうかがえる。ただ、一部投稿を疑問視するコメントも散見されたので、本稿はそれにお答えしよう。何を疑問視されたかというと、北朝鮮は現実的に脅威じゃないか!というものだが、僕は、北朝鮮が脅威にように見えるが、あれは北朝鮮ではなく、北朝鮮をコントロール若しくはそう仕向けている勢力があるということをいっている。現実は北朝鮮危機なのだが、真実は極東情勢の好転ではないのか、というのが趣旨だ。

極東の軍事バランス 図は少し古い資料だが、詳しくは拙稿「朝鮮人民軍の実力」を参照してほしい。最近の資料では、韓国軍は2020年までに52万人に削減される予定である。 一方朝鮮人民軍は推定で120万人といわれている。在韓在日の米軍を含めても、北朝鮮人民軍の兵力は約2倍だ。さらに、中朝国境を管轄する人民解放軍北部戦区には約25万人の兵力があるという分析もある。北部戦区は再編前の瀋陽軍区で、瀋陽軍区の前身が朝鮮戦争に義勇軍を派遣した第4野戦軍なのである。米軍による仁川上陸の攻勢から、金日成北朝鮮軍壊滅を救ったのが、現在の北部戦区ということだ。金正恩北朝鮮の強硬姿勢は、こういう歴史的背景がある。人民解放軍の戦力の他に、ウラジオストックにはロシア軍東部軍管区の2個軍及び航空軍、鉄道軍約9万人が配備されている。


旧瀋陽軍区と北朝鮮 歴史的に朝鮮半島では、他国の影響を排除した独立国は存在していない。現在の両国もそうだ。北朝鮮はソ連が建国して、中国共産党人民解放軍の奮戦が支えた国といえるし、韓国は米軍の支援なしでは、いまごろ、山口県に亡命政権があったかもしれない。先にふれた旧瀋陽軍区は、鴨緑江から反撃を開始して、約2万5千人の戦死者を出しながら、一時はソウルを再占領するまで戦った部隊の末裔だ。過去金正恩の父、金正日は亡くなる前2年間で11回、旧瀋陽軍区を訪問しているという。
中国共産党も恐れる旧瀋陽軍区 また、旧瀋陽軍区は中国共産党にとっても危険な存在だという。かつては北方民族が群雄割拠する地域で、万里の長城はその北方民族の侵入を防ぐためのものだ。近くは軍閥の張作霖が支配した地域であり、満州国が建国された地域でもある。歴史的には北京とは一線を画している地域だ。李氏朝鮮時代か…

眞子内親王殿下と小室圭氏の恋の行方を憲法で考える

憲法24条はまもられるのか?
日本国憲法24条
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

日本国憲法では婚姻の自由が権利として認められている。前回の投稿でも示したが、第24条は日本国憲法で唯一国民に受け入れられた条文ともいえるので社会の根幹である家族を生み出す唯一の条件が「両性の合意のみ」とした、つまり愛が結婚の認証基盤だとうことだ。


憲法では陛下や秋篠宮文仁親王及び紀子妃殿下がそれを拒否しようがしまいが関係がないと規定している。しかし人権がご皇室にも適用されるかどうかの人権の享有主体性の問題はある。紀子妃殿下や皇后陛下のご心配ははかり知れないが、陛下はご結婚をすでに許可されているので、眞子内親王の心変わりがなければ、延期にはなるが破談になることはないだろう。なぜなら、陛下は日本の立憲君主、象徴天皇としての立憲的立場をよくわきまえていらっしゃるからだ。

もし内親王と圭氏の強い意思で結婚を希望したが、文仁親王や妃殿下のご意向で破談になるようなことがあれば、それは明らかな憲法違反となることだろう。圭氏の母親がどのような人物だろうが、婚姻は憲法では「両性の合意のみに基いて成立」するのである。 母親の借金などということと婚姻とは全く無関係なのである。私は眞子内親王には是非そのようなことで愛する男性との婚姻をやめてほしくはない。勿論合意がなければ―つまりそんな男愛せないと、おっしゃれば別だが。

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 前文

これから日本国の新憲法草案を提案しよう。どうしてそう思ったかは単純だ、今の日本国憲法は近代憲法の要件を満たしていないと思われるからだ。近代における国家は主権者である国民の国家形成への強い意志によって成り立っているとする。―するとしたのはもっと奥深い部分では違うと考えているが、近代に対応するためにそう仮定することにしよう。

近代思想において国家は、たとえ国民がひとりでも、国民意志があれば形成することができるとされる。しかしそれは利己的な個人意志ではない。五箇条の御誓文で公論と示された、意志を国民主権では民意というのであって、それがなければ近代国家は存在しないのである。さらにその意志は個々人の中にある不条理で熱い志であり、それを顕現しあるいは不当な隷属の強要から擁護されなければならないと考えている。

そして近代における憲法はその国家を統治する権力を制限するために制定するものであり、国民から政治権力への手紙であり、もっと強く表現すれば命令書として機能するのもである。よって国民が必ずしも従うべきものではないという性質のものである。
統治体というのは国際的には近代国民国家が国際関係を維持するため、またはその関係が破綻した場合に起きる紛争を解決したり、戦争を遂行し条約を締結するための代表府である。同時に国内においては共同体秩序を維持発展させるために制度や法律を制定する立法府、制定された法律をもとにそれを執行する行政府、そして行政が正しい手続きで行われているかを監視したりあるいは手続きの瑕疵を判断する裁判所などの組織のことである。

しかしこれらの組織は主権者である国民の自由を拘束したり法律を不当に行使したりする可能性があるので主権者は組織に対し、してはいけないことと、積極的にしなければならないことを文書によって命令する、それが憲法の本質なのである。そういう視点をもって世界最初の憲法らしい憲法であるアメリカ合衆国憲法と戦後アメリカの占領下制定された日本国憲法を比較してみよう。


アメリカ合衆国憲法(日本語訳)
前文
われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。The Constitution o…

TPPとはなにか ―国際法・条約から考える

フェイスブックのTPPって何?の議論を通じTPPを検証してきたが、ここに来て議論が成熟してきた。JAなどがTPPの「聖域なき関税撤廃で農業はだめになる」という主張はWTO・GATTのウルグアイ・ラウンドで我国が聖域として議論した農産5品目が自由化されるという主張だが、TPPはWTO・GATTの規定内で交渉される自由貿易協定であるから、「聖域なし」は「実質上」と同じ「すべて」ではないという例外を表した言葉だ。

北朝鮮は日本の脅威ではない

北朝鮮の核開発問題は、日本にいろいろな教訓と示唆を与えてくれる。現在日本は、米韓と共に北朝鮮と対峙しているが、日本は、北朝鮮となぜ敵対しているのか、本当の敵は北朝鮮なのかという根本的な命題は、マスコミはじめ識者でも語られないままだ。今回はその辺を整理しよう。


北朝鮮問題の歴史的経緯 朝鮮民主主義人民共和国建国 1910年8月29日、大韓帝国は、日韓併合条約を専制君主である皇帝純宗が裁可することで、大日本帝国との合邦国となった。1945年4月12日、米国は、大日本帝国敗戦後の朝鮮半島統治に関して38度線での分割統治を提案する。1948年9月9日朝鮮民主主義人民共和国の成立は、その年の8月15日大韓民国の成立とともに、朝鮮半島における米ソの対立をより明確にすることになった。

共産主義による世界統治の実現のため、1950年6月ソ連及び、1949年に建国した中華人民共和国の支援を受けて、38度線を越境し大韓民国に進攻戦争を開始して朝鮮戦争が勃発する。大韓民国に駐留していた米軍を中心に国連軍―正式な手続きを経ていないので実質は国連派遣軍若しくは多国籍軍、が組織され、これを迎撃することになる。



朝鮮戦争 1950年6月25日宣戦布告なしに38度線で北朝鮮ソ連中国連合軍の砲撃が開始され、10万を超える兵力が38度線の越境を開始する。当時の韓国軍は兵力約11万人で装備は脆弱であった。さらに、北朝鮮のスパイ掃討戦や軍内部のスパイ粛清で士気は疲弊していた。米国及び国連は動揺するが、6月27日には国連安保理で北朝鮮を侵略者と認定して、その行動を非難する。さらに軍事行動の停止と軍の撤退を求める「国際連合安全保障理事会決議82」を賛成9反対0:棄権1の全会一致で採択した―ソ連は欠席。
韓国軍の崩壊と国連軍の敗走 韓国の李承晩大統領は、6月27日南朝鮮労働党関係者の処刑を命じ、韓国軍や韓国警察によって共産主義者の嫌疑をかけられた20万人から120万人に上る民間人を裁判なしで虐殺した―保導連盟事件。同時に、ソウルを放棄して水原に遷都した。このとき漢江にかかる橋を避難民ごと爆破した―漢江人道橋爆破事件。これにより漢江以北には多数の軍部隊や住民が取り残され、韓国軍の士気がさらに下がることになる。

国連軍を指揮した、マシュー・リッジウェイ将軍は、退却する韓国軍が放棄した装備は、数個師団だったと述べ…

日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと 

日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと ー戦後の日本の解体は『菊と刀』から始まった 高橋史朗 WGIP ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム War Guilt Information Program をご存じの方は多いと思う。大東亜戦争に敗れ、我が国は、歴史上初めて他国の占領を受けることになる。占領当初、我が国指導者の目的は、いや日本国民すべてが、連合国による天皇陛下の処刑阻止にあったと言っても過言ではないだろう。評書は第3章で、昭和天皇の処刑を阻止するために、多くの婦人たちの力があった逸話を挿入しながら、WGIPについて新事実も含め詳細に分析を試みている。

誰が陛下の処刑を止めたのか 当初米国上院は、昭和天皇を戦争犯罪人として処刑することを全会一致で可決しており、マッカーサーは議会から、昭和天皇に戦争責任ある証拠を集めるように命令されていた。しかしフェラーズがマッカーサーに、

天皇を戦犯として裁判にふせば、日本全国に暴動は必死であろう。もし天皇を廃せば、全国的暴動が必死であって、特別警備区以外の白人は暗殺を免れない。
 覚書を出すと、マッカーサーも態度を一転、米国陸軍に対し電報を打つ。

天皇を告発すれば、日本国民の間に想像もつかないほどの動揺がが引き起こされるだろう。その結果、もたらされる事態を鎮めることは不可能である。天皇を葬れば、日本国家は分解する。連合国が天皇を裁判にかければ、日本国民の憎悪と憤慨は、間違いなく未來永劫に続くであろう。―中略―そのような事態が勃発した場合、最低100万の軍隊が必要である。軍隊は未來永劫駐留しなければならない。―後略― これによってこれによって米国政府は昭和天皇の訴追をやめることになる。これは比較的著名な事実だが、評書ではもう一つ、昭和天皇処刑方針を転換するにあたり、重要な事実を紹介している。 それは伊藤たかさんという婦人が、マッカーサーに宛てた直訴状、手紙だという。そして日付のあとには署名血判が押してある。当時の右翼はそのような直訴状を出していないということ、直訴状を出したのは婦人ばかりだという事実を紹介している。
 マッカーサーは昭和天皇と会見し、昭和天皇の "You may hang me" という言葉によって心動かされ、フェラーズの覚書、伊藤たかさん等、日本の婦人…

国益とは時間と空間である

時間と空間に関わる利益が真の国益である 国益とは さて国益とはなんだろうか。国益(national interest)は利益であるから経済的な意味合いが強いのは当然だ。当然経済的という具体的な側面も必要である。民主政体であるかぎり具体的な数値でその支持を得ることは必要だからだ。では経済的利益以上に重要な国家の利益があるのだろうか。もちろん答えはイエスだ。それは領有権(領土領空領海)と歴史と伝統に関わるものだ。この両者こそが真の国益ではないだろうか。

領有(土高)権とは我々が生活する空間を統治する権利であり、それを承認するのが我々の歴史と伝統だ。つまり領土領有権(空間)と時間(その正統性、歴史と伝統)が国益の本義ではないか。これらを守るために政府が組織され、その構成員たる国民はこれらを守る義務を追う。私は命をかけても守る義務を負う国家の利益を国益と定義したい。

そしてこの国益を守るために近代、付与されたのが国民の利益であると考える。国民は国家を守る義務を負うため政府権力から特別の権利を付与されている。憲法で保証される諸権利の正統性は国益を守るという事のみに由来する。過去ギリシャの都市国家やローマ市民も、奴隷でないものは国家防衛の義務を追っていた。奴隷は戦争は免除されていた。

市民は奴隷を支配する権利と引き換えに国家防衛のためには命を捨てなければならなかったのである。諸権利は唯一国家防衛の義務を果たすための利益にすぎないのである。これをこんにちにあてはめれば、国家防衛のための国民の利益であるといえないだろうか。安全保障を他国に譲っている国家は独立国とはいえないうえ、国民すら存在しないといえる。

TPPと慰安婦問題 平成23年11月17日、李明博大統領が来日したが、第一声で慰安婦問題の解決に言及した。これは韓国の憲法裁判所が今年8月に「賠償請求の具体的措置を政府がとってこなかったのは違憲」とする判断を出した事による。これらの賠償に関する諸問題はすでに日韓条約締結時に「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」となっているにもかかわらずだ。

先に歴史と伝統に関わることを私は国益であると定義した。慰安婦問題はまさしく国益である。我が国の官憲が朝鮮半島女性を半ば強制連行して大陸派遣軍の慰安所に拘束し売春行為をさせていたという、事実に反することで我が国の首相が相手…

合衆国憲法及び合衆国国内法とTPP ―まとめ

以下はTPPってなに?でリアルジャーナリスティックに議論を展開される石塚幾太郎さんが作成した、TPP交渉にあたって関係する米国憲法及び国内法の関係とその成立過程をまとめたものだ。(一部URL表示をリンクに取り込んだ)

TPAの成立過程
1.憲法上の通商交渉権限規定

(1)合衆国憲法
合衆国憲法立法部第8条第3項に「通商交渉権限」が議会にあり、執行部第2条第2項に「条約締結権」が上院の助言と承認のもとに大統領が有していることが記載されている。

「通商協定」の批准は、上院3/5(60名)、下院過半数の可決が必要。条約の批准は上院2/3の可決が必要である。

合衆国憲法(在日米国大使館)HP

(2)日本国憲法
日本では、憲法第76条第3項の規定により、通商協定も条約であり、締結は内閣の専権事項になっている。国会は、締結された条約(通商協定)を批准するか否決するかの採決を行う。 2.世界恐慌からの脱出
1930年、世界恐慌の経済対策として、米議会は、大幅な関税引き上げ(1930年関税法)を可決し、施行した。この動きが世界中に拡散し、いわゆるブロック経済の対立を生み出し、第二次世界大戦の原因ともなったと言われている。

関税引き下げを訴え当選したルーズベルト大統領は、1934年関税引き下げの権限を議会から獲得することに成功する。(1934年互恵通商協定法)この法律は時限法であるが延長を重ね1967年失効するまで継続する。

3.ケネディラウンド合意の議会不承認
GATTケネディラウンド(1964~67年)で、議会が政府の合意した協定を部分的に受け入れなかった。(国際アンチダンピング・ルールと米国非関税障壁ASPの撤廃)

国際アンチダンピングについては、米国法(1921年アンチダンピング法)のコード(品目)と一致するもののみ適用とする法律(90-634)を成立させ、ASPについては、国内実施法を成立させなかった。

この時、通商協定より国内法が優先することが、議会と大統領府の共通の認識になった。

4.1974年通商法の成立
このケネディラウンドの合意批准不成立が、交渉官が他国に信憑性を疑わせると心配、ニクソン大統領は東京ラウンドに向けて、ファストトラック法を1974年通商法に挿入する提案を行った。

上院の審議のなかで、議会と相談し、締結90日前には、必要書類を提出するルール、締結後、内…

日韓併合 百年目の真実 李完用が救った大韓帝国

本年2010年8月29日は法律上の専制君主大韓帝国皇帝純宗が勅諭を発表して日本と韓国が合併したことを内外に示してから100年目にあたる。


韓国皇帝の勅諭 皇帝、若(ここ)に曰く、朕否徳にして艱大なる業を承け、臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望み無し。中夜憂慮善後の策茫然たり。此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底(いた)らん。寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せいむるに如かず。

故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、自ら断じ、茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国日本皇帝陛下に譲与し、外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。惟爾大小臣民は、国勢と時宜を深察し、煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。

朕が今日の此の挙は、爾有衆を忘れたるにあらず、専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ。爾臣民は朕の此の意を克く体せよ。

隆煕四年八月二十九日 御璽

日韓併合100年目を前に韓国の反日派からの様々な動きがあるのでまとめてみたい。

2010年5月11日のこのようなニュースを目にした。

日韓知識人が共同宣言「日韓併合は当初から無効だった」
看過できないのは多くの日本人学者が関わっているという点 …今回の声明には発起人である和田春樹東京大学名誉教授をはじめ、日韓歴史共同研究委員会の日本側の座長を務めた三谷太一郎東京大学名誉教授など105人が声明に署名している。一方、韓国ではイ・テジンソウル大学明楊教授やカン・マンギル高麗大学名誉教授、詩人の高銀氏や金芝河氏のほか、幅広い層から109人が声明に署名した。… …声明では、「併合は大韓帝国の抗議を軍事力で押さえつけたもので、韓国側が国権の譲与を申し出たとする内容も虚偽(きょぎ)である」と指摘し、日本政府が日韓併合条約について「無効」であることを認め、8月の総理談話に関連内容を盛り込むように、積極的に働き掛けるとしている。… 2010年07月18日には、

日韓併合100年で日本が韓国へ謝罪、中国も大きな注目

8月29日に日韓併合100年を迎えるにあたり、日本政府は韓国に過去の植民地統治を謝罪する方針を明らかにした。17日、環球時報は「日本は韓国側…

日本国憲法24条

日本国憲法を研究していて常々思うのだが、24条は非常に特異な条文だ。14条で男女の同権(平等の権利で単に平等ではない)を規定しているのだから、特に婚姻まで権力が関与するまでもなく、自由な恋愛や婚姻は保障されていると考える方が自然だろう。むしろ自由権の侵害ともいえる。
第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

○2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
ところが、ダメ押しのように「婚姻は当人同士で決める」と宣言している。当時の男女が制度に縛られて自由な婚姻ができなかった怨念の条文に思えて仕方がない。24条について条文を廃止するという声もあまり聞かれない。あの自民党案でさえ、第1項に「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」と加えただけで、条文はそのまま残るとしている。

日本国憲法の施行当時は「新憲法実施のよろこび 男女の権利は同じ 結婚は父母の同意なくできる」や「堅苦しい戸主権よさらば 男女は完全平等に」などという見出しが躍るように国民にも歓迎されたと思われる。ではこの特異な条文はどのように規定されたのだろうか。日本国憲法に影響を与えた憲法草案要綱にもそのような条文はない。GHQが1946年2月13日に日本政府に手交された草案に以下の条文があった。
Article XXIII. The family is the basis of human society and its traditions for good or evil permeate the nation. Marriage shall rest upon the indisputable legal and social equality of both sexes, founded upon mutual consent instead of parental coercion…