日本が朝鮮民族を救った日

1910年8月29日

日本が朝鮮半島を救った日からちょうど100年目の慶賀すべき日の韓国、日本の関連ニュースを拾ってみる。

大韓帝国皇帝純宗

高宗皇帝の秘密資金ミステリー 8月28日 ⓒ 中央日報より
SBS(ソウル放送)番組「それが知りたい」は28日午後11時10分、高宗が国のために使おうとしていた秘密資金の行方を追跡する。…
日本が高宗帝の秘密資金を盗んだという内容のミステリードキュメントらしいが、
ハルバート氏が死亡する1年前に李承晩(イ・スンマン)大統領に送った手紙には、「盗まれた内帑金を利子と一緒に返してもらわなければいけない」という内容が書かれている。…
という内容が賠償請求などと関連したプロパガンダの匂いがプンプンするようだ。

一日で統治者が変わった100年前の痛み
一日の間に統治者が変わった国に生きた100年前の民の心痛を表す資料が発掘された。書誌学者のキム・シハン氏(79、キョンアン書林代表)は、1910年8月28日に純宗が授与した叙勲賞状と、翌日の8月29日に寺内正毅統監が授与した孝行賞状を27日に公開した。大韓帝国と日本が強制併合条約を締結する前日と当日、克明な対照をなす遺物だ。…
記事の通り、叙勲賞状を授與される立場であればきっと両班階級であろうから、日韓併合で相当な被害を被ったであろう人である。日本が救ったのは中人や常民、賤民とよばれる下層階級の人々だ。

儒学の教えに忠実な貴族、両班は(科挙試験は儒学の試験なので彼らがそれに精通しているのは当然だが)労働を忌避する傾向があった。つまり、働くのは卑賤な人々という意識なのである。

しかし彼らとて食べないわけにはいかないわけで、常民賤民から搾取するのが彼らの糧だ。農民から年貢を取るのはあたりまえだが、裕福なものからは不当に逮捕拘束して拷問して身代金(保釋金)を召上るなどということをやっていた。

なにせ科擧は世襲制とともに試験で毎年人数が増えていくので、李朝末期では50%近くに達していた。地方には官職がなく、そういうヤクザまがいの行為で彼らは食いつないでいたのだ。

日韓併合は半数近くいた常民、賤民を彼らの不正行為から間違いなく救ったのだ。
【その時の今日】永遠に癒やされない傷、庚戌国辱
1910年8月29日。 徳川幕府末期にすでに芽生えていた征韓論が物語っているように、明治維新(1867年)以後に近代帝国主義国家に生まれ変わる前から、この地をのみ込もうした侵略者は宿願を果たした。 半面、私たちは35年後の8月15日、光復(解放)のその日が来るまで、有史以来初めて国土と民族が、従来一枚下だと見下げていた文化的劣等者に踏みにじられる痛恨の歴史を刻んでしまった。…
併合の負の部分を拡大スポットを当てて、陽の部分を評価しない感傷的な論文である。日本側には一方的に謝罪する学者や政治家がいる。

筆者は日韓問題で常に念頭に置いている「共感的相互理解」の精神だが、日韓にこのような学識者がいる限り未来はない。

朝鮮日報では併合100年を期して特集があった。
日韓併合100年:韓日の子孫たちが率直な対話(上)
日韓併合100年:韓日の子孫たちが率直な対話(下)
日韓併合100年:両国で目にした侵略と共存の歴史(上)

参加した学生たちの多くは朝鮮半島史専攻だつたやうだが、ほとんど日本の立場を擁護した発言はない。このような幼稚な知識でのこのことこのようなツアーに参加して朝鮮日報の取材を受けて、日韓関係と日本人祖先と子孫の名誉を毀損してなんと思っているのであろうか。

看過できない発言をピックアップする。

日本の一橋大学大学院で韓国史を専攻しているオオハシ・ヨシヒロさん(24)は、眠れない日々を過ごしていた。「韓日大学生共同歴史体験」を控え、期待と不安が交錯していたのだ。オオハシさんの祖父は、日本による韓国強制併合時代の末期、ソウル・南山にあった朝鮮神宮の神官を務めていた。―中略― 「祖父は抗日闘争とは関係のない1937年、朝鮮に赴任しました。20歳のときで、末端の職責でした。でも、民族抹殺政策である『皇国臣民化』の一つとして、朝鮮人に神社参拝を強要したのは明らかなため、子孫として申し訳なく思います」(オオハシ)
―前略―オオハシさんは、「僕の家は代々、神官の家系で、曾祖父は靖国神社の神官だった」と話した。「父は初め、『お前が朝鮮史を勉強して韓国に行ったところで、おじいさんのせいで恨みを買うだけだ』と僕を止めました。父は幼いころ、在日韓国人にひどく怒られたこともあるそうです。でも、今は積極的に応援してくれています」
二人は1週間の共同歴史体験を通じ、距離がずっと縮まった様子だった。オオハシさんが「植民支配にかかわった日本人の子孫としてどうすべきなのか、よく分からない」と話すと、イさんは、「あなたを個人的に憎んでいるわけじゃないわ」と言って笑った。
オオハシさんは、「歴史的事実を正確に知るのが何よりも重要だと思う。日本の学生たちは、韓日間の歴史について関心がない。この前も、友人に『今年は韓日強制併合100周年だ』と話したら、初めて聞いたと言っていた」と話した。来春には大学院を修了し、小・中学校の教科書を編さんする会社に就職する予定だというオオハシさんは、「日本人の歴史認識を改める教科書を作りたい」と語った。
オオハシさんのような人が教科書を作ったらいっそう日韓関係が悪化するだろう。

―前略―日本の大学生は、堤岩里虐殺事件当時の写真や証言などで構成された映像資料を見て、ショックを隠せない様子だった。ショウダ・ヒロヨシさん(31)=早稲田大学大学院=は、「3・1独立運動については知っていたが、堤岩里事件についてはきょう初めて知った。悲しくて耐えられない。もう一度、犠牲者の冥福を祈らなくては」と言って墓所へと駆け上がった。曾祖父が植民地時代に朝鮮で警察官だったというヤマダ・アヤコさん(22)=西南大学=は、「わたしの先祖がこのようなことをしたかもしれないと思うと、つらい気持ちになった。大学卒業後は教師になって、このような話を生徒たちに伝えたい」と話した。在日韓国人3世のマツモト・エリさん(21)=神戸女学院大学=は、「このような悲惨な事件は絶対に忘れてはならない。未来の韓日関係を背負う若者たちが行動を起こさなくてはならない」と語った。オオハシ・ヨシヒロさん(24)は、「犠牲者たちのために寄付したい」と言って、教会の献金箱にお金を入れた。―後略―
ヤマダ・アヤコさん、あなたが何を感じ、どう思うかと、教える歴史的事実は別に考える必要があると思う。