スキップしてメイン コンテンツに移動

日韓併合 百年目の真実 李完用が救った大韓帝国

本年2010年8月29日は法律上の専制君主大韓帝国皇帝純宗が勅諭を発表して日本と韓国が合併したことを内外に示してから100年目にあたる。

大韓帝国皇帝純宗

韓国皇帝の勅諭

皇帝、若(ここ)に曰く、朕否徳にして艱大なる業を承け、臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望み無し。中夜憂慮善後の策茫然たり。此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底(いた)らん。寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せいむるに如かず。

故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、自ら断じ、茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国日本皇帝陛下に譲与し、外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。惟爾大小臣民は、国勢と時宜を深察し、煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。

朕が今日の此の挙は、爾有衆を忘れたるにあらず、専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ。爾臣民は朕の此の意を克く体せよ。

隆煕四年八月二十九日 御璽

日韓併合100年目を前に韓国の反日派からの様々な動きがあるのでまとめてみたい。

2010年5月11日のこのようなニュースを目にした。

日韓知識人が共同宣言「日韓併合は当初から無効だった」

看過できないのは多くの日本人学者が関わっているという点
…今回の声明には発起人である和田春樹東京大学名誉教授をはじめ、日韓歴史共同研究委員会の日本側の座長を務めた三谷太一郎東京大学名誉教授など105人が声明に署名している。一方、韓国ではイ・テジンソウル大学明楊教授やカン・マンギル高麗大学名誉教授、詩人の高銀氏や金芝河氏のほか、幅広い層から109人が声明に署名した。…
…声明では、「併合は大韓帝国の抗議を軍事力で押さえつけたもので、韓国側が国権の譲与を申し出たとする内容も虚偽(きょぎ)である」と指摘し、日本政府が日韓併合条約について「無効」であることを認め、8月の総理談話に関連内容を盛り込むように、積極的に働き掛けるとしている。…
2010年07月18日には、

日韓併合100年で日本が韓国へ謝罪、中国も大きな注目

8月29日に日韓併合100年を迎えるにあたり、日本政府は韓国に過去の植民地統治を謝罪する方針を明らかにした。17日、環球時報は「日本は韓国側が希望する形で謝罪を行うことを希望しており、謝罪によって歴史問題に一定の終止符を打ちたい考えだ」と報じた。…
三田渡で仁祖はホンタイジに対し三跪九叩頭の礼をし、清皇帝を公認する誓いをさせられる恥辱を味わった朝鮮だが、中国は日本が韓国へ三跪九叩頭の礼をするのかと興味津々ではないのだろうか。2010年07月15日に、

…韓国メディアはこの発表を、「日王(天皇)から『恩賜金』をもらった売国・親日の人物は?」「国を売って得た『恩賜金』の額は?」「親日の代価『恩賜金』想像超越」といったタイトルで報じ、日韓併合に協力することで巨額の富を築いた親日派に批判の声を強めている。
調査委員の関係者は、「親日派の多くが、直接的な利益のほかにも日帝の権力と癒着し、さまざまな恩恵を通じて、一般市民の想像を超える富を獲得した」と報じた。…
2010年07月22日には、

韓国「日本が謝罪と文化財を返還」、日本「事実でない」
韓国の朝鮮日報は21日、「日韓併合から100年を迎えるにあたり、日本政府は菅直人首相の名前で談話を発表する。また、旧朝鮮王朝が所蔵し、現在は日本の宮内庁に保管されている文化財を韓国に返還することを検討している」と報じた。一方、日本外務省は21日午後、記者会見で朝鮮日報の報道を「事実ではない」と否定した。
2010年2月に行われた日韓外相会談で、韓国の柳明桓外相は岡田外相に対し、現在は宮内庁に保管されている『朝鮮王室儀軌』の返還を要求し、7月7日には仙谷由人官房長官が「過去の歴史が残した問題をひとつひとつ解決していく」と語っていた。…
日本が事実ではないと言ったのは…児玉和夫報道官は21日午後の記者会見で、朝鮮日報の報道を否定、「文化財の返還を検討しているとの事実はない」…と報道がということだったのか。

2010年7月23日には、

「日韓併合で40億円も蓄財!売国奴!」李完用の総資産に批判強まる
1910年の日韓併合当時、韓国の総理大臣を務めた李完用(1856-1926年)の資産が公開され、その巨額に非難の声が上がっている。韓国メディアの報道によると、李完用は日本統治時代にさまざまな方法で資産を増やし、15年間で約400億ウォン(約29億円)以上を蓄財していた。
22日、親日反民族行為者財産調査委員会が公開した白書「清算されなかった歴史、親日財産」によると、1925年ごろ李完用は「京城(現ソウル)最大の現金富豪」と呼ばれ、少なくとも300万ウォン(現在の貨幣価値に換算すると600億ウォン相当、日本円に換算すると約43億円相当)以上、保有していたことが調査により分かった。…
反日反民族行為者財産調査委員会は、親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法(2005年公布)に基づいて設置された機関だ。日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法(2004年公布))
さて、「韓国併合」100年日韓知識人共同声明は和田名誉教授のHPからリンクする。(閉鎖があるといけないのでコピペしておく

併合が合法的かどうかは拙ブログでも触れたが、大韓帝国皇帝は大韓帝国国制によって専制君主であった。

大韓国国制

1899年の大韓国国制により、
大韓帝国が自主独立の国であること
大韓帝国の政治は万世不変の専制のであること
皇帝が無限の君権を享有すること
皇帝は不可侵であること
皇帝が統帥権を有すること
皇帝が法律制定権、恩赦権を有すること
皇帝が行政各部の官制及び俸給を定めること
皇帝が官吏の昇任降格を決定し、栄典を授与すること
皇帝が外交権を有すること

1910年8月21日、李完用首相は全権委任をされ、翌22日韓国併合ニ関スル条約に調印する。この条約調印に協力した閣僚8人を現在も韓国では庚戌国賊と呼んで政治的侮蔑の対象にしている。閣僚は、李完用 - 内閣総理大臣、尹徳栄 - 侍従院卿、閔丙奭 - 宮内部大臣、高永喜 - 度支部大臣、朴斉純 - 外部大臣、趙重応 - 法部大臣、李秉武 - 親衛副長官兼侍従武官長、趙民煕 - 承寧府総管の8人。

ちなみに第二次日韓協約(1905年、干支で乙巳)に賛成した大韓帝国の5人の閣僚のことを乙巳五賊と呼んで、李完用 - 学部大臣、李根沢 - 軍部大臣、李址鎔 - 内部大臣、朴斉純 - 外部大臣、権重顕 - 農商工部大臣の5人。

さらに、ハーグ密使事件(1907年、干支で丁未)の後に、高宗の退位に関与した大韓帝国の閣僚を丁未七賊と呼んで、李完用(이완용) - 内閣総理大臣、宋秉畯 - 農商工部大臣、李秉武 - 軍部大臣、高永喜 - 度支部大臣、趙重応 - 法部大臣、李載崑 - 学部大臣、任善準 - 内部大臣の7人。

ハーグ密使事件で皇帝高宗に宋秉畯が退位を迫るやりとりは実に理路整然としている。高宗は伊藤韓国総監を儒学者に頼んで、呪詛にかけようとしたり、また金升皎という出入の儒学者には「聖上日可斬島夷伊藤博文、長谷川好道」という署名入りの密勅までもたせているのを憲兵隊に発見されたりしている。

又国内の統治状況は悲惨な状態だった。大韓帝国として独立はしたものの、インフラ整備は遅れ、地方官吏の不正、腐敗、堕落は恒常化して、一般民衆を逮捕拘束して拷問にかけては、身代金を取るといった状態だった。日韓共鳴二千年史からアメリカ人アルバートの報告を引用する。
裁判は金の力で正義の天秤が上下する。文明国ならたちまち民衆の反乱を呼び起こすに相違ないような不正かつ野蛮な事件を見聞きしないで済む日は無いに等しい。民衆が良くもこれを我慢していものだ。
反逆者の処刑後は家の取り壊しがあり、全財産は没収され、息子や男系の親族は皆殺しにされ、女はすべて奴隷にされた。死刑囚は笞刑を受け、罪を告白してから殺される。中には最後まで無実を主張しながら死刑になるものもある。
 もひとつスエーデン人の新聞記者グレブストの報告を引用する。
…ついで死刑執行を見た。囚人は足を縛られ、腕は両脇に縛られすこしも身動きできぬようになった。囚人の脚の内側に棒を挟んで、執行人たちは自分の体重のすべてを棒の片側にかけた。
(実況写真が載せてある)囚人が続けざまに吐き出す叫び声は聞いていて壮絶なものだった。脚の骨が砕けつぶれる音が聞こえると同時に、その痛さを表現する声さえもはやないかのように、囚人の壮絶な悲鳴も止まった。―中略― 気絶した囚人はややあって意識を取り戻した。
力なく首を左右にゆすりながら呻き声を出し、その場に身を横たえている。執行人らは囚人の腕の骨と肋骨を次々と折ってから、最後に絹紐を使って首を締めて殺し、その死体をどこえやら引き摺っていった。
―中略― 理由がなんであれこんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間存在そのものへの挑戦である。
とりわけ私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃するだろうという点だ。
グレブストは日本人を痛烈に非難していたが、「日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃する」と暗に日本の韓国併合を示唆している点だ。

旅行家で著名なイザベラ・バードは朝鮮を訪問して朝鮮紀行を書くがそのなかで、このように述べている。
「貨幣制度が(ほとんど)なく、ソウルは世界有数の汚く悪臭のする都市であった。一般民衆の住む場所は藁葺きのあばら屋で通りからは泥壁にしか見えず道がとにかく悪い」という。
「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民は主に迷路のような道の「地べた」で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ牛同士が擦れ違えず、荷牛と人間ならかろうじて擦れ違える程度の幅しかない。」
「おまけに、その幅は家々から出た糞、尿の汚物を受ける穴か溝で狭められている。酷い悪臭のするその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たちと、疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、日向でまばたきしている。」
「ソウルの景色のひとつは小川というか下水というか水路である。蓋のない広い水路を黒くよどんだ水が、かつては砂利だった川床に堆積した排泄物や塵の間を悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく。水ならぬ混合物を手桶にくんだり、小川ならぬ水たまりで洗濯している女達の姿。周囲の山々は松の木が点在しているものの、大部分は緑がなく、黒い不毛地のうねりとなってそびえている。」
「ソウルには芸術品がまったくなく、公園もなければ見るべき催し物も劇場もない。他の都会ならある魅力がソウルにはことごとく欠けている。古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ無関心だったため寺院もない、結果として清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある、堂々とした宗教建築物の与える迫力がここにはない。」
このような状態の韓国の民衆を救うのは日本の力を借りるしかなかったというのが実情なのである。三田渡で朝鮮王までもが恥辱的な三跪九叩頭の礼をした清国から、条約上は下関条約で独立を果たしたが、国内はこれまで紹介したように荒廃していた。

李完用以下、宋秉畯など8人の閣僚は朝鮮民族の民族性をもってすれば、自らのみならず、身内や子々孫々までが、批難侮蔑の対象になることを承知で、日本の協力によって当時の朝鮮民衆を救おうとしたのではないか?

宣言文には
―前略―以上のとおり、韓国併合は、この国の皇帝から民衆までの激しい抗議を軍隊の力で押しつぶして、実現された、文字通りの帝国主義の行為であり、不義不正の行為である。
日本国家の韓国併合の宣言は1910年8月22日の併合条約に基づいていると説明されている。この条約の前文には、日本と韓国の皇帝が日本と韓国の親密な関係を願い、相互の幸福と東洋の平和の永久確保のために、「韓国ヲ日本帝国ニ併合スルニ如カザル」、併合するのが最善だと確信して、本条約を結ぶにいたったと述べられている。そして第一条に、「韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且ツ永久ニ日本国皇帝陛下ニ譲与ス」と記され、第二条に「日本国皇帝陛下ハ前条ニ掲ゲタル譲与ヲ受諾シ、且全然韓国ヲ日本帝国ニ併合スルコトヲ承諾ス」と記されている。
ここにおいて、力によって民族の意志を踏みにじった併合の歴史的真実は、平等な両者の自発的な合意によって、韓国皇帝が日本に国権の譲与を申し出て、日本の天皇がそれをうけとって、韓国併合に同意したという神話によって覆い隠されている。前文も偽りであり、条約本文も偽りである。条約締結の手続き、形式にも重大な欠点と欠陥が見いだされる。
かくして韓国併合にいたる過程が不義不当であると同様に、韓国併合条約も不義不当である。―後略―
とあるが、併合反対のテロ行為は激しく、併合を肯定する発言をするものを容赦なく虐殺している。李完用などは1909年、12月22日に明洞聖堂前で、反対派の刺客の李在明に襲われ、全身をメッタ刺しにされ重傷を負っている。このような状況で肯定的発言ができようはずがない。

また反対派の抗議運動を弾圧という表現だが、殺人者を逮捕拘束することは違法なことではない。もし過去に帰って国民投票が出来るのであれば、1200万国民で国民投票をしてはどうか。

併合を肯定した李成玉は、
「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面を保つことなできない。亡国も必至である。亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。
欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。日本人は日本流の道徳を振り回してうるさく小言を言うのは気にいらないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして日本は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。
それ以外にわが朝鮮民族が豚の境遇から脱して、人間として幸福が受けられる道はない。日韓併合が問題になるのは、変なん話しだ。我が輩の併合観は欧米の朝鮮民族観を基に考察したのだ」
と述べ、皇民協会の会長として永年、国王の意向でテロを行ってきた、洪鐘宇も晩年、「韓国も今や末路である。滅びざる国はなく、4千年の旧邦も今や断末魔に近づいている。一進会員ならざるも哀々たる庶民は此上塗炭の苦しみにまみれたくなかろう。

むしろ、日本は速やかに併合して日本天皇陛下の政によりて、12百万国民が蘇生することを得れば、国は滅んでも滅び甲斐ありと言わねばなるまい」と親しい日本人に漏らしている。

つまり李完用が行なった併合推進は、朝鮮民族を塗炭の苦しみから救う、捨て身の救国の行為でではなかったのではないか。少なくとも日本人はそう評価すべきであり、教科書で「大韓帝国国民を救った救国の英雄」と教えるべきである。

付記するが李完用は臨終にあたり、「自身の政治目標は当然韓国の独立自尊であり、その達成のため一時の方策として併合を選んだだけだ」という言葉を残している。韓国ではいや、どの国でも威勢のいい無鉄砲な意見ばかりがまかり通り、彼のような国際的視野をもった、現実派は常に弱腰と避難されるのは歴史の常だ。

この8月22日の日韓併合条約が調印された慶賀すべき日に、アニメ 『日韓併合 百年目の真実 ~売国奴李完用が救った大韓帝国~』が在日特権を許さない市民の会主催で日比谷公会堂において上映される。

在日特権を許さない市民の会桜井誠氏は8月9日に発売予定の日本侵蝕 -日本人の「敵」が企む亡国のシナリオ- を書いた著述家で市民運動家だ。

ブログ「Doronpaの独り言」で日韓共鳴二千年史―これを読めば韓国も日本も好きになるにまつわる、名越先生との邂逅談をこのように語っている。
―前略― 写真で見るより幾分お年を召されているようでしたが、日韓関係史研究の先駆者として多くの業績を残された尊敬すべき研究者の姿は、矍鑠として温和な表情を垣間見せていました。
先生から見れば孫のような年のまだまだ知識も経験も足りない青二才であるでしょうに、親しく声をかけて頂き、「よければ名刺交換を」と先生のほうから申し出て頂き恐縮の至りでありました。
普段滅多に出さないDoronpaの名刺を、正直このような名刺を出してよいのかとも思いましたが、先生にお渡しすると「日韓歴史問題研究会ですか?名前は横文字なんですね?」と仰り、せっかくなのでということで買ったばかりの『日韓共鳴二千年史』に「名越二荒之助」とサインを頂いたのです。―後略―
この桜井氏が制作したアニメであれば日韓双方の立場を描いた作品であろう。この作品を多くの日本人に観てもらい共感的相互理解に向けて歩武を進めたいものだ。

参考
名越二荒之助 日韓共鳴二千年史―これを読めば韓国も日本も好きになる
呉善花 韓国併合への道 (文春新書)
名越二荒之助 公式ホームページ
Doronpaの独り言

コメント

週間アクセスランキング

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 前文

これから日本国の新憲法草案を提案しよう。どうしてそう思ったかは単純だ、今の日本国憲法は近代憲法の要件を満たしていないと思われるからだ。近代における国家は主権者である国民の国家形成への強い意志によって成り立っているとする。―するとしたのはもっと奥深い部分では違うと考えているが、近代に対応するためにそう仮定することにしよう。

近代思想において国家は、たとえ国民がひとりでも、国民意志があれば形成することができるとされる。しかしそれは利己的な個人意志ではない。五箇条の御誓文で公論と示された、意志を国民主権では民意というのであって、それがなければ近代国家は存在しないのである。さらにその意志は個々人の中にある不条理で熱い志であり、それを顕現しあるいは不当な隷属の強要から擁護されなければならないと考えている。

そして近代における憲法はその国家を統治する権力を制限するために制定するものであり、国民から政治権力への手紙であり、もっと強く表現すれば命令書として機能するのもである。よって国民が必ずしも従うべきものではないという性質のものである。
統治体というのは国際的には近代国民国家が国際関係を維持するため、またはその関係が破綻した場合に起きる紛争を解決したり、戦争を遂行し条約を締結するための代表府である。同時に国内においては共同体秩序を維持発展させるために制度や法律を制定する立法府、制定された法律をもとにそれを執行する行政府、そして行政が正しい手続きで行われているかを監視したりあるいは手続きの瑕疵を判断する裁判所などの組織のことである。

しかしこれらの組織は主権者である国民の自由を拘束したり法律を不当に行使したりする可能性があるので主権者は組織に対し、してはいけないことと、積極的にしなければならないことを文書によって命令する、それが憲法の本質なのである。そういう視点をもって世界最初の憲法らしい憲法であるアメリカ合衆国憲法と戦後アメリカの占領下制定された日本国憲法を比較してみよう。

アメリカ合衆国憲法(日本語訳)
前文
われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。The Constitution o…

国際関係論で論じられる理想主義

リベラリズムほど解釈が多様にある言葉はないと思う。日本語では自由主義と訳される場合が多いのだが、昨今では自由主義とリベラリズムは対立する政治姿勢ともいえる。よって自由主義をリバタリアニズムと呼ぶのが一般的になりつつある。本稿の場合はリベラリズムを社会自由主義的な用法、ようするに国際関係論で論じられる理想主義として論じることにする。

20世紀の戦争 20世紀は戦争の世紀と呼ばれるように産業革命による技術革新が戦争を巨大化、無慈悲化させた。世界は巨大化・無慈悲化する戦争に対して、一定の規則を締結したが、その後に勃発した第一次世界大戦は大規模かつ無慈悲な消耗戦によりヨーロッパ社会に大きな衝撃を残した。

第一次世界大戦の塹壕戦や化学兵器の使用は、ただ敵を消耗させるための戦略で、それまでの戦争とは様相が大きく変化した。戦争は国家が軍に命令して、軍が名誉をかけて行う営みから、国家国民全体で行う営み全体戦争つまり総力戦へと変容した。

パリ不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)は大戦のような悲惨な戦闘を二度と繰り返さないために交戦国、非交戦国も含めて63カ国が署名した。目的は戦争の違法化、特に侵攻戦争の違法化を目指したが、最終的には侵攻戦争を非難するにとどまった。


貧困が戦争を起こす もし社会が現状で固定されるとしたら、現在比較的幸福な人はいいが、もし不幸な人はどうだろうか。それはその人の希望を奪い去ることになる。国家同士の戦争もある一面では現状に満足できない国家と、それを阻止しようとする国家の営みといえる。

第一次大戦後ヨーロッパの比較的裕福な人々の間で戦争が二度と起こらないように、家族友人の死、あるいは戦争による破産などの不幸をなくすには、どうしたら良いか考えられたのは自然なことだ。そして彼らは結論した。「貧困が戦争を起こす」。

大戦中ロシアでは革命が起こりソ連邦が誕生する。国民(ソ連に国民がいたかは定かでないが)に貧困のない平等な生活を提供する統治体の出現に、ヨーロッパのエシュタブリッシュメントは期待と不安の眼差しを向ける。
リベラリズムの誕生 フランス革命の惨劇を経験しているヨーロッパの裕福な人達は、現状を維持しながら戦争を防止する政治体制の確立を急いだ。そのような背景でリベラリズム理論が誕生することになる。その理論は金持ちはそのまま、貧乏人はもう少しお金持ちにすることだ。

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 第1章

近代憲法は、主権者である国民の意志として、組織される政府に対する命令書なので、前文は、その意志を表現したものがふさわしい。そしてその目的を明確にする必要がある。さらにその目的のために、憲法を制定するわけなので、そういうことを頭に入れたうえで、再び前文を読むと、合衆国憲法は、

われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここに アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。
目的意志がシンプルかつ明確に表現されている。これと比較して、日本国憲法における国民意志もしくは達成したい目的は、

政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。に色濃く現れ、

これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
が次にくる。なぜわざわざ一切の憲法と法令と詔勅と断る必要があるのだろうか。ここにこの憲法を制定した意志があるのではないだろうか。そして最後には、

国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

目的を達成することを、宣言命令するのではなく誓ふ。さらに誓ふ対象も明記されていない。我々日本国民は、誰に対して目標を達成することを誓ふのだろうか。 これに答えを出せる憲法学者や国会議員が、我が国にはどれほどいるのだろうか。国民はそれを疑問とも考えていないのだろか。

第 1 章はその意志を具体化する、そして目的を達成するための第一歩ということだ。最重要なことを最初に申し述べているのである。アメリカ合衆国にとって最重要なことは法の支配、法による秩序であり、日本国では天皇―スメラミコトによる秩序―これをしらすという―であるということだ。大日本国憲法では、

大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

と統治の根拠となる天皇が過去、現在、未来に渡つて、日本国と日本民族の秩序の源であることを示している。この場合の統治とは伊藤博文が解説するように、しらすであり現実的な権力、うしはくと厳密に分けなければならないのである。

合衆国憲法は合衆国の秩序は法によって護られるゆえ、第 1 章では立法府についての規定が列記される。一方、日本国憲法では天皇についての条項が…

年次改革要望書

サイトで偶然みつけた原文の、いわゆる「年次改革要望書」だが、TPPと比較してみても面白い。アメリカの戦略なのか執念なのか、はたまた信仰なのか、1994年からもう20年くらいやってる市場開放交渉だ。我国政府も辛抱強くそれに対応していることがわかる。

TPPとはなにか ―GATT・WTO体制から考えるTPP

TPPというのはWTOが認めるGATT体制の例外で、自由貿易協定や関税同盟などの地域貿易協定のことだ。そのことについての議論が国会の場でもあまりされていないように思う。おがた林太郎元衆議院議員のブログそもそもFTAとはというエントリーがあり、自由貿易協定の根拠はガット24条だということを知らない議員が多いと指摘している。

経済産業省の説明では自由貿易協定(FTA: Free Trade Agreement)と関税同盟(Customs Union)を総称して地域貿易協定としている(RTA: Regional Trade Agreement)が、これらはGATT・WTO体制の例外として認められている協定で、それを規定しているのがガット24条という事になる。経済産業省のHPに関税及び貿易に関する一般協定、GATTの翻訳が掲載されている。
この協定の適用上、
(a) 関税同盟とは、次のことのために単一の関税地域をもつて二以上の関税地域に替えるものをいう。
(i) 関税その他の制限的通商規則(第十一条、第十二条、第十三条、第十四条、第十五条及び第二十 条の規定に基いて認められるもので必要とされるものを除く。)を同盟の構成地域間の実質上のすべての貿易について、又は少くともそれらの地域の原産の産品 の実質上のすべての貿易について、廃止すること。
(ii) 9の規定に従うことを条件として、同盟の各構成国が、実質的に同一の関税その他の通商規則をその同盟に含まれない地域の貿易に適用すること。
(b) 自由貿易地域とは、関税その他の制限的通商規則(第十一条、第十二条、第十三条、第十四条、第十五条 及び第二十条の規定に基いて認められるもので必要とされるものを除く。)がその構成地域の原産の産品の構成地域間における実質上のすべての貿易について廃 止されている二以上の関税地域の集団をいう。 TPPも含む地域貿易協定の根拠は24条にある。つまりTPPにも最恵国待遇が適用されるということだ。一応経産省のHPから最恵国待遇のPDFにリンクを張る。

WTOはその前進であるGATT(General Agreement on Tariffs and Trade) 関税及び貿易に関する一般協定が機関に昇格したものだが、実は国際通貨基金、世界銀行と並びブレトン・ウッズ体制の枠組みとして発足する…

TPPを締結できるか ―日本国憲法から考える

日本国憲法はその制定過程に疑義があるが、陛下の御名御璽のもと、施行されたのであるから、現在の政府はそれを遵守しなければいけないことは当然だ。しかし今回TPPについての議論を憲法の論点から整理をしながら思うことは、憲法を国会議員が全く意識していないし、ましてや遵守など微塵もされていないことに愕然とする。条文は、
第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。 つまり、政府関係者は尊重擁護する義務があるのだが、自らの権限範囲つまり既得権擁護の議論にしか終始していないことには悲しみを覚える。

まずTPPなどの多国間協定は名は協定だが国家間の約束であるから、条約法に関するウィーン条約で定義される「条約」である。
第二条 用語
1 この条約の適用上、
(a) 「条約」とは、国の間において文書の形式により締結され、国際法によつて規律される国際的な合意(単一の文書によるものであるか関連する二以上の文書によるものであるかを問わず、また、名称のいかんを問わない。)をいう。 さらに関税などの通商に関わる条約を通商条約といい、現在はWTO・GATTで規定されている。日本国憲法では、条約などの外交交渉は、内閣の専権事項である。
第七十三条 
三  条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。 しかし、内閣は事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とするとあるように、締結した条約の批准は国会の権限になる。国会が批准しなければ国内的な効力は発生しない。

日本国政府は世界貿易機関を設立するマラケシュ協定を締結批准しWTOの構成国である。これは憲法の九十八条第2項の規定により国内法を改正して対処しなければならない。
第九十八条  この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2  日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。 しかし憲法の条規に反する如何なる法律、命令、詔勅、及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しないとあるように、もし内閣が事後承認を要求した場合、締結した条約は国際的な効力を発生させるとされるのだが、国内的…

小和田恒悪玉論を問う ―衆 - 外務委員会 - 1号 昭和60年11月08日 その2

引き続き、村田春樹さんが國民新聞に書いた記事「小和田恒悪玉論を問う」への激励投稿を続けたいと思う。さて国会会議議事検索システムで昭和60年11月8日衆議院外務委員会の土井たか子委員の質問に対する答弁を検証しよう。

北朝鮮は日本の脅威ではない

北朝鮮の核開発問題は、日本にいろいろな教訓と示唆を与えてくれる。現在日本は、米韓と共に北朝鮮と対峙しているが、日本は、北朝鮮となぜ敵対しているのか、本当の敵は北朝鮮なのかという根本的な命題は、マスコミはじめ識者でも語られないままだ。今回はその辺を整理しよう。


北朝鮮問題の歴史的経緯 朝鮮民主主義人民共和国建国 1910年8月29日、大韓帝国は、日韓併合条約を専制君主である皇帝純宗が裁可することで、大日本帝国との合邦国となった。1945年4月12日、米国は、大日本帝国敗戦後の朝鮮半島統治に関して38度線での分割統治を提案する。1948年9月9日朝鮮民主主義人民共和国の成立は、その年の8月15日大韓民国の成立とともに、朝鮮半島における米ソの対立をより明確にすることになった。

共産主義による世界統治の実現のため、1950年6月ソ連及び、1949年に建国した中華人民共和国の支援を受けて、38度線を越境し大韓民国に進攻戦争を開始して朝鮮戦争が勃発する。大韓民国に駐留していた米軍を中心に国連軍―正式な手続きを経ていないので実質は国連派遣軍若しくは多国籍軍、が組織され、これを迎撃することになる。



朝鮮戦争 1950年6月25日宣戦布告なしに38度線で北朝鮮ソ連中国連合軍の砲撃が開始され、10万を超える兵力が38度線の越境を開始する。当時の韓国軍は兵力約11万人で装備は脆弱であった。さらに、北朝鮮のスパイ掃討戦や軍内部のスパイ粛清で士気は疲弊していた。米国及び国連は動揺するが、6月27日には国連安保理で北朝鮮を侵略者と認定して、その行動を非難する。さらに軍事行動の停止と軍の撤退を求める「国際連合安全保障理事会決議82」を賛成9反対0:棄権1の全会一致で採択した―ソ連は欠席。
韓国軍の崩壊と国連軍の敗走 韓国の李承晩大統領は、6月27日南朝鮮労働党関係者の処刑を命じ、韓国軍や韓国警察によって共産主義者の嫌疑をかけられた20万人から120万人に上る民間人を裁判なしで虐殺した―保導連盟事件。同時に、ソウルを放棄して水原に遷都した。このとき漢江にかかる橋を避難民ごと爆破した―漢江人道橋爆破事件。これにより漢江以北には多数の軍部隊や住民が取り残され、韓国軍の士気がさらに下がることになる。

国連軍を指揮した、マシュー・リッジウェイ将軍は、退却する韓国軍が放棄した装備は、数個師団だったと述べ…

農協は必要か ―農業保護政策は農家保護ではなく、農林水産省OBとJA職員の保護にすぎない

この冬、北海道にずいぶん出張したのだが、その時聞いた話題を提供しようと思う。

通州事件の体験記 ―気の弱い人は讀まないでください

通州事件は 、1937年(昭和12年)7月29日に発生した事件で、冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)による日本軍部隊・特務機関に対する襲撃と、それに続いて起こった日本人居留民に対する虐殺事件である。その体験記がある。讀むのも恐ろしい体験が綴られているのだが、歴史的事実を知るには貴重な記録であるので本誌の読者にも紹介する。あまりも惨たらしい体験記なので気の弱い人は讀まない方がいいと思ふ。
日本人皆殺しの地獄絵 私は大分の山の奥に産まれたんです。すごく貧乏で小学校を卒業しないうちにすすめる人があって大阪につとめに出ることになりました。それが普通の仕事であればいいのですけど、女としては一番いやなつらい仕事だったので、故郷に帰るということもしませんでした。そしてこの仕事をしているうちに何度も何度も人に騙されたんです。小学校も卒業していない私みたいなものはそれが当たり前だったかも知れません。それがもう二十歳も半ばを過ぎますと、私の仕事のほうはあまり喜ばれないようになり、私も仕事に飽きが来て、もうどうなってもよいわいなあ、思い切って外国にでも行こうかと思っているとき、たまたまTさんという支那人と出会ったのです。

このTさんという人はなかなか面白い人で、しょっちゅうみんなを笑わしていました。大阪には商売で来ているということでしたが、何回か会っているうち、Tさんが私に『Sさん私のお嫁さんにならないか』と申すのです。

私は最初は冗談と思っていたので、『いいよ。いつでもお嫁さんになってあげるよ。』と申しておったのですが、昭和七年の二月、Tさんが友人のYさんという人を連れて来て、これから結婚式をすると言うんです。そのときは全く驚きました。冗談冗談と思っていたのに友人を連れて来て、これから結婚式というものですから、私は最初は本当にしなかったんです。

でも、Yさんはすごく真面目な顔をして言うのです。Tさんは今まで何度もあなたに結婚して欲しいと申したそうですが、あなたはいつも、ああいいよと申していたそうです。それでTさんはあなたと結婚することを真剣に考えて、結婚の準備をしていたのです。それで今日の結婚式はもう何もかも準備が出来ているのです。とYさんは強い言葉で私に迫ります。

それでも私は雇い主にも相談しなくてはならないと申すと、雇い主も承知をして今日の結婚式には出ると申すし、少しばかりあっ…