国益とは時間と空間である


時間と空間に関わる利益が真の国益である

国益とは

さて国益とはなんだろうか。国益(national interest)は利益であるから経済的な意味合いが強いのは当然だ。当然経済的という具体的な側面も必要である。民主政体であるかぎり具体的な数値でその支持を得ることは必要だからだ。では経済的利益以上に重要な国家の利益があるのだろうか。もちろん答えはイエスだ。それは領有権(領土領空領海)と歴史と伝統に関わるものだ。この両者こそが真の国益ではないだろうか。

領有(土高)権とは我々が生活する空間を統治する権利であり、それを承認するのが我々の歴史と伝統だ。つまり領土領有権(空間)と時間(その正統性、歴史と伝統)が国益の本義ではないか。これらを守るために政府が組織され、その構成員たる国民はこれらを守る義務を追う。私は命をかけても守る義務を負う国家の利益を国益と定義したい。

そしてこの国益を守るために近代、付与されたのが国民の利益であると考える。国民は国家を守る義務を負うため政府権力から特別の権利を付与されている。憲法で保証される諸権利の正統性は国益を守るという事のみに由来する。過去ギリシャの都市国家やローマ市民も、奴隷でないものは国家防衛の義務を追っていた。奴隷は戦争は免除されていた。

市民は奴隷を支配する権利と引き換えに国家防衛のためには命を捨てなければならなかったのである。諸権利は唯一国家防衛の義務を果たすための利益にすぎないのである。これをこんにちにあてはめれば、国家防衛のための国民の利益であるといえないだろうか。安全保障を他国に譲っている国家は独立国とはいえないうえ、国民すら存在しないといえる。



TPPと慰安婦問題

平成23年11月17日、李明博大統領が来日したが、第一声で慰安婦問題の解決に言及した。これは韓国の憲法裁判所が今年8月に「賠償請求の具体的措置を政府がとってこなかったのは違憲」とする判断を出した事による。これらの賠償に関する諸問題はすでに日韓条約締結時に「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」となっているにもかかわらずだ。

先に歴史と伝統に関わることを私は国益であると定義した。慰安婦問題はまさしく国益である。我が国の官憲が朝鮮半島女性を半ば強制連行して大陸派遣軍の慰安所に拘束し売春行為をさせていたという、事実に反することで我が国の首相が相手国の大統領に侮辱されるということは、先祖の名誉の著しい毀損であるうえ、国家国民の名誉においても甚だ無礼な行為である。我々国民(国益の防衛義務を負っていると自覚している)は命をかけてこの侮辱に抗議しなければならない。

一方TPPはどうであろう。一部の論説では関税自主権の放棄は国家主権の放棄に等しいというが、時間と空間という私の定義ではTPPの参加不参加は国益ではなく、むしろ国民の利益の問題である。諸氏が指摘されるTPPの危険性は国民の利益の毀損にあり、国益の毀損や伸長にはあまり関係は無い(全くとはいわないが)。むしろ、日米同盟対中国問題台湾独立問題を考えればTPPの交渉に参加するという選択肢しかないように思う。

メディアは国民に再度、国益とはなにかを問い、冷静な判断を促す必要がある。文明転換の混乱期、一時的にナショナリスティックな言論が人気を博すが、冷静に考えれば歴史の大きな流れは各国の経済的な価値が均一になり、今というのは、諸国が和して同ぜずという我国肇国の理念に、たどり着く過程の切り絵でしかないのである。