外部介入がためにならない ―何もしない勇気

国連難民高等弁務官事務所 UNHCR

イスラエルのシリアへの空爆でシリア問題がいよいよ混乱してくると思われるが、UNHCRも早速シリア難民救援へ動き出しているようだ。Adsenceには連日のように南スーダンやシリアへの寄付を呼びかける広告がかなりのビットで配信されている。これら人道的な支援はUN傘下のUNHCRを中心とする団体が巨額の資金を投じて行なっている。一旦戦争が勃発すれば紛争地域に生活する人達は大きな被害を被る。特に女性や子供、お年寄りは犠牲になりやすい。UNHCRは難民となった人々に支援をしている。そしてその傘下で多くのNGOが活動し多くの人が善意からその活動に従事し支援している。これから紹介するルトワックの議論は、それらの善意や間抜けな国連などの外部介入が事態を長期化させ、邪悪な結果をもたらしているという。

外部介入がためにならない

ルトワックは地球上で戦争が無くならないことをこのように切り出す。

"この原因は二つあります。一つ目はアングロ=サクソンに特有の「外国に行って生き方を教える」というものです。アフガニスタンみたいなところに行って、伝統的な生き方をやめろというわけです。新聞の意見欄にも書かれてましたが、何年間も介入しているのに現地の女性は抑圧されたままだ、というわけですな。これにたいするわれわれの答えは、顔をひっぱたかれている妻(これはアフガニスタンでは毎日行われていますね)のいる家族のところにいって海兵隊を使って男を撃ち殺すというものです。それで皆がハッピーだというわけですな。"

アングロ・サクソンが世界中で自由と民主主義を広めれば広めようとすれば、地域の固有の文化や伝統と衝突して、家庭内の問題が戦争へと拡大するという。結局停戦し占領軍が引き上げればまたもとも戻るだけだ。

”ところがもう一つの原因があります。こっちはかなり真剣に見ていかなければなりません。それは長期的に、世界中で行われている紛争であり、しかもこれは間抜けな外部からの介入が原因であり、その動機は人間の最高の「善意」にあるのです。”

いよいよ本題に入るわけだが、

”写真や報道によって世界中にこの紛争が伝わると、「ああ人が殺されているんだわ!」となるわけです。そこで国連のような制度機関が力を発揮して、このような紛争を無理やり止めるわけです。ところがここで覚えておかなければならないのは、戦争自体にも目的がある、という点です。では戦争自体の目的とは何でしょうか?それは人々がもつ「戦争への欲望」や、それに使われる「資源」、それに戦争の原因となる、「希望」や「野望」を焼き尽くすことです。戦争が始まったとすれば、その究極の目的は戦争そのものを破壊することにあるのです。”

ようするに戦争を完全に終結させるためには当事者がその目的を達成しなければならないということだ。

”たしかに戦争がはじまると、はじめは勢いがあって独特の高揚感があり、恐怖や欲望などがありますが、町は破壊されて人は死に、戦友を失い、政治家は現実的になって、戦争は終わります。ところがここで国連のような外部の人間たちが介入してきたらどうなるでしょうか?つまり停戦協定を結ばせて戦争を滞らせてしまい、その動きを強制的に止めてしまうわけですが、こうなると国連が創設されて以来の長期的な戦争がなかなか終わらなくなってしまうわけです。”

もしくは互いに戦争を継続していたら、目的は達成されるものの、その前に自らの財産資源を焼き尽くしてしまい、目的達成の前に、その目的を享受することすらできなくなってしまうことを、互いが悟り矛を収めなければならないということだ。

”ルワンダの場合は軍事国家ですから、その目標、つまり東コンゴにいって軍事的に圧倒したいわけですが、その仕事もさせてもらえないというわけです。国連だけじゃないです。NGOなんかもひどいもんです。彼らはたしかに意識は高いわけですが、たとえばある場所にいる難民などに長期的に食糧を与えることで紛争を長期化させているのです。この典型的な例がルワンダのフツ族とツチ族の争いです。

この部族間の問題があると、NGOが大量に寄ってきてたとえばフツ族に食糧を供給すると、彼らは朝に腹を満たしたその夜にツチ族を殺しに行くわけです。これは実は大変なスキャンダルなわけですよ。つまりは国連が戦争へと無理やり介入することでその戦争の目的そのもの、つまり平和の達成を邪魔してしまうわけです。

本来なら戦争で疲弊してもはや戦争継続するための資金も資源も体力も使い果たすはずが、シャンプーを洗い流している人に他人が後ろからシャンプーをどんどんかけるよくやるイタズラのように、何時まで経ってもシャンプーが切れないようなものだということ。

もし今度セーブザチルドレン財団があなたの家のドアまできて募金を呼びかけてきたら、その人をひっぱたいて飼い犬をけしかけて追い返してやりましょう。なぜなら彼らこそが、戦争のメカニズムが達成しようとしている目的の達成を妨害しているからです。

さらに悪いのは、彼らが旱魃や飢饉の起こっている時にすることです。たとえば国民の半分が飢えてて、他の半分が小作業をやっているのに、NGOがやってきて飢えているほうに食糧を配ったりすると、農作物を売れなくなってしまうようなケースです。たしかにNGOで働く金髪の女性なんかは食糧を配ることによって聖人になったようで気分はよいかもしれませんが、彼女たちは同時にその半分の飢えていないほうの国民の生活を破産させてしまっているわけです。

日本では藤原紀香さんがそのような活動で著名だが、彼女は善意かもしれないが実はその活動が実に邪悪な結果を招いていることに気づいていないだろう。

”もちろん彼らの意図は素晴らしいですし、理解できるものですが、それでもそれは本当に邪悪なことをやっているわけです。

なぜ邪悪なのかというと、たとえば本当に大規模な民族浄化のような大虐殺が行われている時は、彼らは介入しないのです。カンボジアのクメール・ルージュが自国民を200万人殺しましたし、ルワンダの時は80万人死にましたが、そういう時は絶対に介入しないのです。ところが介入する場合には何というか。

なんと「大虐殺を阻止するため」という理由を使うのです。ボスニアの場合にはサラエボでは何もしなかったので大量に人が死んだわけですが、コソボの場合は虐殺なんか起こっていないのに、そういう場合に限って介入するわけです。

その時に殺された人の数は1800人とかでしたが。”

つまり本当に支援や救援が必要な事態には、善意ではなく武力が必要なわけだ。もちろんUNにもUNHCRにもそのよな武力を保持しているわけはなく、アメリカやイギリスといったアングロ・サクソン諸国が介入していくわけで、結局冒頭のように「外国に行って生き方を教える」と称して伝統と文化習俗を破壊しようとするので、話がややこしくなるということだろう。

”スリランカはこのよい方の例にあたります。スリランカでは長いこと内戦が起こっておりましたが、シンハリ政府が徹底的に内戦を抑えて終戦に持ち込み、だからこそ平和のチャンスが訪れているというわけです。ところがもしここにNGOやヒューマンライツウォッチなどが入り込んで色々と報告などをしていたら紛争が長引いていたはずです。よって、われわれは「善意」であったとしても、それが国際関係においてどれだけ邪悪な結果を生み出しているのかを考えなければならないわけです。 お年玉を子供にあげるにしても、上の子に多く下の子に少ない金額を渡せば、渡す方は年齢を加味して公平にしたつもりでも、金額が少ないほうは不満に思うものだ。では同じ金額にすれば今度は上の子が不満に思うだろう。解決策は一つ、お年玉を渡さないということだ。”

けんかでも親が介入することによって一旦は収まるが、また何かの機会に不満が爆発して、次はさらに大事になることがある。そのようなときには極力介入せず、本人たちに解決させる方が時間はかかるが、その後の両者の関係にとっては良い場合がある。

特に戦争のような命をかけなければならないような場合、双方に理由がありそれを第3者が善悪を判断することは困難だ。人間である限り生存や幸福の追求のために戦争という手段に出ているわけで、双方が死滅して焼け野原だけが残る殺し合いをしたのでは、目的が達成できないというごくごくあたり前のことに気づくはずだ。

もしかすると人類は地球を焼き尽くしてそれこそ石器時代に戻るまで戦うかもしれない。しかしそのほうが戦いが長引いて、地球そのものを破壊してしまうよりまだマシだ。

詳しくは以下のサイトをご覧ください。
地政学を英国を学んだ