国家とはなにか


―言葉による混乱―

家族、社会、国

国家は、ヘーゲルの分類のよれば、家族や会社から構成される社会とは区別され、ウエーバーは正統性がある継承によって形成された一定の領域を暴力に関する権威・権限を行使する単独の主体(国家)と定義している。国家とは政府組織であり社会とは区別される。State の訳語として国家があてられているように、国家とは政府、議会、警察、官僚、裁判所などの機関を有する統治権力のことを指す。

国民、国家

人間は子孫を残すため家族をなし生活する。そのような家族が一定の習慣や宗教によってある領域内で集団となったものが共同体だ。そして多少の習慣や宗教的違いを包括した地域を「国」と呼ぶ。「国」の住人が「民族」であり、近代はこの集団=民族を統治する権力が組織され「国家」と呼んだわけだ。そして、民族は「国民」となったのである。日本語に State と Country や Nation を区別する言葉なないのは、憲法議論などを混乱させている要因の一つだろう。


領域、人民、権力

国際法で定義されている「国家」もその地域を統治する政治組織のことを指す。つまり内外に干渉されず国民を正統性のある統治機構のことを国家という。国際法では、領域、人民、権力の三要素が承認の条件ともなる。
  1. ある程度以上確定された一定の領土を持つこと。
  2. 国民が存在すること。
  3. 統治機構を持ち実効的支配をしていること。
このように国家は強大な権力を有していなければならない。つまり外に対しては自衛力、うちに対しては秩序維持の警察力が国家の基本となることがわかるだろう。

国、天皇

我々の「国」は、国ヲ肇ルコト宏遠ニと教育勅語にあるように神武天皇が肇国した世界最古の「国」だ。天皇は「治らす」存在として祭政一致の統治者として政にあたり、明治維新によって近代的な君主となった。日本国は憲法以前に存在しているという事実は憲法が国の形に(その事実に)その権力を及ぼしてはいけないということだ。

社会、天皇

国家は社会と対峙する存在とまではいえないが社会に対し強制力がある。さらに国民の自由を拘束することができる。しかし憲法の規定により組織される政府は憲法を制定している、正統性を有する権威を否定出来ないしまた、それを変更できない。明治憲法における第1章天皇条項の1条から3条はそのことを明記した条文だ。

つまり天皇の身体を不可侵としたものではなく、肇国から憲法制定した今日までの歴史に政府は手出ししてはならないという条文なのだ。歴史の中の日本という社会は、天皇が権威としての元首であり実質的な統治権力者とその他の庶民で構成されていた。その事実は変えようがない。

民族、社会、国民、国家

憲法制定以前の日本は天皇と日本民族の社会であった。統治者は藤原氏ら官僚、平氏、源氏、足利氏、豊臣秀吉、徳川幕府ということになる。しかし被統治者と天皇は不変だ。その関係は国民国家になった今も変わりない。憲法は国民から政府への命令であるから我々は憲法に「我々の社会(過去現在そして未来に引き継ぐ)には手出しするな」と規定すべきなのだ。

国家とは

政治家や評論家が「国家」という言葉を使うとき、それは政府を云うのか、また国家機関と国民を含む近代デモクラシー体制をいうのか、または天皇を中心とした体制をいうのかわからない時がある。

たとへば憲法を国家の基本法というが、この場合の国家とは国家機関のことをさすのが一般的だ。であるから憲法は基本的に国民が守る必要がないという表現は正しい。国家の犯罪という表現は政府が犯した犯罪という意味で国民には関係がない。

ホロコーストはナチス政府が犯した犯罪でドイツ国民は法的には関係がない(道義的には議論があるが)。今後の憲法改正についての議論で、我々国民は政治家や評論家がどのような意味で「国家」という言葉を使っているか注意深く聞く必要がある。