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アジアの精神と日本の役割 -講師朴鐡柱先生

朴鉄柱大人を偲ぶ」(平成3年発行)より093p-107p

私と日本

本日の皆様との出会いは、私、神様のお導きであると固く信じております。

私、現在不治の肺ガンに冒されておりまして、余命いくばくもありませんが、死ぬ前に、是非書き遺しておきたいと思う 一念で、「私と日本」という題で目下昼夜を分たず執筆致しておりますので、一応自己紹介も兼ねまして私のことを申し 述べさせて頂きたいと存じます。

私の生まれは釜山の東?という所でございますが、そこは非常に封建的でしかも反日思想が強い土地柄でありました。私の家は両班(ヤンパン)と申しまして大地主の家ですから、特に反日的雰囲気が強かったのです。

それで私、小さい時、日本で云えば寺子屋のような所に漢字の勉強に通わされておりましたけれど、偶々小学校から日本のおまわりさんが来られて、正式に小学校に入れなさいと両親に説得してくれたんです。しかし両親は聴いてくれませんでした。で、私はどうしても行きたくて、両親に反抗してハンガー闘争と申しましょうか。三日三晩納屋に閉じ籠り まして、やっとのことで許されて小学校に行くことが出来たんです。

どうしてこんなことを申し上げるかと言いますと、実はこれが後に私が日本に目を向けていく契機になったからなんです。

つまりこういうことがあったんですね。小学校二年の時、満州事変が起りまして、日本の兵隊さん達が釜山に上陸して大陸へ向かうんです。私、その兵隊さん達のお見送りに毎朝行っていたんです。勿論両親に見つかったら大変なんですが。そうすると、或る日一人の兵隊さんが側に来て、「君は一人で来たのか」と聴くので、「はい、そうです」というと、頭を撫でてくれましてね。もう兵隊さんに撫でてもらったかと思うと、うれしくて感極まったんですよ。

それで、その兵隊さんと長くおつきあいさしてもらうため文通しようということになって住所を教えたら、その兵隊さんから軍事ハガキを頂いたんです。その方は上野という上等兵でした。満州事変が済んで帰るので釜山で又会いましょうというんです。それで、今でも忘れませんが、駅前に鳴戸旅館というのがありまして、そこに一泊してその上等兵さんのいろんな身の上話を聴いたんです。

その方は、國學院大学の皇典講究所を出た方でございまして、「君は日本へ行ってもっと勉強しなさい」と言って下さったんですね。その方とはその後もずっと文通致しましたが、後に惜しくもフィリピンの戦線で亡くなられました。しかも私が本当の思想の良導と愛情を受けた恩師でありまして、その方が神主さんだったので、私もそれなら同じ様に神主さんになろうと決意したんです。勿論家族は大反対で、筆舌に尽し難いものがありましたが、私も少々我が強く諦めなかったんです。

それから中学の時には、偶々こういうことがあったんです。当時は韓国併合時代でありますが、大陸では、戦争が始まっており、物資の配給の割当などがあったんですね。ところが日本人には砂糖を配給するが、韓国人にはしないといった不公平がいろいろありまして、その時私は総督府に乗り込んで「どうしてそのような差別待遇をするのか、これは天皇さまの一視同仁の大御心に反するじゃないか、お前たちは幕府的存在だ」と言ってやったんですが、そのために初めて留置場に入れられてしまいました。

そんなことがありまして、私のどうしても日本へ行って日本の勉強がしたいという気持は益々強くなり、無理に無理して到頭國學院大学へ行って皇典講究所に学ぶことが出来た次第です。

ところがそれからが又一大難関でありました。つまり当時創氏改名と云いまして日本の氏名に変えないと対等の扱いをしてもらえないということだったんですね。私の家は絶対反対でしたが、私は自決も辞さない覚悟で血判を押して両親に訴えて闘い抜いたため、私の一家全員創氏改名致しました。

そういうわけで、私の一生というのはまさしく日本を置いては何も考えられない状況で勉強させて頂いたわけです。

そういうことでしたので、終戦になって帰韓しました時は、当時の李承晩から迫害を受けまして、直ちに民族反逆者裁判にかけられて約三ケ月投獄されましたし、その後本を書いても出せないという有様で、いろんな苦労を致しました。

まあ、しかし今日こうして皆様の招待を受けまして私も神主でありましたから、なつかしさ限りなく、しかも昔奉仕を致しておりました住吉神社で玉串拝礼をさせて頂きました時は、関節にガンが転移しておりまして決して座ることが出来なかったのに、不思議にもちゃんと正座が出来まして、「何事のおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」という歌の真情そのままに感涙にむせんだ次第でした。

私自身のことを長々と申し上げて誠に恐縮ですが、一応こういうことを申し上げておかないと、私の立場やお話の観点がよく御理解頂けないかと存じまして御無礼を致した次第です。

日韓交流の淵源

さて日韓の問題と申しますか、日本の歴史を通観致しますと、文禄・慶長の役、日清戦争、日露戦争など国運を賭した歴史には常に韓国問題が表裏一体となって続いて来ていることが分ります。ですから、アジアの問題を考えるためにはどうしても日韓の歴史を抜きには出来ないということです。そこで日韓の関係を出発点として若干申し述べさせて頂きたいと存じます。

かつて徳富蘇峰さんが、「韓国問題の発端」という本を出したんですが、それは第一に日韓問題は地理的条件であるということを申されているんです。つまり太古の時代日本と韓国とは陸続きで一つだったという想定で論じているんです。後に日本海の陥没とかがあって二つになったけれど、その前は一つの国であって、日本の上古史というものは韓国を除いては成り立たないとまで言っております。

実は私も学生時代、全国を歩いて廻って韓国の古代宗教をいろいろ調べたことがございますが、日本の神道と全く同じ形態の宗教が韓国にもあったんです。今でも田舎に行くと残っています。韓国の部落に行きますと、部落ごとに何百年も経った大きな木がございまして、それに注連縄を張って村の長老が五穀豊穣の祈りや感謝祭をしたりしまして全く日本と同じなんです。

これは儒仏伝来以前からの民俗ですから、私は研究しながら日韓の古代信仰は一つだったんだという信念を持たざるを得ませんでした。これは一つ皆様も念頭に置いて頂いて充分考えて頂きたいと思います。

先日下関の青年神職の方々が来られまして金海市の駕洛で雅楽の奉納をされましたが、その駕洛というのは日本の「古事記」にも出てます伽羅のことです。この国が洛東江沿岸にありました最初の農耕民族なんです。日本初弥生時代の頃です。

それに対し北方の民族は騎馬民族で獰猛ですから、いつも痛めつけられていましたので日本の支援がほしかったわけです。それで彼我の交流が深まったんですが、そういう跡が残っています。例えば墳墓ですが、ドルメンと云いまして、人を埋めて一枚岩を乗せるわけですね。これが九州にもありますし、南朝鮮にもあるんです。これから見ましても日本と南鮮は一つの文化圏にあったことが分かります。

これは今日日韓の問題を考える上でも重要な出発点であり、基礎であると思います。これを無視すると相互の理解がむつかしくなります。

それが飛鳥、奈良時代になりますと、日本の政策が中国へ変るわけですね。随唐の時代です。しかしその間にあっても日韓の交流はずっと続いているんです。文禄・慶長の役の直後は少し絶えますが、あとは江戸幕府の時代も対馬の宗氏が年間二十艘の船で、いつも釜山と交流していました。

征韓論の真相

ところが、明治維新後は彼我の立場に大きな齟齬を生ずることになりました。そのために、例えば征韓論といった問題が生じます。しかし私は却って木戸さんや板垣さんの方が強硬派であって、西郷さんは絶対に征韓を意図されてはいなかったと思っています。西郷さんは征韓問題で初の閣議があった時、板垣さんが軍艦を率いて行って聴かざれば戦端を開くべしと主張したのに対しこう言っているんです。「日本と韓国は兄弟の関係であるから、ケンカをしてはいけない。自分をよこしてくれ。自分は寸鉄を帯びずに行って韓国の人と膝を交えて話せば分る。それでもし自分が殺されることがあったらその時は自分の死体を乗り越えてどういう風にしても構わん」と。信を相手の腹中に置いて話すならば必ず分るというのが西郷さんの論ですが、それはついに通らず、西南戦争まで行ってしまったんですね。

在野志士の尽力

この時期、明治新政府は富国強兵、殖産興業といった目標を立てて西洋一辺倒だったから韓国問題には余り真剣でなかったんです。ところが玄洋社に代表される在野の勢力の方を調べてみますと極めて真剣だったんです。例えば福沢諭吉という人も在野の人だったんですが、この人の努力で韓国に初めて「漢城旬報」という新聞社をつくったんです。当時の韓国にはそこまでの民度も財力もなかったので、諭吉は私財を投じ井上角五郎という門下生を派遣して、しかも清国の勢力が入って韓国を属国化していたそのさ中にこの快挙を成し遂げたんです。これは歴史的なことで、当時の
日韓交流のいい仕事の一例です。

又東学党の乱と申しまして、当時政府や両班階級による搾取がひどくて農村が疲弊したのを慨し、西学に対する東学を奉ずる全?準が率いる農民が全羅北道で蜂起したんですが、これに黒龍会の壮士達が、天佑?という義軍を組織しまして、ロバに武器を積んで釜山に上陸し、はるばる山を越えて支援に出かけたんですね。

このように在野有志の人達はいつも命がけで韓国問題に取り組んできたんです。ところが韓国政府は清国の軍隊を多数導入して徹底的に懲罰したんです。その時日本政府の方は全然援助もしなければ、ソッポ向いてたんですね。だから当然戦いは敗れましたけれど、おかげで清国の勢力が韓国内に強く入って来たため、日清間が険悪となりついに日清戦争になったわけですね。

韓国併合の経緯

しかし日本が勝ちまして、韓国から清の勢力は駆逐されたわけですが、今度はロシアが入って来て不凍港を求めて馬山に軍港を築いたんです。日本には大変な脅威になります。その時、時の宰相金弘集は、日本の援助で近代化しなければならんと考えていたんですが、国王はロシアを頼んでロシア大使館に入ってしまったんです。そして一年以上に亙ってその中から政府を指揮したんです。しかもロシア公使が金弘集は悪い奴だから殺せと言うと、その命を受けて彼を目の前で殺害したわけです。

私は既にその時に李氏朝鮮は自ら独立権を放棄したと思っているんです。

そういう状況で益々ロシアの勢力が侵入して来ました。そうすると朝鮮もロシアにやられる。日本は一体どうなるかということで、日露戦争が起きたんですね。まさに国運を賭した大変な戦争だったんですが、まあ幸い日本が勝ちました……。そういう勢いというのがありましてね。

一方の韓国は今も申しましたように、国王がロシアの公使館に亡命してロシア公使の采配を受けて宰相を殺すという悲惨なことで、およそ一国としての自主権もなく、その能力もなかったわけですから、東亜の安定のために孤軍奮闘し多くの同胞の血を流した日本が、それに懲りて日韓の合邦に持って行ったのも責められぬ所があると思うんです。

帰化人の優遇

私、長い日韓関係史を勉強してみまして、日韓古代史がひと続きであるという感を深くしました。これは地理的に、例えば慶尚南道から舟に乗ったらじっとしていても裏日本に着いてしまうという条件ですから、恐らく北九州、山口県、島根県などは殆ど韓国の人が、政変の多い国ですから亡命して来たと思うんです。

政変で亡命して来た人は政治担当していた人ですから、皆文化人なんです。そして日本の方でもこうした帰化人を優遇しているわけです。

鹿児島に行きますと、シンさんという陶工の家柄で十九代の人がおります。私会って話したことがあるんですが、文禄・慶長の役で島津藩の軍隊がやって来た時に、彼の先祖は司令官として町の前門を守っており、後門は明軍が守っていた。ところが前門は落ちなかったけれど、明軍が逃げたために後門から落ちてとうとう捕虜になってしまったそうです。しかしその人は大変博識な人格者だったので島津のさむらい達も尊敬して解き放してあげたんですが、今度は韓国政府からも追い払われてしまって家族全部を引き連れて捕虜になって日本に帰化したそうです。

鹿児島では触れを出してその一族に住居と、陶工としてやっていけるための良質の土の産地とを世話してやって対等の身分を与えたんです。その方が五年前に韓国にきて高麗大学で講演したんです。

日本は決して侵略的でも暴力的でもありません。文禄・慶長の役も日本がめざしたのほ明国であって、韓国にはただ道を開けてくれということだったんですが、大陸続きの関係上韓国は明に従わざるを得なかったので戦争になったんです。

日本に悪意なし

今いちいち申し上げる暇はありませんが、日本は善意はあっても悪意というものはなかったと云える。さっきも申しましたように日韓併合だって悪意じゃない。これも放っておけば、日清戦争でやっと独立権を回復してやったのに、又ロシアにやられてしまう、これじゃいつまで経ってもだめだ、それじゃ自分たちがやってやらなきゃだめだということなんで、私は善意に解釈すべきで、決して悪いことじゃないと思います。

私一つだけ強調したいのは、昨今の教科書問題とかで日本の侵略だとか何かと言っていますが、これは欧米諸国のようなものではありません。欧米のアジア侵略こそは筆舌に尽し難いものがあったわけです。皆さんもよくご存知だからいちいち申しませんが、ジャワ、インド、ボルネオ、すべて席巻して独立国と云えるのはシャムと日本しかなかった。中国だってアヘン戦争でズタズタにやられている。事実はこういうことなんです。

歴史教育の欠陥を匡せ

ただ問題なのは今日の日本と韓国はどうしたらいいかということです。これは大変な問題です。

先づ日本のことを申してすみませんが、日本は歴史教育が全く欠けております。なぜ歴史を教えないかというと、GHQの政策をそのまま受け継いでいるからです。これじゃいけない。教科書にその国の価値観持つのは当然です。するとね、韓国騒ぎ、中国騒ぎするから取りやめる、これじゃいつまで経っても本当の歴史は成り立たない。このことを皆様真剣に考えて頂きたい。

と申しますのは、何度も申すようですが、日本は決して悪意でやって来たんじゃないということです。欧米の侵略戦争はもっとひどかった。それに比べれば何ということはありません。

まあ、大東亜共栄圏ということばはあまり好きじゃなかったんですけれど、要は弱者を保護し解放するということが日本本来の思想だったんです。これは極めて正しいことです。そこが歴史をまともに教えないから、皆様がもう卑屈になったという経緯がないでもありません。ですから、そこの所を皆様方が若い人の教育に熱心に当って頂きたいということをお願いする次第です。

経済のみでは真の友好にはならぬ

それから韓国も然りですが、教科書問題を始めいろんな問題で日本をたたくのは、これ援助してくれとか、お金をくれとか、借款くれとか、経済的魂胆が必ずあるわけですよ。だから、煩わしい、うるさいからやってしまえということではアジア問題、日韓問題はいつまで経っても同じなんです。そこの所をよく考えて、日本の政治家は勿論ですが、皆さんの周辺からも正しい歴史教育が出来るようにして頂きたいと思うんです。

本当のアジア問題の解決には、自主性が第一。自主的な教育、自主的な憲法に基ずくことです。相手が聴かなければ説得すること、相手がすねていたら引張って来てでもやるという気概を持たないとダメだと思います。煩わしいから金やってしまえばそれまでだというんでは、いつまで経っても解決しないと思うんです。

韓国でも中国でも過去の歴史にこだわって好きなこと云わせていたらキリがないですよ。よく南京事件のことを持ち出しますが、その前の済南事件などは日本の人がたくさんやられているんですから。

私、大変僭越なことを申し上げましたが、これがこれからの日本の進み方の基本になると思います。これが出来ない限り、お金の援助をいくらやってもキリがないんです。

大アジア主義と日・韓・中の志士
戦前の日本の国家的行動を「侵略」の一語で片づけるような歴史観は、本当の事実を全く無視しています。

中国革命の父孫文は当初滅清興漢をスローガンとして戦っており、玄洋社の頭山先生など日本の民間志士とのつながりが深かったんですね。偶々日露戦争が起きて日本海海戦で日本が大勝した時、孫文はロンドンに亡命していましてイギリスの高官と話をしたんですが、日英同盟の最中というのにその某高官は、白人が有色人種に負けたのが悲しいというんです。というのは、イギリスとしてはロシアの南進政策を阻止する防波堤とするため日本と利害関係で結ばれていたに過ぎないのです。しかし最早日本の防波堤としての役は終ったということで、白人が負けたことが悲しいという
んですね。

そこで孫文は一念発起しまして日本と提携しなくちゃいけないというので帰国して来るんです。そして中東アジアの港々に船が泊まると、原地人達からあんたは日本人かと云われ、理由を聴くと有色人種が白人に勝ったのが嬉しいと云って喜んでいるんです。それで日本に来た時、大アジア主義という演税をしたんです。そしてこの時、満洲は日本に与えてもよいと云っているんですね。というのは満洲は清国を興した女真族の故郷であって、孫文としては清を中国本土から追い払って漢民族の国を建てようとしているわけですから、満洲を中国の一部とは考えておらず、寧ろ日本が投
資してアジア防衛の根拠地にしてもらった方がよいと考えたわけです。

だからこの方向に沿って日本の国家権力も動かされてきたわけで、日本は悪いことをしてないんですよ。少なくとも政府はどうあれ、在野勢力というのは本当にアジア諸民族の味方になって連携を保ってやって来ている。先程も云ったように黒龍会が東学党を支援したり、玄洋社が辛亥革命やフィリピン独立運動を支援したり……。

そうしてみると、明治維新のパワーというのは、政権の座に就いた側になくて、在野の人達に大きな維新精神が受け継がれてアジア問題を常に真正面から捉えて来てたんですね。

私も頭山先生に戦前一度だけお会いしましたが、君は金玉均タイプだと云われました。金玉均というのは、御存知だとおもいますが、福沢先生の門下でもありまして李氏朝鮮末期独立党を作って親日政府を構成し日本と協力して韓国を立ち直らせて東亜の安定を保ちたいと主張したんです。それを時の日本政府は相手にしなかったんですが、頭山先生らは支援し続けたわけです。これは非常に価値あることだと思います。こうした在野の努力を除いて近代日本の歴史もあり得ないと思います。

だって当時日本政府の高官は鹿鳴館に象徴されるように欧米模倣になり切って何もなかった状態です。伊藤(博文)さんなんかも、料亭に行くと、頭山さんが来てないか、と聴いて来ていない、というと入ったというんです。来てるというと逃げちゃうんですよ。それくらい時の首相も在野勢力を恐れていた。後の首相になった犬養さんなどもその頃は玄洋社の志士だったんです。

今日でも皆さん達のような民間の人こそが真の日本の歴史に立って尽力して頂ければいつか必ずアジア諸国との深い理解と友好が成り立つんじゃないかと思います。

民間レベルの文化交流を促進すべし

政府に任せたらダメなんです。私のよく知っている立派な人でも政府と結託すると必ず悪く染まるんですよ。

私自身も朴正熙の時代から共和党に来てくれと云われたことがあるんですが、私は日本文化のこと以外は政治も知らないし、但し「古事記」なら講義しましょうと云って断りました。それが却って向うの心証を害してしまいまして弾圧されたんです。「日韓間題の将来」という本も書いたんですが、反共法に引っかかって刑務所に入ったんですよ。こういうように政治家に任せると目先に追われてダメなんです。在野の方が結束して勉強し、修行教化していけばやがて実現します。これが基本だと思います。

但し日本はゆくゆくは憲法改正しなくてはいけませんね。私どもの情報では韓国政府もおいおいよくなりつつあるらしい。というのは韓国野党に私友人がいるんですが、結構立派な人がいますので、次期政権は野党に帰ってくると思うんです。すると私も遅ればせながら命ある限り協力してやっていきたいと思います。

今まではよくないことばかりでしたが、日韓の文化交流の根は非常に深いんですから、これを民間の力で充分掘り下げていく研究機関を作っていけば必ず道が開けると思います。

私の悲願

私、冒頭にも申しましたように「私と日本」という本を書いておりまして、個人的内容かと思うかも知れませんが、これを書き通しておきたいと思うのは、韓国の若い人の将来のためなんです。私が先駆者とは申しませんが、少なからずそうした気概で書いていますから、日本文化の理解に一生捧げ尽くしたいということは誰か分かってくれるんじゃないかと思うんです。

貴重な時間を私ごとき者のお話をお聴き頂き、有り難く存じました。今後とも御指導賜り相携えて仕事をしていきたいと思います。

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20世紀の戦争 20世紀は戦争の世紀と呼ばれるように産業革命による技術革新が戦争を巨大化、無慈悲化させた。世界は巨大化・無慈悲化する戦争に対して、一定の規則を締結したが、その後に勃発した第一次世界大戦は大規模かつ無慈悲な消耗戦によりヨーロッパ社会に大きな衝撃を残した。

第一次世界大戦の塹壕戦や化学兵器の使用は、ただ敵を消耗させるための戦略で、それまでの戦争とは様相が大きく変化した。戦争は国家が軍に命令して、軍が名誉をかけて行う営みから、国家国民全体で行う営み全体戦争つまり総力戦へと変容した。

パリ不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)は大戦のような悲惨な戦闘を二度と繰り返さないために交戦国、非交戦国も含めて63カ国が署名した。目的は戦争の違法化、特に侵攻戦争の違法化を目指したが、最終的には侵攻戦争を非難するにとどまった。




貧困が戦争を起こす もし社会が現状で固定されるとしたら、現在比較的幸福な人はいいが、もし不幸な人はどうだろうか。それはその人の希望を奪い去ることになる。国家同士の戦争もある一面では現状に満足できない国家と、それを阻止しようとする国家の営みといえる。

第一次大戦後ヨーロッパの比較的裕福な人々の間で戦争が二度と起こらないように、家族友人の死、あるいは戦争による破産などの不幸をなくすには、どうしたら良いか考えられたのは自然なことだ。そして彼らは結論した。「貧困が戦争を起こす」。

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自衛隊を否定すれば卒業! ある先生に、昭和40年代から50年代まで、大学の卒論で自衛隊の悪口を書けば、評価されたと来たことがある。もちろん、すべてではないだろうが、時代の雰囲気はそんな感じだったのだろう。受験生の僕のために、朝日新聞を購読していた、母親も見事に影響を受けて、いまでもそれは変わってない。

僕は、それはそれで仕方のないことだと思う。物事の良い悪いは、自らの経験や信仰、影響を受けた人や情報で判断する。ただ、事実や法律的な合法違法はあきらかなので、―これは司法の稿で説明するが、事実に基づく判断、法律に基づく判断は、国民として身につける必要はあるだろう。


なぜ男はだめなのか? 出来れば女性に読んでもらいたい。それは、―あくまでも僕、個人の経験だが、男はどうしょうもないから生きんのだと思う。男性全員が、そうだとはいわないが、―あくまでも、僕レベルの男性は、政治に興味がない。興味の方向はの女性だけに向いている。

何をするにも基準は「女性にもてたい」か「格好良いと思われたい」くらいだろう。音楽をやるのも、スポーツをやるもの仕事で出世するもの、究極の目的はそれ以外にない。天下りを斡旋して首になったどこかの省の次官が、次官になっても、キャバクラの特定の女性に入れあげたなんてのもそう、先生に反抗するのも究極、それしかない。だから男に憲法が…、と話してもなかなか興味はひかないと思う。

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―言葉による混乱― 家族、社会、国 国家は、ヘーゲルの分類のよれば、家族や会社から構成される社会とは区別され、ウエーバーは正統性がある継承によって形成された一定の領域を暴力に関する権威・権限を行使する単独の主体(国家)と定義している。国家とは政府組織であり社会とは区別される。State の訳語として国家があてられているように、国家とは政府、議会、警察、官僚、裁判所などの機関を有する統治権力のことを指す。


国民、国家 人間は子孫を残すため家族をなし生活する。そのような家族が一定の習慣や宗教によってある領域内で集団となったものが共同体だ。そして多少の習慣や宗教的違いを包括した地域を「国」と呼ぶ。「国」の住人が「民族」であり、近代はこの集団=民族を統治する権力が組織され「国家」と呼んだわけだ。そして、民族は「国民」となったのである。日本語に State と Country や Nation を区別する言葉なないのは、憲法議論などを混乱させている要因の一つだろう。



領域、人民、権力 国際法で定義されている「国家」もその地域を統治する政治組織のことを指す。つまり内外に干渉されず国民を正統性のある統治機構のことを国家という。国際法では、領域、人民、権力の三要素が承認の条件ともなる。
ある程度以上確定された一定の領土を持つこと。国民が存在すること。統治機構を持ち実効的支配をしていること。 このように国家は強大な権力を有していなければならない。つまり外に対しては自衛力、うちに対しては秩序維持の警察力が国家の基本となることがわかるだろう。
国、天皇 我々の「国」は、国ヲ肇ルコト宏遠ニと教育勅語にあるように神武天皇が肇国した世界最古の「国」だ。天皇は「治らす」存在として祭政一致の統治者として政にあたり、明治維新によって近代的な君主となった。日本国は憲法以前に存在しているという事実は憲法が国の形に(その事実に)その権力を及ぼしてはいけないということだ。
社会、天皇 国家は社会と対峙する存在とまではいえないが社会に対し強制力がある。さらに国民の自由を拘束することができる。しかし憲法の規定により組織される政府は憲法を制定している、正統性を有する権威を否定出来ないしまた、それを変更できない。明治憲法における第1章天皇条項の1条から3条はそのことを明記した条文だ。

つまり天皇の身体を不可侵…

日本国憲法改正案条文の解説 第2章 権利

権利は外在的言語に過ぎないので獲得するのもである。 権利は鎧である 第2章は国民の権利だが、この章では、現行憲法より多くの人権を規定して国民の福祉向上に寄与しようとしている。権利カタログは条文ではなく、条項で列記しているのは大きな改正点だ。


第2章 権利
第15条[国民の要件]日本国民は、日本国籍を有するものとする。
あまりにも当然の規定なのだが、昨今二重国籍で問題になっている議員がいるように、この後の条文で議会議員要件は明確化したい。

次に権利の具体的規定だが、学説の争いをなくすために、日本国民の権利、制限できる権利、万人の権利に分けた。婚姻や選挙、教育、就労などの権利は公共の福祉の観点から年齢制限を課しているのでわけることにする。第17条は日本国民固有の権利として憲法がその擁護を宣言した。

日本国憲法改正案 第2章 権利
第17条[国民の権利]次にあげる基本権は、国民の権利として、日本国民に保障する。個人として尊重され自由かつ幸福を追求すること。
2 むやみに生命を奪わず、健康で文化的な生活を営むこと。
3 平等であること。
4 人種、信条、性別、社会的身分又は出生により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されないこと。
5 財産を自由に処分し、また不当に奪われないこと。
6 居住、移転及び職業選択の自由を侵されないこと。
7 外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されないこと。
8 拷問及び残虐な刑罰に処されないこと。
9 公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し請願すること。

日本国憲法の諸テキストを読んでも、人権に関する解説に重点を置いている。私は人権に関して、米国的な自然権思想よりは仏国的な行政権の抑止的な立場に立っている。それは英国的な国民の権利と親和性が高いが、あくまでも人造の鎧のようなイメージを持ってる。

個々人が武装して個々人のバランスオブパワーによる、社会秩序の維持を目的としている、自然権的人権思想は、やはり米国的といえる。ところが第二次大戦において、独国が行った人権侵害は、欧州において、議会による人権保護から法律からの保障という、新しい次元の人権に昇華した。現在の日本は国際人権規約を批准しているので、憲法はその規約を誠実に尊守する必要がある。

いずれにせよ、欧米の人権思想の奥には…

日本国憲法改正案条文の解説 ―第4章 立法権

二院制の必要ある? 二院制は基本的に王国で貴族などの制度があるときに、貴族院と庶民院、ー英国、もしくは連邦制国家が国民代表と各自治体の代表、―独国や米国、というようなときに必要とされる。北欧諸国が王政の制限と平等原理の徹底によって、二院制から一院制への移行をしているように、日本国も天皇の権限の制限と貴族制の廃止は、一院制の十分条件である。


第4章は立法権を規定している章である。冒頭説明したが、現行憲法の二院制はGHQ案では一院制であった。

Article XLI. The Diet shall consist of one House of elected representatives with a membership of not less than 300 nor more than 500.


GHQ案が手交されたのち、日本政府下で、憲法改正を議論したのは憲法問題調査委員会だ。その議事で、「二院制を維持すべきであるが、従来の貴族院の権限に制限を加え、その構成を民主的なものに改めるべきだ、との意見が支配的であった」、「その名称についても、「上院」「第二院」「元老院」「特議院」「審議院」「参議院」など様々な案が出されたが、「参議院アタリガ無難」だということになった」という。
GHQ民政局が起草した案は「日本の政治の発達状況をみても、簡明性という点からも、一院制を提案するのがよいとの結論に達した。」としているが、これは、貴族制度が廃止されること(マッカーサーノート)、日本は連邦国家でないこと、第一院と第二院の間の争いが生じるおそれがあることなどの理由によるものであったとして、非常に理にかなっている。

参議院の設置理念を金森徳次郎国務大臣は、「衆議院に対する抑制的機能を前提として、知識経験のある慎重熟練の士を求めることにある」とした。この理念は現在、踏みにじられている。障害のある子供をほったらかして、市会議員と一線を越えないまでも、ベッドをともにして開き直ってる議員、二重国籍が確定しても、努力義務なのでと、戸籍を公表して居座る議員、そのほか議員資格に???が付く参議院議員が多い。

原点に返って一院制にすることが最初の目的である。また議会の権限と権能を規定すること。特に現行憲法には全く規定のない貨幣造幣権や度量衡、暦、徴税権、軍の編成権など権限、総理大臣の指名、…

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 第4章

第4章は連邦に対する規定だ。合衆国憲法の規定を読んでいると気がつくことがある。それは防衛という言葉がかなり使われている。独立をして間もなく軍隊もない小さな州政府が自らの自治をある程度制限しても、連邦を組織した理由は国土と国家体制をなんとか護りたいという切なる願いのような気がする。それが合衆国憲法を制定した国民意志なのだろう。


第4章[連邦条項]

第1条[十分な信頼と信用条項]

各々の州は、他のすべての州の一般法律、記録および司法手続に対して、十分な信頼と信用を与えなけ ればならない。連邦議会は、一般的な法律により、これらの法律、記録および司法手続を証明する方法な らびにその効果につき、規定することができる。

第2条[市民権条項、逃亡犯罪人・奴隷の引渡し条項]

[第1項] 各々の州の市民は、他州において、その州の市民が享有するすべての特権および免除を等し く享有する権利を有する。

[第2項] いずれかの州において反逆罪、重罪その他の犯罪につき告発された者が、裁判を逃れて他州 で発見された場合には、その逃亡した州の執行部の要求があれば、当該犯罪につき裁判権を有する州に移送するために、この者を引き渡さなければならない。

[第3項] 1 州において、その州の法律によって役務または労務に服する義務のある者は、他州に逃亡 しても、その州の法律または規則によってかかる役務または労務から解放されるものではなく、当該役務 または労務を提供されるべき当事者からの請求があれば、引き渡されなければならない。[修正第13 条で改正]

第3条[新州および連邦財産条項]

[第1項] 連邦議会は、新しい州がこの連邦へ加入することを認めることができる。但し、連邦議会お よび関係する州の立法部の同意なしに、既存の州の領域内に新州を形成し、または2 つ以上の州もしくは その一部を合併して1 つの州を形成することはできない。

[第2項] 連邦議会は、合衆国に属する領有地その他の財産を処分し、これに関する必要ないっさいの 準則および規則を定める権限を有する。この憲法中のいかなる規定も、合衆国または特定の州の請求権を 損なうように解釈されてはならない。

第4条[共和政体条項]

合衆国は、この連邦内のすべての州に対し共和政体を保障し、侵略に対し各州を防衛する。合衆国は、 州の立法部または(立法部が集会できない…