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国際法では戦争は「罪」ではない ―反対派の暴論

憲法9条改正が現実味を帯びてきた昨今、9条と戦争にまつわる論考が各所で盛んだ。先だっては松本、北村両氏の歴史認識に意義を申し上げたが、今度は田原総一朗氏が、安倍総理が「侵略の定義はまだ定まっていない」という発言にワシントン・ポスト紙が「歴史を直視していない」と批判し、同様にイギリスフィナンシャルタイムが 「支持率の高さを受け、本性をのぞかせた」 と「経済政策に集中すべきだ」と苦言を呈したことについて、だが僕は、安倍さんの言動はともかく、 両紙の批判は間違っていると考える。長年、僕は日本の近代史を 取材してきた。 その結果、満州事変、日中戦争は 日本の侵略だったという結論に達した。 しかし、太平洋戦争は違う。 太平洋戦争は、「侵略国」である、 イギリス、アメリカなどの連合国、 そして同じく「侵略国」である日本との 闘いだった。 当時、イギリスもアメリカも、そして日本も 植民地を「持てる国」だったのだ。


ノーマ・ジーン・ベイカー
と日本は中国を侵略した国であると断定した認識を示した。一見日本の立場を擁護しているかのようないい方ではあるが、結論は中国に対して侵略したといういわゆる自虐史観という従来の歴史認識だ。氏はこう続ける。
『ワシントン・ポスト』は、 「あの戦争はアメリカにとって正しい戦争だった」 という前提で安倍さんを批判した。 日本という「悪い国」を、 アメリカをはじめ連合国が やっつけたということなのだろう。 だから敗戦後、日本人は次々に 戦犯として裁かれた。 極東軍事裁判では、 「平和に対する罪」という罪名のもと、 A級戦犯が処刑された。
これもまた間違っている、 と僕は考えている。 そんな罪は、太平洋戦争の 前まではなかった。 連合国側が「平和に対する罪」を作り、 そして過去にさかのぼって、 日本を裁いたのだ。 今でいえば「事後法」で、 そんな裁きは到底、許されることではない。だが、その裁判の結果を 日本は受け入れた。 受け入れたことで日本は、 1951年、独立を認められる。 敗戦した国は弱いのだ。
細かいことをいえば批判できるが、対米英戦争(大日本帝国は国会でこの戦争を大東亜戦争と呼称するように決議したので公式には大東亜戦争が正しいが)を自衛戦争として肯定していること、及び極東国際軍事裁判がインチキだといっていることは評価できる。この論考を木走正水(きばしりまさみず)氏は批判をしている。
この国の言論界に影響力を持つ著名ジャーナリストのお1人・田原総一朗氏ともあろう人が、戦後日本が受け入れて独立が認められた極東軍事裁判の結果を、そしてここまで60年間曲がりなりにも国際的には平和裏に経済発展してきたことを支えた外交姿勢の中核である対米追従政策を、ここにきてアメリカに逆らいちゃぶ台返しせよとおっしゃるのでしょうか?戦後、先達達が敗戦国として焼け野原から数々の苦難を乗り越え、守り発展させて来た敗戦国日本の外交努力を、このタイミングで、アメリカに逆らって完全にひっくり返す。本気ですか。今の日本にとってこのようなキナ臭いことに優先順位を高めるべきではないし、アメリカと歴史的な価値観を根本から争うようなこと、いまの日本にそのような覚悟も余裕もないわけでしょう。

この人は歴史認識と法の正義を混同している。さらに、
安倍政権に強く警告したいです。穏健保守を自認する私は、アベノミクスを積極的に支持していますし、領土問題では中国に対しても韓国に対しても日本は妥協せず毅然と対処すべきであると思っています。だがしかし、戦後レジームの脱却、そこから帰着する極東軍事裁判結果の評価の見直し、アメリカをはじめ戦勝国を敵に回すような大立ち回りをこのタイミングで目指すとするならば、安倍政権の高支持率は急降下することは必定でありましょう。 
田原総一朗氏に反論しておきます。いまの日本には、アメリカと歴史的価値観を争うような覚悟も余裕もありませんし、そのようなことを今アメリカに強く主張することが、日本の国益に沿うとは到底思えません。
東京裁判については多くの(ほとんどと言っても過言ではない)国際法学者から批判がありオーストラリアの弁護士エドワード・セント・ジョンなどは広島に国際軍事裁判を設置したという仮想法廷で、ドレスデン爆撃による残虐行為でチャーチルをポーランド、バルト3国、フィンランド、及び日本に対する殺戮行為でスターリンを、また広島、長崎に対する殺戮行為でトルーマンを告発し有罪としている。

特に木走正水氏は「アメリカと歴史的価値観を争うような」とことをいうと、アメリカと戦争になるという非常に幼稚な理論で安倍政権に強く警告したいですと述べているが、"war of aggression"の定義、さらにそれが犯罪であるという法理は現在まだ成立していないというのが多くの有力な国際法学者の間の見解なのだ。なので安倍総理は「定まっていない」と事実を述べたのだ。どやら木走正水氏のロジックだと科学的事実を首相が述べると戦争になるらしい。

また木走正水氏のエントリーに「戦争の総括について」というエントリーで津上俊哉氏が木走正水氏を補完するかたちで批判している。
これは「日中戦争は侵略で申し訳なかったが、太平洋戦争は『普通の戦争』で、悪びれるところはない」といういわゆる「二つの戦争」論だ。
真珠湾攻撃のニュースを聞いた少なからぬ日本人が「カラリと晴れた」気分になったというから、当時もいまもそう考える日本人は多いのだろう(かく言う私も昔はそう考えていた)。でも、「二つの戦争」論は日本人独特の史観で、百回唱えても他国に理解されることはないと思う。世界通用の理解は、日本の対中侵略が(植民地が多数残 存していた当時の感覚からしても)許される限界を越えてしまったことが「太平洋戦争」を導いた、ということであり、「あの戦争は(連続した)一つ」なので ある。
相変わらず世界通用の理解は、日本の対中侵略が…、と自身の理解が世界標準であるかのような記述をされているが、もし支那事変が侵略戦争(繰り返すが国際法には「侵略」という概念はない、日本語訳だけが恣意的に「侵略」という言葉を使っている)であるならば、国連加盟国のほとんどが「侵略」 国になってしまう。国際法では侵略戦争(外務省訳)のことを"war of aggression"で、「相手国の正当な権利を侵害するかたちにおいて相手国を攻擊すること」ということだ。侵略の意味する「侵入して略奪すること」ではない。

さらに不戦条約下において行われた第二次世界大戦は全て自衛戦争である。それは不戦条約を批准するにおいてアメリカは「自衛戦争」かどうかはアメリカ(自国のみ)が決定できるという条件を各国に求めた。つまり大東亜戦争は開戦の詔勅で、
帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ
帝国の存立も、まさに危機に瀕することになり、ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない、と宣言したわけだから、不戦条約に従って自衛戦争をしたのだ。もちろん満洲事変をも含んで「日本が侵略をした」とは国際法では証明できない。それどどころか、"war of aggression"は不戦条約では不法行為となりましたが(それすら反論があり不法行為ですなないという学者もいる)犯罪ではない。元通産官僚の津上氏は不法行為と犯罪の区別すらできていない。

津上氏は、
2)極東軍事裁判が「平和に対する罪」という事後法でA級戦犯を処断したのは間違っている
この論法の最大の問題は、極東軍事裁判が、敗戦国日本が選び取ったディールだったことを等閑視する点である。もちろん喜々として選んだ訳ではなく、やむを得ざる選択ではあったが。それは戦争の責任追及を最小に限定するためのディールだった。当時の日本のエスタブリッシュメントの心情としては、昭和天皇の責任追及を避ける(国体護持)というのがいちばん大きかっただろうが、それだけではない。寛大な講和条件で、しかも早期に主権を回復して国際社会に復帰するため、というのも大き かった。逆に言えば、敗戦後、米国を始めとする連合国側に向かって「日本は悪くない」と言い張れば、昭和天皇は処刑されていたかもしないし、賠償は軽めの 「役務賠償」(日本経済にとっては「特需」だった)などでは済まず、占領(“Occupied Japan”)が永く続いていただろう。そうなっていたら、戦後の日本国民はどれほど苦しんだか。その意味では、戦前、マスコミの煽動に乗って、「対中進出」を好戦的に支持した日本国民を免罪する意味もあった。そういうディールにするために、当時のエスタブリッシュメントがやったことは、生贄(A級戦犯)を差し出すことだった。戦犯調査に当たっていた占領軍当局には、A級戦犯たちの責任の重さを断罪する大量の密告が届いたことを、ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」が活写している。A級戦犯たちは、占領軍だけでなく、同胞による見えない包囲網がジワジワと狭められていく(「罪をかぶって死んでくれ」)のを感じていたはずである。
津上氏には国の名誉ということは頭にないらしい。法の正義はどうなるのだろう。個人は名誉はどうなるのだろう。もし氏のいうところのエスタブリッシュメントの心情、國體護持がなったのであれば今度は故人の名誉を回復に努めるのが子孫の義務ではないだろうか。
戦後日本は、昭和天皇にも一般国民にもあった戦争責任をA級戦犯にかぶせて復興を図った。そのディールで復興を遂げて経済大国に復活したいまになって、一 部の政治家のように「あの戦争は自衛戦争だった、日本は悪くない」と言うのは、レストランで出された食事を平らげ勘定を済ませた後で、「自分が食べたかっ た料理じゃなかった(金を返せ)」と言うようなものだ。占領当時にそれを言っていたら、いまの日本はなかった。当時そう思ったからこそ、ディールしたのが 我々の先代ではないか。疚しいのは当たり前だが、疚しさから逃れるために、いまさら「日本は悪くなかった」と言うのは卑怯だ。
昭和天皇にも一般国民にもあった戦争責任と断言しているが、戦争責任と敗戦の責任を混同している。戦争責任なるものはいかなる定義でいっているのか、それは開戦の責任か?はたまた戦争そのものに対する責任か?東條大将は「敗戦の責任はすべて予にある」といったが、「戦争の責任」とはいっていない。それでは国家の命令で戦争した戦闘員すべて責任はあるのか?あるわけがない、ましてや一般国民にあるわけもない。官僚が失敗した政策は国民にもその責任があると元官僚がいっているわけであきれてものもいえない
田原氏が言う「あの戦争の総括」はやったらよい。しかし、それは、極東軍事裁判が敗戦国日本が選び取ったディールでもあった重い歴史を振り返るものであるべきだ。
国民が語る歴史は物語でも構わない。しかし国家となればそうはいかない。歴史的事実と真実は違うかもしれないが、法的な事実は確定可能だ。極東国際軍事裁判所は管轄権の問題、法手続きの問題、公正さの問題(同じ罪で連合国側は全く訴追されなかった)。裁判所条例の法的根拠など裁判所の正統性が全く整っていないものだ。

津上氏がいうように敗戦国日本が選び取ったディールだったとしても、後世の私達がその汚名を晴らすことはむしろ義務だ。連合国によって処刑戦死(国際法では講和条約締結時までを戦闘状態とするので戦死がだとうだろう)された方々はきっとそれを望んでおられるだろう。

三者は三者とももしかすると日本を擁護、国益の伸長を考えておられるかもしれないが、その根拠となる国際法の認識と開戦の詔勅に宣言された日本の戦争目的をもう一度見直されたほうがいいのではないだろうか。

「おっしゃ Let's 世界征服だ~」 と歌う、きゃりーぱみゅぱみゅのインベーダーインベーダーは事後法で侵略的思想だとなり死刑判決を受けた。そんなジョークが極東国際軍事裁判所の諸判決なのだ。

参考
世界がさばく東京裁判

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日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 前文

これから日本国の新憲法草案を提案しよう。どうしてそう思ったかは単純だ、今の日本国憲法は近代憲法の要件を満たしていないと思われるからだ。近代における国家は主権者である国民の国家形成への強い意志によって成り立っているとする。―するとしたのはもっと奥深い部分では違うと考えているが、近代に対応するためにそう仮定することにしよう。

近代思想において国家は、たとえ国民がひとりでも、国民意志があれば形成することができるとされる。しかしそれは利己的な個人意志ではない。五箇条の御誓文で公論と示された、意志を国民主権では民意というのであって、それがなければ近代国家は存在しないのである。さらにその意志は個々人の中にある不条理で熱い志であり、それを顕現しあるいは不当な隷属の強要から擁護されなければならないと考えている。

そして近代における憲法はその国家を統治する権力を制限するために制定するものであり、国民から政治権力への手紙であり、もっと強く表現すれば命令書として機能するのもである。よって国民が必ずしも従うべきものではないという性質のものである。
統治体というのは国際的には近代国民国家が国際関係を維持するため、またはその関係が破綻した場合に起きる紛争を解決したり、戦争を遂行し条約を締結するための代表府である。同時に国内においては共同体秩序を維持発展させるために制度や法律を制定する立法府、制定された法律をもとにそれを執行する行政府、そして行政が正しい手続きで行われているかを監視したりあるいは手続きの瑕疵を判断する裁判所などの組織のことである。

しかしこれらの組織は主権者である国民の自由を拘束したり法律を不当に行使したりする可能性があるので主権者は組織に対し、してはいけないことと、積極的にしなければならないことを文書によって命令する、それが憲法の本質なのである。そういう視点をもって世界最初の憲法らしい憲法であるアメリカ合衆国憲法と戦後アメリカの占領下制定された日本国憲法を比較してみよう。

アメリカ合衆国憲法(日本語訳)
前文
われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。The Constitution o…

国際関係論で論じられる理想主義

リベラリズムほど解釈が多様にある言葉はないと思う。日本語では自由主義と訳される場合が多いのだが、昨今では自由主義とリベラリズムは対立する政治姿勢ともいえる。よって自由主義をリバタリアニズムと呼ぶのが一般的になりつつある。本稿の場合はリベラリズムを社会自由主義的な用法、ようするに国際関係論で論じられる理想主義として論じることにする。

20世紀の戦争 20世紀は戦争の世紀と呼ばれるように産業革命による技術革新が戦争を巨大化、無慈悲化させた。世界は巨大化・無慈悲化する戦争に対して、一定の規則を締結したが、その後に勃発した第一次世界大戦は大規模かつ無慈悲な消耗戦によりヨーロッパ社会に大きな衝撃を残した。

第一次世界大戦の塹壕戦や化学兵器の使用は、ただ敵を消耗させるための戦略で、それまでの戦争とは様相が大きく変化した。戦争は国家が軍に命令して、軍が名誉をかけて行う営みから、国家国民全体で行う営み全体戦争つまり総力戦へと変容した。

パリ不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)は大戦のような悲惨な戦闘を二度と繰り返さないために交戦国、非交戦国も含めて63カ国が署名した。目的は戦争の違法化、特に侵攻戦争の違法化を目指したが、最終的には侵攻戦争を非難するにとどまった。


貧困が戦争を起こす もし社会が現状で固定されるとしたら、現在比較的幸福な人はいいが、もし不幸な人はどうだろうか。それはその人の希望を奪い去ることになる。国家同士の戦争もある一面では現状に満足できない国家と、それを阻止しようとする国家の営みといえる。

第一次大戦後ヨーロッパの比較的裕福な人々の間で戦争が二度と起こらないように、家族友人の死、あるいは戦争による破産などの不幸をなくすには、どうしたら良いか考えられたのは自然なことだ。そして彼らは結論した。「貧困が戦争を起こす」。

大戦中ロシアでは革命が起こりソ連邦が誕生する。国民(ソ連に国民がいたかは定かでないが)に貧困のない平等な生活を提供する統治体の出現に、ヨーロッパのエシュタブリッシュメントは期待と不安の眼差しを向ける。
リベラリズムの誕生 フランス革命の惨劇を経験しているヨーロッパの裕福な人達は、現状を維持しながら戦争を防止する政治体制の確立を急いだ。そのような背景でリベラリズム理論が誕生することになる。その理論は金持ちはそのまま、貧乏人はもう少しお金持ちにすることだ。

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 第1章

近代憲法は、主権者である国民の意志として、組織される政府に対する命令書なので、前文は、その意志を表現したものがふさわしい。そしてその目的を明確にする必要がある。さらにその目的のために、憲法を制定するわけなので、そういうことを頭に入れたうえで、再び前文を読むと、合衆国憲法は、

われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここに アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。
目的意志がシンプルかつ明確に表現されている。これと比較して、日本国憲法における国民意志もしくは達成したい目的は、

政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。に色濃く現れ、

これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
が次にくる。なぜわざわざ一切の憲法と法令と詔勅と断る必要があるのだろうか。ここにこの憲法を制定した意志があるのではないだろうか。そして最後には、

国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

目的を達成することを、宣言命令するのではなく誓ふ。さらに誓ふ対象も明記されていない。我々日本国民は、誰に対して目標を達成することを誓ふのだろうか。 これに答えを出せる憲法学者や国会議員が、我が国にはどれほどいるのだろうか。国民はそれを疑問とも考えていないのだろか。

第 1 章はその意志を具体化する、そして目的を達成するための第一歩ということだ。最重要なことを最初に申し述べているのである。アメリカ合衆国にとって最重要なことは法の支配、法による秩序であり、日本国では天皇―スメラミコトによる秩序―これをしらすという―であるということだ。大日本国憲法では、

大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

と統治の根拠となる天皇が過去、現在、未来に渡つて、日本国と日本民族の秩序の源であることを示している。この場合の統治とは伊藤博文が解説するように、しらすであり現実的な権力、うしはくと厳密に分けなければならないのである。

合衆国憲法は合衆国の秩序は法によって護られるゆえ、第 1 章では立法府についての規定が列記される。一方、日本国憲法では天皇についての条項が…

年次改革要望書

サイトで偶然みつけた原文の、いわゆる「年次改革要望書」だが、TPPと比較してみても面白い。アメリカの戦略なのか執念なのか、はたまた信仰なのか、1994年からもう20年くらいやってる市場開放交渉だ。我国政府も辛抱強くそれに対応していることがわかる。

TPPとはなにか ―GATT・WTO体制から考えるTPP

TPPというのはWTOが認めるGATT体制の例外で、自由貿易協定や関税同盟などの地域貿易協定のことだ。そのことについての議論が国会の場でもあまりされていないように思う。おがた林太郎元衆議院議員のブログそもそもFTAとはというエントリーがあり、自由貿易協定の根拠はガット24条だということを知らない議員が多いと指摘している。

経済産業省の説明では自由貿易協定(FTA: Free Trade Agreement)と関税同盟(Customs Union)を総称して地域貿易協定としている(RTA: Regional Trade Agreement)が、これらはGATT・WTO体制の例外として認められている協定で、それを規定しているのがガット24条という事になる。経済産業省のHPに関税及び貿易に関する一般協定、GATTの翻訳が掲載されている。
この協定の適用上、
(a) 関税同盟とは、次のことのために単一の関税地域をもつて二以上の関税地域に替えるものをいう。
(i) 関税その他の制限的通商規則(第十一条、第十二条、第十三条、第十四条、第十五条及び第二十 条の規定に基いて認められるもので必要とされるものを除く。)を同盟の構成地域間の実質上のすべての貿易について、又は少くともそれらの地域の原産の産品 の実質上のすべての貿易について、廃止すること。
(ii) 9の規定に従うことを条件として、同盟の各構成国が、実質的に同一の関税その他の通商規則をその同盟に含まれない地域の貿易に適用すること。
(b) 自由貿易地域とは、関税その他の制限的通商規則(第十一条、第十二条、第十三条、第十四条、第十五条 及び第二十条の規定に基いて認められるもので必要とされるものを除く。)がその構成地域の原産の産品の構成地域間における実質上のすべての貿易について廃 止されている二以上の関税地域の集団をいう。 TPPも含む地域貿易協定の根拠は24条にある。つまりTPPにも最恵国待遇が適用されるということだ。一応経産省のHPから最恵国待遇のPDFにリンクを張る。

WTOはその前進であるGATT(General Agreement on Tariffs and Trade) 関税及び貿易に関する一般協定が機関に昇格したものだが、実は国際通貨基金、世界銀行と並びブレトン・ウッズ体制の枠組みとして発足する…

TPPを締結できるか ―日本国憲法から考える

日本国憲法はその制定過程に疑義があるが、陛下の御名御璽のもと、施行されたのであるから、現在の政府はそれを遵守しなければいけないことは当然だ。しかし今回TPPについての議論を憲法の論点から整理をしながら思うことは、憲法を国会議員が全く意識していないし、ましてや遵守など微塵もされていないことに愕然とする。条文は、
第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。 つまり、政府関係者は尊重擁護する義務があるのだが、自らの権限範囲つまり既得権擁護の議論にしか終始していないことには悲しみを覚える。

まずTPPなどの多国間協定は名は協定だが国家間の約束であるから、条約法に関するウィーン条約で定義される「条約」である。
第二条 用語
1 この条約の適用上、
(a) 「条約」とは、国の間において文書の形式により締結され、国際法によつて規律される国際的な合意(単一の文書によるものであるか関連する二以上の文書によるものであるかを問わず、また、名称のいかんを問わない。)をいう。 さらに関税などの通商に関わる条約を通商条約といい、現在はWTO・GATTで規定されている。日本国憲法では、条約などの外交交渉は、内閣の専権事項である。
第七十三条 
三  条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。 しかし、内閣は事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とするとあるように、締結した条約の批准は国会の権限になる。国会が批准しなければ国内的な効力は発生しない。

日本国政府は世界貿易機関を設立するマラケシュ協定を締結批准しWTOの構成国である。これは憲法の九十八条第2項の規定により国内法を改正して対処しなければならない。
第九十八条  この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2  日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。 しかし憲法の条規に反する如何なる法律、命令、詔勅、及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しないとあるように、もし内閣が事後承認を要求した場合、締結した条約は国際的な効力を発生させるとされるのだが、国内的…

小和田恒悪玉論を問う ―衆 - 外務委員会 - 1号 昭和60年11月08日 その2

引き続き、村田春樹さんが國民新聞に書いた記事「小和田恒悪玉論を問う」への激励投稿を続けたいと思う。さて国会会議議事検索システムで昭和60年11月8日衆議院外務委員会の土井たか子委員の質問に対する答弁を検証しよう。

北朝鮮は日本の脅威ではない

北朝鮮の核開発問題は、日本にいろいろな教訓と示唆を与えてくれる。現在日本は、米韓と共に北朝鮮と対峙しているが、日本は、北朝鮮となぜ敵対しているのか、本当の敵は北朝鮮なのかという根本的な命題は、マスコミはじめ識者でも語られないままだ。今回はその辺を整理しよう。


北朝鮮問題の歴史的経緯 朝鮮民主主義人民共和国建国 1910年8月29日、大韓帝国は、日韓併合条約を専制君主である皇帝純宗が裁可することで、大日本帝国との合邦国となった。1945年4月12日、米国は、大日本帝国敗戦後の朝鮮半島統治に関して38度線での分割統治を提案する。1948年9月9日朝鮮民主主義人民共和国の成立は、その年の8月15日大韓民国の成立とともに、朝鮮半島における米ソの対立をより明確にすることになった。

共産主義による世界統治の実現のため、1950年6月ソ連及び、1949年に建国した中華人民共和国の支援を受けて、38度線を越境し大韓民国に進攻戦争を開始して朝鮮戦争が勃発する。大韓民国に駐留していた米軍を中心に国連軍―正式な手続きを経ていないので実質は国連派遣軍若しくは多国籍軍、が組織され、これを迎撃することになる。



朝鮮戦争 1950年6月25日宣戦布告なしに38度線で北朝鮮ソ連中国連合軍の砲撃が開始され、10万を超える兵力が38度線の越境を開始する。当時の韓国軍は兵力約11万人で装備は脆弱であった。さらに、北朝鮮のスパイ掃討戦や軍内部のスパイ粛清で士気は疲弊していた。米国及び国連は動揺するが、6月27日には国連安保理で北朝鮮を侵略者と認定して、その行動を非難する。さらに軍事行動の停止と軍の撤退を求める「国際連合安全保障理事会決議82」を賛成9反対0:棄権1の全会一致で採択した―ソ連は欠席。
韓国軍の崩壊と国連軍の敗走 韓国の李承晩大統領は、6月27日南朝鮮労働党関係者の処刑を命じ、韓国軍や韓国警察によって共産主義者の嫌疑をかけられた20万人から120万人に上る民間人を裁判なしで虐殺した―保導連盟事件。同時に、ソウルを放棄して水原に遷都した。このとき漢江にかかる橋を避難民ごと爆破した―漢江人道橋爆破事件。これにより漢江以北には多数の軍部隊や住民が取り残され、韓国軍の士気がさらに下がることになる。

国連軍を指揮した、マシュー・リッジウェイ将軍は、退却する韓国軍が放棄した装備は、数個師団だったと述べ…

農協は必要か ―農業保護政策は農家保護ではなく、農林水産省OBとJA職員の保護にすぎない

この冬、北海道にずいぶん出張したのだが、その時聞いた話題を提供しようと思う。

通州事件の体験記 ―気の弱い人は讀まないでください

通州事件は 、1937年(昭和12年)7月29日に発生した事件で、冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)による日本軍部隊・特務機関に対する襲撃と、それに続いて起こった日本人居留民に対する虐殺事件である。その体験記がある。讀むのも恐ろしい体験が綴られているのだが、歴史的事実を知るには貴重な記録であるので本誌の読者にも紹介する。あまりも惨たらしい体験記なので気の弱い人は讀まない方がいいと思ふ。
日本人皆殺しの地獄絵 私は大分の山の奥に産まれたんです。すごく貧乏で小学校を卒業しないうちにすすめる人があって大阪につとめに出ることになりました。それが普通の仕事であればいいのですけど、女としては一番いやなつらい仕事だったので、故郷に帰るということもしませんでした。そしてこの仕事をしているうちに何度も何度も人に騙されたんです。小学校も卒業していない私みたいなものはそれが当たり前だったかも知れません。それがもう二十歳も半ばを過ぎますと、私の仕事のほうはあまり喜ばれないようになり、私も仕事に飽きが来て、もうどうなってもよいわいなあ、思い切って外国にでも行こうかと思っているとき、たまたまTさんという支那人と出会ったのです。

このTさんという人はなかなか面白い人で、しょっちゅうみんなを笑わしていました。大阪には商売で来ているということでしたが、何回か会っているうち、Tさんが私に『Sさん私のお嫁さんにならないか』と申すのです。

私は最初は冗談と思っていたので、『いいよ。いつでもお嫁さんになってあげるよ。』と申しておったのですが、昭和七年の二月、Tさんが友人のYさんという人を連れて来て、これから結婚式をすると言うんです。そのときは全く驚きました。冗談冗談と思っていたのに友人を連れて来て、これから結婚式というものですから、私は最初は本当にしなかったんです。

でも、Yさんはすごく真面目な顔をして言うのです。Tさんは今まで何度もあなたに結婚して欲しいと申したそうですが、あなたはいつも、ああいいよと申していたそうです。それでTさんはあなたと結婚することを真剣に考えて、結婚の準備をしていたのです。それで今日の結婚式はもう何もかも準備が出来ているのです。とYさんは強い言葉で私に迫ります。

それでも私は雇い主にも相談しなくてはならないと申すと、雇い主も承知をして今日の結婚式には出ると申すし、少しばかりあっ…