正しいTPP止め方 ―違憲立法審査権

すでに交渉が始まって年内目標に妥結といっているにもかかわらず、議会もマスコミも巷間も内容ばかりに注目が集まつているように思う。条約が我が国の法律にどのような影響があるのか、その法律は違憲立法ではないのかの議論が不可欠なのだが。本来なら国会の場で行われるべき議論だがやってみよう。まず条約が効力を発行するためにはどのような手続きが必要になるのだろうか?

条約が多国間でありまた、我が国が外交に配慮して事前承認の手続き採用することを前提にすると、採択→署名→国会への提出→国会の承認→締結→効力の発生すなわち拘束の同意となるだろう。前稿で憲法違反な条約は無効といったが、それは我が国憲法に違反する立法は無効だということだ。違憲立法審査権は我が国では憲法81条によって最高裁判所に委託されている。
第81条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。
違憲立法審査(他に違憲法令審査、法令審査、司法審査)権は19世紀初頭アメリカで始まったと制度とされている。なぜアメリカかというと、19世紀ヨーロッパは議会の世紀とよばれ、議会の権威が高く国民の信頼を得ていた。よって裁判所による違憲立法審査という制度は存在し得なかったのである。議会による立法が人権侵害を引き起こしたファシズムの教訓から第2次大戦後立憲諸国が採用したことが契機だ。

違憲審査には狭義に付随的違憲立法審査と憲法裁判所制、前者はアメリカ型と後者をドイツ型と呼れている。アメリカ型とは通常の裁判所が具体的な訴訟事件で手続き中、その訴訟の判決に必要な限りにおいて、違憲立法審査権を行使する制度をいう。アメリカ型は第一義的に個別の憲法上の権利救済であり、それを通じて憲法規範の客観的保障もされる。ドイツ型とは憲法裁判所が、違憲立法審査を通常の訴訟事件とは離れて抽象的に法令や国家行為の違憲審査を憲法裁判所が行うものである。憲法裁判所制は第一義的に憲法秩序の保障審査を二義的に基本権の保護機能を果たすことになる。では我が国はどちらに属すのか?

学説を調べると、最高裁判所にドイツ連邦憲法裁判所のような抽象的違憲立法審査権が与えられているか、それとも通常の訴訟事件解決に必要な限りでの審査権なのかという論点でまず通説はアメリカ型の付随的違憲立法審査権限にとどまるというものだ。さらに少数ではあるが、独立審査権説として最高裁判所には、法令等の合憲性を抽象的に判断する権限まで付与されているとするもの、81条は最高裁判所に憲法裁判所的な機能を与えてはいないが、しかしそれを禁ずるような文言も見当たらないので、法律や裁判所規則等でそれを定めれば憲法裁判所の権能を果たせるというもの。

我が国は通説通り付随的違憲立法審査権のみが最高裁判所に権能として付与されるとしている。それは司法の観念は流動的ではあるが、元来「具体的事件の解決」が目的である。抽象的違憲審査権は司法を超える第四権的性格がある。であるならば憲法に何らかその手続き記述が必要であるだろう、というのが妥当な解釈だろう。

違憲審査の対象は、 81条にある通り、一切の法律、命令、規則又は処分とある。法律とは国会が制定する実定法であり、命令規則はそれ以外の抽象的規範を広く指しているとしている。処分とは公権力による個別具体的な法規範の行為を指すが、行政機関ばかりでなく、司法機関、立法機関の行為も含むとされる。勿論裁判所の判決も処分も含まれると解釈されている。

さてここからが本題だ。条約の扱いはどうか?学説には条約優位説、憲法優位説があるが、前回憲法優位だということを述べた。さらに憲法優位の立場でもいくつかの立場がある。条約の文言が81条にないこと、国家間の合意という極めて政治的な内容を含むので違憲審査に相応しくないするもの、条約は規則処分に含まれるとするのも、さらに人権保障に侵害的な内容を含む条約には審査権が及ぶとするものがある。

今日は最後に示した解釈が有力となっている。注意が必要なのは違憲審査が国内的効力の問題で国際的効力に及ばないということだ。ということは逆にセルフ・エキュゼキューティングな条約(条約の内容がそのまま国内法と同様に適用されるもの)には国内的効力について違憲審査の対象となることは間違いないだろう。

判例があり、砂川事件は旧日米安保条約が合憲か違憲かで争われた裁判で、第一審は違憲判決を言い渡した。これは憲法優位説の立場を明確にしている。しかし最高裁判所は高度の政治的理由で差し戻した。これは高度の政治性理由にしており、条約が違憲審査の対象であることは是認しているとみることができる。しかし同時に本判決は統治行為が政治問題と観念し、それについて法的判断が可能であっても司法審査すべきではないという見解も示している。では統治行為とは何ことを云うのか。
  • 内閣に関する基本事項
  • それらの運営に関する基本事項
  • それらの相互交渉に関する事項
  • 国家全体の運命関わる基本事項
が学説である。これらの事項には司法が判断をすべきではないというのが有力な学説なのである。国家が統治行為を主張した例は多いが、判例では砂川事件と苫米地事件は高度な政治的判断すなわち統治行為を認めた判決である。

TPPの国会承認に当てはめるとどうなるか。まずTPPは高度ではあるが経済連携交渉であることは統治行為ではないといえる。であるならばセルフ・エキュゼキューティングな条約であるTPPは違憲審査の対象となると判断できる。それは日本の最高裁判所に付与されているアメリカ型の付随的違憲立法審査権による違憲立法審査が可能だということだ。しかしそれは抽象的かつ包括的に違憲審査をする権限ではなく、個別の訴訟に対し必要に応じてされるものであるから、具体的訴訟を起こす必要がある。

国会に提出された条約の承認に関する提案が個別の国内法の変更を要請するものであるならば、変更される国内法が違憲かどうかの判断を国会は議論する必要がある。議論の末、合憲と判断され承認がされた場合でも、その事案に対し訴訟を起すことで司法による違憲審査がなされることになる。しかし安倍総理が米国政府から核の傘のような高度な安全保障問題との取引を強制されるような申し出があったことを理由に統治行為とする場合も考えられる。その場合は司法は違憲審査判断をしないことになる。

私はTPPの交渉内容には日本国憲法が認めている基本権を侵害する内容が包括されていると考えている。よって国会はこれを事前に承認することは難しいと考えている。しかし内閣政府はこれをどうしても締結しなければ、国の安全保障上の問題があるとすれば高度な政治判断、つまり統治行為としてTPPを違憲対象から外す事もできる。もしそうならば日本は屈辱的な恫喝によって憲法の精神を踏みにじることになる。何れにしても国民はマスコミに戯言に踊らされる事のないように平素から立法行為に目を光らせる必要があるのではないだろうか。