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正しいTPP止め方 ―違憲立法審査権

すでに交渉が始まって年内目標に妥結といっているにもかかわらず、議会もマスコミも巷間も内容ばかりに注目が集まつているように思う。条約が我が国の法律にどのような影響があるのか、その法律は違憲立法ではないのかの議論が不可欠なのだが。本来なら国会の場で行われるべき議論だがやってみよう。まず条約が効力を発行するためにはどのような手続きが必要になるのだろうか?

ノーマ・ジーン・ベイカー
条約が多国間でありまた、我が国が外交に配慮して事前承認の手続き採用することを前提にすると、採択→署名→国会への提出→国会の承認→締結→効力の発生すなわち拘束の同意となるだろう。前稿で憲法違反な条約は無効といったが、それは我が国憲法に違反する立法は無効だということだ。違憲立法審査権は我が国では憲法81条によって最高裁判所に委託されている。
第81条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。
違憲立法審査(他に違憲法令審査、法令審査、司法審査)権は19世紀初頭アメリカで始まったと制度とされている。なぜアメリカかというと、19世紀ヨーロッパは議会の世紀とよばれ、議会の権威が高く国民の信頼を得ていた。よって裁判所による違憲立法審査という制度は存在し得なかったのである。議会による立法が人権侵害を引き起こしたファシズムの教訓から第2次大戦後立憲諸国が採用したことが契機だ。

違憲審査には狭義に付随的違憲立法審査と憲法裁判所制、前者はアメリカ型と後者をドイツ型と呼れている。アメリカ型とは通常の裁判所が具体的な訴訟事件で手続き中、その訴訟の判決に必要な限りにおいて、違憲立法審査権を行使する制度をいう。アメリカ型は第一義的に個別の憲法上の権利救済であり、それを通じて憲法規範の客観的保障もされる。ドイツ型とは憲法裁判所が、違憲立法審査を通常の訴訟事件とは離れて抽象的に法令や国家行為の違憲審査を憲法裁判所が行うものである。憲法裁判所制は第一義的に憲法秩序の保障審査を二義的に基本権の保護機能を果たすことになる。では我が国はどちらに属すのか?

学説を調べると、最高裁判所にドイツ連邦憲法裁判所のような抽象的違憲立法審査権が与えられているか、それとも通常の訴訟事件解決に必要な限りでの審査権なのかという論点でまず通説はアメリカ型の付随的違憲立法審査権限にとどまるというものだ。さらに少数ではあるが、独立審査権説として最高裁判所には、法令等の合憲性を抽象的に判断する権限まで付与されているとするもの、81条は最高裁判所に憲法裁判所的な機能を与えてはいないが、しかしそれを禁ずるような文言も見当たらないので、法律や裁判所規則等でそれを定めれば憲法裁判所の権能を果たせるというもの。

我が国は通説通り付随的違憲立法審査権のみが最高裁判所に権能として付与されるとしている。それは司法の観念は流動的ではあるが、元来「具体的事件の解決」が目的である。抽象的違憲審査権は司法を超える第四権的性格がある。であるならば憲法に何らかその手続き記述が必要であるだろう、というのが妥当な解釈だろう。

違憲審査の対象は、 81条にある通り、一切の法律、命令、規則又は処分とある。法律とは国会が制定する実定法であり、命令規則はそれ以外の抽象的規範を広く指しているとしている。処分とは公権力による個別具体的な法規範の行為を指すが、行政機関ばかりでなく、司法機関、立法機関の行為も含むとされる。勿論裁判所の判決も処分も含まれると解釈されている。

さてここからが本題だ。条約の扱いはどうか?学説には条約優位説、憲法優位説があるが、前回憲法優位だということを述べた。さらに憲法優位の立場でもいくつかの立場がある。条約の文言が81条にないこと、国家間の合意という極めて政治的な内容を含むので違憲審査に相応しくないするもの、条約は規則処分に含まれるとするのも、さらに人権保障に侵害的な内容を含む条約には審査権が及ぶとするものがある。

今日は最後に示した解釈が有力となっている。注意が必要なのは違憲審査が国内的効力の問題で国際的効力に及ばないということだ。ということは逆にセルフ・エキュゼキューティングな条約(条約の内容がそのまま国内法と同様に適用されるもの)には国内的効力について違憲審査の対象となることは間違いないだろう。

判例があり、砂川事件は旧日米安保条約が合憲か違憲かで争われた裁判で、第一審は違憲判決を言い渡した。これは憲法優位説の立場を明確にしている。しかし最高裁判所は高度の政治的理由で差し戻した。これは高度の政治性理由にしており、条約が違憲審査の対象であることは是認しているとみることができる。しかし同時に本判決は統治行為が政治問題と観念し、それについて法的判断が可能であっても司法審査すべきではないという見解も示している。では統治行為とは何ことを云うのか。
  • 内閣に関する基本事項
  • それらの運営に関する基本事項
  • それらの相互交渉に関する事項
  • 国家全体の運命関わる基本事項
が学説である。これらの事項には司法が判断をすべきではないというのが有力な学説なのである。国家が統治行為を主張した例は多いが、判例では砂川事件と苫米地事件は高度な政治的判断すなわち統治行為を認めた判決である。

TPPの国会承認に当てはめるとどうなるか。まずTPPは高度ではあるが経済連携交渉であることは統治行為ではないといえる。であるならばセルフ・エキュゼキューティングな条約であるTPPは違憲審査の対象となると判断できる。それは日本の最高裁判所に付与されているアメリカ型の付随的違憲立法審査権による違憲立法審査が可能だということだ。しかしそれは抽象的かつ包括的に違憲審査をする権限ではなく、個別の訴訟に対し必要に応じてされるものであるから、具体的訴訟を起こす必要がある。

国会に提出された条約の承認に関する提案が個別の国内法の変更を要請するものであるならば、変更される国内法が違憲かどうかの判断を国会は議論する必要がある。議論の末、合憲と判断され承認がされた場合でも、その事案に対し訴訟を起すことで司法による違憲審査がなされることになる。しかし安倍総理が米国政府から核の傘のような高度な安全保障問題との取引を強制されるような申し出があったことを理由に統治行為とする場合も考えられる。その場合は司法は違憲審査判断をしないことになる。

私はTPPの交渉内容には日本国憲法が認めている基本権を侵害する内容が包括されていると考えている。よって国会はこれを事前に承認することは難しいと考えている。しかし内閣政府はこれをどうしても締結しなければ、国の安全保障上の問題があるとすれば高度な政治判断、つまり統治行為としてTPPを違憲対象から外す事もできる。もしそうならば日本は屈辱的な恫喝によって憲法の精神を踏みにじることになる。何れにしても国民はマスコミに戯言に踊らされる事のないように平素から立法行為に目を光らせる必要があるのではないだろうか。

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国際関係論で論じられる理想主義

リベラリズムほど解釈が多様にある言葉はないと思う。日本語では自由主義と訳される場合が多いのだが、昨今では自由主義とリベラリズムは対立する政治姿勢ともいえる。よって自由主義をリバタリアニズムと呼ぶのが一般的になりつつある。本稿の場合はリベラリズムを社会自由主義的な用法、ようするに国際関係論で論じられる理想主義として論じることにする。

20世紀の戦争 20世紀は戦争の世紀と呼ばれるように産業革命による技術革新が戦争を巨大化、無慈悲化させた。世界は巨大化・無慈悲化する戦争に対して、一定の規則を締結したが、その後に勃発した第一次世界大戦は大規模かつ無慈悲な消耗戦によりヨーロッパ社会に大きな衝撃を残した。

第一次世界大戦の塹壕戦や化学兵器の使用は、ただ敵を消耗させるための戦略で、それまでの戦争とは様相が大きく変化した。戦争は国家が軍に命令して、軍が名誉をかけて行う営みから、国家国民全体で行う営み全体戦争つまり総力戦へと変容した。

パリ不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)は大戦のような悲惨な戦闘を二度と繰り返さないために交戦国、非交戦国も含めて63カ国が署名した。目的は戦争の違法化、特に侵攻戦争の違法化を目指したが、最終的には侵攻戦争を非難するにとどまった。


貧困が戦争を起こす もし社会が現状で固定されるとしたら、現在比較的幸福な人はいいが、もし不幸な人はどうだろうか。それはその人の希望を奪い去ることになる。国家同士の戦争もある一面では現状に満足できない国家と、それを阻止しようとする国家の営みといえる。

第一次大戦後ヨーロッパの比較的裕福な人々の間で戦争が二度と起こらないように、家族友人の死、あるいは戦争による破産などの不幸をなくすには、どうしたら良いか考えられたのは自然なことだ。そして彼らは結論した。「貧困が戦争を起こす」。

大戦中ロシアでは革命が起こりソ連邦が誕生する。国民(ソ連に国民がいたかは定かでないが)に貧困のない平等な生活を提供する統治体の出現に、ヨーロッパのエシュタブリッシュメントは期待と不安の眼差しを向ける。
リベラリズムの誕生 フランス革命の惨劇を経験しているヨーロッパの裕福な人達は、現状を維持しながら戦争を防止する政治体制の確立を急いだ。そのような背景でリベラリズム理論が誕生することになる。その理論は金持ちはそのまま、貧乏人はもう少しお金持ちにすることだ。

日韓併合 百年目の真実 李完用が救った大韓帝国

本年2010年8月29日は法律上の専制君主大韓帝国皇帝純宗が勅諭を発表して日本と韓国が合併したことを内外に示してから100年目にあたる。


韓国皇帝の勅諭 皇帝、若(ここ)に曰く、朕否徳にして艱大なる業を承け、臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望み無し。中夜憂慮善後の策茫然たり。此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底(いた)らん。寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せいむるに如かず。

故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、自ら断じ、茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国日本皇帝陛下に譲与し、外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。惟爾大小臣民は、国勢と時宜を深察し、煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。

朕が今日の此の挙は、爾有衆を忘れたるにあらず、専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ。爾臣民は朕の此の意を克く体せよ。

隆煕四年八月二十九日 御璽

日韓併合100年目を前に韓国の反日派からの様々な動きがあるのでまとめてみたい。

2010年5月11日のこのようなニュースを目にした。

日韓知識人が共同宣言「日韓併合は当初から無効だった」
看過できないのは多くの日本人学者が関わっているという点 …今回の声明には発起人である和田春樹東京大学名誉教授をはじめ、日韓歴史共同研究委員会の日本側の座長を務めた三谷太一郎東京大学名誉教授など105人が声明に署名している。一方、韓国ではイ・テジンソウル大学明楊教授やカン・マンギル高麗大学名誉教授、詩人の高銀氏や金芝河氏のほか、幅広い層から109人が声明に署名した。… …声明では、「併合は大韓帝国の抗議を軍事力で押さえつけたもので、韓国側が国権の譲与を申し出たとする内容も虚偽(きょぎ)である」と指摘し、日本政府が日韓併合条約について「無効」であることを認め、8月の総理談話に関連内容を盛り込むように、積極的に働き掛けるとしている。… 2010年07月18日には、

日韓併合100年で日本が韓国へ謝罪、中国も大きな注目

8月29日に日韓併合100年を迎えるにあたり、日本政府は韓国に過去の植民地統治を謝罪する方針を明らかにした。17日、環球時報は「日本は韓国側…

なぜアップル、グーグルは日本をパートナーにしないのか ―大東亜戦争敗戦の原因も同じ

アップルもグーグルもソニーの落し子 9月12日iPhone5はプレスイベントでの公開予定されているが、サムスン、「iPhone 5」のLTE関連特許侵害でアップルを提訴する構えという記事があった。記事によると、サムスンはAppleがLTE対応の製品を発売すれば提訴すると警告したことがあるという。ある業界筋はiPhone 5でのLTE対応が報じられたことを受けて、サムスンは「直ちに法的措置を取ることを決定した」という。欧州と米国が「主な対象になる」と、情報提供者は述べている。

サムスンのギャラクシーS3シリーズは、今月6日、販売2000万台突破したと報道されている。グーグルは世界戦略としてサムスンをビジネスパートナーとしているのだろうから、ある意味これはアップルとグーグルの代理戦争といえる。しかしなぜアップルはサムスンを執拗に特許侵害対象としているのだろうか。



理由は2つあると想像できる。一つはデザインが非常に似ているからだろう。iPhoneの優位性はアップルの持つ古くからのブランドイメージとデザインの訴求力だ。iPodからそうだったが、他のデバイスとの接続性など、ソニーや他のメーカーの製品の方が優れている。マイクロUSB充電に対応していないなどは他のメーカーでは負の要素なるとことが、圧倒的に女性には支持された。

結局、電話のできる音楽プレイヤーとしてiPhoneはデビューしたともいえる。彼女たちが強力に支持したのはデザインだったことはほとんど自明だろう。Felicaやら赤外線やら、云々は選択条件の訴求力にはならなかったといえる。

その肝ともいえるデザインを真似されたのでは致命的だ。操作性など少しの差はあるが、他メーカーの発売するAndroid端末との差別化はデザインしかないとまでいってもよい。よってまず搦手のサムスンを戦略対象とすることは間違ってはいない。

もう一つは、もっとビジネス的なことで、想像だが、おそら秘密保持に関する問題だろう。iPhoneにもサムスン社製の部品は使われている。サムスンはアップルから委託された調達に関する仕様書などを当然グーグル側に提供して、―合法ギリギリだろうけど、端末とOS間のやり取りに関する微妙な部分だろう、性能向上を計つたことは想像に難くない。90年代液晶に関する特許を盗みとった手口と同じだろう。

日本企業にとってサムスンとア…

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 第2章

合衆国憲法の第 2章は大統領についての言及だ。1章の議会についての言及に比べてたった4条のシンプルな条文になっている。このことからも建国当時のアメリカが大統領をどう位置づけようとしていたかが伺われる。多くのことを議会で法制化し法律に基づいて行政部門が執行させるが、国民統合のシンボルとして王に代はる象徴が必要だったということだろう。合衆国大統領の権限は思いの外少ない。

第2条[大統領の権限]

[第1項] 大統領は、合衆国の陸軍および海軍ならびに現に合衆国の軍務に就くため召集された各州の 民兵団の最高司令官である。大統領は、行政各部門の長官に対し、それぞれの職務に関するいかなる事項についても、文書によって意見を述べることを要求することができる。大統領は、弾劾の場合を除き、合 衆国に対する犯罪について、刑の執行停止または恩赦をする権限を有する。

[第2項] 大統領は、上院の助言と承認を得て、条約を締結する権限を有する。但し、この場合には、 上院の出席議員の3分の2の賛成を要する。大統領は、大使その他の外交使節および領事、最高裁判所の 裁判官、ならびに、この憲法にその任命に関して特段の規定のない官吏であって、法律によって設置され る他のすべての合衆国官吏を指名し、上院の助言と承認を得て、これを任命する。但し、連邦議会は、適 当と認める場合には、法律によって下級官吏の任命権を大統領のみに付与し、または、司法裁判所もしく は各部門の長官に付与することができる。

[第3項] 大統領は、上院の閉会中に生じるいっさいの欠員を補充する権限を有する。但し、その任命 は、つぎの会期の終りに効力を失う。

どこの政党かは失念したが、権限の少ない日本の議院内閣制では意思決定が遅く手続きが煩雑なので、大統領制にすべきだと主張されていたが 、その政党は合衆国憲法を読み直すべきだ。合衆国では議会が大きな権限を持つため、寄り合いの会長的な大統領には予算を作成する権限すらない。
一方日本国憲法の第2章は施行当時から論議を呼んだ戦争の放棄条項いわゆる平和条項だ。

第2章 戦争の放棄〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕

第9条日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目…

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 第1章

近代憲法は、主権者である国民の意志として、組織される政府に対する命令書なので、前文は、その意志を表現したものがふさわしい。そしてその目的を明確にする必要がある。さらにその目的のために、憲法を制定するわけなので、そういうことを頭に入れたうえで、再び前文を読むと、合衆国憲法は、

われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここに アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。
目的意志がシンプルかつ明確に表現されている。これと比較して、日本国憲法における国民意志もしくは達成したい目的は、

政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。に色濃く現れ、

これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
が次にくる。なぜわざわざ一切の憲法と法令と詔勅と断る必要があるのだろうか。ここにこの憲法を制定した意志があるのではないだろうか。そして最後には、

国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

目的を達成することを、宣言命令するのではなく誓ふ。さらに誓ふ対象も明記されていない。我々日本国民は、誰に対して目標を達成することを誓ふのだろうか。 これに答えを出せる憲法学者や国会議員が、我が国にはどれほどいるのだろうか。国民はそれを疑問とも考えていないのだろか。

第 1 章はその意志を具体化する、そして目的を達成するための第一歩ということだ。最重要なことを最初に申し述べているのである。アメリカ合衆国にとって最重要なことは法の支配、法による秩序であり、日本国では天皇―スメラミコトによる秩序―これをしらすという―であるということだ。大日本国憲法では、

大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

と統治の根拠となる天皇が過去、現在、未来に渡つて、日本国と日本民族の秩序の源であることを示している。この場合の統治とは伊藤博文が解説するように、しらすであり現実的な権力、うしはくと厳密に分けなければならないのである。

合衆国憲法は合衆国の秩序は法によって護られるゆえ、第 1 章では立法府についての規定が列記される。一方、日本国憲法では天皇についての条項が…

情熱的な非寛容者たち ―キリスト教の歴史

宗教と言うとキリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教、ヒンドゥー教などが浮かぶであろう。戦後の日本人は誇りと共に宗教心や宗教観も喪失してしまい、宗教と言うと多くは新興カルトしか頭に浮かばないであろう。オウム真理教は地下鉄サリン事件などいくつかの殺人事件を命令、実行したとして現在松本被告の死刑は確定しているが、過去キリスト教にそれに比べれば、いささか不謹慎の誹りを被害者ご遺族に受けるであろうが、規模もその残虐さも桁違いに違う。

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 前文

これから日本国の新憲法草案を提案しよう。どうしてそう思ったかは単純だ、今の日本国憲法は近代憲法の要件を満たしていないと思われるからだ。近代における国家は主権者である国民の国家形成への強い意志によって成り立っているとする。―するとしたのはもっと奥深い部分では違うと考えているが、近代に対応するためにそう仮定することにしよう。

近代思想において国家は、たとえ国民がひとりでも、国民意志があれば形成することができるとされる。しかしそれは利己的な個人意志ではない。五箇条の御誓文で公論と示された、意志を国民主権では民意というのであって、それがなければ近代国家は存在しないのである。さらにその意志は個々人の中にある不条理で熱い志であり、それを顕現しあるいは不当な隷属の強要から擁護されなければならないと考えている。

そして近代における憲法はその国家を統治する権力を制限するために制定するものであり、国民から政治権力への手紙であり、もっと強く表現すれば命令書として機能するのもである。よって国民が必ずしも従うべきものではないという性質のものである。
統治体というのは国際的には近代国民国家が国際関係を維持するため、またはその関係が破綻した場合に起きる紛争を解決したり、戦争を遂行し条約を締結するための代表府である。同時に国内においては共同体秩序を維持発展させるために制度や法律を制定する立法府、制定された法律をもとにそれを執行する行政府、そして行政が正しい手続きで行われているかを監視したりあるいは手続きの瑕疵を判断する裁判所などの組織のことである。

しかしこれらの組織は主権者である国民の自由を拘束したり法律を不当に行使したりする可能性があるので主権者は組織に対し、してはいけないことと、積極的にしなければならないことを文書によって命令する、それが憲法の本質なのである。そういう視点をもって世界最初の憲法らしい憲法であるアメリカ合衆国憲法と戦後アメリカの占領下制定された日本国憲法を比較してみよう。


アメリカ合衆国憲法(日本語訳)
前文
われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。The Constitution o…

TPP交渉における日本の戦略 ―ボーキング先戦略ができる政治家が必要

TPPについての議論をまとめた。おそらくボーキングという戦略を考えてる政治家は皆無だろうが、TPPについてはボーキング戦略で均衡を保つのが最良だと考える。
TPPの議論で残念なのは賛成派は運命論「参加しなけてばバスに乗り遅れる」、反対派は陰謀論「アメリカの日本に対する市場開放要求の屈するな!」、なにか幕末の開国派と攘夷派の議論のようだ。 陰謀論といったのはわかりやすくするためで、オバマ周辺のリベラルなユダヤ人が、今自分たちに向けられている非難を少しでもやわらげるためにとっている戦略だと認識している。

アメリカはアメリカのパワーを最大限に利用して"パックス・アメリカーナ"を達成したい元リベラルなネオコンと自由貿易による経済発展こそが平和を達成するという、純なリベラルとが共和、民主に分かれて政権をここ20年担当しているが、現在オバマ周辺は後者だろう。クリントン周辺と類似している。
結局クリントンの時に始まった日米構造協議やその後の年次改革要望書の延長がTPPだろう。
自由貿易はできるだけ推進しなければならない。なぜなら保護貿易では日本は立ちゆかない。大東亜戦争の原因の一つはアメリカが日本からの加工品にかけた高関税で日本の生糸の輸出が大打撃を受けたからだ。 バークやハイエクも自由貿易には価値を認めている。保守主義と自由貿易とは元来同一線上にある考えだ。

その裏には一定のルールによって行なうという法の支配の思想がある。私も法の支配下における自由貿易には大いに賛成である。しかし経済学にもある通り、市場というものは双方が同じ情報を共有している場合において均衡するものである。

よって一時的に片方が情報的に優位に立つことによって不均衡が生じる。幕末における欧米諸国と日本の金と銀の価値の違いで日本は損失を被った。

また工業化の遅れは輸入超過を招き、それまでの国内産業に致命的な打撃を与えた、こういった状態に対応するために関税があるのだ。関税自主権は不均衡に対する唯一の武器だといえる。
資源のない我が国は英国のように名誉ある孤立する訳にはいかない。資源を輸入しなければならないからだ。TPP推進派の議論の核心はこの辺にある。それは否定しない。各国が保護主義に走り、加工品に高関税をかけ出したら、資源ない日本とドイツの経済は困窮する。これは1930年代と相似する。 ドイツ…

眞子内親王殿下と小室圭氏の恋の行方を憲法で考える

憲法24条はまもられるのか?
日本国憲法24条
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

日本国憲法では婚姻の自由が権利として認められている。前回の投稿でも示したが、第24条は日本国憲法で唯一国民に受け入れられた条文ともいえるので社会の根幹である家族を生み出す唯一の条件が「両性の合意のみ」とした、つまり愛が結婚の認証基盤だとうことだ。


憲法では陛下や秋篠宮文仁親王及び紀子妃殿下がそれを拒否しようがしまいが関係がないと規定している。しかし人権がご皇室にも適用されるかどうかの人権の享有主体性の問題はある。紀子妃殿下や皇后陛下のご心配ははかり知れないが、陛下はご結婚をすでに許可されているので、眞子内親王の心変わりがなければ、延期にはなるが破談になることはないだろう。なぜなら、陛下は日本の立憲君主、象徴天皇としての立憲的立場をよくわきまえていらっしゃるからだ。

もし内親王と圭氏の強い意思で結婚を希望したが、文仁親王や妃殿下のご意向で破談になるようなことがあれば、それは明らかな憲法違反となることだろう。圭氏の母親がどのような人物だろうが、婚姻は憲法では「両性の合意のみに基いて成立」するのである。 母親の借金などということと婚姻とは全く無関係なのである。私は眞子内親王には是非そのようなことで愛する男性との婚姻をやめてほしくはない。勿論合意がなければ―つまりそんな男愛せないと、おっしゃれば別だが。