婚外子差別は違憲 ―法の下の平等と家庭

婚外子の出生数や離婚・再婚件数の増加など「婚姻、家族の在り方に対する国民意識の多様化が大きく進んだ」と指摘。
法律婚という制度自体が定着しているとしても「子にとって選択の余地がない事柄を理由に不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、権利を保障すべきだという考えが確立されてきている」とした。
制度というものは効率などより公平であることが求められる。税を沢山払っている人も払ってない人も、国家は公平に扱わなければならない。憲法も個人を差別なく公平に扱ふことを規定している。

憲法14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

私は経済単位や制度的保障といった受益単位を「家庭」にすることで、制度を見なおすべきだと考えている。家庭を基準に、個人と社会、国家という枠組み、役割、権利保障などを考えなおす必要があると考えている。だからといって現行憲法が保障している「法の下の平等」に違反してまで婚外子(非嫡出子)を差別することはよくないと考える。

民法第4編[親族]に第739条婚姻の規定がある。婚姻とは、
 婚姻は、戸籍法 (昭和二十二年法律第二百二十四号)の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずる。
戸籍法16条
婚姻の届出があつたときは、夫婦について新戸籍を編製する。但し、夫婦が、夫の氏を称する場合に夫、妻の氏を称する場合に妻が戸籍の筆頭に記載した者であるときは、この限りでない。
○2  前項但書の場合には、夫の氏を称する妻は、夫の戸籍に入り、妻の氏を称する夫は、妻の戸籍に入る。
○3  日本人と外国人との婚姻の届出があつたときは、その日本人について新戸籍を編製する。ただし、その者が戸籍の筆頭に記載した者であるときは、この限りでない。
戸籍はもともと中国の制度が周辺に波及したと言われ、飛鳥時代に編纂された。「戸」籍というように当初は「家」ではなく、もう少し大きい血縁集団である「戸」を一つの単位として記録した。数家族がひとつの単位として記録された。

時代は下がり江戸時代になるとキリシタン弾圧のために宗門宗派を記録した人別帳が戸籍の原簿の役割を果たすようになる。 人別帳は「戸」より小さく、夫婦よりやや大きい単位「家」で管理した。

現行憲法の婚姻は新しい家(現在では戸籍)を造るこという。夫婦が一つの単位となることだ。よって夫婦は個人ではなく「◯◯家のご主人と奥様」となる。

明治維新後近代化をする過程で2つの重要な法が導入される。一つは憲法、そしてもう一つが今回問題となった民法だ。それまで日本における民法と呼べる規則がある。それは鎌倉時代に成立し、江戸時代まで影響力を持っていた。諸君も名前を聞いたこと上がるだろう御成敗式目だ。

武家政権誕生の一因に、国司から一任され、実質的に訴訟を仕切っていた武家への信頼がある。しかし鎌倉幕府が誕生し、北条氏が執権として権力を把握すると、今は武家も人によって判断基準が曖昧で庶民が不満を募らせる。

御成敗式目は主に所有権に対する裁判の基本的考え方を役人に示したものだが、それまであった律令が形骸化し、平安末期は陰陽師のお告げで訴訟を裁断していたなど民意が離れていた。武家は武力とともに、そういった争いを道理で仲裁して民意を得た。

しかし御成敗式目は家族制度に対する規定が無かつた。つまり家族制度は慣習的なものが法としてなかったので、明治政府はフランス人法学者ボアソナードに依頼して民法草案を起草した。しかし政府が、憲法をプロイセンの「コモン・ロー」を受け継いだ立憲君主主義に変更することで事態がかわる。

ボアソナード民法典は大陸型の個人主義的な法律ではあったが日本の実情を配慮した内容であった。しかしイギリス法を中心に研究していた東京帝国大学・イギリス法律学校(現在の中央大学)とフランス法を中心としていた司法省法律学校・明治法律学校(現在の明治大学)・和仏法律学校(現在の法政大学)の学閥上の対立として論争になる。

論争は、議会を舞台として東京帝国大学教授、憲法学者の穂積八束が有名な「民法出デテ忠孝亡フ」という論文を公刊し、
「我国ハ祖先教ノ国ナリ。家制ノ郷ナリ。権力ト法トハ家ニ生マレタリ」「家長権ノ神聖ニシテ犯スベカラザルハ祖先ノ霊ノ神聖ニシテ犯スベカラザルヲ以ッテナリ」
と説き、法による権利義務関係を否定し、日本伝統の家父長制度を否定する婚姻を基調とした家族法を批判した。この論文はそのタイトルのため最も注目を集め、民法典論争の象徴ともいえる。

商法も論争を呼び、政府が外務省嘱託であったドイツの法学者で経済学者でもあったヘルマン・ロエスレルに商法起草を依頼したのだが、ドイツ人であるヘルマンは破産法をフランス法を採用したがドイツ商法を基本とした。民法がフランス法、商法がドイツ法という、本来体系的であるべき2法が、法律の間に矛盾さえ生じていたのだった。

これは不平等条約の改正を最重要課題としていた明治政府が、一流国の条件、立憲主義、民主主義、法治主義などの制度導入を急いだための負の遺産だといえる。同じような負の遺産に電力のヘルツ問題や線路の規格問題などもある。

戦後憲法は改正されたが民法典は大きな改正を経ていない。基本的にはフランス民法典(旧民法典)の個人主義的な法律に、家父長制などの日本の習慣を取り入れた付け焼刃的な現行民法典が持つ違憲性を、最高裁が指摘したということだろうが、刑法の尊属殺同様に日本人の習俗にはなじまないという指摘もある。

尊属殺は、1973年4月4日に最高裁により違憲と判断されたが、殺人罪より重罪にすべきという世論も根強い。今回の婚外子差別違憲判決も、法律婚の配偶者とその親族からすれば「冗談じゃない」ということになるし、シングルマザーから言えば「当然でしょ」となる。国家の介入は受け取り側の主観で公平にはならないという典型的な事例だ。