日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 第2章

合衆国憲法の第 2章は大統領についての言及だ。1章の議会についての言及に比べてたった4条のシンプルな条文になっている。このことからも建国当時のアメリカが大統領をどう位置づけようとしていたかが伺われる。多くのことを議会で法制化し法律に基づいて行政部門が執行させるが、国民統合のシンボルとして王に代はる象徴が必要だったということだろう。合衆国大統領の権限は思いの外少ない。

第2条[大統領の権限]

[第1項] 大統領は、合衆国の陸軍および海軍ならびに現に合衆国の軍務に就くため召集された各州の 民兵団の最高司令官である。大統領は、行政各部門の長官に対し、それぞれの職務に関するいかなる事項についても、文書によって意見を述べることを要求することができる。大統領は、弾劾の場合を除き、合 衆国に対する犯罪について、刑の執行停止または恩赦をする権限を有する。

[第2項] 大統領は、上院の助言と承認を得て、条約を締結する権限を有する。但し、この場合には、 上院の出席議員の3分の2の賛成を要する。大統領は、大使その他の外交使節および領事、最高裁判所の 裁判官、ならびに、この憲法にその任命に関して特段の規定のない官吏であって、法律によって設置され る他のすべての合衆国官吏を指名し、上院の助言と承認を得て、これを任命する。但し、連邦議会は、適 当と認める場合には、法律によって下級官吏の任命権を大統領のみに付与し、または、司法裁判所もしく は各部門の長官に付与することができる。

[第3項] 大統領は、上院の閉会中に生じるいっさいの欠員を補充する権限を有する。但し、その任命 は、つぎの会期の終りに効力を失う。

どこの政党かは失念したが、権限の少ない日本の議院内閣制では意思決定が遅く手続きが煩雑なので、大統領制にすべきだと主張されていたが 、その政党は合衆国憲法を読み直すべきだ。合衆国では議会が大きな権限を持つため、寄り合いの会長的な大統領には予算を作成する権限すらない。
一方日本国憲法の第2章は施行当時から論議を呼んだ戦争の放棄条項いわゆる平和条項だ。

第2章 戦争の放棄〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕

第9条日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


さてここで前文の項でも触れた、憲法は国民から政府官僚への命令書であるということを想起してみよう。それに照らし合わせて考えてもう一度9条の条文を読んでみよう。 おかしいなと思わないだろうか?

命令書だとすれば、命令権者とそれを受領する受領者がいて、当然だ。そしてその中には、権利と義務を定めることができる。してはならないことと、積極的にしなければならないことの両方だ。命令権者は国民で、受領者は、アメリカの場合、大統領以下行政官という事になるだろう。日本も同様に国民と首相以下の閣僚と官僚ということだ。

日本国民は放棄する、なにを、戦争を、という構文は日本国民が、戦争を放棄することを規定している。日本国民が戦争を放棄しているので―戦争が放棄できる事柄かは置いといて―、2項の放棄する、という目的を達成するために、陸海空軍その他の戦力は保持しないと続く。さらに交戦権はこれを認めないとも。認めないという語句の主語は誰だろうか?日本国民が国家権力に認めないとしているのか、はてまたどこかの誰かが日本国に認めないと言っているのか、全くわからない。

もともとこの平和条項はいつどのように条文に出現したのだろうか。昭和20年10月4日にマッカーサーは「自由の指令」を出す、これをうけ10月25日に憲法問題調査委員会(いわゆる松本委員会)が設置され本格的に憲法改正に向けた動きがスタートする。この動きと連動するように民間でも憲法の素案をつくる動きが活発化する。その中の一つに憲法研究会があり、12月26日に憲法草案要綱を発表する。

根本原則(統治権)、国民権利義務、議会、内閣、司法、会計及財政、経済、補則と国民の諸権利と義務というようにコモンロー思想を残した内容ではあるが自由思想や平等や主権在民の概念は現行憲法の内容を先取りしているといえる。民政局のラウレルは昭和21年1月11日の所見民主主義的で、賛成できる」とし、かつ国民主権主義や国民投票制度などの規定については、「いちじるしく自由主義的」と評価している。

この憲法草案要綱には戦争の放棄という過激な平和志向はみられないが、国民権利義務の章の最後に、

一、国民ハ民主主義並平和思想ニ基ク人格完成社会道徳確立諸民族トノ協同ニ努ムルノ義務ヲ有ス

とあり、平和思想という文言がでてくる。すでに国民の中にも平和志向というものが、萌芽していたと言えないだろうか。ラウレルの所見から約1か月後の2月1日、民政局ホイットニーは憲法改正権限に関するホイットニー・メモで、松本委員会が検討している憲法問題調査委員会試案が、大日本国憲法の焼き直しにすぎないことや、極東委員会の干渉などを予見して、GHQに憲法改正の権限があることを進言する。さらに翌日、毎日新聞記事「憲法問題調査委員会試案」に関するホイットニー・メモをマッカーサーに提出、憲法問題調査委員会試案を、「極めて保守的な性格のもの」と批判し、世論の支持を得ていないことを指摘、提出を受ける前に「指針を与える」方が、戦略的にすぐれていると、GHQ案の作成をマッカーサーに示唆した。

ホイットニーの助言を受けたマッカーサーは翌3日に民政局宛にマッカーサー3原則(「マッカーサーノート」)を示した。そのⅡに、

War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.

No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.
ここで明確な戦争の放棄、武力の不所持要件が提示される。ホイットニーはラウレルの所見から、日本に平和思想が萌芽していると判断し、その条項が国民世論の支持を得ていると解釈したのではないだろうか。2月8日松本国務相は憲法改正要綱を提出する。2月12日ケーディスは憲法改正要綱に対し批判的な所見を作成する。GHQは2月4日のマッカーサーの指示後、密かに原案作成にかかり、2月10日に作業を終了、マッカーサーに草案を提出する。この時平和条項は8条であった。マッカーサーの了承を経て12日に日本政府へ草案を提示し、内閣は22日に閣議でこれを受け入れる決定をする。草案の仮訳が完成し、配布されたのは25日の閣議で、26日にはこの草案で憲法を起草することが閣議決定さていれる。

この後3月2日案の提示、2日案をめぐるGHQとの激しい攻防の末、3月5日案が作成される。その3月5日案の平和条項は第2章第9条で、

第九条 国家ノ主権ニ於テ行フ戦争及武力ノ威嚇又ハ行使ヲ他国トノ間ノ争議ノ解決ノ具トスルコトハ永久ニ之ヲ放棄ス。陸海空軍其ノ他ノ戦力ノ保持ハ之ヲ許サス。国ノ交戦権ハ之ヲ認メズ。

マッカーサーが示した3原則の2、戦争の放棄と武力の不所持は、完全に憲法に楔として打ち込まれるのである。翌6日に5日案は憲法改正草案要綱として発表される。この後4月17日に口語化憲法草案が発表される。この後、憲法改正の議案は、帝国議会の帝国憲法改正案委員会に付託され、幾つかの修正を経て11月3日に交付されることになる。

なぜここまで憲法、特に9条の制定過程を検証してきたかというと、冒頭も申したとおり憲法は国民の意志であり、国民からの命令書であるという、近代憲法の原則に照らし合わせて考えると、それまでの政府民間を含めた憲法には、平和思想の萌芽はあったものの、戦争の放棄や武力の不所持といった過激な思想はみられなかった。

しかし2月2日の毎日新聞のスクープに対するメモを受け、2月3日にマッカーサーが示した3原則には、はっきりと不戦条項が現れる。ホイットニーがそれを示唆したことは明白だろう。つまり9条は国民の意志ではなく、ホイットニーが示唆し、マッカーサーが望んだ、アメリカの意志なのではないか。9条の一文をとっても日本国憲法が近代憲法の要件を満たしていないことは明白なのだ。