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日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと 

日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと ー戦後の日本の解体は『菊と刀』から始まった 高橋史朗

WGIP ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム War Guilt Information Program をご存じの方は多いと思う。大東亜戦争に敗れ、我が国は、歴史上初めて他国の占領を受けることになる。占領当初、我が国指導者の目的は、いや日本国民すべてが、連合国による天皇陛下の処刑阻止にあったと言っても過言ではないだろう。評書は第3章で、昭和天皇の処刑を阻止するために、多くの婦人たちの力があった逸話を挿入しながら、WGIPについて新事実も含め詳細に分析を試みている。

誰が陛下の処刑を止めたのか

当初米国上院は、昭和天皇を戦争犯罪人として処刑することを全会一致で可決しており、マッカーサーは議会から、昭和天皇に戦争責任ある証拠を集めるように命令されていた。しかしフェラーズがマッカーサーに、

天皇を戦犯として裁判にふせば、日本全国に暴動は必死であろう。もし天皇を廃せば、全国的暴動が必死であって、特別警備区以外の白人は暗殺を免れない。

 覚書を出すと、マッカーサーも態度を一転、米国陸軍に対し電報を打つ。

天皇を告発すれば、日本国民の間に想像もつかないほどの動揺がが引き起こされるだろう。その結果、もたらされる事態を鎮めることは不可能である。天皇を葬れば、日本国家は分解する。連合国が天皇を裁判にかければ、日本国民の憎悪と憤慨は、間違いなく未來永劫に続くであろう。―中略―そのような事態が勃発した場合、最低100万の軍隊が必要である。軍隊は未來永劫駐留しなければならない。―後略―
これによってこれによって米国政府は昭和天皇の訴追をやめることになる。これは比較的著名な事実だが、評書ではもう一つ、昭和天皇処刑方針を転換するにあたり、重要な事実を紹介している。
それは伊藤たかさんという婦人が、マッカーサーに宛てた直訴状、手紙だという。そして日付のあとには署名血判が押してある。当時の右翼はそのような直訴状を出していないということ、直訴状を出したのは婦人ばかりだという事実を紹介している。
 マッカーサーは昭和天皇と会見し、昭和天皇の "You may hang me" という言葉によって心動かされ、フェラーズの覚書、伊藤たかさん等、日本の婦人たちの直訴状、そして陛下との対面によって、最終的に昭和天皇処刑は取り消された。

なぜ道徳教育は復活しなかったのか 

また評書の筆者は教育の専門家であるだけあり、専門分野からの貴重な報告をしている。それは米国国務省が下した、終身の教科書への評価についてだ。米国国務省は開戦前に日本占領のための分析が終わっており、終身教科書の分析を、日本語をローマ字化しようとしたことで著名な、キングホールを中心に行わせていた。
 キングホールの報告は、戦前の終身教科書は、昭和8年改訂の第4期終身教科書が超国家主義的で危険であるという結論だった。 そして、それ以前の終身の教科書に戻せば、教科を廃止する必要はないと報告している。
 さらに昭和20年1月、ロッカードとエハレットが緻密な調査を報告している。彼らは終身の教科書に掲載された説話の分析を行い、「社会国家への奉仕」を扱ったものが20、「家族愛」が18、「忍耐」が8、「遵法」「忠誠」「健康」「清潔」が5、「信頼」「節約」「正直」「勇敢」「独立心」が67あり、3分野に分けられ、「子供の望ましい行動様式に関するもの」、これは年齢相応したのもで、占領軍に悪影響をおよぼすものではない、次に「天皇に関するもの」で、これは皇室が維持され、占領軍が利用できるのであれば不利な効果を及ぼすのもではない、最後に「社会や国家に対するもの」で、これは米国の教材と大差はないので、

よって終身の教科書は中庸な国家主義的な教養を含むものであり、忠誠・奉仕・過去の英雄や軍事の犠牲などが若者の模範として用いられていることは当然である。


 という報告をしている。しかし現実には終身の教科は廃止され、その結果戦後教育を受けたものには、終身は戦争につながる、というステロイメージを植えつけた、と筆者は指摘している。このように大半は無害と報告がされていたにも関わらず、終身教科が廃止されたことの経緯について、まだまだ研究の余地があると指摘している。

もし、「アメリカの鏡・日本」が出版されていたら

3章にはもうひとつ重要な指摘がなされている。それはヘレン・ミアーズの「アメリカの鏡・日本」をマッカーサーが発禁にした理由が、マッカーサーの書簡によって明らかになっている。アメリカの鏡・日本は、戦争犯罪人としてフィリピンで裁かれた、山下奉文大将の裁判と、原爆投下を鋭く批判している。また、日本が侵略したというけれど、世界は侵略の歴史ではないか、とも述べている。日本の出版社が米国の版元へ出版のオファーをすると、版元はGHQに対応を求め、マッカーサーはCIEのブラウン課長に回答書を作成させた。マッカーサーは、
私はいかなる形の檢閲や表現の自由の制限も嫌悪している。しかしこの著作を検討したが、この本はプロパガンダであり、公共の安全を脅かすものであって、占領下の日本でこの本を出版する正当性は認められない―後略―
として、アメリカの鏡・日本は、当時の日本人の目にとまることなく闇に葬り去られた。アメリカの鏡・日本とともに発禁になった本に、A・フランク・リールの『山下裁判』がある。A・フランク・リールは山下裁判の山下奉文大将弁護団の一人で、裁判の手続きや手法に疑問をいだき、本を出版するに至ったのだが、GHQが日本国内での出版に圧力をかけたことが、米国内でも話題になり、タイムやニューズウイークといった雑誌が、トルーマン大統領に公開質問状を提出した。しかしブラウンはそれらも押切り、発禁にしたのであった。

義眼はどのように影響したのか

評書の筆者は占領中、民主化の美名によって、日本人にはめられた義眼は、そのまま戦後教育によって大きく反映され、 戦後民主主義として復興日本の土台になってしまったと指摘する。それは本来のデモクラシー(民主政体)とは全く違う、我が国独特の戦後民主主義へと発展したと、評者は考えている。
 第2章で詳しく分析される、ハロルド・ラスエル博士の研究、その影響を受けたジェフリー・ゴーラーの論文と、それらを唯一の参考として書かれたルース・ベネディクトの『菊と刀』を土台とした、歪んだ日本人像によって、策定された日本占領計画によって実行されたWGIPは、日本の精神的伝統を破壊した。それは今日まで続くことになった。
 また義眼は戦後教育の指針となった新教育指針に色濃く反映される。新教育指針を策定した当時の文部省教科書第2編集課石山課長は、このように無念を述懐している。

「三分の一は、アメリカがかけと言われたのでそのまま書き、三分の一は両方で話し合って書き、残りの3分の1は私の考えで書いた」
義眼は当時の政府あるいは新聞社ばかりではなく、教育にもその影響が及び今日、私達日本人の目となり、そこから「戦前はすべて悪」という記憶が刷り込まれることになった。

教育勅語はどうして廃止されたのか

評書の筆者はアメリカ留学中にプランゲコレクションを整理するアルバイトをしたことが、占領史研究の始まりだとしている。その時発見したのがジャスティン・ウイリアムズの文章だという。ジャスティン・ウイリアムズはGS(GHQ民政局)の国会課長で、彼が衆参議院の文教委員を呼びつけ、口頭で教育勅語を廃止を命令した張本人だ。その本人のメモを筆者は留学中見つけたのだから、神は筆者に占領史を解き明かせと命じたようなものだ。
 その文章にはケーディスのメモがあり、"Let's go amended ink" とあった。昭和23年6月19日に教育勅語の失効排除決議をするのだが、その決議文は当初「詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明らかに基本的人権を損ない、かつ国際信義に対し疑義なしとしない」となっていた。
 筆者が発見した文章は「なしとしない」という、官僚独特な曖昧な表現で、とりようによっては「あるともいえるし、ないともいえる」という意味だった。英語表現では "might" が使われていたが、ジャスティン・ウイリアムズは消し、ケーディスがそれを支持した訳だ。そして決議文は「国際信義に対し疑義がある」という断定になってしまった。この断定によって、法的拘束力のない勅語が憲法違反の詔勅になってしまったわけだ。

 さらに教育基本法の制定過程でも、勘違いと言葉の壁によって、教育勅語が否定されたことを指摘している。筆者は教育基本法制定に関わった関係者にインタビューをしているが、彼らは口々に「私達は教育勅語を否定していません。
 教育基本法には教育勅語の精神が引き継がれているのです」と証言することが理解できなかったとしている。当初教育基本法案の前文に「伝統を尊重して」という文言が入っていた。しかしJ・C・トレーナーというCIE教育課長補佐が削除を命じた。筆者は本人に、何故削除したかをインタビューすると、

「自分は意味がわからなかった。日系人の通訳にどういう意味かと聞いた。すると通訳は "伝統を尊重するということは、封建的な世界に逆戻りするという意味です" と言った」


 教育勅語はこの誤訳によって葬られてしまう。教育基本法制定過程の国会議事録には「教育基本法法律、教育勅語は道徳」という答弁を、文部省が想定していたことが残されている。
 そして戦後教育は憲法違反になった教育勅語を廃し、180度転換したという解釈のもと始められ、今日まで日本人を反日思想毒に冒すことになる。戦後教育は道徳心、道徳観なしの唯物教育に陥ってしまい、さらにそれが法律として教育者を拘束することになった。第4章ではそれらが今日の教育現場にどのような影響を与えたかが語られるが、それらは皆様が評書を手にとってご確認頂きたい。

教育の崩壊は家庭にあった

日本の戦後民主主義は義眼をはめられた国民とその国民の代表によって行われてきた。彼らの中には日本を断罪するものもいた。また義眼を外すことが出来ず、ただ謝罪をすることしか出来ない為政者もいた。宮沢喜一、河野洋平、村山富市。それでも戦前教育を受けていた国民やその代表がいた時代はまだ良かったが、その世代が現役を引退し始める21世紀初頭から日本の国政と日本人が顕著におかしくなった。
 筆者は第6章で「日本再生への取り組み」として家族再生から教育再生の項で、筆者は、親学のすすめを提案している。会社の社員心得があるように親にもその心得を学ばせる必要がある。それは科学的知見で日本人が行っていた躾や道徳観がなんら、恥じることがないことを立証し、甦らせる必要があると、力説する。 たとえば、明治時代の小学校の教科書に、「賢母の家庭」、「西洋諸国小学校の欠席」、「保護者の注意」という項目があり、保護者の注意の中には、

教育の道は、家庭の教えで芽を出し、学校の教えで花が咲き、世間の教で身が成ると申す

という諺が紹介されていることを特筆する。さらに、「西洋諸国小学校の欠席」という一文に、

独逸を其重きものとして、西洋諸国にては、通例小学校生の欠席は、之を其父兄、若しくは保護者の罪に帰し、謂はれなく、学校を休ましむる時は、科料若しくは禁錮の刑に処するなり

 当時独逸では学校を欠席させると罰金を科していたことを紹介する。現在でも米国、英国、仏国など先進国ではそういう考え方の上に立っているという。また賢母の家庭では、子供が学校に行かない場合には頭で押し付けるのではなく、学校に行かなければどうなるかを実感させることが「賢母」だとしていたという。女性に対する、価値観の押し付けだ、として良妻賢母を否定している現代では望むべくもない。
 特に西洋諸国小学校の欠席で示される、子供が学校を休むことへの責任の所在を社会が明確化し教育の重要性を両親に示しているという、例を教科書が示しているのは、明治日本がデモクラシーを実践するためには、国民の教育が大切であるということを、認識していたことを物語る。英国のノブレス・オブリージュのように、国家への忠誠心、社会への奉仕心なくば、近代デモクラシーは成り立たない。道徳教育なしの戦後民主主義では国家は迷走するばかりだ。
 米国カリフォルニアやシアトルでは、子供が学校を休むと罰金3千円もしくはその分のボランティア活動をシなければならない。英国では子育て命令法という法律があり、 違反した場合、罰金25万円、滞納すれば禁錮刑に処され、子供が更生するまで1年間の講習を義務付けているという。
 仏国では義務教育を放棄した場合、2年間の禁錮刑、350万の罰金のほか、月に4回以上理由なく学校を欠席すると9万円の罰金を科している。政府及び議会はこのような研究の成果、諸外国の制度を取り入れ、国民が失った歴史観と道徳心を取り戻す努力を惜しむべきではない。
 いわゆる従軍慰安婦象の設置問題なども、このような研究者の地味ながら真摯な努力を反映させなければ、解決など出来ない。先出の為政者、宮沢喜一、河野洋平、村山富市等、義眼をはめたまま、それを外す努力をしない者達のために、日本の名誉と利益が失われたことか。

研究の成果を政府、議会はなぜ生かせないのか

終章「占領文書二百五十万ページ研究への挑戦と成果」で筆者は、初心に帰るため、再び米国へ占領文書の研究に迎い、岸本英夫氏の日記を発見した。数十年前に本人へのインタビューを試み、日記の所在がわからないとの回答だったという。
 岸本氏は占領当時東大の助教授でGHQの顧問をしていた。昭和20年10月から12月にかけて、GHQはいわゆる4大指令を発する。日本教育制度に関する管理指令、教員及び教育関係者の調査、除外、許可、神道指令、終身、日本の歴史及び地理の停止だ。岸本氏は神道指令の原文をGHQバンス宗教課長から手渡されると、「ここだけが問題だ」と一文を指摘したという。そこには教育勅語の廃止が書かれていたのだ。
 さらに国体という言葉も削除をアドバイスしたという。草案がマッカーサーの手元に提出されていにもかかわらず、岸本氏のアドバイスを聞き入れた、バンス宗教課長は奔走して国体という文言を司令部に削除させたという。
 これらの証言、記録が物語るのは米国が占領時に何をしやうとしたか、そして何故それをしたかだ。全ては神道と日本人の教育を、超国家主義的、軍国主義的と誤解したということだ。淵源は先に示した、第2章で詳しく分析される、ハロルド・ラスエル博士の研究、その影響を受けたジェフリー・ゴーラーの論文と、それらを唯一の参考として書かれたルース・ベネディクトの『菊と刀』を土台とした占領政策なのだ。
 それは誤解と偏見、誤訳によってもたらされたことが、研究者によって明らかになった。つまり占領政策は科学的に間違っていたのだ。にもかかわらず未だ義眼を外せない日本と日本人なのだ。政府議会はまず、これらの研究を真摯に受け止めて、占領政策を見直し、それらをまず白紙も戻すことから始める必要がある。
 日本と日本人の教育観、躾、親子関係を再考しない限り、日本の子供たちの崩壊は止まらない。引きこもりの割合が最も多いのが30代で46%だという。働き盛りであり、結婚、出産、育児をしなければならない年代が、引きこもっていては、日本は政治も経済も、最終的には日本文明が、いずれ立ち行かなくなるだろう。

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日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 前文

これから日本国の新憲法草案を提案しよう。どうしてそう思ったかは単純だ、今の日本国憲法は近代憲法の要件を満たしていないと思われるからだ。近代における国家は主権者である国民の国家形成への強い意志によって成り立っているとする。―するとしたのはもっと奥深い部分では違うと考えているが、近代に対応するためにそう仮定することにしよう。

近代思想において国家は、たとえ国民がひとりでも、国民意志があれば形成することができるとされる。しかしそれは利己的な個人意志ではない。五箇条の御誓文で公論と示された、意志を国民主権では民意というのであって、それがなければ近代国家は存在しないのである。さらにその意志は個々人の中にある不条理で熱い志であり、それを顕現しあるいは不当な隷属の強要から擁護されなければならないと考えている。

そして近代における憲法はその国家を統治する権力を制限するために制定するものであり、国民から政治権力への手紙であり、もっと強く表現すれば命令書として機能するのもである。よって国民が必ずしも従うべきものではないという性質のものである。
統治体というのは国際的には近代国民国家が国際関係を維持するため、またはその関係が破綻した場合に起きる紛争を解決したり、戦争を遂行し条約を締結するための代表府である。同時に国内においては共同体秩序を維持発展させるために制度や法律を制定する立法府、制定された法律をもとにそれを執行する行政府、そして行政が正しい手続きで行われているかを監視したりあるいは手続きの瑕疵を判断する裁判所などの組織のことである。

しかしこれらの組織は主権者である国民の自由を拘束したり法律を不当に行使したりする可能性があるので主権者は組織に対し、してはいけないことと、積極的にしなければならないことを文書によって命令する、それが憲法の本質なのである。そういう視点をもって世界最初の憲法らしい憲法であるアメリカ合衆国憲法と戦後アメリカの占領下制定された日本国憲法を比較してみよう。

アメリカ合衆国憲法(日本語訳)
前文
われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。The Constitution o…

国際関係論で論じられる理想主義

リベラリズムほど解釈が多様にある言葉はないと思う。日本語では自由主義と訳される場合が多いのだが、昨今では自由主義とリベラリズムは対立する政治姿勢ともいえる。よって自由主義をリバタリアニズムと呼ぶのが一般的になりつつある。本稿の場合はリベラリズムを社会自由主義的な用法、ようするに国際関係論で論じられる理想主義として論じることにする。

20世紀の戦争 20世紀は戦争の世紀と呼ばれるように産業革命による技術革新が戦争を巨大化、無慈悲化させた。世界は巨大化・無慈悲化する戦争に対して、一定の規則を締結したが、その後に勃発した第一次世界大戦は大規模かつ無慈悲な消耗戦によりヨーロッパ社会に大きな衝撃を残した。

第一次世界大戦の塹壕戦や化学兵器の使用は、ただ敵を消耗させるための戦略で、それまでの戦争とは様相が大きく変化した。戦争は国家が軍に命令して、軍が名誉をかけて行う営みから、国家国民全体で行う営み全体戦争つまり総力戦へと変容した。

パリ不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)は大戦のような悲惨な戦闘を二度と繰り返さないために交戦国、非交戦国も含めて63カ国が署名した。目的は戦争の違法化、特に侵攻戦争の違法化を目指したが、最終的には侵攻戦争を非難するにとどまった。


貧困が戦争を起こす もし社会が現状で固定されるとしたら、現在比較的幸福な人はいいが、もし不幸な人はどうだろうか。それはその人の希望を奪い去ることになる。国家同士の戦争もある一面では現状に満足できない国家と、それを阻止しようとする国家の営みといえる。

第一次大戦後ヨーロッパの比較的裕福な人々の間で戦争が二度と起こらないように、家族友人の死、あるいは戦争による破産などの不幸をなくすには、どうしたら良いか考えられたのは自然なことだ。そして彼らは結論した。「貧困が戦争を起こす」。

大戦中ロシアでは革命が起こりソ連邦が誕生する。国民(ソ連に国民がいたかは定かでないが)に貧困のない平等な生活を提供する統治体の出現に、ヨーロッパのエシュタブリッシュメントは期待と不安の眼差しを向ける。
リベラリズムの誕生 フランス革命の惨劇を経験しているヨーロッパの裕福な人達は、現状を維持しながら戦争を防止する政治体制の確立を急いだ。そのような背景でリベラリズム理論が誕生することになる。その理論は金持ちはそのまま、貧乏人はもう少しお金持ちにすることだ。

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 第1章

近代憲法は、主権者である国民の意志として、組織される政府に対する命令書なので、前文は、その意志を表現したものがふさわしい。そしてその目的を明確にする必要がある。さらにその目的のために、憲法を制定するわけなので、そういうことを頭に入れたうえで、再び前文を読むと、合衆国憲法は、

われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここに アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。
目的意志がシンプルかつ明確に表現されている。これと比較して、日本国憲法における国民意志もしくは達成したい目的は、

政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。に色濃く現れ、

これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
が次にくる。なぜわざわざ一切の憲法と法令と詔勅と断る必要があるのだろうか。ここにこの憲法を制定した意志があるのではないだろうか。そして最後には、

国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

目的を達成することを、宣言命令するのではなく誓ふ。さらに誓ふ対象も明記されていない。我々日本国民は、誰に対して目標を達成することを誓ふのだろうか。 これに答えを出せる憲法学者や国会議員が、我が国にはどれほどいるのだろうか。国民はそれを疑問とも考えていないのだろか。

第 1 章はその意志を具体化する、そして目的を達成するための第一歩ということだ。最重要なことを最初に申し述べているのである。アメリカ合衆国にとって最重要なことは法の支配、法による秩序であり、日本国では天皇―スメラミコトによる秩序―これをしらすという―であるということだ。大日本国憲法では、

大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

と統治の根拠となる天皇が過去、現在、未来に渡つて、日本国と日本民族の秩序の源であることを示している。この場合の統治とは伊藤博文が解説するように、しらすであり現実的な権力、うしはくと厳密に分けなければならないのである。

合衆国憲法は合衆国の秩序は法によって護られるゆえ、第 1 章では立法府についての規定が列記される。一方、日本国憲法では天皇についての条項が…

年次改革要望書

サイトで偶然みつけた原文の、いわゆる「年次改革要望書」だが、TPPと比較してみても面白い。アメリカの戦略なのか執念なのか、はたまた信仰なのか、1994年からもう20年くらいやってる市場開放交渉だ。我国政府も辛抱強くそれに対応していることがわかる。

TPPとはなにか ―GATT・WTO体制から考えるTPP

TPPというのはWTOが認めるGATT体制の例外で、自由貿易協定や関税同盟などの地域貿易協定のことだ。そのことについての議論が国会の場でもあまりされていないように思う。おがた林太郎元衆議院議員のブログそもそもFTAとはというエントリーがあり、自由貿易協定の根拠はガット24条だということを知らない議員が多いと指摘している。

経済産業省の説明では自由貿易協定(FTA: Free Trade Agreement)と関税同盟(Customs Union)を総称して地域貿易協定としている(RTA: Regional Trade Agreement)が、これらはGATT・WTO体制の例外として認められている協定で、それを規定しているのがガット24条という事になる。経済産業省のHPに関税及び貿易に関する一般協定、GATTの翻訳が掲載されている。
この協定の適用上、
(a) 関税同盟とは、次のことのために単一の関税地域をもつて二以上の関税地域に替えるものをいう。
(i) 関税その他の制限的通商規則(第十一条、第十二条、第十三条、第十四条、第十五条及び第二十 条の規定に基いて認められるもので必要とされるものを除く。)を同盟の構成地域間の実質上のすべての貿易について、又は少くともそれらの地域の原産の産品 の実質上のすべての貿易について、廃止すること。
(ii) 9の規定に従うことを条件として、同盟の各構成国が、実質的に同一の関税その他の通商規則をその同盟に含まれない地域の貿易に適用すること。
(b) 自由貿易地域とは、関税その他の制限的通商規則(第十一条、第十二条、第十三条、第十四条、第十五条 及び第二十条の規定に基いて認められるもので必要とされるものを除く。)がその構成地域の原産の産品の構成地域間における実質上のすべての貿易について廃 止されている二以上の関税地域の集団をいう。 TPPも含む地域貿易協定の根拠は24条にある。つまりTPPにも最恵国待遇が適用されるということだ。一応経産省のHPから最恵国待遇のPDFにリンクを張る。

WTOはその前進であるGATT(General Agreement on Tariffs and Trade) 関税及び貿易に関する一般協定が機関に昇格したものだが、実は国際通貨基金、世界銀行と並びブレトン・ウッズ体制の枠組みとして発足する…

TPPを締結できるか ―日本国憲法から考える

日本国憲法はその制定過程に疑義があるが、陛下の御名御璽のもと、施行されたのであるから、現在の政府はそれを遵守しなければいけないことは当然だ。しかし今回TPPについての議論を憲法の論点から整理をしながら思うことは、憲法を国会議員が全く意識していないし、ましてや遵守など微塵もされていないことに愕然とする。条文は、
第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。 つまり、政府関係者は尊重擁護する義務があるのだが、自らの権限範囲つまり既得権擁護の議論にしか終始していないことには悲しみを覚える。

まずTPPなどの多国間協定は名は協定だが国家間の約束であるから、条約法に関するウィーン条約で定義される「条約」である。
第二条 用語
1 この条約の適用上、
(a) 「条約」とは、国の間において文書の形式により締結され、国際法によつて規律される国際的な合意(単一の文書によるものであるか関連する二以上の文書によるものであるかを問わず、また、名称のいかんを問わない。)をいう。 さらに関税などの通商に関わる条約を通商条約といい、現在はWTO・GATTで規定されている。日本国憲法では、条約などの外交交渉は、内閣の専権事項である。
第七十三条 
三  条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。 しかし、内閣は事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とするとあるように、締結した条約の批准は国会の権限になる。国会が批准しなければ国内的な効力は発生しない。

日本国政府は世界貿易機関を設立するマラケシュ協定を締結批准しWTOの構成国である。これは憲法の九十八条第2項の規定により国内法を改正して対処しなければならない。
第九十八条  この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2  日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。 しかし憲法の条規に反する如何なる法律、命令、詔勅、及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しないとあるように、もし内閣が事後承認を要求した場合、締結した条約は国際的な効力を発生させるとされるのだが、国内的…

小和田恒悪玉論を問う ―衆 - 外務委員会 - 1号 昭和60年11月08日 その2

引き続き、村田春樹さんが國民新聞に書いた記事「小和田恒悪玉論を問う」への激励投稿を続けたいと思う。さて国会会議議事検索システムで昭和60年11月8日衆議院外務委員会の土井たか子委員の質問に対する答弁を検証しよう。

北朝鮮は日本の脅威ではない

北朝鮮の核開発問題は、日本にいろいろな教訓と示唆を与えてくれる。現在日本は、米韓と共に北朝鮮と対峙しているが、日本は、北朝鮮となぜ敵対しているのか、本当の敵は北朝鮮なのかという根本的な命題は、マスコミはじめ識者でも語られないままだ。今回はその辺を整理しよう。


北朝鮮問題の歴史的経緯 朝鮮民主主義人民共和国建国 1910年8月29日、大韓帝国は、日韓併合条約を専制君主である皇帝純宗が裁可することで、大日本帝国との合邦国となった。1945年4月12日、米国は、大日本帝国敗戦後の朝鮮半島統治に関して38度線での分割統治を提案する。1948年9月9日朝鮮民主主義人民共和国の成立は、その年の8月15日大韓民国の成立とともに、朝鮮半島における米ソの対立をより明確にすることになった。

共産主義による世界統治の実現のため、1950年6月ソ連及び、1949年に建国した中華人民共和国の支援を受けて、38度線を越境し大韓民国に進攻戦争を開始して朝鮮戦争が勃発する。大韓民国に駐留していた米軍を中心に国連軍―正式な手続きを経ていないので実質は国連派遣軍若しくは多国籍軍、が組織され、これを迎撃することになる。



朝鮮戦争 1950年6月25日宣戦布告なしに38度線で北朝鮮ソ連中国連合軍の砲撃が開始され、10万を超える兵力が38度線の越境を開始する。当時の韓国軍は兵力約11万人で装備は脆弱であった。さらに、北朝鮮のスパイ掃討戦や軍内部のスパイ粛清で士気は疲弊していた。米国及び国連は動揺するが、6月27日には国連安保理で北朝鮮を侵略者と認定して、その行動を非難する。さらに軍事行動の停止と軍の撤退を求める「国際連合安全保障理事会決議82」を賛成9反対0:棄権1の全会一致で採択した―ソ連は欠席。
韓国軍の崩壊と国連軍の敗走 韓国の李承晩大統領は、6月27日南朝鮮労働党関係者の処刑を命じ、韓国軍や韓国警察によって共産主義者の嫌疑をかけられた20万人から120万人に上る民間人を裁判なしで虐殺した―保導連盟事件。同時に、ソウルを放棄して水原に遷都した。このとき漢江にかかる橋を避難民ごと爆破した―漢江人道橋爆破事件。これにより漢江以北には多数の軍部隊や住民が取り残され、韓国軍の士気がさらに下がることになる。

国連軍を指揮した、マシュー・リッジウェイ将軍は、退却する韓国軍が放棄した装備は、数個師団だったと述べ…

農協は必要か ―農業保護政策は農家保護ではなく、農林水産省OBとJA職員の保護にすぎない

この冬、北海道にずいぶん出張したのだが、その時聞いた話題を提供しようと思う。

通州事件の体験記 ―気の弱い人は讀まないでください

通州事件は 、1937年(昭和12年)7月29日に発生した事件で、冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)による日本軍部隊・特務機関に対する襲撃と、それに続いて起こった日本人居留民に対する虐殺事件である。その体験記がある。讀むのも恐ろしい体験が綴られているのだが、歴史的事実を知るには貴重な記録であるので本誌の読者にも紹介する。あまりも惨たらしい体験記なので気の弱い人は讀まない方がいいと思ふ。
日本人皆殺しの地獄絵 私は大分の山の奥に産まれたんです。すごく貧乏で小学校を卒業しないうちにすすめる人があって大阪につとめに出ることになりました。それが普通の仕事であればいいのですけど、女としては一番いやなつらい仕事だったので、故郷に帰るということもしませんでした。そしてこの仕事をしているうちに何度も何度も人に騙されたんです。小学校も卒業していない私みたいなものはそれが当たり前だったかも知れません。それがもう二十歳も半ばを過ぎますと、私の仕事のほうはあまり喜ばれないようになり、私も仕事に飽きが来て、もうどうなってもよいわいなあ、思い切って外国にでも行こうかと思っているとき、たまたまTさんという支那人と出会ったのです。

このTさんという人はなかなか面白い人で、しょっちゅうみんなを笑わしていました。大阪には商売で来ているということでしたが、何回か会っているうち、Tさんが私に『Sさん私のお嫁さんにならないか』と申すのです。

私は最初は冗談と思っていたので、『いいよ。いつでもお嫁さんになってあげるよ。』と申しておったのですが、昭和七年の二月、Tさんが友人のYさんという人を連れて来て、これから結婚式をすると言うんです。そのときは全く驚きました。冗談冗談と思っていたのに友人を連れて来て、これから結婚式というものですから、私は最初は本当にしなかったんです。

でも、Yさんはすごく真面目な顔をして言うのです。Tさんは今まで何度もあなたに結婚して欲しいと申したそうですが、あなたはいつも、ああいいよと申していたそうです。それでTさんはあなたと結婚することを真剣に考えて、結婚の準備をしていたのです。それで今日の結婚式はもう何もかも準備が出来ているのです。とYさんは強い言葉で私に迫ります。

それでも私は雇い主にも相談しなくてはならないと申すと、雇い主も承知をして今日の結婚式には出ると申すし、少しばかりあっ…