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日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと ー戦後の日本の解体は『菊と刀』から始まった 高橋史朗

日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと
WGIP ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム War Guilt Information Program をご存じの方は多いと思う。大東亜戦争に敗れ、我が国は、歴史上初めて他国の占領を受けることになる。占領当初、我が国指導者の目的は、いや日本国民すべてが、連合国による天皇陛下の処刑阻止にあったと言っても過言ではないだろう。評書は第3章で、昭和天皇の処刑を阻止するために、多くの婦人たちの力があった逸話を挿入しながら、WGIPについて新事実も含め詳細に分析を試みている。

誰が陛下の処刑を止めたのか
当初米国上院は、昭和天皇を戦争犯罪人として処刑することを全会一致で可決しており、マッカーサーは議会から、昭和天皇に戦争責任ある証拠を集めるように命令されていた。しかしフェラーズがマッカーサーに、

”天皇を戦犯として裁判にふせば、日本全国に暴動は必死であろう。もし天皇を廃せば、全国的暴動が必死であって、特別警備区以外の白人は暗殺を免れない。”

という覚書を出すと、マッカーサーも態度を一転、米国陸軍に対し電報を打つ。

”天皇を告発すれば、日本国民の間に想像もつかないほどの動揺がが引き起こされるだろう。その結果、もたらされる事態を鎮めることは不可能である。天皇を葬れば、日本国家は分解する。連合国が天皇を裁判にかければ、日本国民の憎悪と憤慨は、間違いなく未來永劫に続くであろう。―中略―そのような事態が勃発した場合、最低100万の軍隊が必要である。軍隊は未來永劫駐留しなければならない。―後略―”

これによってこれによって米国政府は昭和天皇の訴追をやめることになる。

上記は比較的著名な事実だが、評書ではもう一つ、昭和天皇処刑方針を転換するにあたり、重要な事実を紹介している。

それは伊藤たかさんという婦人が、マッカーサーに宛てた直訴状、手紙だという。そして日付のあとには署名血判が押してある。当時の右翼はそのような直訴状を出していないということ、直訴状を出したのは婦人ばかりだという事実を紹介している。

マッカーサーは昭和天皇と会見し、昭和天皇の "You may hang me" という言葉によって心動かされ、フェラーズの覚書、伊藤たかさん等、日本の婦人たちの直訴状、そして陛下との対面によって、最終的に昭和天皇処刑は取り消された。

なぜ道徳教育は復活しなかったのか

また評書の筆者は教育の専門家であるだけあり、専門分野からの貴重な報告をしている。それは米国国務省が下した、終身の教科書への評価についてだ。米国国務省は開戦前に日本占領のための分析が終わっており、終身教科書の分析を、日本語をローマ字化しようとしたことで著名な、キングホールを中心に行わせていた。

キングホールの報告は、戦前の終身教科書は、昭和8年改訂の第4期終身教科書が超国家主義的で危険であるという結論だった。 そして、それ以前の終身の教科書に戻せば、教科を廃止する必要はないと報告している。

さらに昭和20年1月、ロッカードとエハレットが緻密な調査を報告している。彼らは終身の教科書に掲載された説話の分析を行い、「社会国家への奉仕」を扱ったものが20、「家族愛」が18、「忍耐」が8、「遵法」「忠誠」「健康」「清潔」が5、「信頼」「節約」「正直」「勇敢」「独立心」が67あり、3分野に分けられ、「子供の望ましい行動様式に関するもの」、これは年齢相応したのもで、占領軍に悪影響をおよぼすものではない、次に「天皇に関するもの」で、これは皇室が維持され、占領軍が利用できるのであれば不利な効果を及ぼすのもではない、最後に「社会や国家に対するもの」で、これは米国の教材と大差はないので、

”よって終身の教科書は中庸な国家主義的な教養を含むものであり、忠誠・奉仕・過去の英雄や軍事の犠牲などが若者の模範として用いられていることは当然である”

報告している。しかし現実には終身の教科は廃止され、その結果戦後教育を受けたものには、終身は戦争につながる、というステロイメージを植えつけた、と筆者は指摘している。このように大半は無害と報告がされていたにも関わらず、終身教科が廃止されたことの経緯について、まだまだ研究の余地があると指摘している。

もし、「アメリカの鏡・日本」が出版されていたら

3章にはもうひとつ重要な指摘がなされている。それはヘレン・ミアーズの「アメリカの鏡・日本」をマッカーサーが発禁にした理由が、マッカーサーの書簡によって明らかになっている。アメリカの鏡・日本は、戦争犯罪人としてフィリピンで裁かれた、山下奉文大将の裁判と、原爆投下を鋭く批判している。また、日本が侵略したというけれど、世界は侵略の歴史ではないか、とも述べている。日本の出版社が米国の版元へ出版のオファーをすると、版元はGHQに対応を求め、マッカーサーはCIEのブラウン課長に回答書を作成させた。マッカーサーは、

”私はいかなる形の檢閲や表現の自由の制限も嫌悪している。しかしこの著作を検討したが、この本はプロパガンダであり、公共の安全を脅かすものであって、占領下の日本でこの本を出版する正当性は認められない―後略―”

として、アメリカの鏡・日本は、当時の日本人の目にとまることなく闇に葬り去られた。

アメリカの鏡・日本とともに発禁になった本に、A・フランク・リールの『山下裁判』がある。A・フランク・リールは山下裁判の山下奉文大将弁護団の一人で、裁判の手続きや手法に疑問をいだき、本を出版するに至ったのだが、GHQが日本国内での出版に圧力をかけたことが、米国内でも話題になり、タイムやニューズウイークといった雑誌が、トルーマン大統領に公開質問状を提出した。しかしブラウンはそれらも押切り、発禁にしたのであった。

義眼はどのように影響したのか
評書の筆者は占領中、民主化の美名によって、日本人にはめられた義眼は、そのまま戦後教育によって大きく反映され、 戦後民主主義として復興日本の土台になってしまったと指摘する。それは本来のデモクラシー(民主政体)とは全く違う、我が国独特の戦後民主主義へと発展したと、評者は考えている。

第2章で詳しく分析される、ハロルド・ラスエル博士の研究、その影響を受けたジェフリー・ゴーラーの論文と、それらを唯一の参考として書かれたルース・ベネディクトの『菊と刀』を土台とした、歪んだ日本人像によって、策定された日本占領計画によって実行されたWGIPは、日本の精神的伝統を破壊した。それは今日まで続くことになった。

また義眼は戦後教育の指針となった新教育指針に色濃く反映される。新教育指針を策定した当時の文部省教科書第2編集課石山課長は、

「三分の一は、アメリカがかけと言われたのでそのまま書き、三分の一は両方で話し合って書き、残りの3分の1は私の考えで書いた」

と無念を述懐している。義眼は当時の政府あるいは新聞社ばかりではなく、教育にもその影響が及び今日、私達日本人の目となり、そこから「戦前はすべて悪」という記憶が刷り込まれることになった。

教育勅語はどうして廃止されたのか
評書の筆者はアメリカ留学中にプランゲコレクションを整理するアルバイトをしたことが、占領史研究の始まりだとしている。

その時発見したのがジャスティン・ウイリアムズの文章だという。ジャスティン・ウイリアムズはGS(GHQ民政局)の国会課長で、彼が衆参議院の文教委員を呼びつけ、口頭で教育勅語を廃止を命令した張本人だ。その本人のメモを筆者は留学中見つけたのだから、神は筆者に占領史を解き明かせと命じたようなものだ。

その文章にはケーディスのメモがあり、"Let's go amended ink" とあった。昭和23年6月19日に教育勅語の失効排除決議をするのだが、その決議文は当初「詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明らかに基本的人権を損ない、かつ国際信義に対し疑義なしとしない」となっていた。

筆者が発見した文章は「なしとしない」という、官僚独特な曖昧な表現で、とりようによっては「あるともいえるし、ないともいえる」という意味だった。英語表現では "might" が使われていたが、ジャスティン・ウイリアムズは消し、ケーディスがそれを支持した訳だ。

そして決議文は「国際信義に対し疑義がある」という断定になってしまった。この断定によって、法的拘束力のない勅語が憲法違反の詔勅になってしまったわけだ。

さらに教育基本法の制定過程でも、勘違いと言葉の壁によって、教育勅語が否定されたことを指摘している。筆者は教育基本法制定に関わった関係者にインタビューをしているが、彼らは口々に「私達は教育勅語を否定していません。

教育基本法には教育勅語の精神が引き継がれているのです」と証言することが理解できなかったとしている。当初教育基本法案の前文に「伝統を尊重して」という文言が入っていた。しかしJ・C・トレーナーというCIE教育課長補佐が削除を命じた。筆者は本人に、何故削除したかをインタビューすると、

「自分は意味がわからなかった。日系人の通訳にどういう意味かと聞いた。すると通訳は "伝統を尊重するということは、封建的な世界に逆戻りするという意味です" と言った」

教育勅語はこの誤訳によって葬られてしまう。教育基本法制定過程の国会議事録には「教育基本法法律、教育勅語は道徳」という答弁を、文部省が想定していたことが残されている。

そして戦後教育は憲法違反になった教育勅語を廃し、180度転換したという解釈のもと始められ、今日まで日本人を反日思想毒に冒すことになる。戦後教育は道徳心、道徳観なしの唯物教育に陥ってしまい、さらにそれが法律として教育者を拘束することになった。第4章ではそれらが今日の教育現場にどのような影響を与えたかが語られるが、それらは皆様が評書を手にとってご確認頂きたい。

教育の崩壊は家庭にあった
日本の戦後民主主義は義眼をはめられた国民とその国民の代表によって行われてきた。彼らの中には日本を断罪するものもいた。また義眼を外すことが出来ず、ただ謝罪をすることしか出来ない為政者もいた。宮沢喜一、河野洋平、村山富市。それでも戦前教育を受けていた国民やその代表がいた時代はまだ良かったが、その世代が現役を引退し始める21世紀初頭から日本の国政と日本人が顕著におかしくなった。

筆者は第6章で「日本再生への取り組み」として家族再生から教育再生の項で、筆者は、親学のすすめを提案している。会社の社員心得があるように親にもその心得を学ばせる必要がある。それは科学的知見で日本人が行っていた躾や道徳観がなんら、恥じることがないことを立証し、甦らせる必要があると、力説する。 たとえば、明治時代の小学校の教科書に、「賢母の家庭」、「西洋諸国小学校の欠席」、「保護者の注意」という項目があり、保護者の注意の中には、

”教育の道は、家庭の教えで芽を出し、学校の教えで花が咲き、世間の教で身が成ると申す”

という諺が紹介されていることを特筆する。さらに、「西洋諸国小学校の欠席」という一文に、

”独逸を其重きものとして、西洋諸国にては、通例小学校生の欠席は、之を其父兄、若しくは保護者の罪に帰し、謂はれなく、学校を休ましむる時は、科料若しくは禁錮の刑に処するなり”

当時独逸では学校を欠席させると罰金を科していたことを紹介する。現在でも米国、英国、仏国など先進国ではそういう考え方の上に立っているという。

また賢母の家庭では、子供が学校に行かない場合には頭で押し付けるのではなく、学校に行かなければどうなるかを実感させることが「賢母」だとしていたという。

女性に対する、価値観の押し付けだ、として良妻賢母を否定している現代では望むべくもない。

特に西洋諸国小学校の欠席で示される、子供が学校を休むことへの責任の所在を社会が明確化し教育の重要性を両親に示しているという、例を教科書が示しているのは、明治日本がデモクラシーを実践するためには、国民の教育が大切であるということを、認識していたことを物語る。

英国のノブレス・オブリージュのように、国家への忠誠心、社会への奉仕心なくば、近代デモクラシーは成り立たない。道徳教育なしの戦後民主主義では国家は迷走するばかりだ。

米国カリフォルニアやシアトルでは、子供が学校を休むと罰金3千円もしくはその分のボランティア活動をシなければならない。英国では子育て命令法という法律があり、 違反した場合、罰金25万円、滞納すれば禁錮刑に処され、子供が更生するまで1年間の講習を義務付けているという。

仏国では義務教育を放棄した場合、2年間の禁錮刑、350万の罰金のほか、月に4回以上理由なく学校を欠席すると9万円の罰金を科している。

政府及び議会はこのような研究の成果、諸外国の制度を取り入れ、国民が失った歴史観と道徳心を取り戻す努力を惜しむべきではない。

いわゆる従軍慰安婦象の設置問題なども、このような研究者の地味ながら真摯な努力を反映させなければ、解決など出来ない。先出の為政者、宮沢喜一、河野洋平、村山富市等、義眼をはめたまま、それを外す努力をしない者達のために、日本の名誉と利益が失われたことか。

研究の成果を政府、議会はなぜ生かせないのか
終章「占領文書二百五十万ページ研究への挑戦と成果」で筆者は、初心に帰るため、再び米国へ占領文書の研究に迎い、岸本英夫氏の日記を発見した。数十年前に本人へのインタビューを試み、日記の所在がわからないとの回答だったという。

岸本氏は占領当時東大の助教授でGHQの顧問をしていた。昭和20年10月から12月にかけて、GHQはいわゆる4大指令を発する。日本教育制度に関する管理指令、教員及び教育関係者の調査、除外、許可、神道指令、終身、日本の歴史及び地理の停止だ。

岸本氏は神道指令の原文をGHQバンス宗教課長から手渡されると、「ここだけが問題だ」と一文を指摘したという。そこには教育勅語の廃止が書かれていたのだ。

さらに国体という言葉も削除をアドバイスしたという。草案がマッカーサーの手元に提出されていにもかかわらず、岸本氏のアドバイスを聞き入れた、バンス宗教課長は奔走して国体という文言を司令部に削除させたという。

これらの証言、記録が物語るのは米国が占領時に何をしやうとしたか、そして何故それをしたかだ。全ては神道と日本人の教育を、超国家主義的、軍国主義的と誤解したということだ。

淵源は先に示した、第2章で詳しく分析される、ハロルド・ラスエル博士の研究、その影響を受けたジェフリー・ゴーラーの論文と、それらを唯一の参考として書かれたルース・ベネディクトの『菊と刀』を土台とした占領政策なのだ。

それは誤解と偏見、誤訳によってもたらされたことが、研究者によって明らかになった。つまり占領政策は科学的に間違っていたのだ。にもかかわらず未だ義眼を外せない日本と日本人なのだ。政府議会はまず、これらの研究を真摯に受け止めて、占領政策を見直し、それらをまず白紙も戻すことから始める必要がある。

日本と日本人の教育観、躾、親子関係を再考しない限り、日本の子供たちの崩壊は止まらない。引きこもりの割合が最も多いのが30代で46%だという。働き盛りであり、結婚、出産、育児をしなければならない年代が、引きこもっていては、日本は政治も経済も、最終的には日本文明が、いずれ立ち行かなくなるだろう。

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朝日新聞も毎日新聞も、今こそ憲法第9条を遵守するよう社説を書くべき

―国連軍創設が憲法第9条の要請― 国連常備軍と戦力の放棄は契約 少し過激なタイトルだが、憲法解釈上そういう結論になる。そもそも日本国は「公正と信義に信頼して」自国の安全と平和を確保しようとしたので、自国を防衛するための戦力はいらないと宣言している。つまり国際的に平和を実現するためには、各国が戦力を縮小して、国連常備軍がそれらより強力な唯一の戦力になる必要がある。それが第9条の要請だ。

II War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.

No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.

マッカーサーは日本国の防衛と保護をある崇高な理念に委ねる、ことを指示している。この崇高な理念とは国際連合のことである。もう少しつめると、国連軍もしくは国連常備軍ということになる。国連憲章は、
第42条 安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分であろうと認め、又は不充分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。

として、国連軍としての行動と加盟国の軍の行動を規定しているが、その頼みの国連常備軍は待てど暮らせど組織されたことはいまだない。当然国連常備軍は各国にもしくは各地域に常駐することになる。米国を例にすると、州軍と連邦軍の関係といえる。
ICBM迎撃も憲法違反 現在の北朝鮮は国連の決議に反して核ミサイルを開発し…

国益とは時間と空間である

時間と空間に関わる利益が真の国益である 国益とは さて国益とはなんだろうか。国益(national interest)は利益であるから経済的な意味合いが強いのは当然だ。当然経済的という具体的な側面も必要である。民主政体であるかぎり具体的な数値でその支持を得ることは必要だからだ。では経済的利益以上に重要な国家の利益があるのだろうか。もちろん答えはイエスだ。それは領有権(領土領空領海)と歴史と伝統に関わるものだ。この両者こそが真の国益ではないだろうか。

領有(土高)権とは我々が生活する空間を統治する権利であり、それを承認するのが我々の歴史と伝統だ。つまり領土領有権(空間)と時間(その正統性、歴史と伝統)が国益の本義ではないか。これらを守るために政府が組織され、その構成員たる国民はこれらを守る義務を追う。私は命をかけても守る義務を負う国家の利益を国益と定義したい。

そしてこの国益を守るために近代、付与されたのが国民の利益であると考える。国民は国家を守る義務を負うため政府権力から特別の権利を付与されている。憲法で保証される諸権利の正統性は国益を守るという事のみに由来する。過去ギリシャの都市国家やローマ市民も、奴隷でないものは国家防衛の義務を追っていた。奴隷は戦争は免除されていた。

市民は奴隷を支配する権利と引き換えに国家防衛のためには命を捨てなければならなかったのである。諸権利は唯一国家防衛の義務を果たすための利益にすぎないのである。これをこんにちにあてはめれば、国家防衛のための国民の利益であるといえないだろうか。安全保障を他国に譲っている国家は独立国とはいえないうえ、国民すら存在しないといえる。


TPPと慰安婦問題 平成23年11月17日、李明博大統領が来日したが、第一声で慰安婦問題の解決に言及した。これは韓国の憲法裁判所が今年8月に「賠償請求の具体的措置を政府がとってこなかったのは違憲」とする判断を出した事による。これらの賠償に関する諸問題はすでに日韓条約締結時に「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」となっているにもかかわらずだ。

先に歴史と伝統に関わることを私は国益であると定義した。慰安婦問題はまさしく国益である。我が国の官憲が朝鮮半島女性を半ば強制連行して大陸派遣軍の慰安所に拘束し売春行為をさせていたという、事実に反することで我が国の首相が相手…

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 前文

これから日本国の新憲法草案を提案しよう。どうしてそう思ったかは単純だ、今の日本国憲法は近代憲法の要件を満たしていないと思われるからだ。近代における国家は主権者である国民の国家形成への強い意志によって成り立っているとする。―するとしたのはもっと奥深い部分では違うと考えているが、近代に対応するためにそう仮定することにしよう。

近代思想において国家は、たとえ国民がひとりでも、国民意志があれば形成することができるとされる。しかしそれは利己的な個人意志ではない。五箇条の御誓文で公論と示された、意志を国民主権では民意というのであって、それがなければ近代国家は存在しないのである。さらにその意志は個々人の中にある不条理で熱い志であり、それを顕現しあるいは不当な隷属の強要から擁護されなければならないと考えている。

そして近代における憲法はその国家を統治する権力を制限するために制定するものであり、国民から政治権力への手紙であり、もっと強く表現すれば命令書として機能するのもである。よって国民が必ずしも従うべきものではないという性質のものである。
統治体というのは国際的には近代国民国家が国際関係を維持するため、またはその関係が破綻した場合に起きる紛争を解決したり、戦争を遂行し条約を締結するための代表府である。同時に国内においては共同体秩序を維持発展させるために制度や法律を制定する立法府、制定された法律をもとにそれを執行する行政府、そして行政が正しい手続きで行われているかを監視したりあるいは手続きの瑕疵を判断する裁判所などの組織のことである。

しかしこれらの組織は主権者である国民の自由を拘束したり法律を不当に行使したりする可能性があるので主権者は組織に対し、してはいけないことと、積極的にしなければならないことを文書によって命令する、それが憲法の本質なのである。そういう視点をもって世界最初の憲法らしい憲法であるアメリカ合衆国憲法と戦後アメリカの占領下制定された日本国憲法を比較してみよう。

アメリカ合衆国憲法(日本語訳)
前文
われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。The Constitution o…

国際関係論で論じられる理想主義

―リベラリズムー 誤解されるリベラリズム リベラリズムほど解釈が多様にある言葉はないと思う。日本語では自由主義と訳される場合が多いのだが、昨今では自由主義とリベラリズムは対立する政治姿勢ともいえる。よって自由主義をリバタリアニズムと呼ぶのが一般的になりつつある。本稿の場合はリベラリズムを社会自由主義的な用法、ようするに国際関係論で論じられる理想主義として論じることにする。




20世紀の戦争 20世紀は戦争の世紀と呼ばれるように産業革命による技術革新が戦争を巨大化、無慈悲化させた。世界は巨大化・無慈悲化する戦争に対して、一定の規則を締結したが、その後に勃発した第一次世界大戦は大規模かつ無慈悲な消耗戦によりヨーロッパ社会に大きな衝撃を残した。

第一次世界大戦の塹壕戦や化学兵器の使用は、ただ敵を消耗させるための戦略で、それまでの戦争とは様相が大きく変化した。戦争は国家が軍に命令して、軍が名誉をかけて行う営みから、国家国民全体で行う営み全体戦争つまり総力戦へと変容した。

パリ不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)は大戦のような悲惨な戦闘を二度と繰り返さないために交戦国、非交戦国も含めて63カ国が署名した。目的は戦争の違法化、特に侵攻戦争の違法化を目指したが、最終的には侵攻戦争を非難するにとどまった。




貧困が戦争を起こす もし社会が現状で固定されるとしたら、現在比較的幸福な人はいいが、もし不幸な人はどうだろうか。それはその人の希望を奪い去ることになる。国家同士の戦争もある一面では現状に満足できない国家と、それを阻止しようとする国家の営みといえる。

第一次大戦後ヨーロッパの比較的裕福な人々の間で戦争が二度と起こらないように、家族友人の死、あるいは戦争による破産などの不幸をなくすには、どうしたら良いか考えられたのは自然なことだ。そして彼らは結論した。「貧困が戦争を起こす」。

大戦中ロシアでは革命が起こりソ連邦が誕生する。国民(ソ連に国民がいたかは定かでないが)に貧困のない平等な生活を提供する統治体の出現に、ヨーロッパのエシュタブリッシュメントは期待と不安の眼差しを向ける。

リベラリズムの誕生 フランス革命の惨劇を経験しているヨーロッパの裕福な人達は、現状を維持しながら戦争を防止する政治体制の確立を急いだ。そのような背景でリベラリズム理論が誕生することになる。その理論は金持ちはそのまま…

日本国憲法改正提案Ⅳ

―戦争って放棄すればなくなる?― 天声人語の強制は憲法違反 そのⅢまで如何だろう? 僕が受験生のころ、―昭和56〜57年、先生が「朝日新聞の天声人語を読んでおけ、必ず試験に出るからな。」これってすごいね。この次の稿では、権利について検討するが、この発言は明らかな権利侵害だ。ある特定の新聞のある特定の筆者が書いた私見を、そのまま疑いもしないで試験では正解として書け!ということなわけだから。当時は朝日新聞に書いてあることが、受験に出題される「正解」だったのだ。

自衛隊を否定すれば卒業! ある先生に、昭和40年代から50年代まで、大学の卒論で自衛隊の悪口を書けば、評価されたと来たことがある。もちろん、すべてではないだろうが、時代の雰囲気はそんな感じだったのだろう。受験生の僕のために、朝日新聞を購読していた、母親も見事に影響を受けて、いまでもそれは変わってない。

僕は、それはそれで仕方のないことだと思う。物事の良い悪いは、自らの経験や信仰、影響を受けた人や情報で判断する。ただ、事実や法律的な合法違法はあきらかなので、―これは司法の稿で説明するが、事実に基づく判断、法律に基づく判断は、国民として身につける必要はあるだろう。


なぜ男はだめなのか? 出来れば女性に読んでもらいたい。それは、―あくまでも僕、個人の経験だが、男はどうしょうもないから生きんのだと思う。男性全員が、そうだとはいわないが、―あくまでも、僕レベルの男性は、政治に興味がない。興味の方向はの女性だけに向いている。

何をするにも基準は「女性にもてたい」か「格好良いと思われたい」くらいだろう。音楽をやるのも、スポーツをやるもの仕事で出世するもの、究極の目的はそれ以外にない。天下りを斡旋して首になったどこかの省の次官が、次官になっても、キャバクラの特定の女性に入れあげたなんてのもそう、先生に反抗するのも究極、それしかない。だから男に憲法が…、と話してもなかなか興味はひかないと思う。

そういう僕も、Anarchy in the UK ―ちなみのコックニーではナナキーと発音します、を歌ったり、スターリンというバンドが好きだったりしましたので、あまり人のこといえないが…。若いうちと現在の考え方は変わって当然です。ですから今、こんな考え方もあるんだぁ〜、程度に読んでもらいたい。

では、女性はどうだろう。僕は女性…

年次改革要望書

サイトで偶然みつけた原文の、いわゆる「年次改革要望書」だが、TPPと比較してみても面白い。アメリカの戦略なのか執念なのか、はたまた信仰なのか、1994年からもう20年くらいやってる市場開放交渉だ。我国政府も辛抱強くそれに対応していることがわかる。

国家とはなにか

―言葉による混乱― 家族、社会、国 国家は、ヘーゲルの分類のよれば、家族や会社から構成される社会とは区別され、ウエーバーは正統性がある継承によって形成された一定の領域を暴力に関する権威・権限を行使する単独の主体(国家)と定義している。国家とは政府組織であり社会とは区別される。State の訳語として国家があてられているように、国家とは政府、議会、警察、官僚、裁判所などの機関を有する統治権力のことを指す。


国民、国家 人間は子孫を残すため家族をなし生活する。そのような家族が一定の習慣や宗教によってある領域内で集団となったものが共同体だ。そして多少の習慣や宗教的違いを包括した地域を「国」と呼ぶ。「国」の住人が「民族」であり、近代はこの集団=民族を統治する権力が組織され「国家」と呼んだわけだ。そして、民族は「国民」となったのである。日本語に State と Country や Nation を区別する言葉なないのは、憲法議論などを混乱させている要因の一つだろう。



領域、人民、権力 国際法で定義されている「国家」もその地域を統治する政治組織のことを指す。つまり内外に干渉されず国民を正統性のある統治機構のことを国家という。国際法では、領域、人民、権力の三要素が承認の条件ともなる。
ある程度以上確定された一定の領土を持つこと。国民が存在すること。統治機構を持ち実効的支配をしていること。 このように国家は強大な権力を有していなければならない。つまり外に対しては自衛力、うちに対しては秩序維持の警察力が国家の基本となることがわかるだろう。
国、天皇 我々の「国」は、国ヲ肇ルコト宏遠ニと教育勅語にあるように神武天皇が肇国した世界最古の「国」だ。天皇は「治らす」存在として祭政一致の統治者として政にあたり、明治維新によって近代的な君主となった。日本国は憲法以前に存在しているという事実は憲法が国の形に(その事実に)その権力を及ぼしてはいけないということだ。
社会、天皇 国家は社会と対峙する存在とまではいえないが社会に対し強制力がある。さらに国民の自由を拘束することができる。しかし憲法の規定により組織される政府は憲法を制定している、正統性を有する権威を否定出来ないしまた、それを変更できない。明治憲法における第1章天皇条項の1条から3条はそのことを明記した条文だ。

つまり天皇の身体を不可侵…

日本国憲法改正案条文の解説 第2章 権利

権利は外在的言語に過ぎないので獲得するのもである。 権利は鎧である 第2章は国民の権利だが、この章では、現行憲法より多くの人権を規定して国民の福祉向上に寄与しようとしている。権利カタログは条文ではなく、条項で列記しているのは大きな改正点だ。


第2章 権利
第15条[国民の要件]日本国民は、日本国籍を有するものとする。
あまりにも当然の規定なのだが、昨今二重国籍で問題になっている議員がいるように、この後の条文で議会議員要件は明確化したい。

次に権利の具体的規定だが、学説の争いをなくすために、日本国民の権利、制限できる権利、万人の権利に分けた。婚姻や選挙、教育、就労などの権利は公共の福祉の観点から年齢制限を課しているのでわけることにする。第17条は日本国民固有の権利として憲法がその擁護を宣言した。

日本国憲法改正案 第2章 権利
第17条[国民の権利]次にあげる基本権は、国民の権利として、日本国民に保障する。個人として尊重され自由かつ幸福を追求すること。
2 むやみに生命を奪わず、健康で文化的な生活を営むこと。
3 平等であること。
4 人種、信条、性別、社会的身分又は出生により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されないこと。
5 財産を自由に処分し、また不当に奪われないこと。
6 居住、移転及び職業選択の自由を侵されないこと。
7 外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されないこと。
8 拷問及び残虐な刑罰に処されないこと。
9 公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し請願すること。

日本国憲法の諸テキストを読んでも、人権に関する解説に重点を置いている。私は人権に関して、米国的な自然権思想よりは仏国的な行政権の抑止的な立場に立っている。それは英国的な国民の権利と親和性が高いが、あくまでも人造の鎧のようなイメージを持ってる。

個々人が武装して個々人のバランスオブパワーによる、社会秩序の維持を目的としている、自然権的人権思想は、やはり米国的といえる。ところが第二次大戦において、独国が行った人権侵害は、欧州において、議会による人権保護から法律からの保障という、新しい次元の人権に昇華した。現在の日本は国際人権規約を批准しているので、憲法はその規約を誠実に尊守する必要がある。

いずれにせよ、欧米の人権思想の奥には…

日本国憲法改正案条文の解説 ―第4章 立法権

二院制の必要ある? 二院制は基本的に王国で貴族などの制度があるときに、貴族院と庶民院、ー英国、もしくは連邦制国家が国民代表と各自治体の代表、―独国や米国、というようなときに必要とされる。北欧諸国が王政の制限と平等原理の徹底によって、二院制から一院制への移行をしているように、日本国も天皇の権限の制限と貴族制の廃止は、一院制の十分条件である。


第4章は立法権を規定している章である。冒頭説明したが、現行憲法の二院制はGHQ案では一院制であった。

Article XLI. The Diet shall consist of one House of elected representatives with a membership of not less than 300 nor more than 500.


GHQ案が手交されたのち、日本政府下で、憲法改正を議論したのは憲法問題調査委員会だ。その議事で、「二院制を維持すべきであるが、従来の貴族院の権限に制限を加え、その構成を民主的なものに改めるべきだ、との意見が支配的であった」、「その名称についても、「上院」「第二院」「元老院」「特議院」「審議院」「参議院」など様々な案が出されたが、「参議院アタリガ無難」だということになった」という。
GHQ民政局が起草した案は「日本の政治の発達状況をみても、簡明性という点からも、一院制を提案するのがよいとの結論に達した。」としているが、これは、貴族制度が廃止されること(マッカーサーノート)、日本は連邦国家でないこと、第一院と第二院の間の争いが生じるおそれがあることなどの理由によるものであったとして、非常に理にかなっている。

参議院の設置理念を金森徳次郎国務大臣は、「衆議院に対する抑制的機能を前提として、知識経験のある慎重熟練の士を求めることにある」とした。この理念は現在、踏みにじられている。障害のある子供をほったらかして、市会議員と一線を越えないまでも、ベッドをともにして開き直ってる議員、二重国籍が確定しても、努力義務なのでと、戸籍を公表して居座る議員、そのほか議員資格に???が付く参議院議員が多い。

原点に返って一院制にすることが最初の目的である。また議会の権限と権能を規定すること。特に現行憲法には全く規定のない貨幣造幣権や度量衡、暦、徴税権、軍の編成権など権限、総理大臣の指名、…

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 第4章

第4章は連邦に対する規定だ。合衆国憲法の規定を読んでいると気がつくことがある。それは防衛という言葉がかなり使われている。独立をして間もなく軍隊もない小さな州政府が自らの自治をある程度制限しても、連邦を組織した理由は国土と国家体制をなんとか護りたいという切なる願いのような気がする。それが合衆国憲法を制定した国民意志なのだろう。


第4章[連邦条項]

第1条[十分な信頼と信用条項]

各々の州は、他のすべての州の一般法律、記録および司法手続に対して、十分な信頼と信用を与えなけ ればならない。連邦議会は、一般的な法律により、これらの法律、記録および司法手続を証明する方法な らびにその効果につき、規定することができる。

第2条[市民権条項、逃亡犯罪人・奴隷の引渡し条項]

[第1項] 各々の州の市民は、他州において、その州の市民が享有するすべての特権および免除を等し く享有する権利を有する。

[第2項] いずれかの州において反逆罪、重罪その他の犯罪につき告発された者が、裁判を逃れて他州 で発見された場合には、その逃亡した州の執行部の要求があれば、当該犯罪につき裁判権を有する州に移送するために、この者を引き渡さなければならない。

[第3項] 1 州において、その州の法律によって役務または労務に服する義務のある者は、他州に逃亡 しても、その州の法律または規則によってかかる役務または労務から解放されるものではなく、当該役務 または労務を提供されるべき当事者からの請求があれば、引き渡されなければならない。[修正第13 条で改正]

第3条[新州および連邦財産条項]

[第1項] 連邦議会は、新しい州がこの連邦へ加入することを認めることができる。但し、連邦議会お よび関係する州の立法部の同意なしに、既存の州の領域内に新州を形成し、または2 つ以上の州もしくは その一部を合併して1 つの州を形成することはできない。

[第2項] 連邦議会は、合衆国に属する領有地その他の財産を処分し、これに関する必要ないっさいの 準則および規則を定める権限を有する。この憲法中のいかなる規定も、合衆国または特定の州の請求権を 損なうように解釈されてはならない。

第4条[共和政体条項]

合衆国は、この連邦内のすべての州に対し共和政体を保障し、侵略に対し各州を防衛する。合衆国は、 州の立法部または(立法部が集会できない…