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小和田恒悪玉論を問う ―衆 - 外務委員会 - 1号 昭和60年11月08日 その1

5月3日、憲法フォーラムで、自治基本条例に反対する市民の会会長の村田春樹さんにお会いした。その際に氏の国民新聞への記事のコピーを頂いた。内容は平成25年6月25日「小沢一郎在日説を嘆く」と平成25年12月25日の「小和田恒氏悪玉論を嗤う」と題した記事だ。両者とも刺激的な記事で、最後にこのような筆者からのメッセージがある。「小沢一郎在日説を嘆く」には「本紙発行後に民主党福山哲郎氏が帰化人と判明しましたが、本稿の趣旨は変わりません。本稿の趣旨へ科学的根拠のある反論をお待ちしております。」、「小和田恒氏悪玉論を嗤う」には、本稿に対する反論をお待ちしております。昭和60年11月8日第103回国会外務委員会の議事録を詳細にお読みの上にお願い致します。」とある。記事を読んで「村田さんらしいなぁ~」と感心したので、早速国会会議議事録会議システムで当該質疑を検索してみた。

問題の箇所は社会党土井たか子委員との質疑なのだが、中曽根首相の靖国参拝問題を引き合いに出し、日中関係についての質疑に関するところからなのだが、当初は当時の後藤利雄アジア局長が答弁をしていた。それを極東国際裁判の解釈へと誘引していく土井たか子委員の質問に、当時条約局長をされていた小和田恒氏が答弁をするところなのだが、ポツダム宣言、極東国際裁判、日本国憲法などの戦後日本の手枷足枷となった、諸法規解釈に対してぎりぎりの答弁を展開している。まず土井たか子委員はこう切り出して日航機がソ連側FIRに侵入した事件の質疑を日中関係に切り替えるところから検討しよう。

○土井委員 わかりました。それはさらに努力を積んでいただいて、ぜひとも来春の外相会談の席では、これに対して具体的に何らかの措置がはっきりできることを望んでいます。これはひとつ、努力方をさらに要請を申し上げたいと思います。 さて、ほかにも日ソ間の問題は基本的にございますけれども、きょうは特にあとの時間を靖国問題についてお尋ねを進めたいと私は思うのであります。  それでは後藤局長からお尋ねしたいと思うのですが、十月八日に後藤局長は急速、本当に急速訪中されたわけでありますけれども、どのような目的で中国にあのときいらしたのですか。

○後藤(利)政府委員 お答えいたします。  御案内のように、十月十日から外務大臣同士の第一回の定期協議が開かれるということでございました。そこで、せっかく外務大臣が行かれますので、私ども単に呉学謙、ウー・シュエチエン外 務部長との協議のほかに、できるだけ多くの要人の方にお会いいただいた方がいいということで、外交チャネルを通じていろいろと中国側にお願いしておったわけでございます。ただ、御案内のように、中国側はいろいろな御日程がありまして、その時点においてなかなか決まっておりませんでしたので、むしろぜひ今度の安倍外務大臣の訪中の意義をもう一度、鄧小平主任以下できるだけ多くの要人に外務大臣がお会いすることができて、この機会に日中関係を大局的にお話ししていただくことが非常にいいのじゃないだろうかという私どもの誠意を、東京におります私が参りまして中国側の関係者にお願いするということで、要人と外務大臣との表敬、会談の日程の最終的なお願いに伺ったということでございます。

○土井委員 局長、ちょっとそれは四角四面な切り口上でおっしゃるわけだけれども、急速いらしたのには、大変な御無理を重ねていらっしゃるはずなんです。今までの外務大臣の訪中についてこれだけ配慮して、これだけ局長自身が無理をして飛んでいかれるということはよもやございませんでした。飛んでいかれた当日は、外国の方とお会いになるお約束もあったはずであります。韓国の金泳三氏と会談されるということもキャンセルにした。しかも、航空券はなかなか手に入らない、難しいのに、無理をしてわざわざいらした。今おっしゃったような御答弁だったら、日本大使館を通じてアレンジできるのです。いつでもそのとおりやってこられている。特に、いろいろと事前の調整が必要だったのじゃないですか。

○後藤(利)政府委員 今御指摘のとおり、八日の夜、韓国の金泳三氏と私会食をさせていただきたいという日程を立てておりました。大変乱もこの会談を、会談というか夕食を楽しみにしておりまして、私、体が二つあったら両方に本当に出たいなという感じがあったわけでございます。急に参りましたのは、私としては、大使館を通じてそういう日程のアレンジができればいいなと思っておったのでございますが、なかなかできないということでございましたので、できないと言ったらおかしいのですけれども、十日に行きまして……(土井委員「おかしいですよ」と呼ぶ)いやいや、そんなことは絶対にございません。行きまして、鄧小平主任――何日の何時ということはあるいはわかるかもしれませんが、私、事務当局の責任者といたしましては、日中外相会議は初めてでございますので、外務大臣ができるだけの要人にお会いしたいという希望に万一にも沿えない場合には、甚だ私責任を感ずるわけでございます。金泳三氏にお会いできなかったのは、まことに残念でございます。  それから、九日でもよかったかなという感じはするのですが、たまたま飛行機が八日の午後にとれたというものですから、結果的には急速飛んでいったということでございます。本当にそれだけでございます。

○土井委員 大変無理な御答弁だと思うのですよ。それはだれに会っていただけるかという調整だけではなくて、大事な懸案の内容に対する調整もあったのでしょう。それは既に巷間はっきり伝えられています。中国側がただいまの靖国問題に対して非常に強い姿勢を持っている、このことに対して外務省としては対応方が要請される、この調整がありはしませんか。

○後藤(利)政府委員 八日に参りまして、九日に先方の外務部の次官、あるいは私のカウンターパートであるアジア局長と昼食などをしたことは事実でございます。その過程において、もちろん今の要人の表敬のほかに議題というものは、日中外相会談の議題は二国間で国際関係のいろいろなお話をしましょうということは既にお話ししておったわけでございますが、靖国問題について調整する等そういうような問題はございません。靖国神社問題というのは、もっと高いレベルの非常に政治的なあれでございますので、私がこれについて調整するというようなたぐいのものではないと思います。  ただ、靖国神社の問題について、昼食か何かのときに日本の公式参拝というのがあって、それは官房長官談話のラインで私がお話ししたということはございますけれども、それがいわゆる今先生の言われました調整とか、そういうことでは毛頭ございません。それはむしろ、外務大臣同士においてお話ししていただくべき筋合いのものであるというのが私の判断でございました。

○土井委員 それはそうだと思います。外務大臣から正式に言われるのが筋であろうと思います。しかしその前に、一応それに対してその席を通じて説明をされることぐらいに、この問題に対しては重要視されて行かれているのですよ。

○後藤(利)政府委員 靖国神社問題が、日本の国内あるいは関係国において今非常に関心があるということは当然でございます。私もこの問題については、小さい心を常に痛めてきておることは御理解いただきたいと思います。その意味で官房長官の談話をお話しして、外務大臣もその点については呉学謙外交部長と率直なお話をさせていただくであろう、その点はよろしく外交部長にお話をお聞きいただきたい、そういうことでございます。

○土井委員 それごらんなさい。今の御答弁を聞いていると、やはりそういう調整じゃないですか。中身についてどうぞ聞いていただきたい、そういう調整ですよ。  さて外務大臣、中国の靖国に対する抗議というものについて、これは内政干渉だというふうなことを発言する人がおるんですね。しかし、日中共同声明の六項を見たり、日中平和友好条約の一条一項を見てまいりますと、そこに言うところの内政干渉には当たらないと私は思うのですが、これは内政干渉というふうに受けとめていらっしゃいますかどうですか、外務大臣にお尋ねいたします。

○安倍国務大臣 この問題についてはいろいろと議論もあるわけですが、私と外務長官との話し合いでは、内政干渉とかそういう立場で話をしているわけではありませんで、あくまでもやはり日中関係の将来の問題、それからこれまでの日中関係のあり方、そういうものを踏まえた形で靖国問題にも触れて、特に中国側としましては、日本に中国の人民の感情をやはり十分知っていただきたい、理解していただきたい、こういう趣旨でございます。中国側が、初めからそうした内政干渉とかそういう意図でもって、あるいはそういう気持ち、立場で日本に対して注文をつけたということではもちろんありません。

○土井委員 今外務大臣としては、内政干渉とは受けとめていらっしゃらないというお立場でありますが、そうすると、内政干渉でないということになるなら、その理由は、どういうふうなところでこの抗議があるというふうに受けとめていらっしゃいますか。

○安倍国務大臣 これは、具体的な会談の内容についていろいろと申し上げることは、やはり国際間の関係でもありますから差し控えるのが妥当じゃないかと思いますが、中国側としましては、やはりああした学生の一連の動き等もあって、そういう中でとくに靖国神社の公式参拝というのが、何か一部のといいますか、中国の人たちから、国民感情から見ると、日本がまた今まで来た道から方向を変えていくのじゃないか、中国が一番心配しているいわゆる軍国主義といった方向に、こうした総理大臣の公式参拝というものを契機に道を変えていくのじゃないか、そういうおそれ、心配というものが中国側にある。そうした心配というのが学生等の動きになってもあらわれておるのだ、こういうことも言っておられたのであります。  ですから、私はそれに対して、日本のとった今回の総理大臣の公式参拝というのは、官房長官の談話にも尽くされておるし、この官房長官の談話というのは、やはり日中関係についても、日本がこれまでアジアの人たちに与えた大きな犠牲というものに対する反省は常にしていかなければならぬ、同時に、これからの平和のために日本は努力をしていく。今回の措置というものは、一般の戦 争の犠牲者に対して政府として弔意を表する、こういう形でやってきているわけで、中国側が心配しておられるような軍国主義への道を歩くとか、あるいはまた日中共同宣言に違反をするような立場で日本が何かやろうとしている、日中平和友好条約に背馳するような形で日本が何かやろうとしている、そういうものでは決してないのだ、これまでの日中間で約束し、結んだ原則、条約、基本というものはきちっと守っていきますということを、私からも詳細に説明したわけであります。

○土井委員 その外務大臣は詳細に説明をされたということも新聞記事に報道されているわけでありますけれども、日本政府の真意を説明しましても、中国側の立場というのは、A級戦犯を祭った靖国神社へ政府が公式に参拝した行為そのものが相互の信頼を裏切る、侵略戦争の被害者である中国人民の痛みというものを踏みにじるものだというふうなとらえ方があるのじゃないか、こういうことに相なるわけでありますが、この点はいかがでございますか。

○安倍国務大臣 そうした判断も、私は率直に言って中国側にはあるのじゃないか、こういうふうに思います。

○土井委員 そこでお尋ねしますけれども、中国側の理由というものが一応納得できるというものであるならば、日中間の関係を一層強固なものにしていくことのためには、納得できる内容に対して、日本としてはやはりこれにこたえるということが非常に大事な問題になってくると思うのです。日本は中国に対して侵略戦争を行い、大変多大の被害を与えたという過去の事情があるわけですけれども、この点に対して外務省としてはどういう認識を持っていらっしゃいますか。

○安倍国務大臣 過去、日本が中国あるいは中国の民衆に与えた大変大きな犠牲というものに対しては、日本としては深く反省をして、その反省の上に立って日中関係というものを進めていかなければならない、こういうふうに思っています。

○土井委員 その過去の大変な、向こうに被害を与えたということの反省とおっしゃいますが、これはやはり中国に対して日本は侵犯した、侵略をしたという事実に基づくところの被害が中国側にはあったという事実関係に相なると思われますが、いかがでございますか。

○安倍国務大臣 中国側がそういうふうに判断することは、それは日中間のこれまでのあり方からすれば、国際的にもあるいは客観的にもそれなりの意味があるのじゃないか、こういうことは日本としてもやはり十分受けとめなければならぬ、こういうふうに私は思います。

○土井委員 つまり、国際的に日本は中国に対して侵略をしたということが是認されておる、国際的それは認識である、このことを日本もはっきり認めなければならぬ、こういう関係になるわけですね。  東京裁判で「平和に対する罪」という概念が新しく出てきているわけですが、「平和に対する罪」というのは内容は一体どういうものなんですか。外務省いかがでしょう。

この質問に対し当時外務省条約局長であった小和田恒氏の答弁があるわけなのだが、それは次回にしようと思う。

少しここまでの当時の日中関係を補足しておこう。1985年8月14日に、首相の靖国参拝を中国側が突然非難をしてた。しかし15日の終戦記念日に中曽根は首相として公式に靖国神社参拝をする。戦後それまで、第43代東久邇宮稔彦王以下、第71代中曽根康弘首相の1985年4月22日までの38代12人59回の参拝には非難はなかった。1978年いわゆるA級戦犯の合祀以降も大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘が、計21回参拝しているにも関わらず突然非難をしてきたのである。

その1週間前の1985年8月7日、朝日新聞が批判的に靖国参拝問題を報道すると14日突然、中国側が非難をしてきたという背景がある。その後は事あるごとにこの問題を外交の訴求にあげて来たため、中曽根康弘はこれ以降参拝を自肅している。この質疑は朝日新聞、そしてそれに呼応した中国政府の外交的な揺さぶりの渦中に行われた質疑なのである。

一方の中国側はというと、1977年に政権に復帰した鄧小平は、1978年10月に日中平和友好条約批准書交換のために訪日、日本の目覚ましい経済発展ぶりを目の当たりにする。同年の第十一期中央委員会第三回全体会議に於いて、文革の否定と改革開放が決定され、華国鋒の失脚で鄧小平は完全に政権を掌握する。翌79年には米中の国交が樹立すると、鄧小平は米国を訪問する。日米両経済大国の現状を目の当たりにした鄧小平は、より一層社会主義市場経済体制への移行を決意する。80年には趙紫陽が党主席、81年には自身が党中央軍事委員会主席、82年には胡耀邦が党総書記と完全な鄧小平体制が確立する。

鄧小平は趙紫陽、胡耀邦といった若手の人材を登用して改革開放路線を進めたのだが、そこには政権の座を追われた、ひと世代前の保守派長老たちや実力者もいた。鄧小平というカリスマのもと改革開放を推進していたが、それは副産物として民主化も釀成する。 鄧小平は経済の改革開放には肯定的であったが、民主化には否定的であった。いわゆる靖国問題が85年に起こると、この問題で中国国内の保守派の長老たちが、胡耀邦、趙紫陽の親日路線を追求し結局、胡耀邦は86年失脚することになる。

胡耀邦は83年に訪日し、中曽根首相との友好関係も良好であった。中曽根康弘は1985年8月15日の参拝を最後に、参拝を自肅したと書いたが、後年中曽根はその件に触れ、「親日派である胡耀邦が中国共産党内の批判にさらされて失脚する可能性があったからだ。それはどうしても困ることだったから」と述べている。1978年のいわゆるA級戦犯の合祀から、最初の批判までの7年間は、中国の権力闘争とその後の改革開放路線推進のためのため、日米の経済協力を必要としたため、靖国問題が外交の溯上に上がることはなかった。鄧小平の訪日時には、おそらく合祀は公になっていなかったが、胡耀邦の訪日時には報道その他で、中国側にも伝わっていたはずである。鄧小平とて7年間それを知らなかったわけではないだろう。

中国が「A級戦犯が合祀されている靖国神社に首相が参拝することは、中国に対する日本の侵略戦争を正当化することであり、絶対に容認しない」という見解を表明し続けていのであれば、その主な理由は「A級戦犯合祀」であり、78年7月からの約7年間の沈黙はどう説明するのだろうか。当時の自民党政権側には中国の政治情勢の変化が靖国参拝への非難の根底にあることはわかっていたはずである。中曽根の胡耀邦擁護発言の根底にもそれがある。しかし安倍外務大臣の答弁はその政治情勢を全く説明していない。当然質問者の土井たか子には靖国問題が、日中国交回復当初からの懸案事項で、日中共同声明や日中友好条約の基本的精神のように誘導しているが、それに対しての反論を安倍外務大臣はしていない。土井たか子委員の想定誘導質問の通りの展開になり、細かな条約解釈論に導き、小和田恒当時の外務省条約局長の登場となるわけだ。

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眞子内親王殿下と小室圭氏の恋の行方を憲法で考える

憲法24条はまもられるのか?
日本国憲法24条
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

日本国憲法では婚姻の自由が権利として認められている。前回の投稿でも示したが、第24条は日本国憲法で唯一国民に受け入れられた条文ともいえるので社会の根幹である家族を生み出す唯一の条件が「両性の合意のみ」とした、つまり愛が結婚の認証基盤だとうことだ。


憲法では陛下や秋篠宮文仁親王及び紀子妃殿下がそれを拒否しようがしまいが関係がないと規定している。しかし人権がご皇室にも適用されるかどうかの人権の享有主体性の問題はある。紀子妃殿下や皇后陛下のご心配ははかり知れないが、陛下はご結婚をすでに許可されているので、眞子内親王の心変わりがなければ、延期にはなるが破談になることはないだろう。なぜなら、陛下は日本の立憲君主、象徴天皇としての立憲的立場をよくわきまえていらっしゃるからだ。

もし内親王と圭氏の強い意思で結婚を希望したが、文仁親王や妃殿下のご意向で破談になるようなことがあれば、それは明らかな憲法違反となることだろう。圭氏の母親がどのような人物だろうが、婚姻は憲法では「両性の合意のみに基いて成立」するのである。 母親の借金などということと婚姻とは全く無関係なのである。私は眞子内親王には是非そのようなことで愛する男性との婚姻をやめてほしくはない。勿論合意がなければ―つまりそんな男愛せないと、おっしゃれば別だが。

日本は北朝鮮と国境を接していない

朝鮮民主主義人民共和国はなぜ生存しているのか 「北朝鮮は脅威ではない」が、思いのほか好評だったが、危機が現実化する過程の関心高さがうかがえる。ただ、一部投稿を疑問視するコメントも散見されたので、本稿はそれにお答えしよう。何を疑問視されたかというと、北朝鮮は現実的に脅威じゃないか!というものだが、僕は、北朝鮮が脅威にように見えるが、あれは北朝鮮ではなく、北朝鮮をコントロール若しくはそう仕向けている勢力があるということをいっている。現実は北朝鮮危機なのだが、真実は極東情勢の好転ではないのか、というのが趣旨だ。

極東の軍事バランス 図は少し古い資料だが、詳しくは拙稿「朝鮮人民軍の実力」を参照してほしい。最近の資料では、韓国軍は2020年までに52万人に削減される予定である。 一方朝鮮人民軍は推定で120万人といわれている。在韓在日の米軍を含めても、北朝鮮人民軍の兵力は約2倍だ。さらに、中朝国境を管轄する人民解放軍北部戦区には約25万人の兵力があるという分析もある。北部戦区は再編前の瀋陽軍区で、瀋陽軍区の前身が朝鮮戦争に義勇軍を派遣した第4野戦軍なのである。米軍による仁川上陸の攻勢から、金日成北朝鮮軍壊滅を救ったのが、現在の北部戦区ということだ。金正恩北朝鮮の強硬姿勢は、こういう歴史的背景がある。人民解放軍の戦力の他に、ウラジオストックにはロシア軍東部軍管区の2個軍及び航空軍、鉄道軍約9万人が配備されている。


旧瀋陽軍区と北朝鮮 歴史的に朝鮮半島では、他国の影響を排除した独立国は存在していない。現在の両国もそうだ。北朝鮮はソ連が建国して、中国共産党人民解放軍の奮戦が支えた国といえるし、韓国は米軍の支援なしでは、いまごろ、山口県に亡命政権があったかもしれない。先にふれた旧瀋陽軍区は、鴨緑江から反撃を開始して、約2万5千人の戦死者を出しながら、一時はソウルを再占領するまで戦った部隊の末裔だ。過去金正恩の父、金正日は亡くなる前2年間で11回、旧瀋陽軍区を訪問しているという。
中国共産党も恐れる旧瀋陽軍区 また、旧瀋陽軍区は中国共産党にとっても危険な存在だという。かつては北方民族が群雄割拠する地域で、万里の長城はその北方民族の侵入を防ぐためのものだ。近くは軍閥の張作霖が支配した地域であり、満州国が建国された地域でもある。歴史的には北京とは一線を画している地域だ。李氏朝鮮時代か…

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 前文

これから日本国の新憲法草案を提案しよう。どうしてそう思ったかは単純だ、今の日本国憲法は近代憲法の要件を満たしていないと思われるからだ。近代における国家は主権者である国民の国家形成への強い意志によって成り立っているとする。―するとしたのはもっと奥深い部分では違うと考えているが、近代に対応するためにそう仮定することにしよう。

近代思想において国家は、たとえ国民がひとりでも、国民意志があれば形成することができるとされる。しかしそれは利己的な個人意志ではない。五箇条の御誓文で公論と示された、意志を国民主権では民意というのであって、それがなければ近代国家は存在しないのである。さらにその意志は個々人の中にある不条理で熱い志であり、それを顕現しあるいは不当な隷属の強要から擁護されなければならないと考えている。

そして近代における憲法はその国家を統治する権力を制限するために制定するものであり、国民から政治権力への手紙であり、もっと強く表現すれば命令書として機能するのもである。よって国民が必ずしも従うべきものではないという性質のものである。
統治体というのは国際的には近代国民国家が国際関係を維持するため、またはその関係が破綻した場合に起きる紛争を解決したり、戦争を遂行し条約を締結するための代表府である。同時に国内においては共同体秩序を維持発展させるために制度や法律を制定する立法府、制定された法律をもとにそれを執行する行政府、そして行政が正しい手続きで行われているかを監視したりあるいは手続きの瑕疵を判断する裁判所などの組織のことである。

しかしこれらの組織は主権者である国民の自由を拘束したり法律を不当に行使したりする可能性があるので主権者は組織に対し、してはいけないことと、積極的にしなければならないことを文書によって命令する、それが憲法の本質なのである。そういう視点をもって世界最初の憲法らしい憲法であるアメリカ合衆国憲法と戦後アメリカの占領下制定された日本国憲法を比較してみよう。


アメリカ合衆国憲法(日本語訳)
前文
われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。The Constitution o…

国益とは時間と空間である

時間と空間に関わる利益が真の国益である 国益とは さて国益とはなんだろうか。国益(national interest)は利益であるから経済的な意味合いが強いのは当然だ。当然経済的という具体的な側面も必要である。民主政体であるかぎり具体的な数値でその支持を得ることは必要だからだ。では経済的利益以上に重要な国家の利益があるのだろうか。もちろん答えはイエスだ。それは領有権(領土領空領海)と歴史と伝統に関わるものだ。この両者こそが真の国益ではないだろうか。

領有(土高)権とは我々が生活する空間を統治する権利であり、それを承認するのが我々の歴史と伝統だ。つまり領土領有権(空間)と時間(その正統性、歴史と伝統)が国益の本義ではないか。これらを守るために政府が組織され、その構成員たる国民はこれらを守る義務を追う。私は命をかけても守る義務を負う国家の利益を国益と定義したい。

そしてこの国益を守るために近代、付与されたのが国民の利益であると考える。国民は国家を守る義務を負うため政府権力から特別の権利を付与されている。憲法で保証される諸権利の正統性は国益を守るという事のみに由来する。過去ギリシャの都市国家やローマ市民も、奴隷でないものは国家防衛の義務を追っていた。奴隷は戦争は免除されていた。

市民は奴隷を支配する権利と引き換えに国家防衛のためには命を捨てなければならなかったのである。諸権利は唯一国家防衛の義務を果たすための利益にすぎないのである。これをこんにちにあてはめれば、国家防衛のための国民の利益であるといえないだろうか。安全保障を他国に譲っている国家は独立国とはいえないうえ、国民すら存在しないといえる。

TPPと慰安婦問題 平成23年11月17日、李明博大統領が来日したが、第一声で慰安婦問題の解決に言及した。これは韓国の憲法裁判所が今年8月に「賠償請求の具体的措置を政府がとってこなかったのは違憲」とする判断を出した事による。これらの賠償に関する諸問題はすでに日韓条約締結時に「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」となっているにもかかわらずだ。

先に歴史と伝統に関わることを私は国益であると定義した。慰安婦問題はまさしく国益である。我が国の官憲が朝鮮半島女性を半ば強制連行して大陸派遣軍の慰安所に拘束し売春行為をさせていたという、事実に反することで我が国の首相が相手…

TPPとはなにか ―国際法・条約から考える

フェイスブックのTPPって何?の議論を通じTPPを検証してきたが、ここに来て議論が成熟してきた。JAなどがTPPの「聖域なき関税撤廃で農業はだめになる」という主張はWTO・GATTのウルグアイ・ラウンドで我国が聖域として議論した農産5品目が自由化されるという主張だが、TPPはWTO・GATTの規定内で交渉される自由貿易協定であるから、「聖域なし」は「実質上」と同じ「すべて」ではないという例外を表した言葉だ。

合衆国憲法及び合衆国国内法とTPP ―まとめ

以下はTPPってなに?でリアルジャーナリスティックに議論を展開される石塚幾太郎さんが作成した、TPP交渉にあたって関係する米国憲法及び国内法の関係とその成立過程をまとめたものだ。(一部URL表示をリンクに取り込んだ)

TPAの成立過程
1.憲法上の通商交渉権限規定

(1)合衆国憲法
合衆国憲法立法部第8条第3項に「通商交渉権限」が議会にあり、執行部第2条第2項に「条約締結権」が上院の助言と承認のもとに大統領が有していることが記載されている。

「通商協定」の批准は、上院3/5(60名)、下院過半数の可決が必要。条約の批准は上院2/3の可決が必要である。

合衆国憲法(在日米国大使館)HP

(2)日本国憲法
日本では、憲法第76条第3項の規定により、通商協定も条約であり、締結は内閣の専権事項になっている。国会は、締結された条約(通商協定)を批准するか否決するかの採決を行う。 2.世界恐慌からの脱出
1930年、世界恐慌の経済対策として、米議会は、大幅な関税引き上げ(1930年関税法)を可決し、施行した。この動きが世界中に拡散し、いわゆるブロック経済の対立を生み出し、第二次世界大戦の原因ともなったと言われている。

関税引き下げを訴え当選したルーズベルト大統領は、1934年関税引き下げの権限を議会から獲得することに成功する。(1934年互恵通商協定法)この法律は時限法であるが延長を重ね1967年失効するまで継続する。

3.ケネディラウンド合意の議会不承認
GATTケネディラウンド(1964~67年)で、議会が政府の合意した協定を部分的に受け入れなかった。(国際アンチダンピング・ルールと米国非関税障壁ASPの撤廃)

国際アンチダンピングについては、米国法(1921年アンチダンピング法)のコード(品目)と一致するもののみ適用とする法律(90-634)を成立させ、ASPについては、国内実施法を成立させなかった。

この時、通商協定より国内法が優先することが、議会と大統領府の共通の認識になった。

4.1974年通商法の成立
このケネディラウンドの合意批准不成立が、交渉官が他国に信憑性を疑わせると心配、ニクソン大統領は東京ラウンドに向けて、ファストトラック法を1974年通商法に挿入する提案を行った。

上院の審議のなかで、議会と相談し、締結90日前には、必要書類を提出するルール、締結後、内…

日韓併合 百年目の真実 李完用が救った大韓帝国

本年2010年8月29日は法律上の専制君主大韓帝国皇帝純宗が勅諭を発表して日本と韓国が合併したことを内外に示してから100年目にあたる。


韓国皇帝の勅諭 皇帝、若(ここ)に曰く、朕否徳にして艱大なる業を承け、臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望み無し。中夜憂慮善後の策茫然たり。此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底(いた)らん。寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せいむるに如かず。

故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、自ら断じ、茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国日本皇帝陛下に譲与し、外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。惟爾大小臣民は、国勢と時宜を深察し、煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。

朕が今日の此の挙は、爾有衆を忘れたるにあらず、専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ。爾臣民は朕の此の意を克く体せよ。

隆煕四年八月二十九日 御璽

日韓併合100年目を前に韓国の反日派からの様々な動きがあるのでまとめてみたい。

2010年5月11日のこのようなニュースを目にした。

日韓知識人が共同宣言「日韓併合は当初から無効だった」
看過できないのは多くの日本人学者が関わっているという点 …今回の声明には発起人である和田春樹東京大学名誉教授をはじめ、日韓歴史共同研究委員会の日本側の座長を務めた三谷太一郎東京大学名誉教授など105人が声明に署名している。一方、韓国ではイ・テジンソウル大学明楊教授やカン・マンギル高麗大学名誉教授、詩人の高銀氏や金芝河氏のほか、幅広い層から109人が声明に署名した。… …声明では、「併合は大韓帝国の抗議を軍事力で押さえつけたもので、韓国側が国権の譲与を申し出たとする内容も虚偽(きょぎ)である」と指摘し、日本政府が日韓併合条約について「無効」であることを認め、8月の総理談話に関連内容を盛り込むように、積極的に働き掛けるとしている。… 2010年07月18日には、

日韓併合100年で日本が韓国へ謝罪、中国も大きな注目

8月29日に日韓併合100年を迎えるにあたり、日本政府は韓国に過去の植民地統治を謝罪する方針を明らかにした。17日、環球時報は「日本は韓国側…

日本国憲法24条

日本国憲法を研究していて常々思うのだが、24条は非常に特異な条文だ。14条で男女の同権(平等の権利で単に平等ではない)を規定しているのだから、特に婚姻まで権力が関与するまでもなく、自由な恋愛や婚姻は保障されていると考える方が自然だろう。むしろ自由権の侵害ともいえる。
第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

○2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
ところが、ダメ押しのように「婚姻は当人同士で決める」と宣言している。当時の男女が制度に縛られて自由な婚姻ができなかった怨念の条文に思えて仕方がない。24条について条文を廃止するという声もあまり聞かれない。あの自民党案でさえ、第1項に「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」と加えただけで、条文はそのまま残るとしている。

日本国憲法の施行当時は「新憲法実施のよろこび 男女の権利は同じ 結婚は父母の同意なくできる」や「堅苦しい戸主権よさらば 男女は完全平等に」などという見出しが躍るように国民にも歓迎されたと思われる。ではこの特異な条文はどのように規定されたのだろうか。日本国憲法に影響を与えた憲法草案要綱にもそのような条文はない。GHQが1946年2月13日に日本政府に手交された草案に以下の条文があった。
Article XXIII. The family is the basis of human society and its traditions for good or evil permeate the nation. Marriage shall rest upon the indisputable legal and social equality of both sexes, founded upon mutual consent instead of parental coercion…

日米憲法比較研究 ―年次改革要望書

日米憲法の比較研究に参考にしているサイトで偶然みつけた原文の、いわゆる「年次改革要望書」だが、TPPと比較してみても面白い。アメリカの戦略なのか執念なのか、はたまた信仰なのか、1994年からもう20年くらいやってる市場開放交渉だ。我国政府も辛抱強くそれに対応していることがわかる。2001年(平成13年)からは申し訳程度の要望書をアメリカに出しているが、要求の多さ細かさはアメリカのそれが圧倒している。つまりアメリカは多年戦略的にアメリカ産業の保護推進を考えて行動しているのに対し、我国は相手が攻めてきてから対応する「専守防衛」に徹している。「攻擊は最大の防御なりという」戦いの格言を忘れているということだ。

11/15/1994
Submission by the Government of the United States to the Government of Japan Regarding Deregulation and Administrative Reform in Japan
11/22/1995
Submission by the Government of the United States to theGovernment of Japan Regarding Deregulation, Administrative Reform and Competition Policy in Japan 03/22/1995
Comments by the Government of the United States on Japan's Interim Deregulation Report 11/15/1996
Submission by the Government of the United States to the Government of Japan Regarding Deregulation, Administrative Reform and Competition Policy in Japan
日本における規制緩和、行政改革および競争政策に関する日本政府に対する米国政府の要望書
11/07/1997
Submission by the Government of the United States to the Governme…

日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと 

日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと ー戦後の日本の解体は『菊と刀』から始まった 高橋史朗 WGIP ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム War Guilt Information Program をご存じの方は多いと思う。大東亜戦争に敗れ、我が国は、歴史上初めて他国の占領を受けることになる。占領当初、我が国指導者の目的は、いや日本国民すべてが、連合国による天皇陛下の処刑阻止にあったと言っても過言ではないだろう。評書は第3章で、昭和天皇の処刑を阻止するために、多くの婦人たちの力があった逸話を挿入しながら、WGIPについて新事実も含め詳細に分析を試みている。

誰が陛下の処刑を止めたのか 当初米国上院は、昭和天皇を戦争犯罪人として処刑することを全会一致で可決しており、マッカーサーは議会から、昭和天皇に戦争責任ある証拠を集めるように命令されていた。しかしフェラーズがマッカーサーに、

天皇を戦犯として裁判にふせば、日本全国に暴動は必死であろう。もし天皇を廃せば、全国的暴動が必死であって、特別警備区以外の白人は暗殺を免れない。
 覚書を出すと、マッカーサーも態度を一転、米国陸軍に対し電報を打つ。

天皇を告発すれば、日本国民の間に想像もつかないほどの動揺がが引き起こされるだろう。その結果、もたらされる事態を鎮めることは不可能である。天皇を葬れば、日本国家は分解する。連合国が天皇を裁判にかければ、日本国民の憎悪と憤慨は、間違いなく未來永劫に続くであろう。―中略―そのような事態が勃発した場合、最低100万の軍隊が必要である。軍隊は未來永劫駐留しなければならない。―後略― これによってこれによって米国政府は昭和天皇の訴追をやめることになる。これは比較的著名な事実だが、評書ではもう一つ、昭和天皇処刑方針を転換するにあたり、重要な事実を紹介している。 それは伊藤たかさんという婦人が、マッカーサーに宛てた直訴状、手紙だという。そして日付のあとには署名血判が押してある。当時の右翼はそのような直訴状を出していないということ、直訴状を出したのは婦人ばかりだという事実を紹介している。
 マッカーサーは昭和天皇と会見し、昭和天皇の "You may hang me" という言葉によって心動かされ、フェラーズの覚書、伊藤たかさん等、日本の婦人…