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小和田恒悪玉論を問う ―衆 - 外務委員会 - 1号 昭和60年11月08日 その1

5月3日、憲法フォーラムで、自治基本条例に反対する市民の会会長の村田春樹さんにお会いした。その際に氏の国民新聞への記事のコピーを頂いた。内容は平成25年6月25日「小沢一郎在日説を嘆く」と平成25年12月25日の「小和田恒氏悪玉論を嗤う」と題した記事だ。両者とも刺激的な記事で、最後にこのような筆者からのメッセージがある。「小沢一郎在日説を嘆く」には「本紙発行後に民主党福山哲郎氏が帰化人と判明しましたが、本稿の趣旨は変わりません。本稿の趣旨へ科学的根拠のある反論をお待ちしております。」、「小和田恒氏悪玉論を嗤う」には、本稿に対する反論をお待ちしております。昭和60年11月8日第103回国会外務委員会の議事録を詳細にお読みの上にお願い致します。」とある。記事を読んで「村田さんらしいなぁ~」と感心したので、早速国会会議議事録会議システムで当該質疑を検索してみた。

問題の箇所は社会党土井たか子委員との質疑なのだが、中曽根首相の靖国参拝問題を引き合いに出し、日中関係についての質疑に関するところからなのだが、当初は当時の後藤利雄アジア局長が答弁をしていた。それを極東国際裁判の解釈へと誘引していく土井たか子委員の質問に、当時条約局長をされていた小和田恒氏が答弁をするところなのだが、ポツダム宣言、極東国際裁判、日本国憲法などの戦後日本の手枷足枷となった、諸法規解釈に対してぎりぎりの答弁を展開している。まず土井たか子委員はこう切り出して日航機がソ連側FIRに侵入した事件の質疑を日中関係に切り替えるところから検討しよう。

○土井委員 わかりました。それはさらに努力を積んでいただいて、ぜひとも来春の外相会談の席では、これに対して具体的に何らかの措置がはっきりできることを望んでいます。これはひとつ、努力方をさらに要請を申し上げたいと思います。 さて、ほかにも日ソ間の問題は基本的にございますけれども、きょうは特にあとの時間を靖国問題についてお尋ねを進めたいと私は思うのであります。  それでは後藤局長からお尋ねしたいと思うのですが、十月八日に後藤局長は急速、本当に急速訪中されたわけでありますけれども、どのような目的で中国にあのときいらしたのですか。

○後藤(利)政府委員 お答えいたします。  御案内のように、十月十日から外務大臣同士の第一回の定期協議が開かれるということでございました。そこで、せっかく外務大臣が行かれますので、私ども単に呉学謙、ウー・シュエチエン外 務部長との協議のほかに、できるだけ多くの要人の方にお会いいただいた方がいいということで、外交チャネルを通じていろいろと中国側にお願いしておったわけでございます。ただ、御案内のように、中国側はいろいろな御日程がありまして、その時点においてなかなか決まっておりませんでしたので、むしろぜひ今度の安倍外務大臣の訪中の意義をもう一度、鄧小平主任以下できるだけ多くの要人に外務大臣がお会いすることができて、この機会に日中関係を大局的にお話ししていただくことが非常にいいのじゃないだろうかという私どもの誠意を、東京におります私が参りまして中国側の関係者にお願いするということで、要人と外務大臣との表敬、会談の日程の最終的なお願いに伺ったということでございます。

○土井委員 局長、ちょっとそれは四角四面な切り口上でおっしゃるわけだけれども、急速いらしたのには、大変な御無理を重ねていらっしゃるはずなんです。今までの外務大臣の訪中についてこれだけ配慮して、これだけ局長自身が無理をして飛んでいかれるということはよもやございませんでした。飛んでいかれた当日は、外国の方とお会いになるお約束もあったはずであります。韓国の金泳三氏と会談されるということもキャンセルにした。しかも、航空券はなかなか手に入らない、難しいのに、無理をしてわざわざいらした。今おっしゃったような御答弁だったら、日本大使館を通じてアレンジできるのです。いつでもそのとおりやってこられている。特に、いろいろと事前の調整が必要だったのじゃないですか。

○後藤(利)政府委員 今御指摘のとおり、八日の夜、韓国の金泳三氏と私会食をさせていただきたいという日程を立てておりました。大変乱もこの会談を、会談というか夕食を楽しみにしておりまして、私、体が二つあったら両方に本当に出たいなという感じがあったわけでございます。急に参りましたのは、私としては、大使館を通じてそういう日程のアレンジができればいいなと思っておったのでございますが、なかなかできないということでございましたので、できないと言ったらおかしいのですけれども、十日に行きまして……(土井委員「おかしいですよ」と呼ぶ)いやいや、そんなことは絶対にございません。行きまして、鄧小平主任――何日の何時ということはあるいはわかるかもしれませんが、私、事務当局の責任者といたしましては、日中外相会議は初めてでございますので、外務大臣ができるだけの要人にお会いしたいという希望に万一にも沿えない場合には、甚だ私責任を感ずるわけでございます。金泳三氏にお会いできなかったのは、まことに残念でございます。  それから、九日でもよかったかなという感じはするのですが、たまたま飛行機が八日の午後にとれたというものですから、結果的には急速飛んでいったということでございます。本当にそれだけでございます。

○土井委員 大変無理な御答弁だと思うのですよ。それはだれに会っていただけるかという調整だけではなくて、大事な懸案の内容に対する調整もあったのでしょう。それは既に巷間はっきり伝えられています。中国側がただいまの靖国問題に対して非常に強い姿勢を持っている、このことに対して外務省としては対応方が要請される、この調整がありはしませんか。

○後藤(利)政府委員 八日に参りまして、九日に先方の外務部の次官、あるいは私のカウンターパートであるアジア局長と昼食などをしたことは事実でございます。その過程において、もちろん今の要人の表敬のほかに議題というものは、日中外相会談の議題は二国間で国際関係のいろいろなお話をしましょうということは既にお話ししておったわけでございますが、靖国問題について調整する等そういうような問題はございません。靖国神社問題というのは、もっと高いレベルの非常に政治的なあれでございますので、私がこれについて調整するというようなたぐいのものではないと思います。  ただ、靖国神社の問題について、昼食か何かのときに日本の公式参拝というのがあって、それは官房長官談話のラインで私がお話ししたということはございますけれども、それがいわゆる今先生の言われました調整とか、そういうことでは毛頭ございません。それはむしろ、外務大臣同士においてお話ししていただくべき筋合いのものであるというのが私の判断でございました。

○土井委員 それはそうだと思います。外務大臣から正式に言われるのが筋であろうと思います。しかしその前に、一応それに対してその席を通じて説明をされることぐらいに、この問題に対しては重要視されて行かれているのですよ。

○後藤(利)政府委員 靖国神社問題が、日本の国内あるいは関係国において今非常に関心があるということは当然でございます。私もこの問題については、小さい心を常に痛めてきておることは御理解いただきたいと思います。その意味で官房長官の談話をお話しして、外務大臣もその点については呉学謙外交部長と率直なお話をさせていただくであろう、その点はよろしく外交部長にお話をお聞きいただきたい、そういうことでございます。

○土井委員 それごらんなさい。今の御答弁を聞いていると、やはりそういう調整じゃないですか。中身についてどうぞ聞いていただきたい、そういう調整ですよ。  さて外務大臣、中国の靖国に対する抗議というものについて、これは内政干渉だというふうなことを発言する人がおるんですね。しかし、日中共同声明の六項を見たり、日中平和友好条約の一条一項を見てまいりますと、そこに言うところの内政干渉には当たらないと私は思うのですが、これは内政干渉というふうに受けとめていらっしゃいますかどうですか、外務大臣にお尋ねいたします。

○安倍国務大臣 この問題についてはいろいろと議論もあるわけですが、私と外務長官との話し合いでは、内政干渉とかそういう立場で話をしているわけではありませんで、あくまでもやはり日中関係の将来の問題、それからこれまでの日中関係のあり方、そういうものを踏まえた形で靖国問題にも触れて、特に中国側としましては、日本に中国の人民の感情をやはり十分知っていただきたい、理解していただきたい、こういう趣旨でございます。中国側が、初めからそうした内政干渉とかそういう意図でもって、あるいはそういう気持ち、立場で日本に対して注文をつけたということではもちろんありません。

○土井委員 今外務大臣としては、内政干渉とは受けとめていらっしゃらないというお立場でありますが、そうすると、内政干渉でないということになるなら、その理由は、どういうふうなところでこの抗議があるというふうに受けとめていらっしゃいますか。

○安倍国務大臣 これは、具体的な会談の内容についていろいろと申し上げることは、やはり国際間の関係でもありますから差し控えるのが妥当じゃないかと思いますが、中国側としましては、やはりああした学生の一連の動き等もあって、そういう中でとくに靖国神社の公式参拝というのが、何か一部のといいますか、中国の人たちから、国民感情から見ると、日本がまた今まで来た道から方向を変えていくのじゃないか、中国が一番心配しているいわゆる軍国主義といった方向に、こうした総理大臣の公式参拝というものを契機に道を変えていくのじゃないか、そういうおそれ、心配というものが中国側にある。そうした心配というのが学生等の動きになってもあらわれておるのだ、こういうことも言っておられたのであります。  ですから、私はそれに対して、日本のとった今回の総理大臣の公式参拝というのは、官房長官の談話にも尽くされておるし、この官房長官の談話というのは、やはり日中関係についても、日本がこれまでアジアの人たちに与えた大きな犠牲というものに対する反省は常にしていかなければならぬ、同時に、これからの平和のために日本は努力をしていく。今回の措置というものは、一般の戦 争の犠牲者に対して政府として弔意を表する、こういう形でやってきているわけで、中国側が心配しておられるような軍国主義への道を歩くとか、あるいはまた日中共同宣言に違反をするような立場で日本が何かやろうとしている、日中平和友好条約に背馳するような形で日本が何かやろうとしている、そういうものでは決してないのだ、これまでの日中間で約束し、結んだ原則、条約、基本というものはきちっと守っていきますということを、私からも詳細に説明したわけであります。

○土井委員 その外務大臣は詳細に説明をされたということも新聞記事に報道されているわけでありますけれども、日本政府の真意を説明しましても、中国側の立場というのは、A級戦犯を祭った靖国神社へ政府が公式に参拝した行為そのものが相互の信頼を裏切る、侵略戦争の被害者である中国人民の痛みというものを踏みにじるものだというふうなとらえ方があるのじゃないか、こういうことに相なるわけでありますが、この点はいかがでございますか。

○安倍国務大臣 そうした判断も、私は率直に言って中国側にはあるのじゃないか、こういうふうに思います。

○土井委員 そこでお尋ねしますけれども、中国側の理由というものが一応納得できるというものであるならば、日中間の関係を一層強固なものにしていくことのためには、納得できる内容に対して、日本としてはやはりこれにこたえるということが非常に大事な問題になってくると思うのです。日本は中国に対して侵略戦争を行い、大変多大の被害を与えたという過去の事情があるわけですけれども、この点に対して外務省としてはどういう認識を持っていらっしゃいますか。

○安倍国務大臣 過去、日本が中国あるいは中国の民衆に与えた大変大きな犠牲というものに対しては、日本としては深く反省をして、その反省の上に立って日中関係というものを進めていかなければならない、こういうふうに思っています。

○土井委員 その過去の大変な、向こうに被害を与えたということの反省とおっしゃいますが、これはやはり中国に対して日本は侵犯した、侵略をしたという事実に基づくところの被害が中国側にはあったという事実関係に相なると思われますが、いかがでございますか。

○安倍国務大臣 中国側がそういうふうに判断することは、それは日中間のこれまでのあり方からすれば、国際的にもあるいは客観的にもそれなりの意味があるのじゃないか、こういうことは日本としてもやはり十分受けとめなければならぬ、こういうふうに私は思います。

○土井委員 つまり、国際的に日本は中国に対して侵略をしたということが是認されておる、国際的それは認識である、このことを日本もはっきり認めなければならぬ、こういう関係になるわけですね。  東京裁判で「平和に対する罪」という概念が新しく出てきているわけですが、「平和に対する罪」というのは内容は一体どういうものなんですか。外務省いかがでしょう。

この質問に対し当時外務省条約局長であった小和田恒氏の答弁があるわけなのだが、それは次回にしようと思う。

少しここまでの当時の日中関係を補足しておこう。1985年8月14日に、首相の靖国参拝を中国側が突然非難をしてた。しかし15日の終戦記念日に中曽根は首相として公式に靖国神社参拝をする。戦後それまで、第43代東久邇宮稔彦王以下、第71代中曽根康弘首相の1985年4月22日までの38代12人59回の参拝には非難はなかった。1978年いわゆるA級戦犯の合祀以降も大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘が、計21回参拝しているにも関わらず突然非難をしてきたのである。

その1週間前の1985年8月7日、朝日新聞が批判的に靖国参拝問題を報道すると14日突然、中国側が非難をしてきたという背景がある。その後は事あるごとにこの問題を外交の訴求にあげて来たため、中曽根康弘はこれ以降参拝を自肅している。この質疑は朝日新聞、そしてそれに呼応した中国政府の外交的な揺さぶりの渦中に行われた質疑なのである。

一方の中国側はというと、1977年に政権に復帰した鄧小平は、1978年10月に日中平和友好条約批准書交換のために訪日、日本の目覚ましい経済発展ぶりを目の当たりにする。同年の第十一期中央委員会第三回全体会議に於いて、文革の否定と改革開放が決定され、華国鋒の失脚で鄧小平は完全に政権を掌握する。翌79年には米中の国交が樹立すると、鄧小平は米国を訪問する。日米両経済大国の現状を目の当たりにした鄧小平は、より一層社会主義市場経済体制への移行を決意する。80年には趙紫陽が党主席、81年には自身が党中央軍事委員会主席、82年には胡耀邦が党総書記と完全な鄧小平体制が確立する。

鄧小平は趙紫陽、胡耀邦といった若手の人材を登用して改革開放路線を進めたのだが、そこには政権の座を追われた、ひと世代前の保守派長老たちや実力者もいた。鄧小平というカリスマのもと改革開放を推進していたが、それは副産物として民主化も釀成する。 鄧小平は経済の改革開放には肯定的であったが、民主化には否定的であった。いわゆる靖国問題が85年に起こると、この問題で中国国内の保守派の長老たちが、胡耀邦、趙紫陽の親日路線を追求し結局、胡耀邦は86年失脚することになる。

胡耀邦は83年に訪日し、中曽根首相との友好関係も良好であった。中曽根康弘は1985年8月15日の参拝を最後に、参拝を自肅したと書いたが、後年中曽根はその件に触れ、「親日派である胡耀邦が中国共産党内の批判にさらされて失脚する可能性があったからだ。それはどうしても困ることだったから」と述べている。1978年のいわゆるA級戦犯の合祀から、最初の批判までの7年間は、中国の権力闘争とその後の改革開放路線推進のためのため、日米の経済協力を必要としたため、靖国問題が外交の溯上に上がることはなかった。鄧小平の訪日時には、おそらく合祀は公になっていなかったが、胡耀邦の訪日時には報道その他で、中国側にも伝わっていたはずである。鄧小平とて7年間それを知らなかったわけではないだろう。

中国が「A級戦犯が合祀されている靖国神社に首相が参拝することは、中国に対する日本の侵略戦争を正当化することであり、絶対に容認しない」という見解を表明し続けていのであれば、その主な理由は「A級戦犯合祀」であり、78年7月からの約7年間の沈黙はどう説明するのだろうか。当時の自民党政権側には中国の政治情勢の変化が靖国参拝への非難の根底にあることはわかっていたはずである。中曽根の胡耀邦擁護発言の根底にもそれがある。しかし安倍外務大臣の答弁はその政治情勢を全く説明していない。当然質問者の土井たか子には靖国問題が、日中国交回復当初からの懸案事項で、日中共同声明や日中友好条約の基本的精神のように誘導しているが、それに対しての反論を安倍外務大臣はしていない。土井たか子委員の想定誘導質問の通りの展開になり、細かな条約解釈論に導き、小和田恒当時の外務省条約局長の登場となるわけだ。

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日韓併合 百年目の真実 李完用が救った大韓帝国

本年2010年8月29日は法律上の専制君主大韓帝国皇帝純宗が勅諭を発表して日本と韓国が合併したことを内外に示してから100年目にあたる。


韓国皇帝の勅諭 皇帝、若(ここ)に曰く、朕否徳にして艱大なる業を承け、臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望み無し。中夜憂慮善後の策茫然たり。此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底(いた)らん。寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せいむるに如かず。

故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、自ら断じ、茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国日本皇帝陛下に譲与し、外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。惟爾大小臣民は、国勢と時宜を深察し、煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。

朕が今日の此の挙は、爾有衆を忘れたるにあらず、専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ。爾臣民は朕の此の意を克く体せよ。

隆煕四年八月二十九日 御璽

日韓併合100年目を前に韓国の反日派からの様々な動きがあるのでまとめてみたい。

2010年5月11日のこのようなニュースを目にした。

日韓知識人が共同宣言「日韓併合は当初から無効だった」
看過できないのは多くの日本人学者が関わっているという点 …今回の声明には発起人である和田春樹東京大学名誉教授をはじめ、日韓歴史共同研究委員会の日本側の座長を務めた三谷太一郎東京大学名誉教授など105人が声明に署名している。一方、韓国ではイ・テジンソウル大学明楊教授やカン・マンギル高麗大学名誉教授、詩人の高銀氏や金芝河氏のほか、幅広い層から109人が声明に署名した。… …声明では、「併合は大韓帝国の抗議を軍事力で押さえつけたもので、韓国側が国権の譲与を申し出たとする内容も虚偽(きょぎ)である」と指摘し、日本政府が日韓併合条約について「無効」であることを認め、8月の総理談話に関連内容を盛り込むように、積極的に働き掛けるとしている。… 2010年07月18日には、

日韓併合100年で日本が韓国へ謝罪、中国も大きな注目

8月29日に日韓併合100年を迎えるにあたり、日本政府は韓国に過去の植民地統治を謝罪する方針を明らかにした。17日、環球時報は「日本は韓国側…

翻訳者からのメッセージ

国家と国民 民族が国民となるためには国家を確立しなければならないのが国際的なルールだ。主権国としての権利が付与されるには統治機構(以後政府)がなければならない。政府によって領土(領海、領空)と被統治民族(国民)が認定されるわけだ。現在ではその政府が民主的な手続きで選ばれるのが(普通選挙)望ましいが、それは民族が決めること(民族自決。民族が自ら、自由に政府を組織すること、民族自決)ということも国際的なルールだ。国際社会では民主的にせよ、力尽くにせよ領土と民族を実効支配していることが重要なのだ。竹島は力尽くで奪われたのだが、それを民主的なルールで取り返そうとしてもある意味空虚だ。中国は尖閣諸島を民主的に奪いとろうとしているが、最後は武力行使をしてくる可能性は否定出来ない。国家(領土と領民)というのは受動的に与えられる概念ではなく能動的主体的に確立した民族に認められる概念なのだ。

憲法は国民からの命令書 憲法は民族が国民となり暴力を政府に独占させるにあたってやってほしいこと、やってほしくないことをお願いした手紙であり、法という見方をすれば国民から政府対する命令書だ。よってその前文は我々は~命令する(政府に対して)、という文章が望ましい。そのことをふまえて前文を読んでみると、
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由 のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を 確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれ を享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安 全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地 位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民…

国際関係論で論じられる理想主義

リベラリズムほど解釈が多様にある言葉はないと思う。日本語では自由主義と訳される場合が多いのだが、昨今では自由主義とリベラリズムは対立する政治姿勢ともいえる。よって自由主義をリバタリアニズムと呼ぶのが一般的になりつつある。本稿の場合はリベラリズムを社会自由主義的な用法、ようするに国際関係論で論じられる理想主義として論じることにする。

20世紀の戦争 20世紀は戦争の世紀と呼ばれるように産業革命による技術革新が戦争を巨大化、無慈悲化させた。世界は巨大化・無慈悲化する戦争に対して、一定の規則を締結したが、その後に勃発した第一次世界大戦は大規模かつ無慈悲な消耗戦によりヨーロッパ社会に大きな衝撃を残した。

第一次世界大戦の塹壕戦や化学兵器の使用は、ただ敵を消耗させるための戦略で、それまでの戦争とは様相が大きく変化した。戦争は国家が軍に命令して、軍が名誉をかけて行う営みから、国家国民全体で行う営み全体戦争つまり総力戦へと変容した。

パリ不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)は大戦のような悲惨な戦闘を二度と繰り返さないために交戦国、非交戦国も含めて63カ国が署名した。目的は戦争の違法化、特に侵攻戦争の違法化を目指したが、最終的には侵攻戦争を非難するにとどまった。


貧困が戦争を起こす もし社会が現状で固定されるとしたら、現在比較的幸福な人はいいが、もし不幸な人はどうだろうか。それはその人の希望を奪い去ることになる。国家同士の戦争もある一面では現状に満足できない国家と、それを阻止しようとする国家の営みといえる。

第一次大戦後ヨーロッパの比較的裕福な人々の間で戦争が二度と起こらないように、家族友人の死、あるいは戦争による破産などの不幸をなくすには、どうしたら良いか考えられたのは自然なことだ。そして彼らは結論した。「貧困が戦争を起こす」。

大戦中ロシアでは革命が起こりソ連邦が誕生する。国民(ソ連に国民がいたかは定かでないが)に貧困のない平等な生活を提供する統治体の出現に、ヨーロッパのエシュタブリッシュメントは期待と不安の眼差しを向ける。
リベラリズムの誕生 フランス革命の惨劇を経験しているヨーロッパの裕福な人達は、現状を維持しながら戦争を防止する政治体制の確立を急いだ。そのような背景でリベラリズム理論が誕生することになる。その理論は金持ちはそのまま、貧乏人はもう少しお金持ちにすることだ。

TPPとはなにか ―国際法・条約から考える

フェイスブックのTPPって何?の議論を通じTPPを検証してきたが、ここに来て議論が成熟してきた。JAなどがTPPの「聖域なき関税撤廃で農業はだめになる」という主張はWTO・GATTのウルグアイ・ラウンドで我国が聖域として議論した農産5品目が自由化されるという主張だが、TPPはWTO・GATTの規定内で交渉される自由貿易協定であるから、「聖域なし」は「実質上」と同じ「すべて」ではないという例外を表した言葉だ。

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 第1章

近代憲法は、主権者である国民の意志として、組織される政府に対する命令書なので、前文は、その意志を表現したものがふさわしい。そしてその目的を明確にする必要がある。さらにその目的のために、憲法を制定するわけなので、そういうことを頭に入れたうえで、再び前文を読むと、合衆国憲法は、

われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここに アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。
目的意志がシンプルかつ明確に表現されている。これと比較して、日本国憲法における国民意志もしくは達成したい目的は、

政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。に色濃く現れ、

これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
が次にくる。なぜわざわざ一切の憲法と法令と詔勅と断る必要があるのだろうか。ここにこの憲法を制定した意志があるのではないだろうか。そして最後には、

国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

目的を達成することを、宣言命令するのではなく誓ふ。さらに誓ふ対象も明記されていない。我々日本国民は、誰に対して目標を達成することを誓ふのだろうか。 これに答えを出せる憲法学者や国会議員が、我が国にはどれほどいるのだろうか。国民はそれを疑問とも考えていないのだろか。

第 1 章はその意志を具体化する、そして目的を達成するための第一歩ということだ。最重要なことを最初に申し述べているのである。アメリカ合衆国にとって最重要なことは法の支配、法による秩序であり、日本国では天皇―スメラミコトによる秩序―これをしらすという―であるということだ。大日本国憲法では、

大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

と統治の根拠となる天皇が過去、現在、未来に渡つて、日本国と日本民族の秩序の源であることを示している。この場合の統治とは伊藤博文が解説するように、しらすであり現実的な権力、うしはくと厳密に分けなければならないのである。

合衆国憲法は合衆国の秩序は法によって護られるゆえ、第 1 章では立法府についての規定が列記される。一方、日本国憲法では天皇についての条項が…

日本は〝心〟という字に見える ─ 日韓永遠の架け橋たらんとした悲劇の知日家・朴鉄柱会長 ─

戦後ソウルに設立した「日本文化研究所 (高千穂商科大学教授) 名越二荒之助 「朴鉄柱大人を偲ぶ」より

恒久的な日韓友好を考えるうえで、避けて通ることのできない人物がおります。それは朴鐵柱という一人の韓国人です。彼は大正十一年(一九二二)、釜山市の東?(トーライ)に生まれ、大東亜戦争下に日本の皇典講究所を卒業。卒業後は釜山の龍頭山神社や、新羅時代から関係の深い下関の住吉神社(長門一宮、元官幣中社)に奉職しました。彼は学生時代から古事記・日本書記を通して、日本の成り立ちと天皇朝の存在に深い関心を寄せ、その尊貴性に目覚めていました。だから彼としては、神社に奉職することに何のためらいもありませんでした。

終戦後は韓国に帰りましたが、李承晩大統領の反日政権下にあって苦汁を嘗めさせられました。日本の学校を出た者は、「民族反逆者裁判条例」にひっかかって追放の憂目を見ました。やがて朝鮮動乱が勃発。その荒波をくぐって生きのび、動乱が終るとソウルに出て、昭和二十九年五月には、「日本文化研究所」(ソウル特別市中区奨忠洞二街一九七)」を設立しました。「社団法人・日本文化研究所」の「内容書」は、韓日両国語によって書かれており、「趣意書」の冒頭は次のような書き出しで始まります。

「日韓両民族は、各自悠久なる伝統と文化を護持してき、上古よりの密接なる文化的相互交流は、両民族の芸術、風俗、道義観にまで相似共通のものを形成してきたのであります。特に一衣帯水の地理的条件は、お互の全歴史を通じて政治的、経済的、協助を不可避にし、文化的、精神的にも緊密にして不可分離なる関係を確立してきたのでありま
す。」

「趣意書」は大局観に立って、悠久の日韓のあり方を踏えたものです。しかしながら両国の間に、文禄・慶長の役のような「互恵扶助の原理に違背したとき」があった。それは「久遠なる歴史に於てひとつの瞬間的な疾患であり、両国の健全な将来と恒久友和のための契機」にしなければならないとして、研究主題を次の三つに置いております。

一、日本上代文化の研究
二、帰化文化の研究
三、日本の信仰、道徳等精神文化の研究

韓国で朴氏が「日本文化研究所」を設立した昭和三十年頃の日本は、敗戦のショックから醒めやらず、自国文化を
否定し、罵倒する言論がまかり通っていました。その頃韓国で、日本の精神伝統と国体研究の運動が起ったことは、文
字…

不要な電波がユビキタス —あなたの私生活は公開されている

このところ政治の話が多かったので、専門の危機管理のお話を少ししたいと思う。皆さんはノートパソコンを使ってますか?それとも自宅のWIFIでスマホを使って、インスタグラムに投稿してますか?これらはすべて私生活の公開の危険をはらんでいることにお気づきですか?

ネットワーク簡単に接続できることは簡単にのぞかれているということ 自宅のペットを監視するや赤ちゃんを監視するためにWEBカメラを購入してスマホで見ている、という人は結構多いのででないだろうか。実は「簡単に」接続できることは、容易にのぞかれることだ。また、自宅用の防犯用監視カメラはDDos攻撃の道具として使用されていることもある。これらは簡単で安価に使用できるというメリットは、逆にリスクになるということを理解しなければいけない。

私がある地方都市に出張して、古いホテルに宿泊したとき、部屋で仕事をするために無線LANに接続したところ、いろいろなノードが参照できたことがあった。通常はVLAN等で他のノードを参照できないようにするのだが、予算の関係かあるいは自力で無線化したのか、セキュリティ対策が杜撰だった。



大量のアクセスポイントが大量の電波をだしている 無線LANのサーベイをしていると、付近のマンションなどから多数のアクセスポイントが検知される。今や家庭に一個はアクセスルーターがあるが、その中の半数はアクセスキーが設定されていないものがある。おそらくセットアップ時に設定を飛ばすか、しないかだろうが危険だ。

簡単に設定できるうえ、再セットアップが簡単なのでそのようにしているか、若しくは全く意識しないでしているかだが、悪意の三者に利用される危険がある。安易な電波が不足しがちな無線環境をさらに悪化させている。
写真には位置情報が付加されている フェイスブックやインスタグラムに写真を投稿しているが、アップロード場所の位置情報を付加している人がいる。自宅で自撮り写真や子供の写真をアップロードしている人も位置情報が付加されているのを散見する。

フェイスブックやインスタグラムアプリの位置情報機能をオフしても写真自体に位置情報が付加されていることには気づいていないようだ。ほとんどのスマホ撮影の写真に位置情報が付加されてる。僕はフェイスブックの友達の女性が自宅で自撮り写真をアップロードしているときはそれを確認して連絡をしてあげている。…

小和田恒悪玉論を問う ―衆 - 外務委員会 - 1号 昭和60年11月08日 その2

引き続き、村田春樹さんが國民新聞に書いた記事「小和田恒悪玉論を問う」への激励投稿を続けたいと思う。さて国会会議議事検索システムで昭和60年11月8日衆議院外務委員会の土井たか子委員の質問に対する答弁を検証しよう。

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 前文

これから日本国の新憲法草案を提案しよう。どうしてそう思ったかは単純だ、今の日本国憲法は近代憲法の要件を満たしていないと思われるからだ。近代における国家は主権者である国民の国家形成への強い意志によって成り立っているとする。―するとしたのはもっと奥深い部分では違うと考えているが、近代に対応するためにそう仮定することにしよう。

近代思想において国家は、たとえ国民がひとりでも、国民意志があれば形成することができるとされる。しかしそれは利己的な個人意志ではない。五箇条の御誓文で公論と示された、意志を国民主権では民意というのであって、それがなければ近代国家は存在しないのである。さらにその意志は個々人の中にある不条理で熱い志であり、それを顕現しあるいは不当な隷属の強要から擁護されなければならないと考えている。

そして近代における憲法はその国家を統治する権力を制限するために制定するものであり、国民から政治権力への手紙であり、もっと強く表現すれば命令書として機能するのもである。よって国民が必ずしも従うべきものではないという性質のものである。
統治体というのは国際的には近代国民国家が国際関係を維持するため、またはその関係が破綻した場合に起きる紛争を解決したり、戦争を遂行し条約を締結するための代表府である。同時に国内においては共同体秩序を維持発展させるために制度や法律を制定する立法府、制定された法律をもとにそれを執行する行政府、そして行政が正しい手続きで行われているかを監視したりあるいは手続きの瑕疵を判断する裁判所などの組織のことである。

しかしこれらの組織は主権者である国民の自由を拘束したり法律を不当に行使したりする可能性があるので主権者は組織に対し、してはいけないことと、積極的にしなければならないことを文書によって命令する、それが憲法の本質なのである。そういう視点をもって世界最初の憲法らしい憲法であるアメリカ合衆国憲法と戦後アメリカの占領下制定された日本国憲法を比較してみよう。


アメリカ合衆国憲法(日本語訳)
前文
われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。The Constitution o…