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思考と行動における言語 ―協同は衝突よりも好ましい

思考と行動における言語は意味論の第一人者S.I.ハヤカワ氏の名著であるが、言語の正確な役割を理解するうえで参考になる。ハッキリと考えることを学び、より有効に話し、書くことを学び、より高い理解をもって聞き、読むしかたを学ぶ、こういったことこそ、言語学習の目標である。この本は、これらの伝統的な目標に、現代の意味論の方法(=人生における言語の役割を生物学的に機能的に理解し、また言語の種々の用途を理解する)でせまる。

この本の著者たちが提唱する、一般意味論の土台にある倫理的仮説は、「協同は衝突よりも好ましい」であり、人間の協同の道具としての言語を活用すべきであるというものだ。一方、自分の言語に関しては、批判的な態度を持つ必要がある。なお、一般意味論の知識は、単に知っているだけでなく、常日頃の活動で『活用』することに価値がある。

第1部 言語の機能

1.言語と生存

人間は先人の知恵である膨大な知識を蓄積し、無料の贈り物として後世に伝えている。文化的・知的協同は、人間生活の大原則である。表面的には競争原理で世界が動いているように見えるかもしれないが、その深層にある協同原理を知らないといけない。社会が協同するための必要な努力は必ず言語により達成される。われわれは、言語に囲まれているが、そのことを意識していない。しかし言葉により思考は影響を受けるので、自分の意味論的環境に注意すべきである。言語の使用が不一致と衝突を作り激化させた場合には、話し手か聞き手か、その両方に欠陥がある。

2.記号

人間は記号を使う。例えば「劇の悪役を観客が射殺する。」ように、記号に拘束されてはならない。われわれは、現実的経験世界(外在的世界)と言語的世界(『地図』の世界)の二つの世界に住んでいる。『地図』は『現地』ではない。『地図』なしに文明の進歩はないが、『地図』の限界も弁えるべきである。われわれの、アヤマリは二つの経路から生じる。一つは、「人から間違ったものを与えられる。」もう一つは、「自分で読み違える」である。

3.報告、推論、断定

情報交換の基本は報告である。報告は以下の2条件を満たすべきである。

1.それが実証可能でなければならない
2.できるだけ、推論と断定を排除しなければならない

現実に、全てを実証することは難しいが、出来る限りの努力はすべきである。報告の原則は事実の叙述であり、推論は出来るだけ排除すべきである。ただし、推論も必要になる、その時には、「最低自分が推論していることを意識して」記述すべきである。断定は、自分の価値観が入るので、できる限り排除すべきである。論文を書くとき、頭の部分で断定を入れると、それ以降が書けなくなる。事例を多く書けば、長い論文は直ぐにかける。

断定には、直接的な記述以外に、事実の選択や描写方法に間接的に含まれることも多い。自分の先入観を発見し、多方面からの見方をすることが重要である。書くことに本当の技量を持っている人は、想像力と洞察力を持ち、同一の事物を多方面から見ることができる。

4.文脈

言葉の意味は、辞書では決まらず、文章の言語的文脈と、社会活動の物理的社会的文脈で決まる。辞書の記述は、頭の中で想起する『内在的意味=内包』である。しかし実際は、その記号が指し示す『外在的意味』がある。『外在的意味』の議論は地に足がつき、一致を得ることが出来やすい。言葉は「一語・一義」ではない、意味は文脈で常に移り変わる。

5.社会的結びつきの言語

言語の最初は感情の表出であり、情報の伝達はホンの一部である。また、自分の声を楽しむ、音声のための音声の効果もある。単なる同意も儀式としては重要である。教育のある人間にはかえって、前記号的意味を考えないが、実際には言語の色々な効果を考えないといけない。

6.言葉の二重の仕事

言語には、『情報を送る』と『人を感化する』の、二つの仕事がある。従って、人の頭の中で生じる『内包』には、『情報的内包』と、その言葉の引き起こす個人的感情の雰囲気を示す、『感化的内包』がある。

宗教・政治などに見られる、ある種の言葉には、断定がはめこんであり、情報的内包と感化的内包を同時に引き起こす。日常生活の言語では、感化的内包の識別能力が必要である。

7.社会的調整の言語

言葉は指令的用法があり、これで未来を調整できる。指令的言語は感化的な内包を持ち、情緒的な訴求を行う。指令的言語には政治家の公約ような約束を含む。社会は、相互同意の広大な網で成立している。従って、『右側通行』のような共通的な、指令発言に関して、皆は暗黙に同意し、お互いの行動の型を背負っている。祈りや宣誓など、集団的是認を伴う指令もある。

8.感化的コミュニケーションの言語

われわれは、言語の感化的作用による共感を、締め出すことは出来ないので、会話から感情を締め出すことは出来ない。従って、リズム・直接的話しかけによる言語的催眠術や、その他の感化的要素を、われわれは使用している。

また、隠喩と直喩、直喩も、感化的意味を持つ。隠喩のもっとも成功した場合は隠喩を感じさせないレベルである。さらに、古典などを使う引喩もある。一方、事実を選ぶことで、感化性に大きく影響させ、読み手の断定に導く手法もある。

文学の働きは、個人の感じが重要であり、感化的要素が命である。このような文学では、読者に記号的経験を積ますことが出来る。文学や劇では、読み手に登場人物と想像的同一化を引き起こす。未成熟な人は、記号的な経験ですら、失敗を受け入れない。

9.芸術と緊張

発言には、緊張を緩和する効果がある。記号的戦術には、文学的逃避、緊張の緩和(復讐)などがある。また、詩は人々に心理的健康と平衡を与える。狂気と正気に種の差はなく、程度の問題である。美的評価の無秩序は緊張の材料であり、芸術に関して話しあって秩序を作ることで、緊張を緩和する。

第二部 言語と思考

10.われわれはどうやって知るか

ベッシ-と言う牝牛を見たとき、抽象のハシゴで考えている。

抽象のハシゴ

特に最下位の原始的過程のレベルは、常に変化しわれわれは知覚出来ないので、抽象化して扱っている。言語の役割を考える場合には、抽象の働きを考える必要がある。抽象化することで、一般的な議論を行うことが出来る。働きのようなものは、抽象的に記述しないと表現できない。定義は、言語についての叙述であり、できる限り抽象のハシゴを下るようにすべきである。

定義で、外在的に考えないと混乱が増す。定義の別な形は、測定できるものに変換する、操作的定義である。料理の本は、操作的定義を上手に書いている。高いレベルの抽象にとどまる場合は、コトバのグルグル廻りが生じる。一方、高いレベルの抽象化は、哲学&科学的洞察のために必要である。抽象を検定するには、必要に応じて、「低いレベルに適用できるか?」を問うのがよい。人は自分の抽象レベルのこだわる傾向がある。病的な人は、自分の抽象レベルから、動くことが出来ない。良い文学は、描写妥当性と一般的妥当性を持っている。

11.居なかった小人をさがす

広い意味では、われわれは常に、抽象のレベルを混同をしている。しかし科学的理解が進めば、われわれの神経系は、情報を落としてイルと言うことを、意識するようになる。しかし、言葉による条件反射なども存在する。
「犯罪人」ジョン・ドウという表現には、「常に罪を犯す」と言う断定を含んでいる。このような、『妄想の世界』からわれわれを解放するため、抽象を意識し、反応を延滞する。
先輩から学ぶのは、『一団の考えと信念、及びそれを保つための方法』である。これらは、抽象を意識すれば、不適切な時対応できる。地図は現地ではない。

12.分類

名づけの前に分類がある、分類はどの特徴に着目するかで決まり、絶対的な必然性はない。人はお往々にして、自分の分類に思い込みが入る。思いこみの対策として、例えば、「牝牛1は牝牛2ではない」のよう「見出し番号」を使う。科学は分類のもっとも一般的に有用な体系を採用し、当分の間「真理」と見なす。

13.二値的考え方

戦いの場では、敵味方を明確にするため、必然的に二値的考えとなる。しかし文化的な生活では、二値的な見方だけではいけない。政治における二値的考え方は、ヒトラーの発想のように、他の完全な否定となり、他の人間に対する人間の非人間性を示す。二値論理学は、数学などでは有効である。排中律を用いることで、背理法の証明が成立する。しかし、日常生活では、排中律は危険になる。

14.多値的考え方

ケンカや討論以外では、日常生活では、反対意見も認める、多値的考えになり、柔軟な修正を受け入れるようになる。論争で興奮した時や、感情の強い表現は、二値的になる。話し合いから利益を得るためには、断定を避け「反応する前に耳を傾ける」必要がある。ミルトン・ロキーチの研究「開かれた心と閉ざされた心」では、人の反応を以下のように分類している。
  1. 聞き手が、話し手とその内容をともに受け入れる場合
  2. 聞き手が、話し手とその内容をともに受け入れるない場合 
  3. 聞き手が、話し手を受け入れるが、その内容を受け入れるない場合
  4. 聞き手が、話し手を受け入れないが、その内容を受け入れる場合
開かれた心は、(1)~(4)全てができるが、閉ざされた心は、(1)、(2)の2つしかできない。ロキーチによると、人は以下の2つを行う。
  • 人は世界についてもっと多くのことを知ろうと思う
  • 人は世界から自分を守ろうとするー特に自分の「信念体系」に逆らうものを拒絶する
  • しかし、われわれは、自分の信念体系に逆らう情報にも、「心を開いて」おびえずに情報を入手しないといけない。 

15.詩と広告

詩と広告には、どちらも記号を使い人を動かすという、共通点がある。

16.頭の内だけで考える内在的考え方の危険性

内在的考え方の陥りやすい欠陥は、文脈無視、自動的反応、抽象レベルの混同、擬似性のみの注視、定義するだけでの満足などがある。例えば、「教会通いする人」は、「善きクリスチャン」を暗示している。そこで、ある「教会通いする人」が、妻に不誠実・他人の資金の保管は出来ない、卑しさが見つかったとする。この時、内在的考えで言語過剰な人は、以下の3方法で対応する人が多い。
  1. 彼は例外だ!     ・・・以下の多くの例外があったとしても、元の信念は変えない。
  2. 彼は実際は悪くない!・・・事実を否定する。
  3. 人はもう何も信じることは出来ない。私の生きている限り、決して教会通いする人は信じない。
  4. 広告も内在的考え方を促進する。
また、誤った教育も内在的考え方を大いに進める。語彙を知らない難しい言葉の、詰め込みによる自己満足がある。学ぶべき本が、難しい理由は2つある。一つは、扱われている観念が難しいからである。これは、土台になる知識を勉強しないといけない。一方、学問的語彙は、社会的機能をもち、使用者に威厳を与え、理解しない人に尊敬と恐れの念を引き起こす。このような社会的機能の重要度が、通達的機能を上回ると、コミュニケーションは困難になり、生かじりと隠語がはびこる。

17.ネズミと人間 

ネズミに、「解き難い」問題の神経挫折の実験を行うと、
  1. 一定の問題に対し特定の反応に固執する
  2. 状態が変化し、その答えが通用しないと衝撃をうける
  3. 衝撃と不安で挫折を重ねると、はじめの行動に固執する
  4. その後は、不機嫌で行動しなくなる
  5. 強制されると、失敗すると分かっても最初の行動を行い、最後には狂気になる
と、反応する。これは、人間でも同様な傾向がある。人間の場合は、集団的習慣の修正が難しい、制度的惰性が大きな原因である。このような状況には、個々の現実的な事項を確認する、外在的な対応がこれを救う。
科学のもっとも目覚しい特徴は、解きがたい問題の解決の継続である。解けるものを明確にするのが科学的態度であり、科学者はみずからの『地図』の限界を知り、必要に応じて修正する。

18.内の秩序と外の秩序 

内在的な考えによる困難を打破する、外在的考え方の諸ルールは、
  1. 地図はそれが代表する現地ではない。コトバは物ではない。
  2. コトバの意味はコトバの中にあるのではない。意味はわれわれの内にあり、文脈が意味を決定する。
  3. 「である」という語の正体を知れ。多くの場合、それは、評価錯誤を結晶させる。
  4. まだかけられていない橋を渡ろうとするな。指令的叙述と情報的叙述とを区別せよ。
  5. 「真」という語にある少なくとも四つの意義を見分けること。
  6. 実証されている報告、感じていること、指令的、数学の体系で真
  7. 「火に火を以て戦おう」としたくなった時は、消防手は常に水をもって戦うものだということを思い出せ。感情的にならない。
  8.  二値的考え方は、考えの始まりにはなるが操作の用具にはならない
  9. 定義について知れ。できるだけ実例で考えよ。
  10. 見出し番号と日付を使え。いかなる語も正確には二度と同じ意味を持たない。
  11. これを使わないと、突然の怒り、不安、傷つき安すぎ、話しすぎ、何でも口を出す、等の異常の徴候が出る。成熟した心は、あらゆる事に間にあう唯一の答えなどなく、言葉は全てでないと知っていて、柔軟さと不定への備えを持っている。
抽象を意識することのもう一つの領域は、「自分自身を知る」場合である。自己の変化に対応し、現実的な自己概念にする必要があり、特に断定を避け、客観的に報告する必要がある。自己概念の改善は、小さな部分から始めるのがよい。

われわれ自身の外在的知識を増やすもう一つの方法は、慣習的に達した態度を区別することである。慣習的態度には、高い抽象レベルの一般化が含まれることが多い。


思考と行動における言語(要点抜粋) 第二版 S.I.ハヤカワ 大久保忠利訳(岩波叢書)

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朝日新聞も毎日新聞も、今こそ憲法第9条を遵守するよう社説を書くべき

―国連軍創設が憲法第9条の要請― 国連常備軍と戦力の放棄は契約 少し過激なタイトルだが、憲法解釈上そういう結論になる。そもそも日本国は「公正と信義に信頼して」自国の安全と平和を確保しようとしたので、自国を防衛するための戦力はいらないと宣言している。つまり国際的に平和を実現するためには、各国が戦力を縮小して、国連常備軍がそれらより強力な唯一の戦力になる必要がある。それが第9条の要請だ。

II War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.

No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.

マッカーサーは日本国の防衛と保護をある崇高な理念に委ねる、ことを指示している。この崇高な理念とは国際連合のことである。もう少しつめると、国連軍もしくは国連常備軍ということになる。国連憲章は、
第42条 安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分であろうと認め、又は不充分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。

として、国連軍としての行動と加盟国の軍の行動を規定しているが、その頼みの国連常備軍は待てど暮らせど組織されたことはいまだない。当然国連常備軍は各国にもしくは各地域に常駐することになる。米国を例にすると、州軍と連邦軍の関係といえる。
ICBM迎撃も憲法違反 現在の北朝鮮は国連の決議に反して核ミサイルを開発し…

国益とは時間と空間である

時間と空間に関わる利益が真の国益である 国益とは さて国益とはなんだろうか。国益(national interest)は利益であるから経済的な意味合いが強いのは当然だ。当然経済的という具体的な側面も必要である。民主政体であるかぎり具体的な数値でその支持を得ることは必要だからだ。では経済的利益以上に重要な国家の利益があるのだろうか。もちろん答えはイエスだ。それは領有権(領土領空領海)と歴史と伝統に関わるものだ。この両者こそが真の国益ではないだろうか。

領有(土高)権とは我々が生活する空間を統治する権利であり、それを承認するのが我々の歴史と伝統だ。つまり領土領有権(空間)と時間(その正統性、歴史と伝統)が国益の本義ではないか。これらを守るために政府が組織され、その構成員たる国民はこれらを守る義務を追う。私は命をかけても守る義務を負う国家の利益を国益と定義したい。

そしてこの国益を守るために近代、付与されたのが国民の利益であると考える。国民は国家を守る義務を負うため政府権力から特別の権利を付与されている。憲法で保証される諸権利の正統性は国益を守るという事のみに由来する。過去ギリシャの都市国家やローマ市民も、奴隷でないものは国家防衛の義務を追っていた。奴隷は戦争は免除されていた。

市民は奴隷を支配する権利と引き換えに国家防衛のためには命を捨てなければならなかったのである。諸権利は唯一国家防衛の義務を果たすための利益にすぎないのである。これをこんにちにあてはめれば、国家防衛のための国民の利益であるといえないだろうか。安全保障を他国に譲っている国家は独立国とはいえないうえ、国民すら存在しないといえる。


TPPと慰安婦問題 平成23年11月17日、李明博大統領が来日したが、第一声で慰安婦問題の解決に言及した。これは韓国の憲法裁判所が今年8月に「賠償請求の具体的措置を政府がとってこなかったのは違憲」とする判断を出した事による。これらの賠償に関する諸問題はすでに日韓条約締結時に「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」となっているにもかかわらずだ。

先に歴史と伝統に関わることを私は国益であると定義した。慰安婦問題はまさしく国益である。我が国の官憲が朝鮮半島女性を半ば強制連行して大陸派遣軍の慰安所に拘束し売春行為をさせていたという、事実に反することで我が国の首相が相手…

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 前文

これから日本国の新憲法草案を提案しよう。どうしてそう思ったかは単純だ、今の日本国憲法は近代憲法の要件を満たしていないと思われるからだ。近代における国家は主権者である国民の国家形成への強い意志によって成り立っているとする。―するとしたのはもっと奥深い部分では違うと考えているが、近代に対応するためにそう仮定することにしよう。

近代思想において国家は、たとえ国民がひとりでも、国民意志があれば形成することができるとされる。しかしそれは利己的な個人意志ではない。五箇条の御誓文で公論と示された、意志を国民主権では民意というのであって、それがなければ近代国家は存在しないのである。さらにその意志は個々人の中にある不条理で熱い志であり、それを顕現しあるいは不当な隷属の強要から擁護されなければならないと考えている。

そして近代における憲法はその国家を統治する権力を制限するために制定するものであり、国民から政治権力への手紙であり、もっと強く表現すれば命令書として機能するのもである。よって国民が必ずしも従うべきものではないという性質のものである。
統治体というのは国際的には近代国民国家が国際関係を維持するため、またはその関係が破綻した場合に起きる紛争を解決したり、戦争を遂行し条約を締結するための代表府である。同時に国内においては共同体秩序を維持発展させるために制度や法律を制定する立法府、制定された法律をもとにそれを執行する行政府、そして行政が正しい手続きで行われているかを監視したりあるいは手続きの瑕疵を判断する裁判所などの組織のことである。

しかしこれらの組織は主権者である国民の自由を拘束したり法律を不当に行使したりする可能性があるので主権者は組織に対し、してはいけないことと、積極的にしなければならないことを文書によって命令する、それが憲法の本質なのである。そういう視点をもって世界最初の憲法らしい憲法であるアメリカ合衆国憲法と戦後アメリカの占領下制定された日本国憲法を比較してみよう。

アメリカ合衆国憲法(日本語訳)
前文
われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。The Constitution o…

国際関係論で論じられる理想主義

―リベラリズムー 誤解されるリベラリズム リベラリズムほど解釈が多様にある言葉はないと思う。日本語では自由主義と訳される場合が多いのだが、昨今では自由主義とリベラリズムは対立する政治姿勢ともいえる。よって自由主義をリバタリアニズムと呼ぶのが一般的になりつつある。本稿の場合はリベラリズムを社会自由主義的な用法、ようするに国際関係論で論じられる理想主義として論じることにする。




20世紀の戦争 20世紀は戦争の世紀と呼ばれるように産業革命による技術革新が戦争を巨大化、無慈悲化させた。世界は巨大化・無慈悲化する戦争に対して、一定の規則を締結したが、その後に勃発した第一次世界大戦は大規模かつ無慈悲な消耗戦によりヨーロッパ社会に大きな衝撃を残した。

第一次世界大戦の塹壕戦や化学兵器の使用は、ただ敵を消耗させるための戦略で、それまでの戦争とは様相が大きく変化した。戦争は国家が軍に命令して、軍が名誉をかけて行う営みから、国家国民全体で行う営み全体戦争つまり総力戦へと変容した。

パリ不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)は大戦のような悲惨な戦闘を二度と繰り返さないために交戦国、非交戦国も含めて63カ国が署名した。目的は戦争の違法化、特に侵攻戦争の違法化を目指したが、最終的には侵攻戦争を非難するにとどまった。




貧困が戦争を起こす もし社会が現状で固定されるとしたら、現在比較的幸福な人はいいが、もし不幸な人はどうだろうか。それはその人の希望を奪い去ることになる。国家同士の戦争もある一面では現状に満足できない国家と、それを阻止しようとする国家の営みといえる。

第一次大戦後ヨーロッパの比較的裕福な人々の間で戦争が二度と起こらないように、家族友人の死、あるいは戦争による破産などの不幸をなくすには、どうしたら良いか考えられたのは自然なことだ。そして彼らは結論した。「貧困が戦争を起こす」。

大戦中ロシアでは革命が起こりソ連邦が誕生する。国民(ソ連に国民がいたかは定かでないが)に貧困のない平等な生活を提供する統治体の出現に、ヨーロッパのエシュタブリッシュメントは期待と不安の眼差しを向ける。

リベラリズムの誕生 フランス革命の惨劇を経験しているヨーロッパの裕福な人達は、現状を維持しながら戦争を防止する政治体制の確立を急いだ。そのような背景でリベラリズム理論が誕生することになる。その理論は金持ちはそのまま…

日本国憲法改正提案Ⅳ

―戦争って放棄すればなくなる?― 天声人語の強制は憲法違反 そのⅢまで如何だろう? 僕が受験生のころ、―昭和56〜57年、先生が「朝日新聞の天声人語を読んでおけ、必ず試験に出るからな。」これってすごいね。この次の稿では、権利について検討するが、この発言は明らかな権利侵害だ。ある特定の新聞のある特定の筆者が書いた私見を、そのまま疑いもしないで試験では正解として書け!ということなわけだから。当時は朝日新聞に書いてあることが、受験に出題される「正解」だったのだ。

自衛隊を否定すれば卒業! ある先生に、昭和40年代から50年代まで、大学の卒論で自衛隊の悪口を書けば、評価されたと来たことがある。もちろん、すべてではないだろうが、時代の雰囲気はそんな感じだったのだろう。受験生の僕のために、朝日新聞を購読していた、母親も見事に影響を受けて、いまでもそれは変わってない。

僕は、それはそれで仕方のないことだと思う。物事の良い悪いは、自らの経験や信仰、影響を受けた人や情報で判断する。ただ、事実や法律的な合法違法はあきらかなので、―これは司法の稿で説明するが、事実に基づく判断、法律に基づく判断は、国民として身につける必要はあるだろう。


なぜ男はだめなのか? 出来れば女性に読んでもらいたい。それは、―あくまでも僕、個人の経験だが、男はどうしょうもないから生きんのだと思う。男性全員が、そうだとはいわないが、―あくまでも、僕レベルの男性は、政治に興味がない。興味の方向はの女性だけに向いている。

何をするにも基準は「女性にもてたい」か「格好良いと思われたい」くらいだろう。音楽をやるのも、スポーツをやるもの仕事で出世するもの、究極の目的はそれ以外にない。天下りを斡旋して首になったどこかの省の次官が、次官になっても、キャバクラの特定の女性に入れあげたなんてのもそう、先生に反抗するのも究極、それしかない。だから男に憲法が…、と話してもなかなか興味はひかないと思う。

そういう僕も、Anarchy in the UK ―ちなみのコックニーではナナキーと発音します、を歌ったり、スターリンというバンドが好きだったりしましたので、あまり人のこといえないが…。若いうちと現在の考え方は変わって当然です。ですから今、こんな考え方もあるんだぁ〜、程度に読んでもらいたい。

では、女性はどうだろう。僕は女性…

年次改革要望書

サイトで偶然みつけた原文の、いわゆる「年次改革要望書」だが、TPPと比較してみても面白い。アメリカの戦略なのか執念なのか、はたまた信仰なのか、1994年からもう20年くらいやってる市場開放交渉だ。我国政府も辛抱強くそれに対応していることがわかる。

国家とはなにか

―言葉による混乱― 家族、社会、国 国家は、ヘーゲルの分類のよれば、家族や会社から構成される社会とは区別され、ウエーバーは正統性がある継承によって形成された一定の領域を暴力に関する権威・権限を行使する単独の主体(国家)と定義している。国家とは政府組織であり社会とは区別される。State の訳語として国家があてられているように、国家とは政府、議会、警察、官僚、裁判所などの機関を有する統治権力のことを指す。


国民、国家 人間は子孫を残すため家族をなし生活する。そのような家族が一定の習慣や宗教によってある領域内で集団となったものが共同体だ。そして多少の習慣や宗教的違いを包括した地域を「国」と呼ぶ。「国」の住人が「民族」であり、近代はこの集団=民族を統治する権力が組織され「国家」と呼んだわけだ。そして、民族は「国民」となったのである。日本語に State と Country や Nation を区別する言葉なないのは、憲法議論などを混乱させている要因の一つだろう。



領域、人民、権力 国際法で定義されている「国家」もその地域を統治する政治組織のことを指す。つまり内外に干渉されず国民を正統性のある統治機構のことを国家という。国際法では、領域、人民、権力の三要素が承認の条件ともなる。
ある程度以上確定された一定の領土を持つこと。国民が存在すること。統治機構を持ち実効的支配をしていること。 このように国家は強大な権力を有していなければならない。つまり外に対しては自衛力、うちに対しては秩序維持の警察力が国家の基本となることがわかるだろう。
国、天皇 我々の「国」は、国ヲ肇ルコト宏遠ニと教育勅語にあるように神武天皇が肇国した世界最古の「国」だ。天皇は「治らす」存在として祭政一致の統治者として政にあたり、明治維新によって近代的な君主となった。日本国は憲法以前に存在しているという事実は憲法が国の形に(その事実に)その権力を及ぼしてはいけないということだ。
社会、天皇 国家は社会と対峙する存在とまではいえないが社会に対し強制力がある。さらに国民の自由を拘束することができる。しかし憲法の規定により組織される政府は憲法を制定している、正統性を有する権威を否定出来ないしまた、それを変更できない。明治憲法における第1章天皇条項の1条から3条はそのことを明記した条文だ。

つまり天皇の身体を不可侵…

日本国憲法改正案条文の解説 第2章 権利

権利は外在的言語に過ぎないので獲得するのもである。 権利は鎧である 第2章は国民の権利だが、この章では、現行憲法より多くの人権を規定して国民の福祉向上に寄与しようとしている。権利カタログは条文ではなく、条項で列記しているのは大きな改正点だ。


第2章 権利
第15条[国民の要件]日本国民は、日本国籍を有するものとする。
あまりにも当然の規定なのだが、昨今二重国籍で問題になっている議員がいるように、この後の条文で議会議員要件は明確化したい。

次に権利の具体的規定だが、学説の争いをなくすために、日本国民の権利、制限できる権利、万人の権利に分けた。婚姻や選挙、教育、就労などの権利は公共の福祉の観点から年齢制限を課しているのでわけることにする。第17条は日本国民固有の権利として憲法がその擁護を宣言した。

日本国憲法改正案 第2章 権利
第17条[国民の権利]次にあげる基本権は、国民の権利として、日本国民に保障する。個人として尊重され自由かつ幸福を追求すること。
2 むやみに生命を奪わず、健康で文化的な生活を営むこと。
3 平等であること。
4 人種、信条、性別、社会的身分又は出生により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されないこと。
5 財産を自由に処分し、また不当に奪われないこと。
6 居住、移転及び職業選択の自由を侵されないこと。
7 外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されないこと。
8 拷問及び残虐な刑罰に処されないこと。
9 公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し請願すること。

日本国憲法の諸テキストを読んでも、人権に関する解説に重点を置いている。私は人権に関して、米国的な自然権思想よりは仏国的な行政権の抑止的な立場に立っている。それは英国的な国民の権利と親和性が高いが、あくまでも人造の鎧のようなイメージを持ってる。

個々人が武装して個々人のバランスオブパワーによる、社会秩序の維持を目的としている、自然権的人権思想は、やはり米国的といえる。ところが第二次大戦において、独国が行った人権侵害は、欧州において、議会による人権保護から法律からの保障という、新しい次元の人権に昇華した。現在の日本は国際人権規約を批准しているので、憲法はその規約を誠実に尊守する必要がある。

いずれにせよ、欧米の人権思想の奥には…

日本国憲法改正案条文の解説 ―第4章 立法権

二院制の必要ある? 二院制は基本的に王国で貴族などの制度があるときに、貴族院と庶民院、ー英国、もしくは連邦制国家が国民代表と各自治体の代表、―独国や米国、というようなときに必要とされる。北欧諸国が王政の制限と平等原理の徹底によって、二院制から一院制への移行をしているように、日本国も天皇の権限の制限と貴族制の廃止は、一院制の十分条件である。


第4章は立法権を規定している章である。冒頭説明したが、現行憲法の二院制はGHQ案では一院制であった。

Article XLI. The Diet shall consist of one House of elected representatives with a membership of not less than 300 nor more than 500.


GHQ案が手交されたのち、日本政府下で、憲法改正を議論したのは憲法問題調査委員会だ。その議事で、「二院制を維持すべきであるが、従来の貴族院の権限に制限を加え、その構成を民主的なものに改めるべきだ、との意見が支配的であった」、「その名称についても、「上院」「第二院」「元老院」「特議院」「審議院」「参議院」など様々な案が出されたが、「参議院アタリガ無難」だということになった」という。
GHQ民政局が起草した案は「日本の政治の発達状況をみても、簡明性という点からも、一院制を提案するのがよいとの結論に達した。」としているが、これは、貴族制度が廃止されること(マッカーサーノート)、日本は連邦国家でないこと、第一院と第二院の間の争いが生じるおそれがあることなどの理由によるものであったとして、非常に理にかなっている。

参議院の設置理念を金森徳次郎国務大臣は、「衆議院に対する抑制的機能を前提として、知識経験のある慎重熟練の士を求めることにある」とした。この理念は現在、踏みにじられている。障害のある子供をほったらかして、市会議員と一線を越えないまでも、ベッドをともにして開き直ってる議員、二重国籍が確定しても、努力義務なのでと、戸籍を公表して居座る議員、そのほか議員資格に???が付く参議院議員が多い。

原点に返って一院制にすることが最初の目的である。また議会の権限と権能を規定すること。特に現行憲法には全く規定のない貨幣造幣権や度量衡、暦、徴税権、軍の編成権など権限、総理大臣の指名、…

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 第4章

第4章は連邦に対する規定だ。合衆国憲法の規定を読んでいると気がつくことがある。それは防衛という言葉がかなり使われている。独立をして間もなく軍隊もない小さな州政府が自らの自治をある程度制限しても、連邦を組織した理由は国土と国家体制をなんとか護りたいという切なる願いのような気がする。それが合衆国憲法を制定した国民意志なのだろう。


第4章[連邦条項]

第1条[十分な信頼と信用条項]

各々の州は、他のすべての州の一般法律、記録および司法手続に対して、十分な信頼と信用を与えなけ ればならない。連邦議会は、一般的な法律により、これらの法律、記録および司法手続を証明する方法な らびにその効果につき、規定することができる。

第2条[市民権条項、逃亡犯罪人・奴隷の引渡し条項]

[第1項] 各々の州の市民は、他州において、その州の市民が享有するすべての特権および免除を等し く享有する権利を有する。

[第2項] いずれかの州において反逆罪、重罪その他の犯罪につき告発された者が、裁判を逃れて他州 で発見された場合には、その逃亡した州の執行部の要求があれば、当該犯罪につき裁判権を有する州に移送するために、この者を引き渡さなければならない。

[第3項] 1 州において、その州の法律によって役務または労務に服する義務のある者は、他州に逃亡 しても、その州の法律または規則によってかかる役務または労務から解放されるものではなく、当該役務 または労務を提供されるべき当事者からの請求があれば、引き渡されなければならない。[修正第13 条で改正]

第3条[新州および連邦財産条項]

[第1項] 連邦議会は、新しい州がこの連邦へ加入することを認めることができる。但し、連邦議会お よび関係する州の立法部の同意なしに、既存の州の領域内に新州を形成し、または2 つ以上の州もしくは その一部を合併して1 つの州を形成することはできない。

[第2項] 連邦議会は、合衆国に属する領有地その他の財産を処分し、これに関する必要ないっさいの 準則および規則を定める権限を有する。この憲法中のいかなる規定も、合衆国または特定の州の請求権を 損なうように解釈されてはならない。

第4条[共和政体条項]

合衆国は、この連邦内のすべての州に対し共和政体を保障し、侵略に対し各州を防衛する。合衆国は、 州の立法部または(立法部が集会できない…