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思考と行動における言語

思考と行動における言語は意味論の第一人者S.I.ハヤカワ氏の名著であるが、言語の正確な役割を理解するうえで参考になる。ハッキリと考えることを学び、より有効に話し、書くことを学び、より高い理解をもって聞き、読むしかたを学ぶ、こういったことこそ、言語学習の目標である。この本は、これらの伝統的な目標に、現代の意味論の方法(=人生における言語の役割を生物学的に機能的に理解し、また言語の種々の用途を理解する)でせまる。この本の著者たちが提唱する、一般意味論の土台にある倫理的仮説は、「協同は衝突よりも好ましい」であり、人間の協同の道具としての言語を活用すべきであるというものだ。一方、自分の言語に関しては、批判的な態度を持つ必要がある。なお、一般意味論の知識は、単に知っているだけでなく、常日頃の活動で『活用』することに価値がある。

第1部 言語の機能

1.言語と生存

人間は先人の知恵である膨大な知識を蓄積し、無料の贈り物として後世に伝えている。文化的・知的協同は、人間生活の大原則である。表面的には競争原理で世界が動いているように見えるかもしれないが、その深層にある協同原理を知らないといけない。社会が協同するための必要な努力は必ず言語により達成される。われわれは、言語に囲まれているが、そのことを意識していない。しかし言葉により思考は影響を受けるので、自分の意味論的環境に注意すべきである。言語の使用が不一致と衝突を作り激化させた場合には、話し手か聞き手か、その両方に欠陥がある。

2.記号

人間は記号を使う。例えば「劇の悪役を観客が射殺する。」ように、記号に拘束されてはならない。われわれは、現実的経験世界(外在的世界)と言語的世界(『地図』の世界)の二つの世界に住んでいる。『地図』は『現地』ではない。『地図』なしに文明の進歩はないが、『地図』の限界も弁えるべきである。われわれの、アヤマリは二つの経路から生じる。一つは、「人から間違ったものを与えられる。」もう一つは、「自分で読み違える」である。

3.報告、推論、断定

情報交換の基本は報告である。報告は以下の2条件を満たすべきである。

1.それが実証可能でなければならない
2.できるだけ、推論と断定を排除しなければならない

現実に、全てを実証することは難しいが、出来る限りの努力はすべきである。報告の原則は事実の叙述であり、推論は出来るだけ排除すべきである。ただし、推論も必要になる、その時には、「最低自分が推論していることを意識して」記述すべきである。断定は、自分の価値観が入るので、できる限り排除すべきである。論文を書くとき、頭の部分で断定を入れると、それ以降が書けなくなる。事例を多く書けば、長い論文は直ぐにかける。

断定には、直接的な記述以外に、事実の選択や描写方法に間接的に含まれることも多い。自分の先入観を発見し、多方面からの見方をすることが重要である。書くことに本当の技量を持っている人は、想像力と洞察力を持ち、同一の事物を多方面から見ることができる。

4.文脈

言葉の意味は、辞書では決まらず、文章の言語的文脈と、社会活動の物理的社会的文脈で決まる。辞書の記述は、頭の中で想起する『内在的意味=内包』である。しかし実際は、その記号が指し示す『外在的意味』がある。『外在的意味』の議論は地に足がつき、一致を得ることが出来やすい。言葉は「一語・一義」ではない、意味は文脈で常に移り変わる。

5.社会的結びつきの言語

言語の最初は感情の表出であり、情報の伝達はホンの一部である。また、自分の声を楽しむ、音声のための音声の効果もある。単なる同意も儀式としては重要である。教育のある人間にはかえって、前記号的意味を考えないが、実際には言語の色々な効果を考えないといけない。

6.言葉の二重の仕事

言語には、『情報を送る』と『人を感化する』の、二つの仕事がある。従って、人の頭の中で生じる『内包』には、『情報的内包』と、その言葉の引き起こす個人的感情の雰囲気を示す、『感化的内包』がある。

宗教・政治などに見られる、ある種の言葉には、断定がはめこんであり、情報的内包と感化的内包を同時に引き起こす。日常生活の言語では、感化的内包の識別能力が必要である。

7.社会的調整の言語

言葉は指令的用法があり、これで未来を調整できる。指令的言語は感化的な内包を持ち、情緒的な訴求を行う。指令的言語には政治家の公約ような約束を含む。社会は、相互同意の広大な網で成立している。従って、『右側通行』のような共通的な、指令発言に関して、皆は暗黙に同意し、お互いの行動の型を背負っている。祈りや宣誓など、集団的是認を伴う指令もある。

8.感化的コミュニケーションの言語

われわれは、言語の感化的作用による共感を、締め出すことは出来ないので、会話から感情を締め出すことは出来ない。従って、リズム・直接的話しかけによる言語的催眠術や、その他の感化的要素を、われわれは使用している。

また、隠喩と直喩、直喩も、感化的意味を持つ。隠喩のもっとも成功した場合は隠喩を感じさせないレベルである。さらに、古典などを使う引喩もある。一方、事実を選ぶことで、感化性に大きく影響させ、読み手の断定に導く手法もある。

文学の働きは、個人の感じが重要であり、感化的要素が命である。このような文学では、読者に記号的経験を積ますことが出来る。文学や劇では、読み手に登場人物と想像的同一化を引き起こす。未成熟な人は、記号的な経験ですら、失敗を受け入れない。

9.芸術と緊張

発言には、緊張を緩和する効果がある。記号的戦術には、文学的逃避、緊張の緩和(復讐)などがある。また、詩は人々に心理的健康と平衡を与える。狂気と正気に種の差はなく、程度の問題である。美的評価の無秩序は緊張の材料であり、芸術に関して話しあって秩序を作ることで、緊張を緩和する。

第二部 言語と思考

10.われわれはどうやって知るか

ベッシ-と言う牝牛を見たとき、抽象のハシゴで考えている。

抽象のハシゴ

特に最下位の原始的過程のレベルは、常に変化しわれわれは知覚出来ないので、抽象化して扱っている。言語の役割を考える場合には、抽象の働きを考える必要がある。抽象化することで、一般的な議論を行うことが出来る。働きのようなものは、抽象的に記述しないと表現できない。定義は、言語についての叙述であり、できる限り抽象のハシゴを下るようにすべきである。

定義で、外在的に考えないと混乱が増す。定義の別な形は、測定できるものに変換する、操作的定義である。料理の本は、操作的定義を上手に書いている。高いレベルの抽象にとどまる場合は、コトバのグルグル廻りが生じる。一方、高いレベルの抽象化は、哲学&科学的洞察のために必要である。抽象を検定するには、必要に応じて、「低いレベルに適用できるか?」を問うのがよい。人は自分の抽象レベルのこだわる傾向がある。病的な人は、自分の抽象レベルから、動くことが出来ない。良い文学は、描写妥当性と一般的妥当性を持っている。

11.居なかった小人をさがす

広い意味では、われわれは常に、抽象のレベルを混同をしている。しかし科学的理解が進めば、われわれの神経系は、情報を落としてイルと言うことを、意識するようになる。しかし、言葉による条件反射なども存在する。
「犯罪人」ジョン・ドウという表現には、「常に罪を犯す」と言う断定を含んでいる。このような、『妄想の世界』からわれわれを解放するため、抽象を意識し、反応を延滞する。
先輩から学ぶのは、『一団の考えと信念、及びそれを保つための方法』である。これらは、抽象を意識すれば、不適切な時対応できる。地図は現地ではない。

12.分類

名づけの前に分類がある、分類はどの特徴に着目するかで決まり、絶対的な必然性はない。人はお往々にして、自分の分類に思い込みが入る。思いこみの対策として、例えば、「牝牛1は牝牛2ではない」のよう「見出し番号」を使う。科学は分類のもっとも一般的に有用な体系を採用し、当分の間「真理」と見なす。

13.二値的考え方

戦いの場では、敵味方を明確にするため、必然的に二値的考えとなる。しかし文化的な生活では、二値的な見方だけではいけない。政治における二値的考え方は、ヒトラーの発想のように、他の完全な否定となり、他の人間に対する人間の非人間性を示す。二値論理学は、数学などでは有効である。排中律を用いることで、背理法の証明が成立する。しかし、日常生活では、排中律は危険になる。

14.多値的考え方

ケンカや討論以外では、日常生活では、反対意見も認める、多値的考えになり、柔軟な修正を受け入れるようになる。論争で興奮した時や、感情の強い表現は、二値的になる。話し合いから利益を得るためには、断定を避け「反応する前に耳を傾ける」必要がある。ミルトン・ロキーチの研究「開かれた心と閉ざされた心」では、人の反応を以下のように分類している。
  1. 聞き手が、話し手とその内容をともに受け入れる場合
  2. 聞き手が、話し手とその内容をともに受け入れるない場合 
  3. 聞き手が、話し手を受け入れるが、その内容を受け入れるない場合
  4. 聞き手が、話し手を受け入れないが、その内容を受け入れる場合
開かれた心は、(1)~(4)全てができるが、閉ざされた心は、(1)、(2)の2つしかできない。ロキーチによると、人は以下の2つを行う。
  • 人は世界についてもっと多くのことを知ろうと思う
  • 人は世界から自分を守ろうとするー特に自分の「信念体系」に逆らうものを拒絶する
  • しかし、われわれは、自分の信念体系に逆らう情報にも、「心を開いて」おびえずに情報を入手しないといけない。 

15.詩と広告

詩と広告には、どちらも記号を使い人を動かすという、共通点がある。

16.頭の内だけで考える内在的考え方の危険性

内在的考え方の陥りやすい欠陥は、文脈無視、自動的反応、抽象レベルの混同、擬似性のみの注視、定義するだけでの満足などがある。例えば、「教会通いする人」は、「善きクリスチャン」を暗示している。そこで、ある「教会通いする人」が、妻に不誠実・他人の資金の保管は出来ない、卑しさが見つかったとする。この時、内在的考えで言語過剰な人は、以下の3方法で対応する人が多い。
  1. 彼は例外だ!     ・・・以下の多くの例外があったとしても、元の信念は変えない。
  2. 彼は実際は悪くない!・・・事実を否定する。
  3. 人はもう何も信じることは出来ない。私の生きている限り、決して教会通いする人は信じない。
  4. 広告も内在的考え方を促進する。
また、誤った教育も内在的考え方を大いに進める。語彙を知らない難しい言葉の、詰め込みによる自己満足がある。学ぶべき本が、難しい理由は2つある。一つは、扱われている観念が難しいからである。これは、土台になる知識を勉強しないといけない。一方、学問的語彙は、社会的機能をもち、使用者に威厳を与え、理解しない人に尊敬と恐れの念を引き起こす。このような社会的機能の重要度が、通達的機能を上回ると、コミュニケーションは困難になり、生かじりと隠語がはびこる。

17.ネズミと人間 

ネズミに、「解き難い」問題の神経挫折の実験を行うと、
  1. 一定の問題に対し特定の反応に固執する
  2. 状態が変化し、その答えが通用しないと衝撃をうける
  3. 衝撃と不安で挫折を重ねると、はじめの行動に固執する
  4. その後は、不機嫌で行動しなくなる
  5. 強制されると、失敗すると分かっても最初の行動を行い、最後には狂気になる
と、反応する。これは、人間でも同様な傾向がある。人間の場合は、集団的習慣の修正が難しい、制度的惰性が大きな原因である。このような状況には、個々の現実的な事項を確認する、外在的な対応がこれを救う。
科学のもっとも目覚しい特徴は、解きがたい問題の解決の継続である。解けるものを明確にするのが科学的態度であり、科学者はみずからの『地図』の限界を知り、必要に応じて修正する。

18.内の秩序と外の秩序 

内在的な考えによる困難を打破する、外在的考え方の諸ルールは、
  1. 地図はそれが代表する現地ではない。コトバは物ではない。
  2. コトバの意味はコトバの中にあるのではない。意味はわれわれの内にあり、文脈が意味を決定する。
  3. 「である」という語の正体を知れ。多くの場合、それは、評価錯誤を結晶させる。
  4. まだかけられていない橋を渡ろうとするな。指令的叙述と情報的叙述とを区別せよ。
  5. 「真」という語にある少なくとも四つの意義を見分けること。
  6. 実証されている報告、感じていること、指令的、数学の体系で真
  7. 「火に火を以て戦おう」としたくなった時は、消防手は常に水をもって戦うものだということを思い出せ。感情的にならない。
  8.  二値的考え方は、考えの始まりにはなるが操作の用具にはならない
  9. 定義について知れ。できるだけ実例で考えよ。
  10. 見出し番号と日付を使え。いかなる語も正確には二度と同じ意味を持たない。
  11. これを使わないと、突然の怒り、不安、傷つき安すぎ、話しすぎ、何でも口を出す、等の異常の徴候が出る。成熟した心は、あらゆる事に間にあう唯一の答えなどなく、言葉は全てでないと知っていて、柔軟さと不定への備えを持っている。
抽象を意識することのもう一つの領域は、「自分自身を知る」場合である。自己の変化に対応し、現実的な自己概念にする必要があり、特に断定を避け、客観的に報告する必要がある。自己概念の改善は、小さな部分から始めるのがよい。

われわれ自身の外在的知識を増やすもう一つの方法は、慣習的に達した態度を区別することである。慣習的態度には、高い抽象レベルの一般化が含まれることが多い。


思考と行動における言語(要点抜粋) 第二版 S.I.ハヤカワ 大久保忠利訳(岩波叢書)

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日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 前文

これから日本国の新憲法草案を提案しよう。どうしてそう思ったかは単純だ、今の日本国憲法は近代憲法の要件を満たしていないと思われるからだ。近代における国家は主権者である国民の国家形成への強い意志によって成り立っているとする。―するとしたのはもっと奥深い部分では違うと考えているが、近代に対応するためにそう仮定することにしよう。

近代思想において国家は、たとえ国民がひとりでも、国民意志があれば形成することができるとされる。しかしそれは利己的な個人意志ではない。五箇条の御誓文で公論と示された、意志を国民主権では民意というのであって、それがなければ近代国家は存在しないのである。さらにその意志は個々人の中にある不条理で熱い志であり、それを顕現しあるいは不当な隷属の強要から擁護されなければならないと考えている。

そして近代における憲法はその国家を統治する権力を制限するために制定するものであり、国民から政治権力への手紙であり、もっと強く表現すれば命令書として機能するのもである。よって国民が必ずしも従うべきものではないという性質のものである。
統治体というのは国際的には近代国民国家が国際関係を維持するため、またはその関係が破綻した場合に起きる紛争を解決したり、戦争を遂行し条約を締結するための代表府である。同時に国内においては共同体秩序を維持発展させるために制度や法律を制定する立法府、制定された法律をもとにそれを執行する行政府、そして行政が正しい手続きで行われているかを監視したりあるいは手続きの瑕疵を判断する裁判所などの組織のことである。

しかしこれらの組織は主権者である国民の自由を拘束したり法律を不当に行使したりする可能性があるので主権者は組織に対し、してはいけないことと、積極的にしなければならないことを文書によって命令する、それが憲法の本質なのである。そういう視点をもって世界最初の憲法らしい憲法であるアメリカ合衆国憲法と戦後アメリカの占領下制定された日本国憲法を比較してみよう。

アメリカ合衆国憲法(日本語訳)
前文
われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。The Constitution o…

国際関係論で論じられる理想主義

リベラリズムほど解釈が多様にある言葉はないと思う。日本語では自由主義と訳される場合が多いのだが、昨今では自由主義とリベラリズムは対立する政治姿勢ともいえる。よって自由主義をリバタリアニズムと呼ぶのが一般的になりつつある。本稿の場合はリベラリズムを社会自由主義的な用法、ようするに国際関係論で論じられる理想主義として論じることにする。

20世紀の戦争 20世紀は戦争の世紀と呼ばれるように産業革命による技術革新が戦争を巨大化、無慈悲化させた。世界は巨大化・無慈悲化する戦争に対して、一定の規則を締結したが、その後に勃発した第一次世界大戦は大規模かつ無慈悲な消耗戦によりヨーロッパ社会に大きな衝撃を残した。

第一次世界大戦の塹壕戦や化学兵器の使用は、ただ敵を消耗させるための戦略で、それまでの戦争とは様相が大きく変化した。戦争は国家が軍に命令して、軍が名誉をかけて行う営みから、国家国民全体で行う営み全体戦争つまり総力戦へと変容した。

パリ不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)は大戦のような悲惨な戦闘を二度と繰り返さないために交戦国、非交戦国も含めて63カ国が署名した。目的は戦争の違法化、特に侵攻戦争の違法化を目指したが、最終的には侵攻戦争を非難するにとどまった。


貧困が戦争を起こす もし社会が現状で固定されるとしたら、現在比較的幸福な人はいいが、もし不幸な人はどうだろうか。それはその人の希望を奪い去ることになる。国家同士の戦争もある一面では現状に満足できない国家と、それを阻止しようとする国家の営みといえる。

第一次大戦後ヨーロッパの比較的裕福な人々の間で戦争が二度と起こらないように、家族友人の死、あるいは戦争による破産などの不幸をなくすには、どうしたら良いか考えられたのは自然なことだ。そして彼らは結論した。「貧困が戦争を起こす」。

大戦中ロシアでは革命が起こりソ連邦が誕生する。国民(ソ連に国民がいたかは定かでないが)に貧困のない平等な生活を提供する統治体の出現に、ヨーロッパのエシュタブリッシュメントは期待と不安の眼差しを向ける。
リベラリズムの誕生 フランス革命の惨劇を経験しているヨーロッパの裕福な人達は、現状を維持しながら戦争を防止する政治体制の確立を急いだ。そのような背景でリベラリズム理論が誕生することになる。その理論は金持ちはそのまま、貧乏人はもう少しお金持ちにすることだ。

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 第1章

近代憲法は、主権者である国民の意志として、組織される政府に対する命令書なので、前文は、その意志を表現したものがふさわしい。そしてその目的を明確にする必要がある。さらにその目的のために、憲法を制定するわけなので、そういうことを頭に入れたうえで、再び前文を読むと、合衆国憲法は、

われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここに アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。
目的意志がシンプルかつ明確に表現されている。これと比較して、日本国憲法における国民意志もしくは達成したい目的は、

政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。に色濃く現れ、

これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
が次にくる。なぜわざわざ一切の憲法と法令と詔勅と断る必要があるのだろうか。ここにこの憲法を制定した意志があるのではないだろうか。そして最後には、

国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

目的を達成することを、宣言命令するのではなく誓ふ。さらに誓ふ対象も明記されていない。我々日本国民は、誰に対して目標を達成することを誓ふのだろうか。 これに答えを出せる憲法学者や国会議員が、我が国にはどれほどいるのだろうか。国民はそれを疑問とも考えていないのだろか。

第 1 章はその意志を具体化する、そして目的を達成するための第一歩ということだ。最重要なことを最初に申し述べているのである。アメリカ合衆国にとって最重要なことは法の支配、法による秩序であり、日本国では天皇―スメラミコトによる秩序―これをしらすという―であるということだ。大日本国憲法では、

大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

と統治の根拠となる天皇が過去、現在、未来に渡つて、日本国と日本民族の秩序の源であることを示している。この場合の統治とは伊藤博文が解説するように、しらすであり現実的な権力、うしはくと厳密に分けなければならないのである。

合衆国憲法は合衆国の秩序は法によって護られるゆえ、第 1 章では立法府についての規定が列記される。一方、日本国憲法では天皇についての条項が…

年次改革要望書

サイトで偶然みつけた原文の、いわゆる「年次改革要望書」だが、TPPと比較してみても面白い。アメリカの戦略なのか執念なのか、はたまた信仰なのか、1994年からもう20年くらいやってる市場開放交渉だ。我国政府も辛抱強くそれに対応していることがわかる。

TPPとはなにか ―GATT・WTO体制から考えるTPP

TPPというのはWTOが認めるGATT体制の例外で、自由貿易協定や関税同盟などの地域貿易協定のことだ。そのことについての議論が国会の場でもあまりされていないように思う。おがた林太郎元衆議院議員のブログそもそもFTAとはというエントリーがあり、自由貿易協定の根拠はガット24条だということを知らない議員が多いと指摘している。

経済産業省の説明では自由貿易協定(FTA: Free Trade Agreement)と関税同盟(Customs Union)を総称して地域貿易協定としている(RTA: Regional Trade Agreement)が、これらはGATT・WTO体制の例外として認められている協定で、それを規定しているのがガット24条という事になる。経済産業省のHPに関税及び貿易に関する一般協定、GATTの翻訳が掲載されている。
この協定の適用上、
(a) 関税同盟とは、次のことのために単一の関税地域をもつて二以上の関税地域に替えるものをいう。
(i) 関税その他の制限的通商規則(第十一条、第十二条、第十三条、第十四条、第十五条及び第二十 条の規定に基いて認められるもので必要とされるものを除く。)を同盟の構成地域間の実質上のすべての貿易について、又は少くともそれらの地域の原産の産品 の実質上のすべての貿易について、廃止すること。
(ii) 9の規定に従うことを条件として、同盟の各構成国が、実質的に同一の関税その他の通商規則をその同盟に含まれない地域の貿易に適用すること。
(b) 自由貿易地域とは、関税その他の制限的通商規則(第十一条、第十二条、第十三条、第十四条、第十五条 及び第二十条の規定に基いて認められるもので必要とされるものを除く。)がその構成地域の原産の産品の構成地域間における実質上のすべての貿易について廃 止されている二以上の関税地域の集団をいう。 TPPも含む地域貿易協定の根拠は24条にある。つまりTPPにも最恵国待遇が適用されるということだ。一応経産省のHPから最恵国待遇のPDFにリンクを張る。

WTOはその前進であるGATT(General Agreement on Tariffs and Trade) 関税及び貿易に関する一般協定が機関に昇格したものだが、実は国際通貨基金、世界銀行と並びブレトン・ウッズ体制の枠組みとして発足する…

TPPを締結できるか ―日本国憲法から考える

日本国憲法はその制定過程に疑義があるが、陛下の御名御璽のもと、施行されたのであるから、現在の政府はそれを遵守しなければいけないことは当然だ。しかし今回TPPについての議論を憲法の論点から整理をしながら思うことは、憲法を国会議員が全く意識していないし、ましてや遵守など微塵もされていないことに愕然とする。条文は、
第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。 つまり、政府関係者は尊重擁護する義務があるのだが、自らの権限範囲つまり既得権擁護の議論にしか終始していないことには悲しみを覚える。

まずTPPなどの多国間協定は名は協定だが国家間の約束であるから、条約法に関するウィーン条約で定義される「条約」である。
第二条 用語
1 この条約の適用上、
(a) 「条約」とは、国の間において文書の形式により締結され、国際法によつて規律される国際的な合意(単一の文書によるものであるか関連する二以上の文書によるものであるかを問わず、また、名称のいかんを問わない。)をいう。 さらに関税などの通商に関わる条約を通商条約といい、現在はWTO・GATTで規定されている。日本国憲法では、条約などの外交交渉は、内閣の専権事項である。
第七十三条 
三  条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。 しかし、内閣は事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とするとあるように、締結した条約の批准は国会の権限になる。国会が批准しなければ国内的な効力は発生しない。

日本国政府は世界貿易機関を設立するマラケシュ協定を締結批准しWTOの構成国である。これは憲法の九十八条第2項の規定により国内法を改正して対処しなければならない。
第九十八条  この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2  日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。 しかし憲法の条規に反する如何なる法律、命令、詔勅、及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しないとあるように、もし内閣が事後承認を要求した場合、締結した条約は国際的な効力を発生させるとされるのだが、国内的…

小和田恒悪玉論を問う ―衆 - 外務委員会 - 1号 昭和60年11月08日 その2

引き続き、村田春樹さんが國民新聞に書いた記事「小和田恒悪玉論を問う」への激励投稿を続けたいと思う。さて国会会議議事検索システムで昭和60年11月8日衆議院外務委員会の土井たか子委員の質問に対する答弁を検証しよう。

北朝鮮は日本の脅威ではない

北朝鮮の核開発問題は、日本にいろいろな教訓と示唆を与えてくれる。現在日本は、米韓と共に北朝鮮と対峙しているが、日本は、北朝鮮となぜ敵対しているのか、本当の敵は北朝鮮なのかという根本的な命題は、マスコミはじめ識者でも語られないままだ。今回はその辺を整理しよう。


北朝鮮問題の歴史的経緯 朝鮮民主主義人民共和国建国 1910年8月29日、大韓帝国は、日韓併合条約を専制君主である皇帝純宗が裁可することで、大日本帝国との合邦国となった。1945年4月12日、米国は、大日本帝国敗戦後の朝鮮半島統治に関して38度線での分割統治を提案する。1948年9月9日朝鮮民主主義人民共和国の成立は、その年の8月15日大韓民国の成立とともに、朝鮮半島における米ソの対立をより明確にすることになった。

共産主義による世界統治の実現のため、1950年6月ソ連及び、1949年に建国した中華人民共和国の支援を受けて、38度線を越境し大韓民国に進攻戦争を開始して朝鮮戦争が勃発する。大韓民国に駐留していた米軍を中心に国連軍―正式な手続きを経ていないので実質は国連派遣軍若しくは多国籍軍、が組織され、これを迎撃することになる。



朝鮮戦争 1950年6月25日宣戦布告なしに38度線で北朝鮮ソ連中国連合軍の砲撃が開始され、10万を超える兵力が38度線の越境を開始する。当時の韓国軍は兵力約11万人で装備は脆弱であった。さらに、北朝鮮のスパイ掃討戦や軍内部のスパイ粛清で士気は疲弊していた。米国及び国連は動揺するが、6月27日には国連安保理で北朝鮮を侵略者と認定して、その行動を非難する。さらに軍事行動の停止と軍の撤退を求める「国際連合安全保障理事会決議82」を賛成9反対0:棄権1の全会一致で採択した―ソ連は欠席。
韓国軍の崩壊と国連軍の敗走 韓国の李承晩大統領は、6月27日南朝鮮労働党関係者の処刑を命じ、韓国軍や韓国警察によって共産主義者の嫌疑をかけられた20万人から120万人に上る民間人を裁判なしで虐殺した―保導連盟事件。同時に、ソウルを放棄して水原に遷都した。このとき漢江にかかる橋を避難民ごと爆破した―漢江人道橋爆破事件。これにより漢江以北には多数の軍部隊や住民が取り残され、韓国軍の士気がさらに下がることになる。

国連軍を指揮した、マシュー・リッジウェイ将軍は、退却する韓国軍が放棄した装備は、数個師団だったと述べ…

農協は必要か ―農業保護政策は農家保護ではなく、農林水産省OBとJA職員の保護にすぎない

この冬、北海道にずいぶん出張したのだが、その時聞いた話題を提供しようと思う。

通州事件の体験記 ―気の弱い人は讀まないでください

通州事件は 、1937年(昭和12年)7月29日に発生した事件で、冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)による日本軍部隊・特務機関に対する襲撃と、それに続いて起こった日本人居留民に対する虐殺事件である。その体験記がある。讀むのも恐ろしい体験が綴られているのだが、歴史的事実を知るには貴重な記録であるので本誌の読者にも紹介する。あまりも惨たらしい体験記なので気の弱い人は讀まない方がいいと思ふ。
日本人皆殺しの地獄絵 私は大分の山の奥に産まれたんです。すごく貧乏で小学校を卒業しないうちにすすめる人があって大阪につとめに出ることになりました。それが普通の仕事であればいいのですけど、女としては一番いやなつらい仕事だったので、故郷に帰るということもしませんでした。そしてこの仕事をしているうちに何度も何度も人に騙されたんです。小学校も卒業していない私みたいなものはそれが当たり前だったかも知れません。それがもう二十歳も半ばを過ぎますと、私の仕事のほうはあまり喜ばれないようになり、私も仕事に飽きが来て、もうどうなってもよいわいなあ、思い切って外国にでも行こうかと思っているとき、たまたまTさんという支那人と出会ったのです。

このTさんという人はなかなか面白い人で、しょっちゅうみんなを笑わしていました。大阪には商売で来ているということでしたが、何回か会っているうち、Tさんが私に『Sさん私のお嫁さんにならないか』と申すのです。

私は最初は冗談と思っていたので、『いいよ。いつでもお嫁さんになってあげるよ。』と申しておったのですが、昭和七年の二月、Tさんが友人のYさんという人を連れて来て、これから結婚式をすると言うんです。そのときは全く驚きました。冗談冗談と思っていたのに友人を連れて来て、これから結婚式というものですから、私は最初は本当にしなかったんです。

でも、Yさんはすごく真面目な顔をして言うのです。Tさんは今まで何度もあなたに結婚して欲しいと申したそうですが、あなたはいつも、ああいいよと申していたそうです。それでTさんはあなたと結婚することを真剣に考えて、結婚の準備をしていたのです。それで今日の結婚式はもう何もかも準備が出来ているのです。とYさんは強い言葉で私に迫ります。

それでも私は雇い主にも相談しなくてはならないと申すと、雇い主も承知をして今日の結婚式には出ると申すし、少しばかりあっ…