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情熱的な非寛容者たち ―キリスト教の歴史

宗教と言うとキリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教、ヒンドゥー教などが浮かぶであろう。戦後の日本人は誇りと共に宗教心や宗教観も喪失してしまい、宗教と言うと多くは新興カルトしか頭に浮かばないであろう。オウム真理教は地下鉄サリン事件などいくつかの殺人事件を命令、実行したとして現在松本被告の死刑は確定しているが、過去キリスト教にそれに比べれば、いささか不謹慎の誹りを被害者ご遺族に受けるであろうが、規模もその残虐さも桁違いに違う。

ローマ帝国の国教となったカトリック教会は徐々にその力を増し、ついにいわゆる「カノッサの屈辱」以後はローマ皇帝を越える権力を持つに至る。12世紀にはいよいよ異端審問が開始され、いわゆる「魔女狩り」も始まる。十字軍の遠征も神の名の下に行われた大略奪と大虐殺であり、ポルトガル、スペインの大航海時代に行われた、宣教師による南米の文明抹殺は歴史にその残虐性をとどめることとなる。カトリック教会による魔女狩りはヨーロッパでは1700年代まで続いている。

トルデシリャス条約によって世界を2分したのはスペインとポルトガルだ。現在南米がほとんどスペイン語圏であるのも拘わらず、ブラジルのみポルトガル語であるのは下図のようにたまたまブラジル付近が、ポルトガル勢力圈にたまたまなったことに由来する。

またブラジルにいわゆる黒人が多いのはコーヒー豆を栽培するためにブラジルにはアフリカから多くの奴隷を運んできたからなのである。蛇足になるが現在オリンピック等でアメリカのアフロアメリカンが活躍しているのは、この時期に白人は、足の速いもの同士、歌の上手なもの同士など結婚させ(実は違うが表現が見つからず“結婚”とした)現在に至るのがアメリカアフロアメリカンである。

この11世紀から18世紀くらいまででいったい何人の人間が異端とされ、魔女とされ、また異教徒あるからとされ、処刑、虐殺、粛清されたのだろうか。数億とも数十億とも言われている。これらはローマ教皇の意を受け、神の名の下、宣教師達が行った史上最悪の蛮行である。21世紀が始まろうとする2000年にローマ法王はこれらのことについて謝罪を行ったが果たしてそれは許されるのあろうか。


スペイン、ポルトガルの宣教師達は征服すると、敵の王を虐殺せず裁判をする。裁判官は宣教師達がなり、まず通常法による有罪判決をだし、そして火刑を宣告するのである。通常法で死刑として、火刑により異端審問や魔女裁判と同様にカトリックの最高刑で処罰するのである。異教徒であれば火あぶりは当たり前と何百万人を焼き殺し、降伏者はすぐに処刑せず、まず裁判所を設置して、征服側が裁判官となり、いい加減な罪を適当になすりつけ、火刑がないから絞首刑に処す。500年前の白人カトリックのやり方は、今から60有余年前に我国がされたこととまったく変わっていない。

キリスト教はその草創期、大変な迫害にあっている。あの暴君ネロによってペテロとパオロが殉教したとされ、その後デキウス帝に始まった組織的な迫害はデオクレティアーヌス帝の時ピークを迎える。キリスト教徒をライオンに喰わせたという話もこの頃である。この迫害は312年コンスタンチーヌスがローマを占領して、正式にキリスト教を公認するまで続く。

しかしまだ敬虔なユダヤ教の一宗派として認められたにすぎず、ローマの国教となるまではこの後80年、デオドシウス1世392年までかかる。教皇の権威と皇帝の権力とが結びついた瞬間である。この誕生から400年にわたる殉難時、その教勢が伸びたのはキリスト教会がローマ社会において、貧困、失業、病気、投獄などに対して救いを与えたからに他ならない。

この後は外からの迫害は終息するが、内なる脅威が勃興することになる。教会の統一論争である。初期のキリスト教はユダヤ教との違いを異邦人に説明する必要から、グノーシス主義が採用された。ギリシャ哲学的な手法で改宗した人々を教育した。しかしギリシャ的キリスト教は正統キリスト教徒にとってみれば妥協的宗派と言ってもよい。

そこでギリシャ諸宗教徒、ギリシャ的キリスト教徒、ユダヤ教徒から正統キリスト教の立場を弁証した学者たち、いわゆるアポロジストの活動が始まる。このころ多くのアポロジストとがギリシャ語ではなくラテン語で文筆活動をしたのが、聖書がラテン語である所以でもある。この正統キリスト教の信仰を守るために書かれたのが、現在の「使途信条」、「ローマの信条」である。

同時にギリシャ哲学との綜合もアレクサンドリア学派によって試みられ、プラトンは不完全ながらも神の本質について真理を語っていると言う初期のキリスト教教義学が発生している。そしてキリスト教が公認される前後、アリオス論争が勃発する。アリオス論争を終息させる必要からニカイヤ総会議が収集され、アリオス派は追放される。

この後もたびたび教義の統一を測る総会議が招集され、会議で審判され異端とされた教義派はことごとく弾圧をされる。こうして皇帝は教会の権威を、教皇は皇帝の権力をお互い巧みに利用し、暗黒の中世期を迎えることになる。

中世期のキリスト教会は頽廃を極め、850年頃に創られたとされる「偽イシドルス教例集」がある。この偽文書は聖職者は神と人との仲介者であって、教皇権は皇帝権を超えるものであるということを言っているのであるが、教会の権威を上げるためには嘘をも辞さないと言うのは精神の頽廃以外の何者でもない。

10世紀には教皇庁内では娼婦政治が横行し、姦計で廃位した教皇は50人を下らない。11世紀には教会が東西に分裂し、いっそう教義学論争がさかんとなる。11世紀末第1回十字軍が組織され回教徒に占領されている聖地エレサレムを奪回するが、純粋な動機から遠征したのは計8回のうちこの第1回目くらいで、後は金品の略奪目当ての盗賊遠征軍となってしまう。

迫害は恒常的となり、大きなものものでも、ワルドー派、カタリ派、アルビ派への迫害がある。特に前二者は皇帝の命による迫害であるが、アルビ派の迫害はキリストの名においてキリスト教徒による、キリスト教徒への大殺戮であることを記憶にとどめておいてほしい。また魔女裁判も頻繁に行われ、全くの冤罪で何万人の命を奪ったのであろうか。この中世期教皇権は神と人との仲介者として、また聖職者はラテン語による聖書を判読できる聖人としてその権威の絶頂を迎える。

しかしルネサンスによる古典回帰運動は勃興しつつあった市民社会と同様、神中心否、神の名を語った、教皇中心主義から人間中心主義へと変化し始める。さらに科学の発展による神秘主義の否定や、印刷技術の発達による聖書の翻訳本の普及などそれまで教皇の権威を支えていたものが崩れ始める。ここに宗教改革が実現する土壌が醸成されるのである。

1517年10月31日、マルティン・ルターがヴィッテンベルク城門に免罪符に反対する95箇条の抗議文を掲示するところから宗教改革が始まることになる。ルターが信仰へ傾倒するきっかけは救済であった。人は如何に救われるか、救うことができるか。ルターは学問の道を捨て修道僧となる。いわゆる福音主義であるが、ルターのそれは極めて人文的には矛盾をはらむ。つまり論理的でないということである。

ルターの説いた教えは「罪人にして義人」。つまり人は人を裁き得ないということだ。ルターはローマ教皇の権威を、激しく否定(教皇無謬説の否定)することで多くの支持を得ることになる。しかしその論理的、合理的でない福音主義は、他の改革者ツウィングリやカルバンと一線を課すことになる。ルターの改革は瞬く間にヨーロッパに広がり、多くのルター派教会ができることになるが、農民戦争への彼の態度がその求心力を弱めることになる。

農民戦争とは1524年―1525年に起こった農民の蜂起であるが、ルターはこの戦争について二王国説の立場から農民側を断罪する。そしてこの蜂起への諸侯の弾圧で15万人が粛清されている。ルターはこの件で民衆の支持を失うことになる。ルターは「悲劇で始まり、喜劇で終わる宗教改革」と揶揄されることになる。

ルター派諸教会とカトリック諸教会は激しく対立し、カトリック諸教会によりカトリック派を非難することを禁じる法律ができると、ルター派諸教会は「抗議書」を出す。これがプロテスタント(抗議者達)の由来である。ルターのあまりにも人文主義的には矛盾をはらんだ教義だったが、その後カルヴァン等によって論理性を帯びることになる。

このカルヴァン派プロテスタントの敬虔主義が勃興しつつあった資本主義とのかかわりを論考したのがマックス・ウェーバーである。またこの戒律的に非常に厳しいカルヴァン派プロテスタントはその後、啓蒙主義時代に科学や近代思想とも折り合いをつけ、現代社会や経済に影響しているのである。

近代欧州思想史はキリスト教と啓蒙主義を如何に折り合わせるかの変遷とも言える。ルターやカルヴァン等は絶対神の存在が自己の外にある意味において宗教的とも言える。啓蒙期のキリスト教は自己が神を規定する。英国でハーバードが理神論を提唱するが、理神論は神を肯定はするが人知による神の規定、すなわち人間が認識する神ということでは、古典的キリスト教から考えれば無神論となる。そしてその理神論の発展系がベーコン、ホッブス、ロックなどであるが、ヒュームはそれらに一つの結論を与えている。

仏国ではナントの勅令以後拡大した中産富裕層だがルイ14世が勅令を撤廃して、いわゆるユグノーの迫害が起こり市民階層が崩壊する。(プロテスタントと資本主義の関係はマックス・ウエバーの論考)多くの貧困層と一部の土地所有者(貴族)との格差は著しく増大する。

この時期(18世紀)英国に比べて仏国は後進国となる。この社会環境の中に英国から啓蒙主義が輸入される。当然ルイ14世の王権を庇護するカトリック教会の否定、そして教皇権、神への疑問は、英国のそれとは比較にならないほどラジカルになるのは必然である。そのラジカリズムの反動として、ルソーのロマンチシズムがある。

しかし両者は王権を庇護しているカトリック教会から観れば、同じ啓蒙主義的合理主義であることには変わりはない。そしてこの啓蒙的合理主義が政治と結びつき、後の米国の独立戦争、フランス革命へ多大な影響を及ぼすことになるのは周知のとおりである。

独国ではやや遅れて英国啓蒙主義が輸入されが、ゲーテ、カント、ニーチェと近代思想史、哲学に圧倒的影響を及ぼした巨人を輩出することになる。プロテスタント的アプローチでカトリック的神権、教皇権などを否定するがそれぞれ信仰的自己と啓蒙主義的思考の狭間でその論考は揺れ動くことになる。ニーチェに至り「神は死んだ」と宣言する。

ニーチェの少し前、キルケゴールの実存主義、マルクス、エンゲルスの唯物論などは20世紀の人類に多大な災禍を与えることになる。しかしニーチェは神を否定したがゆえに「超人」という人にして神、神にして人である対象物を創造せざるをえなっかたことはニーチェにしても逃れられない、キリスト教の呪縛なのか。またマルクスもしかりである。

ここでキリスト教の分裂後の東方教会を見てみたいと想ふ。ビザンティン文化を創出した東方教会はコンスタンティノーブル、エレサレム、など中近東、アフリカ北部、バルカン半島の教会である。その中心コンスタンチノーブルがオスマン・トルコに占領されるとその中心はロシアに移ることになる。

幸いにして東方教会はローマ・カトリック教会のような様々な論争や宗教改革などの動きが起こらず20世紀前半を向かえ、啓蒙主義や唯物論との折り合いの場を持たず来たために一気に西欧啓蒙主義、唯物論が入り込み旧態依然とした東方教会は革命と言う嵐により消滅することになる。

東方教会のそれはロシア的正確をおび、ある次元でアジア的、仏教的(チベット仏教)でもある。しかしそのような神秘性や深遠性は西方カトリックの法的性格とは相容れないのもである。

この辺でキリスト教の歴史を振り返ることを終わりにするが、最後に19世紀初頭英国でキリスト教社会主義運動がメソジスト運動のさなか起こっている。この運動はマルクスが1848年「共産党宣言」を発表する前に勃興している。この運動は独国などを経由して米国に渡り、19世紀末、日本に渡ってくるのである。日本の社会主義運動はキリスト教徒によって始まることは興味深い。キリスト教の歴史を振り返り欧州の人々の苦悩を垣間見ることができた。彼等が近代を確立したのは絶対でモノクロな神(唯一絶対神)からの逃避なのである。

神の御名において一体何人のキリスト教徒、異教徒が殺戮されたのだろうか。それは神の命であろうか?イエスの教えであろうか?答えは否である。神も救世主イエスもそのようなことは一言も言ってないし、伝えてない。すべてローマ皇帝の権力と癒着したカトリック教皇とその司祭たちの仕業である。キリスト教徒達の信仰心を利用し、裁き、虐殺を繰り返した教皇と司祭そしてその組織、カトリック教会の罪は深い。自らの栄達や利益のため神と救世主イエスを利用した罪は欧州を覆いつくしている。

本稿を書いていて一つ気づいたことがある。ルターだ。世界史では「宗教改革」をはじめた人となっているが、その後を見てみるとルター派は少ない。ルターはかカトリック教会の権威に戦いを挑みその後の近代社会の造成に多大な影響を及ぼすことになる。

しかしその後に現れたカルバンと違い、人文に妥協することはなかった。神(唯一絶対神)、救世主イエス、そしてその言葉である聖書にまっすぐなゆえ、農民戦争に対する態度は、神の世界を乱す反乱者とした。ルターはあらゆる人文的論理を超えて神とその伝承者イエスを信仰した。人文的なあらゆる論理より神の声である聖書を優先したのである。その姿勢はあまりにも人文的なものを廃したため、神からの離脱を図る人類の支持を得ることはできなかったのではないか。

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日韓併合 百年目の真実 李完用が救った大韓帝国

本年2010年8月29日は法律上の専制君主大韓帝国皇帝純宗が勅諭を発表して日本と韓国が合併したことを内外に示してから100年目にあたる。


韓国皇帝の勅諭 皇帝、若(ここ)に曰く、朕否徳にして艱大なる業を承け、臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望み無し。中夜憂慮善後の策茫然たり。此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底(いた)らん。寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せいむるに如かず。

故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、自ら断じ、茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国日本皇帝陛下に譲与し、外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。惟爾大小臣民は、国勢と時宜を深察し、煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。

朕が今日の此の挙は、爾有衆を忘れたるにあらず、専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ。爾臣民は朕の此の意を克く体せよ。

隆煕四年八月二十九日 御璽

日韓併合100年目を前に韓国の反日派からの様々な動きがあるのでまとめてみたい。

2010年5月11日のこのようなニュースを目にした。

日韓知識人が共同宣言「日韓併合は当初から無効だった」
看過できないのは多くの日本人学者が関わっているという点 …今回の声明には発起人である和田春樹東京大学名誉教授をはじめ、日韓歴史共同研究委員会の日本側の座長を務めた三谷太一郎東京大学名誉教授など105人が声明に署名している。一方、韓国ではイ・テジンソウル大学明楊教授やカン・マンギル高麗大学名誉教授、詩人の高銀氏や金芝河氏のほか、幅広い層から109人が声明に署名した。… …声明では、「併合は大韓帝国の抗議を軍事力で押さえつけたもので、韓国側が国権の譲与を申し出たとする内容も虚偽(きょぎ)である」と指摘し、日本政府が日韓併合条約について「無効」であることを認め、8月の総理談話に関連内容を盛り込むように、積極的に働き掛けるとしている。… 2010年07月18日には、

日韓併合100年で日本が韓国へ謝罪、中国も大きな注目

8月29日に日韓併合100年を迎えるにあたり、日本政府は韓国に過去の植民地統治を謝罪する方針を明らかにした。17日、環球時報は「日本は韓国側…

翻訳者からのメッセージ

国家と国民 民族が国民となるためには国家を確立しなければならないのが国際的なルールだ。主権国としての権利が付与されるには統治機構(以後政府)がなければならない。政府によって領土(領海、領空)と被統治民族(国民)が認定されるわけだ。現在ではその政府が民主的な手続きで選ばれるのが(普通選挙)望ましいが、それは民族が決めること(民族自決。民族が自ら、自由に政府を組織すること、民族自決)ということも国際的なルールだ。国際社会では民主的にせよ、力尽くにせよ領土と民族を実効支配していることが重要なのだ。竹島は力尽くで奪われたのだが、それを民主的なルールで取り返そうとしてもある意味空虚だ。中国は尖閣諸島を民主的に奪いとろうとしているが、最後は武力行使をしてくる可能性は否定出来ない。国家(領土と領民)というのは受動的に与えられる概念ではなく能動的主体的に確立した民族に認められる概念なのだ。

憲法は国民からの命令書 憲法は民族が国民となり暴力を政府に独占させるにあたってやってほしいこと、やってほしくないことをお願いした手紙であり、法という見方をすれば国民から政府対する命令書だ。よってその前文は我々は~命令する(政府に対して)、という文章が望ましい。そのことをふまえて前文を読んでみると、
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由 のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を 確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれ を享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安 全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地 位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民…

国際関係論で論じられる理想主義

リベラリズムほど解釈が多様にある言葉はないと思う。日本語では自由主義と訳される場合が多いのだが、昨今では自由主義とリベラリズムは対立する政治姿勢ともいえる。よって自由主義をリバタリアニズムと呼ぶのが一般的になりつつある。本稿の場合はリベラリズムを社会自由主義的な用法、ようするに国際関係論で論じられる理想主義として論じることにする。

20世紀の戦争 20世紀は戦争の世紀と呼ばれるように産業革命による技術革新が戦争を巨大化、無慈悲化させた。世界は巨大化・無慈悲化する戦争に対して、一定の規則を締結したが、その後に勃発した第一次世界大戦は大規模かつ無慈悲な消耗戦によりヨーロッパ社会に大きな衝撃を残した。

第一次世界大戦の塹壕戦や化学兵器の使用は、ただ敵を消耗させるための戦略で、それまでの戦争とは様相が大きく変化した。戦争は国家が軍に命令して、軍が名誉をかけて行う営みから、国家国民全体で行う営み全体戦争つまり総力戦へと変容した。

パリ不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)は大戦のような悲惨な戦闘を二度と繰り返さないために交戦国、非交戦国も含めて63カ国が署名した。目的は戦争の違法化、特に侵攻戦争の違法化を目指したが、最終的には侵攻戦争を非難するにとどまった。


貧困が戦争を起こす もし社会が現状で固定されるとしたら、現在比較的幸福な人はいいが、もし不幸な人はどうだろうか。それはその人の希望を奪い去ることになる。国家同士の戦争もある一面では現状に満足できない国家と、それを阻止しようとする国家の営みといえる。

第一次大戦後ヨーロッパの比較的裕福な人々の間で戦争が二度と起こらないように、家族友人の死、あるいは戦争による破産などの不幸をなくすには、どうしたら良いか考えられたのは自然なことだ。そして彼らは結論した。「貧困が戦争を起こす」。

大戦中ロシアでは革命が起こりソ連邦が誕生する。国民(ソ連に国民がいたかは定かでないが)に貧困のない平等な生活を提供する統治体の出現に、ヨーロッパのエシュタブリッシュメントは期待と不安の眼差しを向ける。
リベラリズムの誕生 フランス革命の惨劇を経験しているヨーロッパの裕福な人達は、現状を維持しながら戦争を防止する政治体制の確立を急いだ。そのような背景でリベラリズム理論が誕生することになる。その理論は金持ちはそのまま、貧乏人はもう少しお金持ちにすることだ。

TPPとはなにか ―国際法・条約から考える

フェイスブックのTPPって何?の議論を通じTPPを検証してきたが、ここに来て議論が成熟してきた。JAなどがTPPの「聖域なき関税撤廃で農業はだめになる」という主張はWTO・GATTのウルグアイ・ラウンドで我国が聖域として議論した農産5品目が自由化されるという主張だが、TPPはWTO・GATTの規定内で交渉される自由貿易協定であるから、「聖域なし」は「実質上」と同じ「すべて」ではないという例外を表した言葉だ。

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 第1章

近代憲法は、主権者である国民の意志として、組織される政府に対する命令書なので、前文は、その意志を表現したものがふさわしい。そしてその目的を明確にする必要がある。さらにその目的のために、憲法を制定するわけなので、そういうことを頭に入れたうえで、再び前文を読むと、合衆国憲法は、

われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここに アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。
目的意志がシンプルかつ明確に表現されている。これと比較して、日本国憲法における国民意志もしくは達成したい目的は、

政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。に色濃く現れ、

これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
が次にくる。なぜわざわざ一切の憲法と法令と詔勅と断る必要があるのだろうか。ここにこの憲法を制定した意志があるのではないだろうか。そして最後には、

国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

目的を達成することを、宣言命令するのではなく誓ふ。さらに誓ふ対象も明記されていない。我々日本国民は、誰に対して目標を達成することを誓ふのだろうか。 これに答えを出せる憲法学者や国会議員が、我が国にはどれほどいるのだろうか。国民はそれを疑問とも考えていないのだろか。

第 1 章はその意志を具体化する、そして目的を達成するための第一歩ということだ。最重要なことを最初に申し述べているのである。アメリカ合衆国にとって最重要なことは法の支配、法による秩序であり、日本国では天皇―スメラミコトによる秩序―これをしらすという―であるということだ。大日本国憲法では、

大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

と統治の根拠となる天皇が過去、現在、未来に渡つて、日本国と日本民族の秩序の源であることを示している。この場合の統治とは伊藤博文が解説するように、しらすであり現実的な権力、うしはくと厳密に分けなければならないのである。

合衆国憲法は合衆国の秩序は法によって護られるゆえ、第 1 章では立法府についての規定が列記される。一方、日本国憲法では天皇についての条項が…

日本は〝心〟という字に見える ─ 日韓永遠の架け橋たらんとした悲劇の知日家・朴鉄柱会長 ─

戦後ソウルに設立した「日本文化研究所 (高千穂商科大学教授) 名越二荒之助 「朴鉄柱大人を偲ぶ」より

恒久的な日韓友好を考えるうえで、避けて通ることのできない人物がおります。それは朴鐵柱という一人の韓国人です。彼は大正十一年(一九二二)、釜山市の東?(トーライ)に生まれ、大東亜戦争下に日本の皇典講究所を卒業。卒業後は釜山の龍頭山神社や、新羅時代から関係の深い下関の住吉神社(長門一宮、元官幣中社)に奉職しました。彼は学生時代から古事記・日本書記を通して、日本の成り立ちと天皇朝の存在に深い関心を寄せ、その尊貴性に目覚めていました。だから彼としては、神社に奉職することに何のためらいもありませんでした。

終戦後は韓国に帰りましたが、李承晩大統領の反日政権下にあって苦汁を嘗めさせられました。日本の学校を出た者は、「民族反逆者裁判条例」にひっかかって追放の憂目を見ました。やがて朝鮮動乱が勃発。その荒波をくぐって生きのび、動乱が終るとソウルに出て、昭和二十九年五月には、「日本文化研究所」(ソウル特別市中区奨忠洞二街一九七)」を設立しました。「社団法人・日本文化研究所」の「内容書」は、韓日両国語によって書かれており、「趣意書」の冒頭は次のような書き出しで始まります。

「日韓両民族は、各自悠久なる伝統と文化を護持してき、上古よりの密接なる文化的相互交流は、両民族の芸術、風俗、道義観にまで相似共通のものを形成してきたのであります。特に一衣帯水の地理的条件は、お互の全歴史を通じて政治的、経済的、協助を不可避にし、文化的、精神的にも緊密にして不可分離なる関係を確立してきたのでありま
す。」

「趣意書」は大局観に立って、悠久の日韓のあり方を踏えたものです。しかしながら両国の間に、文禄・慶長の役のような「互恵扶助の原理に違背したとき」があった。それは「久遠なる歴史に於てひとつの瞬間的な疾患であり、両国の健全な将来と恒久友和のための契機」にしなければならないとして、研究主題を次の三つに置いております。

一、日本上代文化の研究
二、帰化文化の研究
三、日本の信仰、道徳等精神文化の研究

韓国で朴氏が「日本文化研究所」を設立した昭和三十年頃の日本は、敗戦のショックから醒めやらず、自国文化を
否定し、罵倒する言論がまかり通っていました。その頃韓国で、日本の精神伝統と国体研究の運動が起ったことは、文
字…

不要な電波がユビキタス —あなたの私生活は公開されている

このところ政治の話が多かったので、専門の危機管理のお話を少ししたいと思う。皆さんはノートパソコンを使ってますか?それとも自宅のWIFIでスマホを使って、インスタグラムに投稿してますか?これらはすべて私生活の公開の危険をはらんでいることにお気づきですか?

ネットワーク簡単に接続できることは簡単にのぞかれているということ 自宅のペットを監視するや赤ちゃんを監視するためにWEBカメラを購入してスマホで見ている、という人は結構多いのででないだろうか。実は「簡単に」接続できることは、容易にのぞかれることだ。また、自宅用の防犯用監視カメラはDDos攻撃の道具として使用されていることもある。これらは簡単で安価に使用できるというメリットは、逆にリスクになるということを理解しなければいけない。

私がある地方都市に出張して、古いホテルに宿泊したとき、部屋で仕事をするために無線LANに接続したところ、いろいろなノードが参照できたことがあった。通常はVLAN等で他のノードを参照できないようにするのだが、予算の関係かあるいは自力で無線化したのか、セキュリティ対策が杜撰だった。



大量のアクセスポイントが大量の電波をだしている 無線LANのサーベイをしていると、付近のマンションなどから多数のアクセスポイントが検知される。今や家庭に一個はアクセスルーターがあるが、その中の半数はアクセスキーが設定されていないものがある。おそらくセットアップ時に設定を飛ばすか、しないかだろうが危険だ。

簡単に設定できるうえ、再セットアップが簡単なのでそのようにしているか、若しくは全く意識しないでしているかだが、悪意の三者に利用される危険がある。安易な電波が不足しがちな無線環境をさらに悪化させている。
写真には位置情報が付加されている フェイスブックやインスタグラムに写真を投稿しているが、アップロード場所の位置情報を付加している人がいる。自宅で自撮り写真や子供の写真をアップロードしている人も位置情報が付加されているのを散見する。

フェイスブックやインスタグラムアプリの位置情報機能をオフしても写真自体に位置情報が付加されていることには気づいていないようだ。ほとんどのスマホ撮影の写真に位置情報が付加されてる。僕はフェイスブックの友達の女性が自宅で自撮り写真をアップロードしているときはそれを確認して連絡をしてあげている。…

小和田恒悪玉論を問う ―衆 - 外務委員会 - 1号 昭和60年11月08日 その2

引き続き、村田春樹さんが國民新聞に書いた記事「小和田恒悪玉論を問う」への激励投稿を続けたいと思う。さて国会会議議事検索システムで昭和60年11月8日衆議院外務委員会の土井たか子委員の質問に対する答弁を検証しよう。

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 前文

これから日本国の新憲法草案を提案しよう。どうしてそう思ったかは単純だ、今の日本国憲法は近代憲法の要件を満たしていないと思われるからだ。近代における国家は主権者である国民の国家形成への強い意志によって成り立っているとする。―するとしたのはもっと奥深い部分では違うと考えているが、近代に対応するためにそう仮定することにしよう。

近代思想において国家は、たとえ国民がひとりでも、国民意志があれば形成することができるとされる。しかしそれは利己的な個人意志ではない。五箇条の御誓文で公論と示された、意志を国民主権では民意というのであって、それがなければ近代国家は存在しないのである。さらにその意志は個々人の中にある不条理で熱い志であり、それを顕現しあるいは不当な隷属の強要から擁護されなければならないと考えている。

そして近代における憲法はその国家を統治する権力を制限するために制定するものであり、国民から政治権力への手紙であり、もっと強く表現すれば命令書として機能するのもである。よって国民が必ずしも従うべきものではないという性質のものである。
統治体というのは国際的には近代国民国家が国際関係を維持するため、またはその関係が破綻した場合に起きる紛争を解決したり、戦争を遂行し条約を締結するための代表府である。同時に国内においては共同体秩序を維持発展させるために制度や法律を制定する立法府、制定された法律をもとにそれを執行する行政府、そして行政が正しい手続きで行われているかを監視したりあるいは手続きの瑕疵を判断する裁判所などの組織のことである。

しかしこれらの組織は主権者である国民の自由を拘束したり法律を不当に行使したりする可能性があるので主権者は組織に対し、してはいけないことと、積極的にしなければならないことを文書によって命令する、それが憲法の本質なのである。そういう視点をもって世界最初の憲法らしい憲法であるアメリカ合衆国憲法と戦後アメリカの占領下制定された日本国憲法を比較してみよう。


アメリカ合衆国憲法(日本語訳)
前文
われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。The Constitution o…