スキップしてメイン コンテンツに移動

情熱的な非寛容者たち ―キリスト教の歴史

宗教と言うとキリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教、ヒンドゥー教などが浮かぶであろう。戦後の日本人は誇りと共に宗教心や宗教観も喪失してしまい、宗教と言うと多くは新興カルトしか頭に浮かばないであろう。オウム真理教は地下鉄サリン事件などいくつかの殺人事件を命令、実行したとして現在松本被告の死刑は確定しているが、過去キリスト教にそれに比べれば、いささか不謹慎の誹りを被害者ご遺族に受けるであろうが、規模もその残虐さも桁違いに違う。

ローマ帝国の国教となったカトリック教会は徐々にその力を増し、ついにいわゆる「カノッサの屈辱」以後はローマ皇帝を越える権力を持つに至る。12世紀にはいよいよ異端審問が開始され、いわゆる「魔女狩り」も始まる。十字軍の遠征も神の名の下に行われた大略奪と大虐殺であり、ポルトガル、スペインの大航海時代に行われた、宣教師による南米の文明抹殺は歴史にその残虐性をとどめることとなる。カトリック教会による魔女狩りはヨーロッパでは1700年代まで続いている。

トルデシリャス条約によって世界を2分したのはスペインとポルトガルだ。現在南米がほとんどスペイン語圏であるのも拘わらず、ブラジルのみポルトガル語であるのは下図のようにたまたまブラジル付近が、ポルトガル勢力圈にたまたまなったことに由来する。

またブラジルにいわゆる黒人が多いのはコーヒー豆を栽培するためにブラジルにはアフリカから多くの奴隷を運んできたからなのである。蛇足になるが現在オリンピック等でアメリカのアフロアメリカンが活躍しているのは、この時期に白人は、足の速いもの同士、歌の上手なもの同士など結婚させ(実は違うが表現が見つからず“結婚”とした)現在に至るのがアメリカアフロアメリカンである。

この11世紀から18世紀くらいまででいったい何人の人間が異端とされ、魔女とされ、また異教徒あるからとされ、処刑、虐殺、粛清されたのだろうか。数億とも数十億とも言われている。これらはローマ教皇の意を受け、神の名の下、宣教師達が行った史上最悪の蛮行である。21世紀が始まろうとする2000年にローマ法王はこれらのことについて謝罪を行ったが果たしてそれは許されるのあろうか。


スペイン、ポルトガルの宣教師達は征服すると、敵の王を虐殺せず裁判をする。裁判官は宣教師達がなり、まず通常法による有罪判決をだし、そして火刑を宣告するのである。通常法で死刑として、火刑により異端審問や魔女裁判と同様にカトリックの最高刑で処罰するのである。異教徒であれば火あぶりは当たり前と何百万人を焼き殺し、降伏者はすぐに処刑せず、まず裁判所を設置して、征服側が裁判官となり、いい加減な罪を適当になすりつけ、火刑がないから絞首刑に処す。500年前の白人カトリックのやり方は、今から60有余年前に我国がされたこととまったく変わっていない。

キリスト教はその草創期、大変な迫害にあっている。あの暴君ネロによってペテロとパオロが殉教したとされ、その後デキウス帝に始まった組織的な迫害はデオクレティアーヌス帝の時ピークを迎える。キリスト教徒をライオンに喰わせたという話もこの頃である。この迫害は312年コンスタンチーヌスがローマを占領して、正式にキリスト教を公認するまで続く。

しかしまだ敬虔なユダヤ教の一宗派として認められたにすぎず、ローマの国教となるまではこの後80年、デオドシウス1世392年までかかる。教皇の権威と皇帝の権力とが結びついた瞬間である。この誕生から400年にわたる殉難時、その教勢が伸びたのはキリスト教会がローマ社会において、貧困、失業、病気、投獄などに対して救いを与えたからに他ならない。

この後は外からの迫害は終息するが、内なる脅威が勃興することになる。教会の統一論争である。初期のキリスト教はユダヤ教との違いを異邦人に説明する必要から、グノーシス主義が採用された。ギリシャ哲学的な手法で改宗した人々を教育した。しかしギリシャ的キリスト教は正統キリスト教徒にとってみれば妥協的宗派と言ってもよい。

そこでギリシャ諸宗教徒、ギリシャ的キリスト教徒、ユダヤ教徒から正統キリスト教の立場を弁証した学者たち、いわゆるアポロジストの活動が始まる。このころ多くのアポロジストとがギリシャ語ではなくラテン語で文筆活動をしたのが、聖書がラテン語である所以でもある。この正統キリスト教の信仰を守るために書かれたのが、現在の「使途信条」、「ローマの信条」である。

同時にギリシャ哲学との綜合もアレクサンドリア学派によって試みられ、プラトンは不完全ながらも神の本質について真理を語っていると言う初期のキリスト教教義学が発生している。そしてキリスト教が公認される前後、アリオス論争が勃発する。アリオス論争を終息させる必要からニカイヤ総会議が収集され、アリオス派は追放される。

この後もたびたび教義の統一を測る総会議が招集され、会議で審判され異端とされた教義派はことごとく弾圧をされる。こうして皇帝は教会の権威を、教皇は皇帝の権力をお互い巧みに利用し、暗黒の中世期を迎えることになる。

中世期のキリスト教会は頽廃を極め、850年頃に創られたとされる「偽イシドルス教例集」がある。この偽文書は聖職者は神と人との仲介者であって、教皇権は皇帝権を超えるものであるということを言っているのであるが、教会の権威を上げるためには嘘をも辞さないと言うのは精神の頽廃以外の何者でもない。

10世紀には教皇庁内では娼婦政治が横行し、姦計で廃位した教皇は50人を下らない。11世紀には教会が東西に分裂し、いっそう教義学論争がさかんとなる。11世紀末第1回十字軍が組織され回教徒に占領されている聖地エレサレムを奪回するが、純粋な動機から遠征したのは計8回のうちこの第1回目くらいで、後は金品の略奪目当ての盗賊遠征軍となってしまう。

迫害は恒常的となり、大きなものものでも、ワルドー派、カタリ派、アルビ派への迫害がある。特に前二者は皇帝の命による迫害であるが、アルビ派の迫害はキリストの名においてキリスト教徒による、キリスト教徒への大殺戮であることを記憶にとどめておいてほしい。また魔女裁判も頻繁に行われ、全くの冤罪で何万人の命を奪ったのであろうか。この中世期教皇権は神と人との仲介者として、また聖職者はラテン語による聖書を判読できる聖人としてその権威の絶頂を迎える。

しかしルネサンスによる古典回帰運動は勃興しつつあった市民社会と同様、神中心否、神の名を語った、教皇中心主義から人間中心主義へと変化し始める。さらに科学の発展による神秘主義の否定や、印刷技術の発達による聖書の翻訳本の普及などそれまで教皇の権威を支えていたものが崩れ始める。ここに宗教改革が実現する土壌が醸成されるのである。

1517年10月31日、マルティン・ルターがヴィッテンベルク城門に免罪符に反対する95箇条の抗議文を掲示するところから宗教改革が始まることになる。ルターが信仰へ傾倒するきっかけは救済であった。人は如何に救われるか、救うことができるか。ルターは学問の道を捨て修道僧となる。いわゆる福音主義であるが、ルターのそれは極めて人文的には矛盾をはらむ。つまり論理的でないということである。

ルターの説いた教えは「罪人にして義人」。つまり人は人を裁き得ないということだ。ルターはローマ教皇の権威を、激しく否定(教皇無謬説の否定)することで多くの支持を得ることになる。しかしその論理的、合理的でない福音主義は、他の改革者ツウィングリやカルバンと一線を課すことになる。ルターの改革は瞬く間にヨーロッパに広がり、多くのルター派教会ができることになるが、農民戦争への彼の態度がその求心力を弱めることになる。

農民戦争とは1524年―1525年に起こった農民の蜂起であるが、ルターはこの戦争について二王国説の立場から農民側を断罪する。そしてこの蜂起への諸侯の弾圧で15万人が粛清されている。ルターはこの件で民衆の支持を失うことになる。ルターは「悲劇で始まり、喜劇で終わる宗教改革」と揶揄されることになる。

ルター派諸教会とカトリック諸教会は激しく対立し、カトリック諸教会によりカトリック派を非難することを禁じる法律ができると、ルター派諸教会は「抗議書」を出す。これがプロテスタント(抗議者達)の由来である。ルターのあまりにも人文主義的には矛盾をはらんだ教義だったが、その後カルヴァン等によって論理性を帯びることになる。

このカルヴァン派プロテスタントの敬虔主義が勃興しつつあった資本主義とのかかわりを論考したのがマックス・ウェーバーである。またこの戒律的に非常に厳しいカルヴァン派プロテスタントはその後、啓蒙主義時代に科学や近代思想とも折り合いをつけ、現代社会や経済に影響しているのである。

近代欧州思想史はキリスト教と啓蒙主義を如何に折り合わせるかの変遷とも言える。ルターやカルヴァン等は絶対神の存在が自己の外にある意味において宗教的とも言える。啓蒙期のキリスト教は自己が神を規定する。英国でハーバードが理神論を提唱するが、理神論は神を肯定はするが人知による神の規定、すなわち人間が認識する神ということでは、古典的キリスト教から考えれば無神論となる。そしてその理神論の発展系がベーコン、ホッブス、ロックなどであるが、ヒュームはそれらに一つの結論を与えている。

仏国ではナントの勅令以後拡大した中産富裕層だがルイ14世が勅令を撤廃して、いわゆるユグノーの迫害が起こり市民階層が崩壊する。(プロテスタントと資本主義の関係はマックス・ウエバーの論考)多くの貧困層と一部の土地所有者(貴族)との格差は著しく増大する。

この時期(18世紀)英国に比べて仏国は後進国となる。この社会環境の中に英国から啓蒙主義が輸入される。当然ルイ14世の王権を庇護するカトリック教会の否定、そして教皇権、神への疑問は、英国のそれとは比較にならないほどラジカルになるのは必然である。そのラジカリズムの反動として、ルソーのロマンチシズムがある。

しかし両者は王権を庇護しているカトリック教会から観れば、同じ啓蒙主義的合理主義であることには変わりはない。そしてこの啓蒙的合理主義が政治と結びつき、後の米国の独立戦争、フランス革命へ多大な影響を及ぼすことになるのは周知のとおりである。

独国ではやや遅れて英国啓蒙主義が輸入されが、ゲーテ、カント、ニーチェと近代思想史、哲学に圧倒的影響を及ぼした巨人を輩出することになる。プロテスタント的アプローチでカトリック的神権、教皇権などを否定するがそれぞれ信仰的自己と啓蒙主義的思考の狭間でその論考は揺れ動くことになる。ニーチェに至り「神は死んだ」と宣言する。

ニーチェの少し前、キルケゴールの実存主義、マルクス、エンゲルスの唯物論などは20世紀の人類に多大な災禍を与えることになる。しかしニーチェは神を否定したがゆえに「超人」という人にして神、神にして人である対象物を創造せざるをえなっかたことはニーチェにしても逃れられない、キリスト教の呪縛なのか。またマルクスもしかりである。

ここでキリスト教の分裂後の東方教会を見てみたいと想ふ。ビザンティン文化を創出した東方教会はコンスタンティノーブル、エレサレム、など中近東、アフリカ北部、バルカン半島の教会である。その中心コンスタンチノーブルがオスマン・トルコに占領されるとその中心はロシアに移ることになる。

幸いにして東方教会はローマ・カトリック教会のような様々な論争や宗教改革などの動きが起こらず20世紀前半を向かえ、啓蒙主義や唯物論との折り合いの場を持たず来たために一気に西欧啓蒙主義、唯物論が入り込み旧態依然とした東方教会は革命と言う嵐により消滅することになる。

東方教会のそれはロシア的正確をおび、ある次元でアジア的、仏教的(チベット仏教)でもある。しかしそのような神秘性や深遠性は西方カトリックの法的性格とは相容れないのもである。

この辺でキリスト教の歴史を振り返ることを終わりにするが、最後に19世紀初頭英国でキリスト教社会主義運動がメソジスト運動のさなか起こっている。この運動はマルクスが1848年「共産党宣言」を発表する前に勃興している。この運動は独国などを経由して米国に渡り、19世紀末、日本に渡ってくるのである。日本の社会主義運動はキリスト教徒によって始まることは興味深い。キリスト教の歴史を振り返り欧州の人々の苦悩を垣間見ることができた。彼等が近代を確立したのは絶対でモノクロな神(唯一絶対神)からの逃避なのである。

神の御名において一体何人のキリスト教徒、異教徒が殺戮されたのだろうか。それは神の命であろうか?イエスの教えであろうか?答えは否である。神も救世主イエスもそのようなことは一言も言ってないし、伝えてない。すべてローマ皇帝の権力と癒着したカトリック教皇とその司祭たちの仕業である。キリスト教徒達の信仰心を利用し、裁き、虐殺を繰り返した教皇と司祭そしてその組織、カトリック教会の罪は深い。自らの栄達や利益のため神と救世主イエスを利用した罪は欧州を覆いつくしている。

本稿を書いていて一つ気づいたことがある。ルターだ。世界史では「宗教改革」をはじめた人となっているが、その後を見てみるとルター派は少ない。ルターはかカトリック教会の権威に戦いを挑みその後の近代社会の造成に多大な影響を及ぼすことになる。

しかしその後に現れたカルバンと違い、人文に妥協することはなかった。神(唯一絶対神)、救世主イエス、そしてその言葉である聖書にまっすぐなゆえ、農民戦争に対する態度は、神の世界を乱す反乱者とした。ルターはあらゆる人文的論理を超えて神とその伝承者イエスを信仰した。人文的なあらゆる論理より神の声である聖書を優先したのである。その姿勢はあまりにも人文的なものを廃したため、神からの離脱を図る人類の支持を得ることはできなかったのではないか。

週間アクセスランキング

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 前文

これから日本国の新憲法草案を提案しよう。どうしてそう思ったかは単純だ、今の日本国憲法は近代憲法の要件を満たしていないと思われるからだ。近代における国家は主権者である国民の国家形成への強い意志によって成り立っているとする。―するとしたのはもっと奥深い部分では違うと考えているが、近代に対応するためにそう仮定することにしよう。

近代思想において国家は、たとえ国民がひとりでも、国民意志があれば形成することができるとされる。しかしそれは利己的な個人意志ではない。五箇条の御誓文で公論と示された、意志を国民主権では民意というのであって、それがなければ近代国家は存在しないのである。さらにその意志は個々人の中にある不条理で熱い志であり、それを顕現しあるいは不当な隷属の強要から擁護されなければならないと考えている。

そして近代における憲法はその国家を統治する権力を制限するために制定するものであり、国民から政治権力への手紙であり、もっと強く表現すれば命令書として機能するのもである。よって国民が必ずしも従うべきものではないという性質のものである。
統治体というのは国際的には近代国民国家が国際関係を維持するため、またはその関係が破綻した場合に起きる紛争を解決したり、戦争を遂行し条約を締結するための代表府である。同時に国内においては共同体秩序を維持発展させるために制度や法律を制定する立法府、制定された法律をもとにそれを執行する行政府、そして行政が正しい手続きで行われているかを監視したりあるいは手続きの瑕疵を判断する裁判所などの組織のことである。

しかしこれらの組織は主権者である国民の自由を拘束したり法律を不当に行使したりする可能性があるので主権者は組織に対し、してはいけないことと、積極的にしなければならないことを文書によって命令する、それが憲法の本質なのである。そういう視点をもって世界最初の憲法らしい憲法であるアメリカ合衆国憲法と戦後アメリカの占領下制定された日本国憲法を比較してみよう。

アメリカ合衆国憲法(日本語訳)
前文
われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。The Constitution o…

国際関係論で論じられる理想主義

リベラリズムほど解釈が多様にある言葉はないと思う。日本語では自由主義と訳される場合が多いのだが、昨今では自由主義とリベラリズムは対立する政治姿勢ともいえる。よって自由主義をリバタリアニズムと呼ぶのが一般的になりつつある。本稿の場合はリベラリズムを社会自由主義的な用法、ようするに国際関係論で論じられる理想主義として論じることにする。

20世紀の戦争 20世紀は戦争の世紀と呼ばれるように産業革命による技術革新が戦争を巨大化、無慈悲化させた。世界は巨大化・無慈悲化する戦争に対して、一定の規則を締結したが、その後に勃発した第一次世界大戦は大規模かつ無慈悲な消耗戦によりヨーロッパ社会に大きな衝撃を残した。

第一次世界大戦の塹壕戦や化学兵器の使用は、ただ敵を消耗させるための戦略で、それまでの戦争とは様相が大きく変化した。戦争は国家が軍に命令して、軍が名誉をかけて行う営みから、国家国民全体で行う営み全体戦争つまり総力戦へと変容した。

パリ不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)は大戦のような悲惨な戦闘を二度と繰り返さないために交戦国、非交戦国も含めて63カ国が署名した。目的は戦争の違法化、特に侵攻戦争の違法化を目指したが、最終的には侵攻戦争を非難するにとどまった。


貧困が戦争を起こす もし社会が現状で固定されるとしたら、現在比較的幸福な人はいいが、もし不幸な人はどうだろうか。それはその人の希望を奪い去ることになる。国家同士の戦争もある一面では現状に満足できない国家と、それを阻止しようとする国家の営みといえる。

第一次大戦後ヨーロッパの比較的裕福な人々の間で戦争が二度と起こらないように、家族友人の死、あるいは戦争による破産などの不幸をなくすには、どうしたら良いか考えられたのは自然なことだ。そして彼らは結論した。「貧困が戦争を起こす」。

大戦中ロシアでは革命が起こりソ連邦が誕生する。国民(ソ連に国民がいたかは定かでないが)に貧困のない平等な生活を提供する統治体の出現に、ヨーロッパのエシュタブリッシュメントは期待と不安の眼差しを向ける。
リベラリズムの誕生 フランス革命の惨劇を経験しているヨーロッパの裕福な人達は、現状を維持しながら戦争を防止する政治体制の確立を急いだ。そのような背景でリベラリズム理論が誕生することになる。その理論は金持ちはそのまま、貧乏人はもう少しお金持ちにすることだ。

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 第1章

近代憲法は、主権者である国民の意志として、組織される政府に対する命令書なので、前文は、その意志を表現したものがふさわしい。そしてその目的を明確にする必要がある。さらにその目的のために、憲法を制定するわけなので、そういうことを頭に入れたうえで、再び前文を読むと、合衆国憲法は、

われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここに アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。
目的意志がシンプルかつ明確に表現されている。これと比較して、日本国憲法における国民意志もしくは達成したい目的は、

政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。に色濃く現れ、

これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
が次にくる。なぜわざわざ一切の憲法と法令と詔勅と断る必要があるのだろうか。ここにこの憲法を制定した意志があるのではないだろうか。そして最後には、

国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

目的を達成することを、宣言命令するのではなく誓ふ。さらに誓ふ対象も明記されていない。我々日本国民は、誰に対して目標を達成することを誓ふのだろうか。 これに答えを出せる憲法学者や国会議員が、我が国にはどれほどいるのだろうか。国民はそれを疑問とも考えていないのだろか。

第 1 章はその意志を具体化する、そして目的を達成するための第一歩ということだ。最重要なことを最初に申し述べているのである。アメリカ合衆国にとって最重要なことは法の支配、法による秩序であり、日本国では天皇―スメラミコトによる秩序―これをしらすという―であるということだ。大日本国憲法では、

大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

と統治の根拠となる天皇が過去、現在、未来に渡つて、日本国と日本民族の秩序の源であることを示している。この場合の統治とは伊藤博文が解説するように、しらすであり現実的な権力、うしはくと厳密に分けなければならないのである。

合衆国憲法は合衆国の秩序は法によって護られるゆえ、第 1 章では立法府についての規定が列記される。一方、日本国憲法では天皇についての条項が…

年次改革要望書

サイトで偶然みつけた原文の、いわゆる「年次改革要望書」だが、TPPと比較してみても面白い。アメリカの戦略なのか執念なのか、はたまた信仰なのか、1994年からもう20年くらいやってる市場開放交渉だ。我国政府も辛抱強くそれに対応していることがわかる。

TPPとはなにか ―GATT・WTO体制から考えるTPP

TPPというのはWTOが認めるGATT体制の例外で、自由貿易協定や関税同盟などの地域貿易協定のことだ。そのことについての議論が国会の場でもあまりされていないように思う。おがた林太郎元衆議院議員のブログそもそもFTAとはというエントリーがあり、自由貿易協定の根拠はガット24条だということを知らない議員が多いと指摘している。

経済産業省の説明では自由貿易協定(FTA: Free Trade Agreement)と関税同盟(Customs Union)を総称して地域貿易協定としている(RTA: Regional Trade Agreement)が、これらはGATT・WTO体制の例外として認められている協定で、それを規定しているのがガット24条という事になる。経済産業省のHPに関税及び貿易に関する一般協定、GATTの翻訳が掲載されている。
この協定の適用上、
(a) 関税同盟とは、次のことのために単一の関税地域をもつて二以上の関税地域に替えるものをいう。
(i) 関税その他の制限的通商規則(第十一条、第十二条、第十三条、第十四条、第十五条及び第二十 条の規定に基いて認められるもので必要とされるものを除く。)を同盟の構成地域間の実質上のすべての貿易について、又は少くともそれらの地域の原産の産品 の実質上のすべての貿易について、廃止すること。
(ii) 9の規定に従うことを条件として、同盟の各構成国が、実質的に同一の関税その他の通商規則をその同盟に含まれない地域の貿易に適用すること。
(b) 自由貿易地域とは、関税その他の制限的通商規則(第十一条、第十二条、第十三条、第十四条、第十五条 及び第二十条の規定に基いて認められるもので必要とされるものを除く。)がその構成地域の原産の産品の構成地域間における実質上のすべての貿易について廃 止されている二以上の関税地域の集団をいう。 TPPも含む地域貿易協定の根拠は24条にある。つまりTPPにも最恵国待遇が適用されるということだ。一応経産省のHPから最恵国待遇のPDFにリンクを張る。

WTOはその前進であるGATT(General Agreement on Tariffs and Trade) 関税及び貿易に関する一般協定が機関に昇格したものだが、実は国際通貨基金、世界銀行と並びブレトン・ウッズ体制の枠組みとして発足する…

TPPを締結できるか ―日本国憲法から考える

日本国憲法はその制定過程に疑義があるが、陛下の御名御璽のもと、施行されたのであるから、現在の政府はそれを遵守しなければいけないことは当然だ。しかし今回TPPについての議論を憲法の論点から整理をしながら思うことは、憲法を国会議員が全く意識していないし、ましてや遵守など微塵もされていないことに愕然とする。条文は、
第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。 つまり、政府関係者は尊重擁護する義務があるのだが、自らの権限範囲つまり既得権擁護の議論にしか終始していないことには悲しみを覚える。

まずTPPなどの多国間協定は名は協定だが国家間の約束であるから、条約法に関するウィーン条約で定義される「条約」である。
第二条 用語
1 この条約の適用上、
(a) 「条約」とは、国の間において文書の形式により締結され、国際法によつて規律される国際的な合意(単一の文書によるものであるか関連する二以上の文書によるものであるかを問わず、また、名称のいかんを問わない。)をいう。 さらに関税などの通商に関わる条約を通商条約といい、現在はWTO・GATTで規定されている。日本国憲法では、条約などの外交交渉は、内閣の専権事項である。
第七十三条 
三  条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。 しかし、内閣は事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とするとあるように、締結した条約の批准は国会の権限になる。国会が批准しなければ国内的な効力は発生しない。

日本国政府は世界貿易機関を設立するマラケシュ協定を締結批准しWTOの構成国である。これは憲法の九十八条第2項の規定により国内法を改正して対処しなければならない。
第九十八条  この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2  日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。 しかし憲法の条規に反する如何なる法律、命令、詔勅、及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しないとあるように、もし内閣が事後承認を要求した場合、締結した条約は国際的な効力を発生させるとされるのだが、国内的…

小和田恒悪玉論を問う ―衆 - 外務委員会 - 1号 昭和60年11月08日 その2

引き続き、村田春樹さんが國民新聞に書いた記事「小和田恒悪玉論を問う」への激励投稿を続けたいと思う。さて国会会議議事検索システムで昭和60年11月8日衆議院外務委員会の土井たか子委員の質問に対する答弁を検証しよう。

北朝鮮は日本の脅威ではない

北朝鮮の核開発問題は、日本にいろいろな教訓と示唆を与えてくれる。現在日本は、米韓と共に北朝鮮と対峙しているが、日本は、北朝鮮となぜ敵対しているのか、本当の敵は北朝鮮なのかという根本的な命題は、マスコミはじめ識者でも語られないままだ。今回はその辺を整理しよう。


北朝鮮問題の歴史的経緯 朝鮮民主主義人民共和国建国 1910年8月29日、大韓帝国は、日韓併合条約を専制君主である皇帝純宗が裁可することで、大日本帝国との合邦国となった。1945年4月12日、米国は、大日本帝国敗戦後の朝鮮半島統治に関して38度線での分割統治を提案する。1948年9月9日朝鮮民主主義人民共和国の成立は、その年の8月15日大韓民国の成立とともに、朝鮮半島における米ソの対立をより明確にすることになった。

共産主義による世界統治の実現のため、1950年6月ソ連及び、1949年に建国した中華人民共和国の支援を受けて、38度線を越境し大韓民国に進攻戦争を開始して朝鮮戦争が勃発する。大韓民国に駐留していた米軍を中心に国連軍―正式な手続きを経ていないので実質は国連派遣軍若しくは多国籍軍、が組織され、これを迎撃することになる。



朝鮮戦争 1950年6月25日宣戦布告なしに38度線で北朝鮮ソ連中国連合軍の砲撃が開始され、10万を超える兵力が38度線の越境を開始する。当時の韓国軍は兵力約11万人で装備は脆弱であった。さらに、北朝鮮のスパイ掃討戦や軍内部のスパイ粛清で士気は疲弊していた。米国及び国連は動揺するが、6月27日には国連安保理で北朝鮮を侵略者と認定して、その行動を非難する。さらに軍事行動の停止と軍の撤退を求める「国際連合安全保障理事会決議82」を賛成9反対0:棄権1の全会一致で採択した―ソ連は欠席。
韓国軍の崩壊と国連軍の敗走 韓国の李承晩大統領は、6月27日南朝鮮労働党関係者の処刑を命じ、韓国軍や韓国警察によって共産主義者の嫌疑をかけられた20万人から120万人に上る民間人を裁判なしで虐殺した―保導連盟事件。同時に、ソウルを放棄して水原に遷都した。このとき漢江にかかる橋を避難民ごと爆破した―漢江人道橋爆破事件。これにより漢江以北には多数の軍部隊や住民が取り残され、韓国軍の士気がさらに下がることになる。

国連軍を指揮した、マシュー・リッジウェイ将軍は、退却する韓国軍が放棄した装備は、数個師団だったと述べ…

農協は必要か ―農業保護政策は農家保護ではなく、農林水産省OBとJA職員の保護にすぎない

この冬、北海道にずいぶん出張したのだが、その時聞いた話題を提供しようと思う。

通州事件の体験記 ―気の弱い人は讀まないでください

通州事件は 、1937年(昭和12年)7月29日に発生した事件で、冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)による日本軍部隊・特務機関に対する襲撃と、それに続いて起こった日本人居留民に対する虐殺事件である。その体験記がある。讀むのも恐ろしい体験が綴られているのだが、歴史的事実を知るには貴重な記録であるので本誌の読者にも紹介する。あまりも惨たらしい体験記なので気の弱い人は讀まない方がいいと思ふ。
日本人皆殺しの地獄絵 私は大分の山の奥に産まれたんです。すごく貧乏で小学校を卒業しないうちにすすめる人があって大阪につとめに出ることになりました。それが普通の仕事であればいいのですけど、女としては一番いやなつらい仕事だったので、故郷に帰るということもしませんでした。そしてこの仕事をしているうちに何度も何度も人に騙されたんです。小学校も卒業していない私みたいなものはそれが当たり前だったかも知れません。それがもう二十歳も半ばを過ぎますと、私の仕事のほうはあまり喜ばれないようになり、私も仕事に飽きが来て、もうどうなってもよいわいなあ、思い切って外国にでも行こうかと思っているとき、たまたまTさんという支那人と出会ったのです。

このTさんという人はなかなか面白い人で、しょっちゅうみんなを笑わしていました。大阪には商売で来ているということでしたが、何回か会っているうち、Tさんが私に『Sさん私のお嫁さんにならないか』と申すのです。

私は最初は冗談と思っていたので、『いいよ。いつでもお嫁さんになってあげるよ。』と申しておったのですが、昭和七年の二月、Tさんが友人のYさんという人を連れて来て、これから結婚式をすると言うんです。そのときは全く驚きました。冗談冗談と思っていたのに友人を連れて来て、これから結婚式というものですから、私は最初は本当にしなかったんです。

でも、Yさんはすごく真面目な顔をして言うのです。Tさんは今まで何度もあなたに結婚して欲しいと申したそうですが、あなたはいつも、ああいいよと申していたそうです。それでTさんはあなたと結婚することを真剣に考えて、結婚の準備をしていたのです。それで今日の結婚式はもう何もかも準備が出来ているのです。とYさんは強い言葉で私に迫ります。

それでも私は雇い主にも相談しなくてはならないと申すと、雇い主も承知をして今日の結婚式には出ると申すし、少しばかりあっ…