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情熱的な非寛容者たち ―キリスト教の歴史

宗教と言うとキリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教、ヒンドゥー教などが浮かぶであろう。戦後の日本人は誇りと共に宗教心や宗教観も喪失してしまい、宗教と言うと多くは新興カルトしか頭に浮かばないであろう。オウム真理教は地下鉄サリン事件などいくつかの殺人事件を命令、実行したとして現在松本被告の死刑は確定しているが、過去キリスト教にそれに比べれば、いささか不謹慎の誹りを被害者ご遺族に受けるであろうが、規模もその残虐さも桁違いに違う。

ローマ帝国の国教となったカトリック教会は徐々にその力を増し、ついにいわゆる「カノッサの屈辱」以後はローマ皇帝を越える権力を持つに至る。12世紀にはいよいよ異端審問が開始され、いわゆる「魔女狩り」も始まる。十字軍の遠征も神の名の下に行われた大略奪と大虐殺であり、ポルトガル、スペインの大航海時代に行われた、宣教師による南米の文明抹殺は歴史にその残虐性をとどめることとなる。カトリック教会による魔女狩りはヨーロッパでは1700年代まで続いている。

トルデシリャス条約によって世界を2分したのはスペインとポルトガルだ。現在南米がほとんどスペイン語圏であるのも拘わらず、ブラジルのみポルトガル語であるのは下図のようにたまたまブラジル付近が、ポルトガル勢力圈にたまたまなったことに由来する。

またブラジルにいわゆる黒人が多いのはコーヒー豆を栽培するためにブラジルにはアフリカから多くの奴隷を運んできたからなのである。蛇足になるが現在オリンピック等でアメリカのアフロアメリカンが活躍しているのは、この時期に白人は、足の速いもの同士、歌の上手なもの同士など結婚させ(実は違うが表現が見つからず“結婚”とした)現在に至るのがアメリカアフロアメリカンである。

この11世紀から18世紀くらいまででいったい何人の人間が異端とされ、魔女とされ、また異教徒あるからとされ、処刑、虐殺、粛清されたのだろうか。数億とも数十億とも言われている。これらはローマ教皇の意を受け、神の名の下、宣教師達が行った史上最悪の蛮行である。21世紀が始まろうとする2000年にローマ法王はこれらのことについて謝罪を行ったが果たしてそれは許されるのあろうか。


スペイン、ポルトガルの宣教師達は征服すると、敵の王を虐殺せず裁判をする。裁判官は宣教師達がなり、まず通常法による有罪判決をだし、そして火刑を宣告するのである。通常法で死刑として、火刑により異端審問や魔女裁判と同様にカトリックの最高刑で処罰するのである。異教徒であれば火あぶりは当たり前と何百万人を焼き殺し、降伏者はすぐに処刑せず、まず裁判所を設置して、征服側が裁判官となり、いい加減な罪を適当になすりつけ、火刑がないから絞首刑に処す。500年前の白人カトリックのやり方は、今から60有余年前に我国がされたこととまったく変わっていない。

キリスト教はその草創期、大変な迫害にあっている。あの暴君ネロによってペテロとパオロが殉教したとされ、その後デキウス帝に始まった組織的な迫害はデオクレティアーヌス帝の時ピークを迎える。キリスト教徒をライオンに喰わせたという話もこの頃である。この迫害は312年コンスタンチーヌスがローマを占領して、正式にキリスト教を公認するまで続く。

しかしまだ敬虔なユダヤ教の一宗派として認められたにすぎず、ローマの国教となるまではこの後80年、デオドシウス1世392年までかかる。教皇の権威と皇帝の権力とが結びついた瞬間である。この誕生から400年にわたる殉難時、その教勢が伸びたのはキリスト教会がローマ社会において、貧困、失業、病気、投獄などに対して救いを与えたからに他ならない。

この後は外からの迫害は終息するが、内なる脅威が勃興することになる。教会の統一論争である。初期のキリスト教はユダヤ教との違いを異邦人に説明する必要から、グノーシス主義が採用された。ギリシャ哲学的な手法で改宗した人々を教育した。しかしギリシャ的キリスト教は正統キリスト教徒にとってみれば妥協的宗派と言ってもよい。

そこでギリシャ諸宗教徒、ギリシャ的キリスト教徒、ユダヤ教徒から正統キリスト教の立場を弁証した学者たち、いわゆるアポロジストの活動が始まる。このころ多くのアポロジストとがギリシャ語ではなくラテン語で文筆活動をしたのが、聖書がラテン語である所以でもある。この正統キリスト教の信仰を守るために書かれたのが、現在の「使途信条」、「ローマの信条」である。

同時にギリシャ哲学との綜合もアレクサンドリア学派によって試みられ、プラトンは不完全ながらも神の本質について真理を語っていると言う初期のキリスト教教義学が発生している。そしてキリスト教が公認される前後、アリオス論争が勃発する。アリオス論争を終息させる必要からニカイヤ総会議が収集され、アリオス派は追放される。

この後もたびたび教義の統一を測る総会議が招集され、会議で審判され異端とされた教義派はことごとく弾圧をされる。こうして皇帝は教会の権威を、教皇は皇帝の権力をお互い巧みに利用し、暗黒の中世期を迎えることになる。

中世期のキリスト教会は頽廃を極め、850年頃に創られたとされる「偽イシドルス教例集」がある。この偽文書は聖職者は神と人との仲介者であって、教皇権は皇帝権を超えるものであるということを言っているのであるが、教会の権威を上げるためには嘘をも辞さないと言うのは精神の頽廃以外の何者でもない。

10世紀には教皇庁内では娼婦政治が横行し、姦計で廃位した教皇は50人を下らない。11世紀には教会が東西に分裂し、いっそう教義学論争がさかんとなる。11世紀末第1回十字軍が組織され回教徒に占領されている聖地エレサレムを奪回するが、純粋な動機から遠征したのは計8回のうちこの第1回目くらいで、後は金品の略奪目当ての盗賊遠征軍となってしまう。

迫害は恒常的となり、大きなものものでも、ワルドー派、カタリ派、アルビ派への迫害がある。特に前二者は皇帝の命による迫害であるが、アルビ派の迫害はキリストの名においてキリスト教徒による、キリスト教徒への大殺戮であることを記憶にとどめておいてほしい。また魔女裁判も頻繁に行われ、全くの冤罪で何万人の命を奪ったのであろうか。この中世期教皇権は神と人との仲介者として、また聖職者はラテン語による聖書を判読できる聖人としてその権威の絶頂を迎える。

しかしルネサンスによる古典回帰運動は勃興しつつあった市民社会と同様、神中心否、神の名を語った、教皇中心主義から人間中心主義へと変化し始める。さらに科学の発展による神秘主義の否定や、印刷技術の発達による聖書の翻訳本の普及などそれまで教皇の権威を支えていたものが崩れ始める。ここに宗教改革が実現する土壌が醸成されるのである。

1517年10月31日、マルティン・ルターがヴィッテンベルク城門に免罪符に反対する95箇条の抗議文を掲示するところから宗教改革が始まることになる。ルターが信仰へ傾倒するきっかけは救済であった。人は如何に救われるか、救うことができるか。ルターは学問の道を捨て修道僧となる。いわゆる福音主義であるが、ルターのそれは極めて人文的には矛盾をはらむ。つまり論理的でないということである。

ルターの説いた教えは「罪人にして義人」。つまり人は人を裁き得ないということだ。ルターはローマ教皇の権威を、激しく否定(教皇無謬説の否定)することで多くの支持を得ることになる。しかしその論理的、合理的でない福音主義は、他の改革者ツウィングリやカルバンと一線を課すことになる。ルターの改革は瞬く間にヨーロッパに広がり、多くのルター派教会ができることになるが、農民戦争への彼の態度がその求心力を弱めることになる。

農民戦争とは1524年―1525年に起こった農民の蜂起であるが、ルターはこの戦争について二王国説の立場から農民側を断罪する。そしてこの蜂起への諸侯の弾圧で15万人が粛清されている。ルターはこの件で民衆の支持を失うことになる。ルターは「悲劇で始まり、喜劇で終わる宗教改革」と揶揄されることになる。

ルター派諸教会とカトリック諸教会は激しく対立し、カトリック諸教会によりカトリック派を非難することを禁じる法律ができると、ルター派諸教会は「抗議書」を出す。これがプロテスタント(抗議者達)の由来である。ルターのあまりにも人文主義的には矛盾をはらんだ教義だったが、その後カルヴァン等によって論理性を帯びることになる。

このカルヴァン派プロテスタントの敬虔主義が勃興しつつあった資本主義とのかかわりを論考したのがマックス・ウェーバーである。またこの戒律的に非常に厳しいカルヴァン派プロテスタントはその後、啓蒙主義時代に科学や近代思想とも折り合いをつけ、現代社会や経済に影響しているのである。

近代欧州思想史はキリスト教と啓蒙主義を如何に折り合わせるかの変遷とも言える。ルターやカルヴァン等は絶対神の存在が自己の外にある意味において宗教的とも言える。啓蒙期のキリスト教は自己が神を規定する。英国でハーバードが理神論を提唱するが、理神論は神を肯定はするが人知による神の規定、すなわち人間が認識する神ということでは、古典的キリスト教から考えれば無神論となる。そしてその理神論の発展系がベーコン、ホッブス、ロックなどであるが、ヒュームはそれらに一つの結論を与えている。

仏国ではナントの勅令以後拡大した中産富裕層だがルイ14世が勅令を撤廃して、いわゆるユグノーの迫害が起こり市民階層が崩壊する。(プロテスタントと資本主義の関係はマックス・ウエバーの論考)多くの貧困層と一部の土地所有者(貴族)との格差は著しく増大する。

この時期(18世紀)英国に比べて仏国は後進国となる。この社会環境の中に英国から啓蒙主義が輸入される。当然ルイ14世の王権を庇護するカトリック教会の否定、そして教皇権、神への疑問は、英国のそれとは比較にならないほどラジカルになるのは必然である。そのラジカリズムの反動として、ルソーのロマンチシズムがある。

しかし両者は王権を庇護しているカトリック教会から観れば、同じ啓蒙主義的合理主義であることには変わりはない。そしてこの啓蒙的合理主義が政治と結びつき、後の米国の独立戦争、フランス革命へ多大な影響を及ぼすことになるのは周知のとおりである。

独国ではやや遅れて英国啓蒙主義が輸入されが、ゲーテ、カント、ニーチェと近代思想史、哲学に圧倒的影響を及ぼした巨人を輩出することになる。プロテスタント的アプローチでカトリック的神権、教皇権などを否定するがそれぞれ信仰的自己と啓蒙主義的思考の狭間でその論考は揺れ動くことになる。ニーチェに至り「神は死んだ」と宣言する。

ニーチェの少し前、キルケゴールの実存主義、マルクス、エンゲルスの唯物論などは20世紀の人類に多大な災禍を与えることになる。しかしニーチェは神を否定したがゆえに「超人」という人にして神、神にして人である対象物を創造せざるをえなっかたことはニーチェにしても逃れられない、キリスト教の呪縛なのか。またマルクスもしかりである。

ここでキリスト教の分裂後の東方教会を見てみたいと想ふ。ビザンティン文化を創出した東方教会はコンスタンティノーブル、エレサレム、など中近東、アフリカ北部、バルカン半島の教会である。その中心コンスタンチノーブルがオスマン・トルコに占領されるとその中心はロシアに移ることになる。

幸いにして東方教会はローマ・カトリック教会のような様々な論争や宗教改革などの動きが起こらず20世紀前半を向かえ、啓蒙主義や唯物論との折り合いの場を持たず来たために一気に西欧啓蒙主義、唯物論が入り込み旧態依然とした東方教会は革命と言う嵐により消滅することになる。

東方教会のそれはロシア的正確をおび、ある次元でアジア的、仏教的(チベット仏教)でもある。しかしそのような神秘性や深遠性は西方カトリックの法的性格とは相容れないのもである。

この辺でキリスト教の歴史を振り返ることを終わりにするが、最後に19世紀初頭英国でキリスト教社会主義運動がメソジスト運動のさなか起こっている。この運動はマルクスが1848年「共産党宣言」を発表する前に勃興している。この運動は独国などを経由して米国に渡り、19世紀末、日本に渡ってくるのである。日本の社会主義運動はキリスト教徒によって始まることは興味深い。キリスト教の歴史を振り返り欧州の人々の苦悩を垣間見ることができた。彼等が近代を確立したのは絶対でモノクロな神(唯一絶対神)からの逃避なのである。

神の御名において一体何人のキリスト教徒、異教徒が殺戮されたのだろうか。それは神の命であろうか?イエスの教えであろうか?答えは否である。神も救世主イエスもそのようなことは一言も言ってないし、伝えてない。すべてローマ皇帝の権力と癒着したカトリック教皇とその司祭たちの仕業である。キリスト教徒達の信仰心を利用し、裁き、虐殺を繰り返した教皇と司祭そしてその組織、カトリック教会の罪は深い。自らの栄達や利益のため神と救世主イエスを利用した罪は欧州を覆いつくしている。

本稿を書いていて一つ気づいたことがある。ルターだ。世界史では「宗教改革」をはじめた人となっているが、その後を見てみるとルター派は少ない。ルターはかカトリック教会の権威に戦いを挑みその後の近代社会の造成に多大な影響を及ぼすことになる。

しかしその後に現れたカルバンと違い、人文に妥協することはなかった。神(唯一絶対神)、救世主イエス、そしてその言葉である聖書にまっすぐなゆえ、農民戦争に対する態度は、神の世界を乱す反乱者とした。ルターはあらゆる人文的論理を超えて神とその伝承者イエスを信仰した。人文的なあらゆる論理より神の声である聖書を優先したのである。その姿勢はあまりにも人文的なものを廃したため、神からの離脱を図る人類の支持を得ることはできなかったのではないか。

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眞子内親王殿下と小室圭氏の恋の行方を憲法で考える

憲法24条はまもられるのか?
日本国憲法24条
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

日本国憲法では婚姻の自由が権利として認められている。前回の投稿でも示したが、第24条は日本国憲法で唯一国民に受け入れられた条文ともいえるので社会の根幹である家族を生み出す唯一の条件が「両性の合意のみ」とした、つまり愛が結婚の認証基盤だとうことだ。


憲法では陛下や秋篠宮文仁親王及び紀子妃殿下がそれを拒否しようがしまいが関係がないと規定している。しかし人権がご皇室にも適用されるかどうかの人権の享有主体性の問題はある。紀子妃殿下や皇后陛下のご心配ははかり知れないが、陛下はご結婚をすでに許可されているので、眞子内親王の心変わりがなければ、延期にはなるが破談になることはないだろう。なぜなら、陛下は日本の立憲君主、象徴天皇としての立憲的立場をよくわきまえていらっしゃるからだ。

もし内親王と圭氏の強い意思で結婚を希望したが、文仁親王や妃殿下のご意向で破談になるようなことがあれば、それは明らかな憲法違反となることだろう。圭氏の母親がどのような人物だろうが、婚姻は憲法では「両性の合意のみに基いて成立」するのである。 母親の借金などということと婚姻とは全く無関係なのである。私は眞子内親王には是非そのようなことで愛する男性との婚姻をやめてほしくはない。勿論合意がなければ―つまりそんな男愛せないと、おっしゃれば別だが。

日本は北朝鮮と国境を接していない

朝鮮民主主義人民共和国はなぜ生存しているのか 「北朝鮮は脅威ではない」が、思いのほか好評だったが、危機が現実化する過程の関心高さがうかがえる。ただ、一部投稿を疑問視するコメントも散見されたので、本稿はそれにお答えしよう。何を疑問視されたかというと、北朝鮮は現実的に脅威じゃないか!というものだが、僕は、北朝鮮が脅威にように見えるが、あれは北朝鮮ではなく、北朝鮮をコントロール若しくはそう仕向けている勢力があるということをいっている。現実は北朝鮮危機なのだが、真実は極東情勢の好転ではないのか、というのが趣旨だ。

極東の軍事バランス 図は少し古い資料だが、詳しくは拙稿「朝鮮人民軍の実力」を参照してほしい。最近の資料では、韓国軍は2020年までに52万人に削減される予定である。 一方朝鮮人民軍は推定で120万人といわれている。在韓在日の米軍を含めても、北朝鮮人民軍の兵力は約2倍だ。さらに、中朝国境を管轄する人民解放軍北部戦区には約25万人の兵力があるという分析もある。北部戦区は再編前の瀋陽軍区で、瀋陽軍区の前身が朝鮮戦争に義勇軍を派遣した第4野戦軍なのである。米軍による仁川上陸の攻勢から、金日成北朝鮮軍壊滅を救ったのが、現在の北部戦区ということだ。金正恩北朝鮮の強硬姿勢は、こういう歴史的背景がある。人民解放軍の戦力の他に、ウラジオストックにはロシア軍東部軍管区の2個軍及び航空軍、鉄道軍約9万人が配備されている。


旧瀋陽軍区と北朝鮮 歴史的に朝鮮半島では、他国の影響を排除した独立国は存在していない。現在の両国もそうだ。北朝鮮はソ連が建国して、中国共産党人民解放軍の奮戦が支えた国といえるし、韓国は米軍の支援なしでは、いまごろ、山口県に亡命政権があったかもしれない。先にふれた旧瀋陽軍区は、鴨緑江から反撃を開始して、約2万5千人の戦死者を出しながら、一時はソウルを再占領するまで戦った部隊の末裔だ。過去金正恩の父、金正日は亡くなる前2年間で11回、旧瀋陽軍区を訪問しているという。
中国共産党も恐れる旧瀋陽軍区 また、旧瀋陽軍区は中国共産党にとっても危険な存在だという。かつては北方民族が群雄割拠する地域で、万里の長城はその北方民族の侵入を防ぐためのものだ。近くは軍閥の張作霖が支配した地域であり、満州国が建国された地域でもある。歴史的には北京とは一線を画している地域だ。李氏朝鮮時代か…

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 前文

これから日本国の新憲法草案を提案しよう。どうしてそう思ったかは単純だ、今の日本国憲法は近代憲法の要件を満たしていないと思われるからだ。近代における国家は主権者である国民の国家形成への強い意志によって成り立っているとする。―するとしたのはもっと奥深い部分では違うと考えているが、近代に対応するためにそう仮定することにしよう。

近代思想において国家は、たとえ国民がひとりでも、国民意志があれば形成することができるとされる。しかしそれは利己的な個人意志ではない。五箇条の御誓文で公論と示された、意志を国民主権では民意というのであって、それがなければ近代国家は存在しないのである。さらにその意志は個々人の中にある不条理で熱い志であり、それを顕現しあるいは不当な隷属の強要から擁護されなければならないと考えている。

そして近代における憲法はその国家を統治する権力を制限するために制定するものであり、国民から政治権力への手紙であり、もっと強く表現すれば命令書として機能するのもである。よって国民が必ずしも従うべきものではないという性質のものである。
統治体というのは国際的には近代国民国家が国際関係を維持するため、またはその関係が破綻した場合に起きる紛争を解決したり、戦争を遂行し条約を締結するための代表府である。同時に国内においては共同体秩序を維持発展させるために制度や法律を制定する立法府、制定された法律をもとにそれを執行する行政府、そして行政が正しい手続きで行われているかを監視したりあるいは手続きの瑕疵を判断する裁判所などの組織のことである。

しかしこれらの組織は主権者である国民の自由を拘束したり法律を不当に行使したりする可能性があるので主権者は組織に対し、してはいけないことと、積極的にしなければならないことを文書によって命令する、それが憲法の本質なのである。そういう視点をもって世界最初の憲法らしい憲法であるアメリカ合衆国憲法と戦後アメリカの占領下制定された日本国憲法を比較してみよう。


アメリカ合衆国憲法(日本語訳)
前文
われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。The Constitution o…

国益とは時間と空間である

時間と空間に関わる利益が真の国益である 国益とは さて国益とはなんだろうか。国益(national interest)は利益であるから経済的な意味合いが強いのは当然だ。当然経済的という具体的な側面も必要である。民主政体であるかぎり具体的な数値でその支持を得ることは必要だからだ。では経済的利益以上に重要な国家の利益があるのだろうか。もちろん答えはイエスだ。それは領有権(領土領空領海)と歴史と伝統に関わるものだ。この両者こそが真の国益ではないだろうか。

領有(土高)権とは我々が生活する空間を統治する権利であり、それを承認するのが我々の歴史と伝統だ。つまり領土領有権(空間)と時間(その正統性、歴史と伝統)が国益の本義ではないか。これらを守るために政府が組織され、その構成員たる国民はこれらを守る義務を追う。私は命をかけても守る義務を負う国家の利益を国益と定義したい。

そしてこの国益を守るために近代、付与されたのが国民の利益であると考える。国民は国家を守る義務を負うため政府権力から特別の権利を付与されている。憲法で保証される諸権利の正統性は国益を守るという事のみに由来する。過去ギリシャの都市国家やローマ市民も、奴隷でないものは国家防衛の義務を追っていた。奴隷は戦争は免除されていた。

市民は奴隷を支配する権利と引き換えに国家防衛のためには命を捨てなければならなかったのである。諸権利は唯一国家防衛の義務を果たすための利益にすぎないのである。これをこんにちにあてはめれば、国家防衛のための国民の利益であるといえないだろうか。安全保障を他国に譲っている国家は独立国とはいえないうえ、国民すら存在しないといえる。

TPPと慰安婦問題 平成23年11月17日、李明博大統領が来日したが、第一声で慰安婦問題の解決に言及した。これは韓国の憲法裁判所が今年8月に「賠償請求の具体的措置を政府がとってこなかったのは違憲」とする判断を出した事による。これらの賠償に関する諸問題はすでに日韓条約締結時に「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」となっているにもかかわらずだ。

先に歴史と伝統に関わることを私は国益であると定義した。慰安婦問題はまさしく国益である。我が国の官憲が朝鮮半島女性を半ば強制連行して大陸派遣軍の慰安所に拘束し売春行為をさせていたという、事実に反することで我が国の首相が相手…

TPPとはなにか ―国際法・条約から考える

フェイスブックのTPPって何?の議論を通じTPPを検証してきたが、ここに来て議論が成熟してきた。JAなどがTPPの「聖域なき関税撤廃で農業はだめになる」という主張はWTO・GATTのウルグアイ・ラウンドで我国が聖域として議論した農産5品目が自由化されるという主張だが、TPPはWTO・GATTの規定内で交渉される自由貿易協定であるから、「聖域なし」は「実質上」と同じ「すべて」ではないという例外を表した言葉だ。

合衆国憲法及び合衆国国内法とTPP ―まとめ

以下はTPPってなに?でリアルジャーナリスティックに議論を展開される石塚幾太郎さんが作成した、TPP交渉にあたって関係する米国憲法及び国内法の関係とその成立過程をまとめたものだ。(一部URL表示をリンクに取り込んだ)

TPAの成立過程
1.憲法上の通商交渉権限規定

(1)合衆国憲法
合衆国憲法立法部第8条第3項に「通商交渉権限」が議会にあり、執行部第2条第2項に「条約締結権」が上院の助言と承認のもとに大統領が有していることが記載されている。

「通商協定」の批准は、上院3/5(60名)、下院過半数の可決が必要。条約の批准は上院2/3の可決が必要である。

合衆国憲法(在日米国大使館)HP

(2)日本国憲法
日本では、憲法第76条第3項の規定により、通商協定も条約であり、締結は内閣の専権事項になっている。国会は、締結された条約(通商協定)を批准するか否決するかの採決を行う。 2.世界恐慌からの脱出
1930年、世界恐慌の経済対策として、米議会は、大幅な関税引き上げ(1930年関税法)を可決し、施行した。この動きが世界中に拡散し、いわゆるブロック経済の対立を生み出し、第二次世界大戦の原因ともなったと言われている。

関税引き下げを訴え当選したルーズベルト大統領は、1934年関税引き下げの権限を議会から獲得することに成功する。(1934年互恵通商協定法)この法律は時限法であるが延長を重ね1967年失効するまで継続する。

3.ケネディラウンド合意の議会不承認
GATTケネディラウンド(1964~67年)で、議会が政府の合意した協定を部分的に受け入れなかった。(国際アンチダンピング・ルールと米国非関税障壁ASPの撤廃)

国際アンチダンピングについては、米国法(1921年アンチダンピング法)のコード(品目)と一致するもののみ適用とする法律(90-634)を成立させ、ASPについては、国内実施法を成立させなかった。

この時、通商協定より国内法が優先することが、議会と大統領府の共通の認識になった。

4.1974年通商法の成立
このケネディラウンドの合意批准不成立が、交渉官が他国に信憑性を疑わせると心配、ニクソン大統領は東京ラウンドに向けて、ファストトラック法を1974年通商法に挿入する提案を行った。

上院の審議のなかで、議会と相談し、締結90日前には、必要書類を提出するルール、締結後、内…

日韓併合 百年目の真実 李完用が救った大韓帝国

本年2010年8月29日は法律上の専制君主大韓帝国皇帝純宗が勅諭を発表して日本と韓国が合併したことを内外に示してから100年目にあたる。


韓国皇帝の勅諭 皇帝、若(ここ)に曰く、朕否徳にして艱大なる業を承け、臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望み無し。中夜憂慮善後の策茫然たり。此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底(いた)らん。寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せいむるに如かず。

故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、自ら断じ、茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国日本皇帝陛下に譲与し、外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。惟爾大小臣民は、国勢と時宜を深察し、煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。

朕が今日の此の挙は、爾有衆を忘れたるにあらず、専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ。爾臣民は朕の此の意を克く体せよ。

隆煕四年八月二十九日 御璽

日韓併合100年目を前に韓国の反日派からの様々な動きがあるのでまとめてみたい。

2010年5月11日のこのようなニュースを目にした。

日韓知識人が共同宣言「日韓併合は当初から無効だった」
看過できないのは多くの日本人学者が関わっているという点 …今回の声明には発起人である和田春樹東京大学名誉教授をはじめ、日韓歴史共同研究委員会の日本側の座長を務めた三谷太一郎東京大学名誉教授など105人が声明に署名している。一方、韓国ではイ・テジンソウル大学明楊教授やカン・マンギル高麗大学名誉教授、詩人の高銀氏や金芝河氏のほか、幅広い層から109人が声明に署名した。… …声明では、「併合は大韓帝国の抗議を軍事力で押さえつけたもので、韓国側が国権の譲与を申し出たとする内容も虚偽(きょぎ)である」と指摘し、日本政府が日韓併合条約について「無効」であることを認め、8月の総理談話に関連内容を盛り込むように、積極的に働き掛けるとしている。… 2010年07月18日には、

日韓併合100年で日本が韓国へ謝罪、中国も大きな注目

8月29日に日韓併合100年を迎えるにあたり、日本政府は韓国に過去の植民地統治を謝罪する方針を明らかにした。17日、環球時報は「日本は韓国側…

日本国憲法24条

日本国憲法を研究していて常々思うのだが、24条は非常に特異な条文だ。14条で男女の同権(平等の権利で単に平等ではない)を規定しているのだから、特に婚姻まで権力が関与するまでもなく、自由な恋愛や婚姻は保障されていると考える方が自然だろう。むしろ自由権の侵害ともいえる。
第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

○2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
ところが、ダメ押しのように「婚姻は当人同士で決める」と宣言している。当時の男女が制度に縛られて自由な婚姻ができなかった怨念の条文に思えて仕方がない。24条について条文を廃止するという声もあまり聞かれない。あの自民党案でさえ、第1項に「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」と加えただけで、条文はそのまま残るとしている。

日本国憲法の施行当時は「新憲法実施のよろこび 男女の権利は同じ 結婚は父母の同意なくできる」や「堅苦しい戸主権よさらば 男女は完全平等に」などという見出しが躍るように国民にも歓迎されたと思われる。ではこの特異な条文はどのように規定されたのだろうか。日本国憲法に影響を与えた憲法草案要綱にもそのような条文はない。GHQが1946年2月13日に日本政府に手交された草案に以下の条文があった。
Article XXIII. The family is the basis of human society and its traditions for good or evil permeate the nation. Marriage shall rest upon the indisputable legal and social equality of both sexes, founded upon mutual consent instead of parental coercion…

日米憲法比較研究 ―年次改革要望書

日米憲法の比較研究に参考にしているサイトで偶然みつけた原文の、いわゆる「年次改革要望書」だが、TPPと比較してみても面白い。アメリカの戦略なのか執念なのか、はたまた信仰なのか、1994年からもう20年くらいやってる市場開放交渉だ。我国政府も辛抱強くそれに対応していることがわかる。2001年(平成13年)からは申し訳程度の要望書をアメリカに出しているが、要求の多さ細かさはアメリカのそれが圧倒している。つまりアメリカは多年戦略的にアメリカ産業の保護推進を考えて行動しているのに対し、我国は相手が攻めてきてから対応する「専守防衛」に徹している。「攻擊は最大の防御なりという」戦いの格言を忘れているということだ。

11/15/1994
Submission by the Government of the United States to the Government of Japan Regarding Deregulation and Administrative Reform in Japan
11/22/1995
Submission by the Government of the United States to theGovernment of Japan Regarding Deregulation, Administrative Reform and Competition Policy in Japan 03/22/1995
Comments by the Government of the United States on Japan's Interim Deregulation Report 11/15/1996
Submission by the Government of the United States to the Government of Japan Regarding Deregulation, Administrative Reform and Competition Policy in Japan
日本における規制緩和、行政改革および競争政策に関する日本政府に対する米国政府の要望書
11/07/1997
Submission by the Government of the United States to the Governme…

日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと 

日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと ー戦後の日本の解体は『菊と刀』から始まった 高橋史朗 WGIP ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム War Guilt Information Program をご存じの方は多いと思う。大東亜戦争に敗れ、我が国は、歴史上初めて他国の占領を受けることになる。占領当初、我が国指導者の目的は、いや日本国民すべてが、連合国による天皇陛下の処刑阻止にあったと言っても過言ではないだろう。評書は第3章で、昭和天皇の処刑を阻止するために、多くの婦人たちの力があった逸話を挿入しながら、WGIPについて新事実も含め詳細に分析を試みている。

誰が陛下の処刑を止めたのか 当初米国上院は、昭和天皇を戦争犯罪人として処刑することを全会一致で可決しており、マッカーサーは議会から、昭和天皇に戦争責任ある証拠を集めるように命令されていた。しかしフェラーズがマッカーサーに、

天皇を戦犯として裁判にふせば、日本全国に暴動は必死であろう。もし天皇を廃せば、全国的暴動が必死であって、特別警備区以外の白人は暗殺を免れない。
 覚書を出すと、マッカーサーも態度を一転、米国陸軍に対し電報を打つ。

天皇を告発すれば、日本国民の間に想像もつかないほどの動揺がが引き起こされるだろう。その結果、もたらされる事態を鎮めることは不可能である。天皇を葬れば、日本国家は分解する。連合国が天皇を裁判にかければ、日本国民の憎悪と憤慨は、間違いなく未來永劫に続くであろう。―中略―そのような事態が勃発した場合、最低100万の軍隊が必要である。軍隊は未來永劫駐留しなければならない。―後略― これによってこれによって米国政府は昭和天皇の訴追をやめることになる。これは比較的著名な事実だが、評書ではもう一つ、昭和天皇処刑方針を転換するにあたり、重要な事実を紹介している。 それは伊藤たかさんという婦人が、マッカーサーに宛てた直訴状、手紙だという。そして日付のあとには署名血判が押してある。当時の右翼はそのような直訴状を出していないということ、直訴状を出したのは婦人ばかりだという事実を紹介している。
 マッカーサーは昭和天皇と会見し、昭和天皇の "You may hang me" という言葉によって心動かされ、フェラーズの覚書、伊藤たかさん等、日本の婦人…