スキップしてメイン コンテンツに移動

情熱的な非寛容者たち ―キリスト教の歴史

宗教と言うとキリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教、ヒンドゥー教などが浮かぶであろう。戦後の日本人は誇りと共に宗教心や宗教観も喪失してしまい、宗教と言うと多くは新興カルトしか頭に浮かばないであろう。オウム真理教は地下鉄サリン事件などいくつかの殺人事件を命令、実行したとして現在松本被告の死刑は確定しているが、過去キリスト教にそれに比べれば、いささか不謹慎の誹りを被害者ご遺族に受けるであろうが、規模もその残虐さも桁違いに違う。

ローマ帝国の国教となったカトリック教会は徐々にその力を増し、ついにいわゆる「カノッサの屈辱」以後はローマ皇帝を越える権力を持つに至る。12世紀にはいよいよ異端審問が開始され、いわゆる「魔女狩り」も始まる。十字軍の遠征も神の名の下に行われた大略奪と大虐殺であり、ポルトガル、スペインの大航海時代に行われた、宣教師による南米の文明抹殺は歴史にその残虐性をとどめることとなる。カトリック教会による魔女狩りはヨーロッパでは1700年代まで続いている。

トルデシリャス条約によって世界を2分したのはスペインとポルトガルだ。現在南米がほとんどスペイン語圏であるのも拘わらず、ブラジルのみポルトガル語であるのは下図のようにたまたまブラジル付近が、ポルトガル勢力圈にたまたまなったことに由来する。

またブラジルにいわゆる黒人が多いのはコーヒー豆を栽培するためにブラジルにはアフリカから多くの奴隷を運んできたからなのである。蛇足になるが現在オリンピック等でアメリカのアフロアメリカンが活躍しているのは、この時期に白人は、足の速いもの同士、歌の上手なもの同士など結婚させ(実は違うが表現が見つからず“結婚”とした)現在に至るのがアメリカアフロアメリカンである。

この11世紀から18世紀くらいまででいったい何人の人間が異端とされ、魔女とされ、また異教徒あるからとされ、処刑、虐殺、粛清されたのだろうか。数億とも数十億とも言われている。これらはローマ教皇の意を受け、神の名の下、宣教師達が行った史上最悪の蛮行である。21世紀が始まろうとする2000年にローマ法王はこれらのことについて謝罪を行ったが果たしてそれは許されるのあろうか。


スペイン、ポルトガルの宣教師達は征服すると、敵の王を虐殺せず裁判をする。裁判官は宣教師達がなり、まず通常法による有罪判決をだし、そして火刑を宣告するのである。通常法で死刑として、火刑により異端審問や魔女裁判と同様にカトリックの最高刑で処罰するのである。異教徒であれば火あぶりは当たり前と何百万人を焼き殺し、降伏者はすぐに処刑せず、まず裁判所を設置して、征服側が裁判官となり、いい加減な罪を適当になすりつけ、火刑がないから絞首刑に処す。500年前の白人カトリックのやり方は、今から60有余年前に我国がされたこととまったく変わっていない。

キリスト教はその草創期、大変な迫害にあっている。あの暴君ネロによってペテロとパオロが殉教したとされ、その後デキウス帝に始まった組織的な迫害はデオクレティアーヌス帝の時ピークを迎える。キリスト教徒をライオンに喰わせたという話もこの頃である。この迫害は312年コンスタンチーヌスがローマを占領して、正式にキリスト教を公認するまで続く。

しかしまだ敬虔なユダヤ教の一宗派として認められたにすぎず、ローマの国教となるまではこの後80年、デオドシウス1世392年までかかる。教皇の権威と皇帝の権力とが結びついた瞬間である。この誕生から400年にわたる殉難時、その教勢が伸びたのはキリスト教会がローマ社会において、貧困、失業、病気、投獄などに対して救いを与えたからに他ならない。

この後は外からの迫害は終息するが、内なる脅威が勃興することになる。教会の統一論争である。初期のキリスト教はユダヤ教との違いを異邦人に説明する必要から、グノーシス主義が採用された。ギリシャ哲学的な手法で改宗した人々を教育した。しかしギリシャ的キリスト教は正統キリスト教徒にとってみれば妥協的宗派と言ってもよい。

そこでギリシャ諸宗教徒、ギリシャ的キリスト教徒、ユダヤ教徒から正統キリスト教の立場を弁証した学者たち、いわゆるアポロジストの活動が始まる。このころ多くのアポロジストとがギリシャ語ではなくラテン語で文筆活動をしたのが、聖書がラテン語である所以でもある。この正統キリスト教の信仰を守るために書かれたのが、現在の「使途信条」、「ローマの信条」である。

同時にギリシャ哲学との綜合もアレクサンドリア学派によって試みられ、プラトンは不完全ながらも神の本質について真理を語っていると言う初期のキリスト教教義学が発生している。そしてキリスト教が公認される前後、アリオス論争が勃発する。アリオス論争を終息させる必要からニカイヤ総会議が収集され、アリオス派は追放される。

この後もたびたび教義の統一を測る総会議が招集され、会議で審判され異端とされた教義派はことごとく弾圧をされる。こうして皇帝は教会の権威を、教皇は皇帝の権力をお互い巧みに利用し、暗黒の中世期を迎えることになる。

中世期のキリスト教会は頽廃を極め、850年頃に創られたとされる「偽イシドルス教例集」がある。この偽文書は聖職者は神と人との仲介者であって、教皇権は皇帝権を超えるものであるということを言っているのであるが、教会の権威を上げるためには嘘をも辞さないと言うのは精神の頽廃以外の何者でもない。

10世紀には教皇庁内では娼婦政治が横行し、姦計で廃位した教皇は50人を下らない。11世紀には教会が東西に分裂し、いっそう教義学論争がさかんとなる。11世紀末第1回十字軍が組織され回教徒に占領されている聖地エレサレムを奪回するが、純粋な動機から遠征したのは計8回のうちこの第1回目くらいで、後は金品の略奪目当ての盗賊遠征軍となってしまう。

迫害は恒常的となり、大きなものものでも、ワルドー派、カタリ派、アルビ派への迫害がある。特に前二者は皇帝の命による迫害であるが、アルビ派の迫害はキリストの名においてキリスト教徒による、キリスト教徒への大殺戮であることを記憶にとどめておいてほしい。また魔女裁判も頻繁に行われ、全くの冤罪で何万人の命を奪ったのであろうか。この中世期教皇権は神と人との仲介者として、また聖職者はラテン語による聖書を判読できる聖人としてその権威の絶頂を迎える。

しかしルネサンスによる古典回帰運動は勃興しつつあった市民社会と同様、神中心否、神の名を語った、教皇中心主義から人間中心主義へと変化し始める。さらに科学の発展による神秘主義の否定や、印刷技術の発達による聖書の翻訳本の普及などそれまで教皇の権威を支えていたものが崩れ始める。ここに宗教改革が実現する土壌が醸成されるのである。

1517年10月31日、マルティン・ルターがヴィッテンベルク城門に免罪符に反対する95箇条の抗議文を掲示するところから宗教改革が始まることになる。ルターが信仰へ傾倒するきっかけは救済であった。人は如何に救われるか、救うことができるか。ルターは学問の道を捨て修道僧となる。いわゆる福音主義であるが、ルターのそれは極めて人文的には矛盾をはらむ。つまり論理的でないということである。

ルターの説いた教えは「罪人にして義人」。つまり人は人を裁き得ないということだ。ルターはローマ教皇の権威を、激しく否定(教皇無謬説の否定)することで多くの支持を得ることになる。しかしその論理的、合理的でない福音主義は、他の改革者ツウィングリやカルバンと一線を課すことになる。ルターの改革は瞬く間にヨーロッパに広がり、多くのルター派教会ができることになるが、農民戦争への彼の態度がその求心力を弱めることになる。

農民戦争とは1524年―1525年に起こった農民の蜂起であるが、ルターはこの戦争について二王国説の立場から農民側を断罪する。そしてこの蜂起への諸侯の弾圧で15万人が粛清されている。ルターはこの件で民衆の支持を失うことになる。ルターは「悲劇で始まり、喜劇で終わる宗教改革」と揶揄されることになる。

ルター派諸教会とカトリック諸教会は激しく対立し、カトリック諸教会によりカトリック派を非難することを禁じる法律ができると、ルター派諸教会は「抗議書」を出す。これがプロテスタント(抗議者達)の由来である。ルターのあまりにも人文主義的には矛盾をはらんだ教義だったが、その後カルヴァン等によって論理性を帯びることになる。

このカルヴァン派プロテスタントの敬虔主義が勃興しつつあった資本主義とのかかわりを論考したのがマックス・ウェーバーである。またこの戒律的に非常に厳しいカルヴァン派プロテスタントはその後、啓蒙主義時代に科学や近代思想とも折り合いをつけ、現代社会や経済に影響しているのである。

近代欧州思想史はキリスト教と啓蒙主義を如何に折り合わせるかの変遷とも言える。ルターやカルヴァン等は絶対神の存在が自己の外にある意味において宗教的とも言える。啓蒙期のキリスト教は自己が神を規定する。英国でハーバードが理神論を提唱するが、理神論は神を肯定はするが人知による神の規定、すなわち人間が認識する神ということでは、古典的キリスト教から考えれば無神論となる。そしてその理神論の発展系がベーコン、ホッブス、ロックなどであるが、ヒュームはそれらに一つの結論を与えている。

仏国ではナントの勅令以後拡大した中産富裕層だがルイ14世が勅令を撤廃して、いわゆるユグノーの迫害が起こり市民階層が崩壊する。(プロテスタントと資本主義の関係はマックス・ウエバーの論考)多くの貧困層と一部の土地所有者(貴族)との格差は著しく増大する。

この時期(18世紀)英国に比べて仏国は後進国となる。この社会環境の中に英国から啓蒙主義が輸入される。当然ルイ14世の王権を庇護するカトリック教会の否定、そして教皇権、神への疑問は、英国のそれとは比較にならないほどラジカルになるのは必然である。そのラジカリズムの反動として、ルソーのロマンチシズムがある。

しかし両者は王権を庇護しているカトリック教会から観れば、同じ啓蒙主義的合理主義であることには変わりはない。そしてこの啓蒙的合理主義が政治と結びつき、後の米国の独立戦争、フランス革命へ多大な影響を及ぼすことになるのは周知のとおりである。

独国ではやや遅れて英国啓蒙主義が輸入されが、ゲーテ、カント、ニーチェと近代思想史、哲学に圧倒的影響を及ぼした巨人を輩出することになる。プロテスタント的アプローチでカトリック的神権、教皇権などを否定するがそれぞれ信仰的自己と啓蒙主義的思考の狭間でその論考は揺れ動くことになる。ニーチェに至り「神は死んだ」と宣言する。

ニーチェの少し前、キルケゴールの実存主義、マルクス、エンゲルスの唯物論などは20世紀の人類に多大な災禍を与えることになる。しかしニーチェは神を否定したがゆえに「超人」という人にして神、神にして人である対象物を創造せざるをえなっかたことはニーチェにしても逃れられない、キリスト教の呪縛なのか。またマルクスもしかりである。

ここでキリスト教の分裂後の東方教会を見てみたいと想ふ。ビザンティン文化を創出した東方教会はコンスタンティノーブル、エレサレム、など中近東、アフリカ北部、バルカン半島の教会である。その中心コンスタンチノーブルがオスマン・トルコに占領されるとその中心はロシアに移ることになる。

幸いにして東方教会はローマ・カトリック教会のような様々な論争や宗教改革などの動きが起こらず20世紀前半を向かえ、啓蒙主義や唯物論との折り合いの場を持たず来たために一気に西欧啓蒙主義、唯物論が入り込み旧態依然とした東方教会は革命と言う嵐により消滅することになる。

東方教会のそれはロシア的正確をおび、ある次元でアジア的、仏教的(チベット仏教)でもある。しかしそのような神秘性や深遠性は西方カトリックの法的性格とは相容れないのもである。

この辺でキリスト教の歴史を振り返ることを終わりにするが、最後に19世紀初頭英国でキリスト教社会主義運動がメソジスト運動のさなか起こっている。この運動はマルクスが1848年「共産党宣言」を発表する前に勃興している。この運動は独国などを経由して米国に渡り、19世紀末、日本に渡ってくるのである。日本の社会主義運動はキリスト教徒によって始まることは興味深い。キリスト教の歴史を振り返り欧州の人々の苦悩を垣間見ることができた。彼等が近代を確立したのは絶対でモノクロな神(唯一絶対神)からの逃避なのである。

神の御名において一体何人のキリスト教徒、異教徒が殺戮されたのだろうか。それは神の命であろうか?イエスの教えであろうか?答えは否である。神も救世主イエスもそのようなことは一言も言ってないし、伝えてない。すべてローマ皇帝の権力と癒着したカトリック教皇とその司祭たちの仕業である。キリスト教徒達の信仰心を利用し、裁き、虐殺を繰り返した教皇と司祭そしてその組織、カトリック教会の罪は深い。自らの栄達や利益のため神と救世主イエスを利用した罪は欧州を覆いつくしている。

本稿を書いていて一つ気づいたことがある。ルターだ。世界史では「宗教改革」をはじめた人となっているが、その後を見てみるとルター派は少ない。ルターはかカトリック教会の権威に戦いを挑みその後の近代社会の造成に多大な影響を及ぼすことになる。

しかしその後に現れたカルバンと違い、人文に妥協することはなかった。神(唯一絶対神)、救世主イエス、そしてその言葉である聖書にまっすぐなゆえ、農民戦争に対する態度は、神の世界を乱す反乱者とした。ルターはあらゆる人文的論理を超えて神とその伝承者イエスを信仰した。人文的なあらゆる論理より神の声である聖書を優先したのである。その姿勢はあまりにも人文的なものを廃したため、神からの離脱を図る人類の支持を得ることはできなかったのではないか。

週間アクセスランキング

朝日新聞も毎日新聞も、今こそ憲法第9条を遵守するよう社説を書くべき

―国連軍創設が憲法第9条の要請― 国連常備軍と戦力の放棄は契約 少し過激なタイトルだが、憲法解釈上そういう結論になる。そもそも日本国は「公正と信義に信頼して」自国の安全と平和を確保しようとしたので、自国を防衛するための戦力はいらないと宣言している。つまり国際的に平和を実現するためには、各国が戦力を縮小して、国連常備軍がそれらより強力な唯一の戦力になる必要がある。それが第9条の要請だ。

II War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.

No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.

マッカーサーは日本国の防衛と保護をある崇高な理念に委ねる、ことを指示している。この崇高な理念とは国際連合のことである。もう少しつめると、国連軍もしくは国連常備軍ということになる。国連憲章は、
第42条 安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分であろうと認め、又は不充分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。

として、国連軍としての行動と加盟国の軍の行動を規定しているが、その頼みの国連常備軍は待てど暮らせど組織されたことはいまだない。当然国連常備軍は各国にもしくは各地域に常駐することになる。米国を例にすると、州軍と連邦軍の関係といえる。
ICBM迎撃も憲法違反 現在の北朝鮮は国連の決議に反して核ミサイルを開発し…

国益とは時間と空間である

時間と空間に関わる利益が真の国益である 国益とは さて国益とはなんだろうか。国益(national interest)は利益であるから経済的な意味合いが強いのは当然だ。当然経済的という具体的な側面も必要である。民主政体であるかぎり具体的な数値でその支持を得ることは必要だからだ。では経済的利益以上に重要な国家の利益があるのだろうか。もちろん答えはイエスだ。それは領有権(領土領空領海)と歴史と伝統に関わるものだ。この両者こそが真の国益ではないだろうか。

領有(土高)権とは我々が生活する空間を統治する権利であり、それを承認するのが我々の歴史と伝統だ。つまり領土領有権(空間)と時間(その正統性、歴史と伝統)が国益の本義ではないか。これらを守るために政府が組織され、その構成員たる国民はこれらを守る義務を追う。私は命をかけても守る義務を負う国家の利益を国益と定義したい。

そしてこの国益を守るために近代、付与されたのが国民の利益であると考える。国民は国家を守る義務を負うため政府権力から特別の権利を付与されている。憲法で保証される諸権利の正統性は国益を守るという事のみに由来する。過去ギリシャの都市国家やローマ市民も、奴隷でないものは国家防衛の義務を追っていた。奴隷は戦争は免除されていた。

市民は奴隷を支配する権利と引き換えに国家防衛のためには命を捨てなければならなかったのである。諸権利は唯一国家防衛の義務を果たすための利益にすぎないのである。これをこんにちにあてはめれば、国家防衛のための国民の利益であるといえないだろうか。安全保障を他国に譲っている国家は独立国とはいえないうえ、国民すら存在しないといえる。


TPPと慰安婦問題 平成23年11月17日、李明博大統領が来日したが、第一声で慰安婦問題の解決に言及した。これは韓国の憲法裁判所が今年8月に「賠償請求の具体的措置を政府がとってこなかったのは違憲」とする判断を出した事による。これらの賠償に関する諸問題はすでに日韓条約締結時に「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」となっているにもかかわらずだ。

先に歴史と伝統に関わることを私は国益であると定義した。慰安婦問題はまさしく国益である。我が国の官憲が朝鮮半島女性を半ば強制連行して大陸派遣軍の慰安所に拘束し売春行為をさせていたという、事実に反することで我が国の首相が相手…

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 前文

これから日本国の新憲法草案を提案しよう。どうしてそう思ったかは単純だ、今の日本国憲法は近代憲法の要件を満たしていないと思われるからだ。近代における国家は主権者である国民の国家形成への強い意志によって成り立っているとする。―するとしたのはもっと奥深い部分では違うと考えているが、近代に対応するためにそう仮定することにしよう。

近代思想において国家は、たとえ国民がひとりでも、国民意志があれば形成することができるとされる。しかしそれは利己的な個人意志ではない。五箇条の御誓文で公論と示された、意志を国民主権では民意というのであって、それがなければ近代国家は存在しないのである。さらにその意志は個々人の中にある不条理で熱い志であり、それを顕現しあるいは不当な隷属の強要から擁護されなければならないと考えている。

そして近代における憲法はその国家を統治する権力を制限するために制定するものであり、国民から政治権力への手紙であり、もっと強く表現すれば命令書として機能するのもである。よって国民が必ずしも従うべきものではないという性質のものである。
統治体というのは国際的には近代国民国家が国際関係を維持するため、またはその関係が破綻した場合に起きる紛争を解決したり、戦争を遂行し条約を締結するための代表府である。同時に国内においては共同体秩序を維持発展させるために制度や法律を制定する立法府、制定された法律をもとにそれを執行する行政府、そして行政が正しい手続きで行われているかを監視したりあるいは手続きの瑕疵を判断する裁判所などの組織のことである。

しかしこれらの組織は主権者である国民の自由を拘束したり法律を不当に行使したりする可能性があるので主権者は組織に対し、してはいけないことと、積極的にしなければならないことを文書によって命令する、それが憲法の本質なのである。そういう視点をもって世界最初の憲法らしい憲法であるアメリカ合衆国憲法と戦後アメリカの占領下制定された日本国憲法を比較してみよう。

アメリカ合衆国憲法(日本語訳)
前文
われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。The Constitution o…

国際関係論で論じられる理想主義

―リベラリズムー 誤解されるリベラリズム リベラリズムほど解釈が多様にある言葉はないと思う。日本語では自由主義と訳される場合が多いのだが、昨今では自由主義とリベラリズムは対立する政治姿勢ともいえる。よって自由主義をリバタリアニズムと呼ぶのが一般的になりつつある。本稿の場合はリベラリズムを社会自由主義的な用法、ようするに国際関係論で論じられる理想主義として論じることにする。




20世紀の戦争 20世紀は戦争の世紀と呼ばれるように産業革命による技術革新が戦争を巨大化、無慈悲化させた。世界は巨大化・無慈悲化する戦争に対して、一定の規則を締結したが、その後に勃発した第一次世界大戦は大規模かつ無慈悲な消耗戦によりヨーロッパ社会に大きな衝撃を残した。

第一次世界大戦の塹壕戦や化学兵器の使用は、ただ敵を消耗させるための戦略で、それまでの戦争とは様相が大きく変化した。戦争は国家が軍に命令して、軍が名誉をかけて行う営みから、国家国民全体で行う営み全体戦争つまり総力戦へと変容した。

パリ不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)は大戦のような悲惨な戦闘を二度と繰り返さないために交戦国、非交戦国も含めて63カ国が署名した。目的は戦争の違法化、特に侵攻戦争の違法化を目指したが、最終的には侵攻戦争を非難するにとどまった。




貧困が戦争を起こす もし社会が現状で固定されるとしたら、現在比較的幸福な人はいいが、もし不幸な人はどうだろうか。それはその人の希望を奪い去ることになる。国家同士の戦争もある一面では現状に満足できない国家と、それを阻止しようとする国家の営みといえる。

第一次大戦後ヨーロッパの比較的裕福な人々の間で戦争が二度と起こらないように、家族友人の死、あるいは戦争による破産などの不幸をなくすには、どうしたら良いか考えられたのは自然なことだ。そして彼らは結論した。「貧困が戦争を起こす」。

大戦中ロシアでは革命が起こりソ連邦が誕生する。国民(ソ連に国民がいたかは定かでないが)に貧困のない平等な生活を提供する統治体の出現に、ヨーロッパのエシュタブリッシュメントは期待と不安の眼差しを向ける。

リベラリズムの誕生 フランス革命の惨劇を経験しているヨーロッパの裕福な人達は、現状を維持しながら戦争を防止する政治体制の確立を急いだ。そのような背景でリベラリズム理論が誕生することになる。その理論は金持ちはそのまま…

日本国憲法改正提案Ⅳ

―戦争って放棄すればなくなる?― 天声人語の強制は憲法違反 そのⅢまで如何だろう? 僕が受験生のころ、―昭和56〜57年、先生が「朝日新聞の天声人語を読んでおけ、必ず試験に出るからな。」これってすごいね。この次の稿では、権利について検討するが、この発言は明らかな権利侵害だ。ある特定の新聞のある特定の筆者が書いた私見を、そのまま疑いもしないで試験では正解として書け!ということなわけだから。当時は朝日新聞に書いてあることが、受験に出題される「正解」だったのだ。

自衛隊を否定すれば卒業! ある先生に、昭和40年代から50年代まで、大学の卒論で自衛隊の悪口を書けば、評価されたと来たことがある。もちろん、すべてではないだろうが、時代の雰囲気はそんな感じだったのだろう。受験生の僕のために、朝日新聞を購読していた、母親も見事に影響を受けて、いまでもそれは変わってない。

僕は、それはそれで仕方のないことだと思う。物事の良い悪いは、自らの経験や信仰、影響を受けた人や情報で判断する。ただ、事実や法律的な合法違法はあきらかなので、―これは司法の稿で説明するが、事実に基づく判断、法律に基づく判断は、国民として身につける必要はあるだろう。


なぜ男はだめなのか? 出来れば女性に読んでもらいたい。それは、―あくまでも僕、個人の経験だが、男はどうしょうもないから生きんのだと思う。男性全員が、そうだとはいわないが、―あくまでも、僕レベルの男性は、政治に興味がない。興味の方向はの女性だけに向いている。

何をするにも基準は「女性にもてたい」か「格好良いと思われたい」くらいだろう。音楽をやるのも、スポーツをやるもの仕事で出世するもの、究極の目的はそれ以外にない。天下りを斡旋して首になったどこかの省の次官が、次官になっても、キャバクラの特定の女性に入れあげたなんてのもそう、先生に反抗するのも究極、それしかない。だから男に憲法が…、と話してもなかなか興味はひかないと思う。

そういう僕も、Anarchy in the UK ―ちなみのコックニーではナナキーと発音します、を歌ったり、スターリンというバンドが好きだったりしましたので、あまり人のこといえないが…。若いうちと現在の考え方は変わって当然です。ですから今、こんな考え方もあるんだぁ〜、程度に読んでもらいたい。

では、女性はどうだろう。僕は女性…

年次改革要望書

サイトで偶然みつけた原文の、いわゆる「年次改革要望書」だが、TPPと比較してみても面白い。アメリカの戦略なのか執念なのか、はたまた信仰なのか、1994年からもう20年くらいやってる市場開放交渉だ。我国政府も辛抱強くそれに対応していることがわかる。

国家とはなにか

―言葉による混乱― 家族、社会、国 国家は、ヘーゲルの分類のよれば、家族や会社から構成される社会とは区別され、ウエーバーは正統性がある継承によって形成された一定の領域を暴力に関する権威・権限を行使する単独の主体(国家)と定義している。国家とは政府組織であり社会とは区別される。State の訳語として国家があてられているように、国家とは政府、議会、警察、官僚、裁判所などの機関を有する統治権力のことを指す。


国民、国家 人間は子孫を残すため家族をなし生活する。そのような家族が一定の習慣や宗教によってある領域内で集団となったものが共同体だ。そして多少の習慣や宗教的違いを包括した地域を「国」と呼ぶ。「国」の住人が「民族」であり、近代はこの集団=民族を統治する権力が組織され「国家」と呼んだわけだ。そして、民族は「国民」となったのである。日本語に State と Country や Nation を区別する言葉なないのは、憲法議論などを混乱させている要因の一つだろう。



領域、人民、権力 国際法で定義されている「国家」もその地域を統治する政治組織のことを指す。つまり内外に干渉されず国民を正統性のある統治機構のことを国家という。国際法では、領域、人民、権力の三要素が承認の条件ともなる。
ある程度以上確定された一定の領土を持つこと。国民が存在すること。統治機構を持ち実効的支配をしていること。 このように国家は強大な権力を有していなければならない。つまり外に対しては自衛力、うちに対しては秩序維持の警察力が国家の基本となることがわかるだろう。
国、天皇 我々の「国」は、国ヲ肇ルコト宏遠ニと教育勅語にあるように神武天皇が肇国した世界最古の「国」だ。天皇は「治らす」存在として祭政一致の統治者として政にあたり、明治維新によって近代的な君主となった。日本国は憲法以前に存在しているという事実は憲法が国の形に(その事実に)その権力を及ぼしてはいけないということだ。
社会、天皇 国家は社会と対峙する存在とまではいえないが社会に対し強制力がある。さらに国民の自由を拘束することができる。しかし憲法の規定により組織される政府は憲法を制定している、正統性を有する権威を否定出来ないしまた、それを変更できない。明治憲法における第1章天皇条項の1条から3条はそのことを明記した条文だ。

つまり天皇の身体を不可侵…

日本国憲法改正案条文の解説 第2章 権利

権利は外在的言語に過ぎないので獲得するのもである。 権利は鎧である 第2章は国民の権利だが、この章では、現行憲法より多くの人権を規定して国民の福祉向上に寄与しようとしている。権利カタログは条文ではなく、条項で列記しているのは大きな改正点だ。


第2章 権利
第15条[国民の要件]日本国民は、日本国籍を有するものとする。
あまりにも当然の規定なのだが、昨今二重国籍で問題になっている議員がいるように、この後の条文で議会議員要件は明確化したい。

次に権利の具体的規定だが、学説の争いをなくすために、日本国民の権利、制限できる権利、万人の権利に分けた。婚姻や選挙、教育、就労などの権利は公共の福祉の観点から年齢制限を課しているのでわけることにする。第17条は日本国民固有の権利として憲法がその擁護を宣言した。

日本国憲法改正案 第2章 権利
第17条[国民の権利]次にあげる基本権は、国民の権利として、日本国民に保障する。個人として尊重され自由かつ幸福を追求すること。
2 むやみに生命を奪わず、健康で文化的な生活を営むこと。
3 平等であること。
4 人種、信条、性別、社会的身分又は出生により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されないこと。
5 財産を自由に処分し、また不当に奪われないこと。
6 居住、移転及び職業選択の自由を侵されないこと。
7 外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されないこと。
8 拷問及び残虐な刑罰に処されないこと。
9 公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し請願すること。

日本国憲法の諸テキストを読んでも、人権に関する解説に重点を置いている。私は人権に関して、米国的な自然権思想よりは仏国的な行政権の抑止的な立場に立っている。それは英国的な国民の権利と親和性が高いが、あくまでも人造の鎧のようなイメージを持ってる。

個々人が武装して個々人のバランスオブパワーによる、社会秩序の維持を目的としている、自然権的人権思想は、やはり米国的といえる。ところが第二次大戦において、独国が行った人権侵害は、欧州において、議会による人権保護から法律からの保障という、新しい次元の人権に昇華した。現在の日本は国際人権規約を批准しているので、憲法はその規約を誠実に尊守する必要がある。

いずれにせよ、欧米の人権思想の奥には…

日本国憲法改正案条文の解説 ―第4章 立法権

二院制の必要ある? 二院制は基本的に王国で貴族などの制度があるときに、貴族院と庶民院、ー英国、もしくは連邦制国家が国民代表と各自治体の代表、―独国や米国、というようなときに必要とされる。北欧諸国が王政の制限と平等原理の徹底によって、二院制から一院制への移行をしているように、日本国も天皇の権限の制限と貴族制の廃止は、一院制の十分条件である。


第4章は立法権を規定している章である。冒頭説明したが、現行憲法の二院制はGHQ案では一院制であった。

Article XLI. The Diet shall consist of one House of elected representatives with a membership of not less than 300 nor more than 500.


GHQ案が手交されたのち、日本政府下で、憲法改正を議論したのは憲法問題調査委員会だ。その議事で、「二院制を維持すべきであるが、従来の貴族院の権限に制限を加え、その構成を民主的なものに改めるべきだ、との意見が支配的であった」、「その名称についても、「上院」「第二院」「元老院」「特議院」「審議院」「参議院」など様々な案が出されたが、「参議院アタリガ無難」だということになった」という。
GHQ民政局が起草した案は「日本の政治の発達状況をみても、簡明性という点からも、一院制を提案するのがよいとの結論に達した。」としているが、これは、貴族制度が廃止されること(マッカーサーノート)、日本は連邦国家でないこと、第一院と第二院の間の争いが生じるおそれがあることなどの理由によるものであったとして、非常に理にかなっている。

参議院の設置理念を金森徳次郎国務大臣は、「衆議院に対する抑制的機能を前提として、知識経験のある慎重熟練の士を求めることにある」とした。この理念は現在、踏みにじられている。障害のある子供をほったらかして、市会議員と一線を越えないまでも、ベッドをともにして開き直ってる議員、二重国籍が確定しても、努力義務なのでと、戸籍を公表して居座る議員、そのほか議員資格に???が付く参議院議員が多い。

原点に返って一院制にすることが最初の目的である。また議会の権限と権能を規定すること。特に現行憲法には全く規定のない貨幣造幣権や度量衡、暦、徴税権、軍の編成権など権限、総理大臣の指名、…

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 第4章

第4章は連邦に対する規定だ。合衆国憲法の規定を読んでいると気がつくことがある。それは防衛という言葉がかなり使われている。独立をして間もなく軍隊もない小さな州政府が自らの自治をある程度制限しても、連邦を組織した理由は国土と国家体制をなんとか護りたいという切なる願いのような気がする。それが合衆国憲法を制定した国民意志なのだろう。


第4章[連邦条項]

第1条[十分な信頼と信用条項]

各々の州は、他のすべての州の一般法律、記録および司法手続に対して、十分な信頼と信用を与えなけ ればならない。連邦議会は、一般的な法律により、これらの法律、記録および司法手続を証明する方法な らびにその効果につき、規定することができる。

第2条[市民権条項、逃亡犯罪人・奴隷の引渡し条項]

[第1項] 各々の州の市民は、他州において、その州の市民が享有するすべての特権および免除を等し く享有する権利を有する。

[第2項] いずれかの州において反逆罪、重罪その他の犯罪につき告発された者が、裁判を逃れて他州 で発見された場合には、その逃亡した州の執行部の要求があれば、当該犯罪につき裁判権を有する州に移送するために、この者を引き渡さなければならない。

[第3項] 1 州において、その州の法律によって役務または労務に服する義務のある者は、他州に逃亡 しても、その州の法律または規則によってかかる役務または労務から解放されるものではなく、当該役務 または労務を提供されるべき当事者からの請求があれば、引き渡されなければならない。[修正第13 条で改正]

第3条[新州および連邦財産条項]

[第1項] 連邦議会は、新しい州がこの連邦へ加入することを認めることができる。但し、連邦議会お よび関係する州の立法部の同意なしに、既存の州の領域内に新州を形成し、または2 つ以上の州もしくは その一部を合併して1 つの州を形成することはできない。

[第2項] 連邦議会は、合衆国に属する領有地その他の財産を処分し、これに関する必要ないっさいの 準則および規則を定める権限を有する。この憲法中のいかなる規定も、合衆国または特定の州の請求権を 損なうように解釈されてはならない。

第4条[共和政体条項]

合衆国は、この連邦内のすべての州に対し共和政体を保障し、侵略に対し各州を防衛する。合衆国は、 州の立法部または(立法部が集会できない…