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国民が知っておきたい近現代史  ―日韓併合から満州事変まで

明治維新の意義を再確認したのだが、明治期を通して我が国は米国の侵略の後にやって来た、北方露国の侵略に悩まされることになる。維新後国軍を組織し、陸軍は仏国式(後独国)、海軍は英国式を取り入れる。当たり前のことだが、敵国が米国と露国なのであるから両国の助けは借りないということだ。

我が国はメキメキと力をつけ日清日露戦争をかろうじて勝利するまでに至る。しかし米露の脅威は去っていったわけではない。朝鮮半島をめぐり露国とは日露戦争を戦ったわけだが、日露戦争後も満州全域には露国軍―のちソ連軍が駐留しているのである。右の図は日本が朝鮮を併合したあとの東アジア地図であるが、ますます欧米列強のアジア支配は増すばかりである。
特に英国は日本と同盟を結んでアジアにおける権益を露国から守ろうとしたわけだが、日本軍が予想のほか屈強であり、特に海軍力は自国の極東域に維持できる勢力を超えて強大になりつつあることに警戒感を募らせる。一方消極的だが露国側につき戦争を支援した仏国は日本への敵視を強めることになる。露国を挟んで敵対した英仏両国だがここに利害が一致することになる。蘭国も永年の同盟国英国と共に東アジアの植民地が日本の脅威にさらされると警戒感を強めるのである。

清国は康有為の明治維新をモデルにした改革はあったがその統治能力は失われ人心は荒廃していった。1912年孫文等によって辛亥革命が勃発するも結局袁世凱による独裁となってしまう。その革命には日本の黒龍会など多くの民間人が大陸で活動し、また資金を提供している。彼らに共通する精神は、列強に蹂躙された清朝末期の状態から自主独立を果たし、支那と日本で東アジアから欧米列強を追い払い、各国の独立を果たしたいとうものであった。

実は同様なことが維新間もない頃、朝鮮半島を舞台としてもあった。その代表が福沢諭吉であろう。福沢は毎年朝鮮からの留学生を自費でよんでいる。福沢は民族の独立は言葉からとばかりに、15世紀の李氏朝鮮4代世宗国王が公布した「訓民正音」(훈민 정음,Hunmin Jeong-eum)で新聞を造ることを奨励した。官民多くの日本人が朝鮮粗独立のため尽力した。にもかかわらず大院君、閔妃一族や高宗帝などの「事大主義」に奔走され、ついに併合という最悪の手段に出ることになる。朝鮮半島の安定なくしては我が国の独立と安全はないからである。それは地図を見れば一目瞭然だろう。

日本の大正時代、南には四股淡々と日本侵略を企む米国フィリピンがあり、支那は辛亥革命以後の内乱中であり、満州後には露国(ソ連)が進駐している。特に明治以後敵対している露国と米国に北と南を抑えられ、大陸から突出している朝鮮半島がその緩衝地域になっていることが一目瞭然であろう。

日本は首都東京をはじめ、名古屋、大阪が太平洋側に立地しているので、大陸を敵正面とすると、太平洋は側背となる。ハワイとフィリピンの位置関係から南洋諸島域がいかに戦略的に重要な海域かがわかると思う。そしてフィリピンの北側には台湾が位置しフ米国フィリピンへ睨みをきかしていることがお分かり頂けるであろう。

我が国は日露戦争以後満州に居座る露国を追い払うことができないので、少なくとも支那大陸には友好的でなくとも敵対するような国家が現れることは避けたかったのである。先に多くの民間人が、孫文等を支援した所以である。我が国の生存は朝鮮半島と支那大陸にあったのである。

この後支那の内乱は蒋介石の北伐を契機に終息を迎えるかに見えたが、列強はアジアを国際政治の最前線へとしてしまうのである。独国はソ連を牽制するため支那を利用しようと蒋介石軍に軍事顧問を派遣する。一方我が国は北伐後の中共合作により、共産化する国民党蒋介石に警戒感を抱くことになる。この時毛沢東共産軍はソ連の影響下、蒋介石国民党軍は独国国防軍の影響下にあったと云える。しかし中共合作後はソ連の影響力が増すことになる。もともと親ソ的な独国国防軍であるので、北伐以後は日本と敵対することになる。

大陸のソ連化をうけて我が国は支那と満州の分断を計ることになる。例えば以下は遣唐使で有名な唐の版図であるが、最大領域こそ現在の中国東北部(満州)に及んでいるが、そう長期には維持できていない。

中興の強国「民」の版図だが、北方をタタールに抑えられ北京より北方へ進出していない。歴史上、支那王朝が北方の満州地域を版図に治めたことはあまりないのである。有名な万里の長城より北は北狄、つまり野蛮人の住むところだったのである。

我が国は支那大陸が共産化するに及んで独立維持のため、まだ秩序定まらぬ満州域に進出することになる。日露戦争、鉄道警備のため駐留していた軍は1万数千足らずであるが、ソ連軍の搾取略奪や馬賊の横行で苦しむ満州域の住民の圧倒的支持を得て満州事変を起こすのである。支那大陸がソ連化したことはABCD包囲網の完成であり、日本が極東の地で孤立化することに等しいからである。

世界は大不況の只中であり、経済はブロック化し先進諸国が高い関税で自国の経済を保護してる状況である。ではなぜこのように日本は世界から嫌われる事になったのか。次稿はその点を分析してみたい。

コメント

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日本は北朝鮮と国境を接していない

朝鮮民主主義人民共和国はなぜ生存しているのか 「北朝鮮は脅威ではない」が、思いのほか好評だったが、危機が現実化する過程の関心高さがうかがえる。ただ、一部投稿を疑問視するコメントも散見されたので、本稿はそれにお答えしよう。何を疑問視されたかというと、北朝鮮は現実的に脅威じゃないか!というものだが、僕は、北朝鮮が脅威にように見えるが、あれは北朝鮮ではなく、北朝鮮をコントロール若しくはそう仕向けている勢力があるということをいっている。現実は北朝鮮危機なのだが、真実は極東情勢の好転ではないのか、というのが趣旨だ。

極東の軍事バランス 図は少し古い資料だが、詳しくは拙稿「朝鮮人民軍の実力」を参照してほしい。最近の資料では、韓国軍は2020年までに52万人に削減される予定である。 一方朝鮮人民軍は推定で120万人といわれている。在韓在日の米軍を含めても、北朝鮮人民軍の兵力は約2倍だ。さらに、中朝国境を管轄する人民解放軍北部戦区には約25万人の兵力があるという分析もある。北部戦区は再編前の瀋陽軍区で、瀋陽軍区の前身が朝鮮戦争に義勇軍を派遣した第4野戦軍なのである。米軍による仁川上陸の攻勢から、金日成北朝鮮軍壊滅を救ったのが、現在の北部戦区ということだ。金正恩北朝鮮の強硬姿勢は、こういう歴史的背景がある。人民解放軍の戦力の他に、ウラジオストックにはロシア軍東部軍管区の2個軍及び航空軍、鉄道軍約9万人が配備されている。


旧瀋陽軍区と北朝鮮 歴史的に朝鮮半島では、他国の影響を排除した独立国は存在していない。現在の両国もそうだ。北朝鮮はソ連が建国して、中国共産党人民解放軍の奮戦が支えた国といえるし、韓国は米軍の支援なしでは、いまごろ、山口県に亡命政権があったかもしれない。先にふれた旧瀋陽軍区は、鴨緑江から反撃を開始して、約2万5千人の戦死者を出しながら、一時はソウルを再占領するまで戦った部隊の末裔だ。過去金正恩の父、金正日は亡くなる前2年間で11回、旧瀋陽軍区を訪問しているという。
中国共産党も恐れる旧瀋陽軍区 また、旧瀋陽軍区は中国共産党にとっても危険な存在だという。かつては北方民族が群雄割拠する地域で、万里の長城はその北方民族の侵入を防ぐためのものだ。近くは軍閥の張作霖が支配した地域であり、満州国が建国された地域でもある。歴史的には北京とは一線を画している地域だ。李氏朝鮮時代か…

眞子内親王殿下と小室圭氏の恋の行方を憲法で考える

憲法24条はまもられるのか?
日本国憲法24条
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

日本国憲法では婚姻の自由が権利として認められている。前回の投稿でも示したが、第24条は日本国憲法で唯一国民に受け入れられた条文ともいえるので社会の根幹である家族を生み出す唯一の条件が「両性の合意のみ」とした、つまり愛が結婚の認証基盤だとうことだ。


憲法では陛下や秋篠宮文仁親王及び紀子妃殿下がそれを拒否しようがしまいが関係がないと規定している。しかし人権がご皇室にも適用されるかどうかの人権の享有主体性の問題はある。紀子妃殿下や皇后陛下のご心配ははかり知れないが、陛下はご結婚をすでに許可されているので、眞子内親王の心変わりがなければ、延期にはなるが破談になることはないだろう。なぜなら、陛下は日本の立憲君主、象徴天皇としての立憲的立場をよくわきまえていらっしゃるからだ。

もし内親王と圭氏の強い意思で結婚を希望したが、文仁親王や妃殿下のご意向で破談になるようなことがあれば、それは明らかな憲法違反となることだろう。圭氏の母親がどのような人物だろうが、婚姻は憲法では「両性の合意のみに基いて成立」するのである。 母親の借金などということと婚姻とは全く無関係なのである。私は眞子内親王には是非そのようなことで愛する男性との婚姻をやめてほしくはない。勿論合意がなければ―つまりそんな男愛せないと、おっしゃれば別だが。

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 前文

これから日本国の新憲法草案を提案しよう。どうしてそう思ったかは単純だ、今の日本国憲法は近代憲法の要件を満たしていないと思われるからだ。近代における国家は主権者である国民の国家形成への強い意志によって成り立っているとする。―するとしたのはもっと奥深い部分では違うと考えているが、近代に対応するためにそう仮定することにしよう。

近代思想において国家は、たとえ国民がひとりでも、国民意志があれば形成することができるとされる。しかしそれは利己的な個人意志ではない。五箇条の御誓文で公論と示された、意志を国民主権では民意というのであって、それがなければ近代国家は存在しないのである。さらにその意志は個々人の中にある不条理で熱い志であり、それを顕現しあるいは不当な隷属の強要から擁護されなければならないと考えている。

そして近代における憲法はその国家を統治する権力を制限するために制定するものであり、国民から政治権力への手紙であり、もっと強く表現すれば命令書として機能するのもである。よって国民が必ずしも従うべきものではないという性質のものである。
統治体というのは国際的には近代国民国家が国際関係を維持するため、またはその関係が破綻した場合に起きる紛争を解決したり、戦争を遂行し条約を締結するための代表府である。同時に国内においては共同体秩序を維持発展させるために制度や法律を制定する立法府、制定された法律をもとにそれを執行する行政府、そして行政が正しい手続きで行われているかを監視したりあるいは手続きの瑕疵を判断する裁判所などの組織のことである。

しかしこれらの組織は主権者である国民の自由を拘束したり法律を不当に行使したりする可能性があるので主権者は組織に対し、してはいけないことと、積極的にしなければならないことを文書によって命令する、それが憲法の本質なのである。そういう視点をもって世界最初の憲法らしい憲法であるアメリカ合衆国憲法と戦後アメリカの占領下制定された日本国憲法を比較してみよう。


アメリカ合衆国憲法(日本語訳)
前文
われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。The Constitution o…

北朝鮮は日本の脅威ではない

北朝鮮の核開発問題は、日本にいろいろな教訓と示唆を与えてくれる。現在日本は、米韓と共に北朝鮮と対峙しているが、日本は、北朝鮮となぜ敵対しているのか、本当の敵は北朝鮮なのかという根本的な命題は、マスコミはじめ識者でも語られないままだ。今回はその辺を整理しよう。


北朝鮮問題の歴史的経緯 朝鮮民主主義人民共和国建国 1910年8月29日、大韓帝国は、日韓併合条約を専制君主である皇帝純宗が裁可することで、大日本帝国との合邦国となった。1945年4月12日、米国は、大日本帝国敗戦後の朝鮮半島統治に関して38度線での分割統治を提案する。1948年9月9日朝鮮民主主義人民共和国の成立は、その年の8月15日大韓民国の成立とともに、朝鮮半島における米ソの対立をより明確にすることになった。

共産主義による世界統治の実現のため、1950年6月ソ連及び、1949年に建国した中華人民共和国の支援を受けて、38度線を越境し大韓民国に進攻戦争を開始して朝鮮戦争が勃発する。大韓民国に駐留していた米軍を中心に国連軍―正式な手続きを経ていないので実質は国連派遣軍若しくは多国籍軍、が組織され、これを迎撃することになる。



朝鮮戦争 1950年6月25日宣戦布告なしに38度線で北朝鮮ソ連中国連合軍の砲撃が開始され、10万を超える兵力が38度線の越境を開始する。当時の韓国軍は兵力約11万人で装備は脆弱であった。さらに、北朝鮮のスパイ掃討戦や軍内部のスパイ粛清で士気は疲弊していた。米国及び国連は動揺するが、6月27日には国連安保理で北朝鮮を侵略者と認定して、その行動を非難する。さらに軍事行動の停止と軍の撤退を求める「国際連合安全保障理事会決議82」を賛成9反対0:棄権1の全会一致で採択した―ソ連は欠席。
韓国軍の崩壊と国連軍の敗走 韓国の李承晩大統領は、6月27日南朝鮮労働党関係者の処刑を命じ、韓国軍や韓国警察によって共産主義者の嫌疑をかけられた20万人から120万人に上る民間人を裁判なしで虐殺した―保導連盟事件。同時に、ソウルを放棄して水原に遷都した。このとき漢江にかかる橋を避難民ごと爆破した―漢江人道橋爆破事件。これにより漢江以北には多数の軍部隊や住民が取り残され、韓国軍の士気がさらに下がることになる。

国連軍を指揮した、マシュー・リッジウェイ将軍は、退却する韓国軍が放棄した装備は、数個師団だったと述べ…

国益とは時間と空間である

時間と空間に関わる利益が真の国益である 国益とは さて国益とはなんだろうか。国益(national interest)は利益であるから経済的な意味合いが強いのは当然だ。当然経済的という具体的な側面も必要である。民主政体であるかぎり具体的な数値でその支持を得ることは必要だからだ。では経済的利益以上に重要な国家の利益があるのだろうか。もちろん答えはイエスだ。それは領有権(領土領空領海)と歴史と伝統に関わるものだ。この両者こそが真の国益ではないだろうか。

領有(土高)権とは我々が生活する空間を統治する権利であり、それを承認するのが我々の歴史と伝統だ。つまり領土領有権(空間)と時間(その正統性、歴史と伝統)が国益の本義ではないか。これらを守るために政府が組織され、その構成員たる国民はこれらを守る義務を追う。私は命をかけても守る義務を負う国家の利益を国益と定義したい。

そしてこの国益を守るために近代、付与されたのが国民の利益であると考える。国民は国家を守る義務を負うため政府権力から特別の権利を付与されている。憲法で保証される諸権利の正統性は国益を守るという事のみに由来する。過去ギリシャの都市国家やローマ市民も、奴隷でないものは国家防衛の義務を追っていた。奴隷は戦争は免除されていた。

市民は奴隷を支配する権利と引き換えに国家防衛のためには命を捨てなければならなかったのである。諸権利は唯一国家防衛の義務を果たすための利益にすぎないのである。これをこんにちにあてはめれば、国家防衛のための国民の利益であるといえないだろうか。安全保障を他国に譲っている国家は独立国とはいえないうえ、国民すら存在しないといえる。

TPPと慰安婦問題 平成23年11月17日、李明博大統領が来日したが、第一声で慰安婦問題の解決に言及した。これは韓国の憲法裁判所が今年8月に「賠償請求の具体的措置を政府がとってこなかったのは違憲」とする判断を出した事による。これらの賠償に関する諸問題はすでに日韓条約締結時に「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」となっているにもかかわらずだ。

先に歴史と伝統に関わることを私は国益であると定義した。慰安婦問題はまさしく国益である。我が国の官憲が朝鮮半島女性を半ば強制連行して大陸派遣軍の慰安所に拘束し売春行為をさせていたという、事実に反することで我が国の首相が相手…

国際関係論で論じられる理想主義

リベラリズムほど解釈が多様にある言葉はないと思う。日本語では自由主義と訳される場合が多いのだが、昨今では自由主義とリベラリズムは対立する政治姿勢ともいえる。よって自由主義をリバタリアニズムと呼ぶのが一般的になりつつある。本稿の場合はリベラリズムを社会自由主義的な用法、ようするに国際関係論で論じられる理想主義として論じることにする。

20世紀の戦争 20世紀は戦争の世紀と呼ばれるように産業革命による技術革新が戦争を巨大化、無慈悲化させた。世界は巨大化・無慈悲化する戦争に対して、一定の規則を締結したが、その後に勃発した第一次世界大戦は大規模かつ無慈悲な消耗戦によりヨーロッパ社会に大きな衝撃を残した。

第一次世界大戦の塹壕戦や化学兵器の使用は、ただ敵を消耗させるための戦略で、それまでの戦争とは様相が大きく変化した。戦争は国家が軍に命令して、軍が名誉をかけて行う営みから、国家国民全体で行う営み全体戦争つまり総力戦へと変容した。

パリ不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)は大戦のような悲惨な戦闘を二度と繰り返さないために交戦国、非交戦国も含めて63カ国が署名した。目的は戦争の違法化、特に侵攻戦争の違法化を目指したが、最終的には侵攻戦争を非難するにとどまった。


貧困が戦争を起こす もし社会が現状で固定されるとしたら、現在比較的幸福な人はいいが、もし不幸な人はどうだろうか。それはその人の希望を奪い去ることになる。国家同士の戦争もある一面では現状に満足できない国家と、それを阻止しようとする国家の営みといえる。

第一次大戦後ヨーロッパの比較的裕福な人々の間で戦争が二度と起こらないように、家族友人の死、あるいは戦争による破産などの不幸をなくすには、どうしたら良いか考えられたのは自然なことだ。そして彼らは結論した。「貧困が戦争を起こす」。

大戦中ロシアでは革命が起こりソ連邦が誕生する。国民(ソ連に国民がいたかは定かでないが)に貧困のない平等な生活を提供する統治体の出現に、ヨーロッパのエシュタブリッシュメントは期待と不安の眼差しを向ける。
リベラリズムの誕生 フランス革命の惨劇を経験しているヨーロッパの裕福な人達は、現状を維持しながら戦争を防止する政治体制の確立を急いだ。そのような背景でリベラリズム理論が誕生することになる。その理論は金持ちはそのまま、貧乏人はもう少しお金持ちにすることだ。

TPPとはなにか ―国際法・条約から考える

フェイスブックのTPPって何?の議論を通じTPPを検証してきたが、ここに来て議論が成熟してきた。JAなどがTPPの「聖域なき関税撤廃で農業はだめになる」という主張はWTO・GATTのウルグアイ・ラウンドで我国が聖域として議論した農産5品目が自由化されるという主張だが、TPPはWTO・GATTの規定内で交渉される自由貿易協定であるから、「聖域なし」は「実質上」と同じ「すべて」ではないという例外を表した言葉だ。

日本が朝鮮民族を救った日

1910年8月29日 日本が朝鮮半島を救った日からちょうど100年目の慶賀すべき日の韓国、日本の関連ニュースを拾ってみる。


高宗皇帝の秘密資金ミステリー 8月28日 ⓒ 中央日報より
SBS(ソウル放送)番組「それが知りたい」は28日午後11時10分、高宗が国のために使おうとしていた秘密資金の行方を追跡する。… 日本が高宗帝の秘密資金を盗んだという内容のミステリードキュメントらしいが、
ハルバート氏が死亡する1年前に李承晩(イ・スンマン)大統領に送った手紙には、「盗まれた内帑金を利子と一緒に返してもらわなければいけない」という内容が書かれている。… という内容が賠償請求などと関連したプロパガンダの匂いがプンプンするようだ。

一日で統治者が変わった100年前の痛み
一日の間に統治者が変わった国に生きた100年前の民の心痛を表す資料が発掘された。書誌学者のキム・シハン氏(79、キョンアン書林代表)は、1910年8月28日に純宗が授与した叙勲賞状と、翌日の8月29日に寺内正毅統監が授与した孝行賞状を27日に公開した。大韓帝国と日本が強制併合条約を締結する前日と当日、克明な対照をなす遺物だ。… 記事の通り、叙勲賞状を授與される立場であればきっと両班階級であろうから、日韓併合で相当な被害を被ったであろう人である。日本が救ったのは中人や常民、賤民とよばれる下層階級の人々だ。

儒学の教えに忠実な貴族、両班は(科挙試験は儒学の試験なので彼らがそれに精通しているのは当然だが)労働を忌避する傾向があった。つまり、働くのは卑賤な人々という意識なのである。
しかし彼らとて食べないわけにはいかないわけで、常民賤民から搾取するのが彼らの糧だ。農民から年貢を取るのはあたりまえだが、裕福なものからは不当に逮捕拘束して拷問して身代金(保釋金)を召上るなどということをやっていた。
なにせ科擧は世襲制とともに試験で毎年人数が増えていくので、李朝末期では50%近くに達していた。地方には官職がなく、そういうヤクザまがいの行為で彼らは食いつないでいたのだ。
日韓併合は半数近くいた常民、賤民を彼らの不正行為から間違いなく救ったのだ。 【その時の今日】永遠に癒やされない傷、庚戌国辱
1910年8月29日。 徳川幕府末期にすでに芽生えていた征韓論が物語っているように、明治維新(1867年)以後に近代帝国主義国家に生ま…

年次改革要望書

サイトで偶然みつけた原文の、いわゆる「年次改革要望書」だが、TPPと比較してみても面白い。アメリカの戦略なのか執念なのか、はたまた信仰なのか、1994年からもう20年くらいやってる市場開放交渉だ。我国政府も辛抱強くそれに対応していることがわかる。

合衆国憲法及び合衆国国内法とTPP ―まとめ

以下はTPPってなに?でリアルジャーナリスティックに議論を展開される石塚幾太郎さんが作成した、TPP交渉にあたって関係する米国憲法及び国内法の関係とその成立過程をまとめたものだ。(一部URL表示をリンクに取り込んだ)

TPAの成立過程
1.憲法上の通商交渉権限規定

(1)合衆国憲法
合衆国憲法立法部第8条第3項に「通商交渉権限」が議会にあり、執行部第2条第2項に「条約締結権」が上院の助言と承認のもとに大統領が有していることが記載されている。

「通商協定」の批准は、上院3/5(60名)、下院過半数の可決が必要。条約の批准は上院2/3の可決が必要である。

合衆国憲法(在日米国大使館)HP

(2)日本国憲法
日本では、憲法第76条第3項の規定により、通商協定も条約であり、締結は内閣の専権事項になっている。国会は、締結された条約(通商協定)を批准するか否決するかの採決を行う。 2.世界恐慌からの脱出
1930年、世界恐慌の経済対策として、米議会は、大幅な関税引き上げ(1930年関税法)を可決し、施行した。この動きが世界中に拡散し、いわゆるブロック経済の対立を生み出し、第二次世界大戦の原因ともなったと言われている。

関税引き下げを訴え当選したルーズベルト大統領は、1934年関税引き下げの権限を議会から獲得することに成功する。(1934年互恵通商協定法)この法律は時限法であるが延長を重ね1967年失効するまで継続する。

3.ケネディラウンド合意の議会不承認
GATTケネディラウンド(1964~67年)で、議会が政府の合意した協定を部分的に受け入れなかった。(国際アンチダンピング・ルールと米国非関税障壁ASPの撤廃)

国際アンチダンピングについては、米国法(1921年アンチダンピング法)のコード(品目)と一致するもののみ適用とする法律(90-634)を成立させ、ASPについては、国内実施法を成立させなかった。

この時、通商協定より国内法が優先することが、議会と大統領府の共通の認識になった。

4.1974年通商法の成立
このケネディラウンドの合意批准不成立が、交渉官が他国に信憑性を疑わせると心配、ニクソン大統領は東京ラウンドに向けて、ファストトラック法を1974年通商法に挿入する提案を行った。

上院の審議のなかで、議会と相談し、締結90日前には、必要書類を提出するルール、締結後、内…