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ケネディとマリリン ―マリリン・モンローはなぜ死んだのか。

華麗なる一族

1950年代の後半アメリカ政界に彗星のごとく現われ、その若さと清潔な印象、さらには新興とは言え東部有数の財閥の跡継ぎ息子。美しく才能があり、若き夫のさらに一回りも若いフランス風の名前を持つエレガントで貞淑なイメージの妻ジャクリーン。


最愛の一人娘キャロラインと暮らす立派な家庭人。大統領職になった以後もホワイトハウスを走り回る子供達と遊ぶファーストファミリーの父として、全ての国民から愛され、そして尊敬されたジョン・F・ケネディ。しかしその虚像は1975年まったくの偶然から国民の前に明らかにされてしまったのである。

現在では、ことケネディの私生活に関してのイメージは地に落ちたと言わざるを得ない。かつての「アメリカン・ヒーロー」の姿を追い求め、清廉潔白、人生の総てを合衆国に捧げた至高の人・ケネディを胸に描き神格化する人々にとっては、もはや「ケネディ神話の殿堂」の世界に奥深く入り込む以外に方法はなくなったと言えるのではないだろうか。

今回は誠に不本意ながら避けて通れない項目としてケネディの女性関係に言及してみたい。

1975年上院チャーチ委員会

ケネディ大統領の奔放で、時としては無軌道としか言えないような女性関係が表面化したのは、事件から12年した1975年、全くの偶然からであった。当時上院に設置された情報活動調査特別委員会が戦後、歴代のアメリカ政府による外国指導者に対する暗殺工作を取り上げて追及していた。

委員会はこの調査のなかでCIAがキューバのカストロ政権の打倒と、首相個人の暗殺工作を、ケネディ政権の上層部の支持もしくは了解のもとに進めていた事を明るみに出した。それだけでも、国際法や国連憲章に違反する重大な違法行為であるが、CIAがカストロ暗殺計画を進める中で、暗黒街の大物達の協力を得ていた事、こうしたマフィアのドンの愛人が、こともあろうに当時現職の大統領の愛人でもあり、ホワイトハウスや大統領の旅行先で数知れぬ密会を重ねていた事実が浮かびあがったのである。

1975年9月、委員会はこの愛人、ジュディス・キャンベル・エグスナーと名乗る女性を秘密の聴聞会に呼び出して話しを聞いた。しかし、あとで委員会が発表した報告書には、大統領とマフィアの共通の愛人は「ケネディ大統領の友人」とあるだけで、名前は勿論、住所も職業も、それになんと性別すらも書かれていない。

この「友人」は1960年初め、すき通るような青い眼、肩まで届く長い黒髪で大統領選挙中のケネディ上院議員を一日で魅了した、当時26歳の元ハリウッド女優であった。報告書にそんな事を書けば、ケネディ大統領の不倫が、こともあろうに議会の公式文書にのり、しかもアメリカ大統領がマフィアのボス、正確には二人のボス達と愛人を共有したという前代未聞の不祥事を公表することになってしまうからである。

委員長フランク・チャーチは委員長の権限を最大限に使って野党の公表要求を強引に封じ込めたのであった。それにしても、以降25年ほどの間に多数の研究者や関係者の証言、「情報の自由法」にもとずいて解禁された資料などで浮かび上がったケネディ大統領のプライベートな横顔は、どのような角度から見ても大衆を驚かせ、目や耳を疑わせるほどの異常さを帯びていることは認めない訳にはいかない。

この項目を制作している最中にに、またしてもわれわれの耳を疑わせる一通の新聞記事が掲載された。ケネディ大統領とあのドイツの生んだ永遠の美女「マレーネ・デイートリッヒ」との密会の記事である。

確かに1960年の初頭においてはデイートリッヒはすでに60歳を過ぎていたにもかかわらずその美貌は他を圧倒していたと言うが、それにしても、60歳は60歳である。この事が事実であったのならば、我々の心のなかにさらにその異常さに拍車がかかる事も残念ながら認めない訳には行かないのである。

しかし、この様な現実に目をつぶるよりは、ケネディの乱れた私生活を歴史的事実として受け止め、このような性癖や素行を持った政治家が、一方では1960年代の世界政治や国内の政治・経済・社会問題に勇気とビジョンを持って取り組んだ姿を、一つの壮大な「人間ドラマ」として見つめるほうが実り多いものになるのではないかと考えるのは一人自分だけであろうか。

父・ジョセフの影

ケネディの女性関係のあれこれに立ち入る時、常に痛感させられる事は、彼が生まれた億万長者の家が世にもおぞましい不健全な家庭状況であったことである。

ジョン・ケネディの父ジョセフ・ケネディはご承知の通り、飢餓に苦しむ故郷アイルランドを逃れて「新世界」へやってきた貧困移民の三世であるが、株式投機、映画製作、はてはマフィアと手を組んだ、違法な密輸酒事業に手を染め、まさに一代で巨額の富を築き上げた人物である。

評論家マイケル・サリバンは「貪欲こそがケネディ家の唯一無二のモットーであった」と厳しい言葉を吐いている。ジョセフは並みの一代富豪と違い、巨万の富を集めたあとも決して現状に満足せず、手を休める事無く、さらに多くの富、多くの権力、多くの名声を求めて突き進んだ。

彼にとって人生とは次から次へと果てしなく続く力比べであった。その生活信条からくるケネディ家の家訓は「ナンバー2は必要無い。常にナンバーワンであれ。ケネディ家の人間は勝つ為にのみ存在する」といったものであった。そしてジョセフ自身その信条は終生変わる事が無かった。

このような父親が、家庭で子供たちに見せる素顔に道義感がかけていたとしても決して不思議ではない。ジョセフは親代々のカトリック信者として厳しくしつけられて育ったにもかかわらず、事業の面でも家庭生活の面でも倫理観の留め金がみごとに外れていたのである。

父ジョセフの女性遍歴はこのページで一項目を設けてもとても足りないほどのものであり、それらの素顔を見て育ったジョンやロバート・エドワードの心の中に同様の「正義」が植え付けられていったとしても致し方のない事であった。

さらには、彼らケネディ兄弟にとって不幸であったことは、彼らの家族観、女性観を早い時期からねじまげてしまったのは、ジョセフの奔放な生活だけからくるものではなかった。

敬謙なカソリック信者で、夫が留守がちの家庭で数多くの子供たちを女手一つで立派に育て上げ「良妻賢母」のモデルのように伝えられた母ローズも実際には「母親失格」に近い女性であったことが明らかになっている。

ケネディ大統領が友人ビル・ウオルトンに語ったと言われる言葉が明らかになっている。ジョンが打ち明けた母親観とはこうであった。「母は直輸入のファッション洋裁店にいるか、教会でぬかずいているかのどちらかの日常だった。

本当に側に居てほしいときには、いつも家を空けていた。母がこの私を抱いてほほずりしてくれたことは一度もない。絶対に、絶対に一度も無かったよ。」

ジョン・ケネディが終生、数多くの女性と浮き名を流しながら、青年期のごく一時期を例外として、一度たりとも愛におぼれたり、相手に献身的な愛情を注いだことがなかったのは、こうした心理的な「両親不在」の寒々とした家庭環境からきたものと思われる。

そしてその悲劇は大統領自身の家庭においても演じられてしまったのである。彼は、上院議員時代の1953年に結婚したジャクリーンを人前ではごく大切に扱い、ホワイトハウスに入ってからも一貫して「愛妻家」のイメージを守り続けた。だがケネディにとって妻とは政治家の欠くべからざるアクセサリーでしかなく、決してそれ以上のものではなかったのである。

そして、自分に期待されるこのような役割を自覚したジャクリーンも、そうした虚像を自分の側からも積極的に作り上げ、夫とは全く別の世界で生きるようになる。皮肉なことにケネディは30年ほど前の父ジョセフの役割を、ジャクリーンは同じく義母ローズの役割をそっくりそのまま演じていたのである。

そしてケネディ亡き後のジャクリーンは自由を得た白鳥のごとくアメリカを捨てたのである。「最愛の夫を奪ったアメリカを、私は生涯憎む」という大義名分を翼として。

大統領が愛した「暗黒街の恋人」達

ケネディ暗殺事件の一年三ヶ月前の1962年8月5日一人の女性の死を伝えるニュースが全世界を駆け巡った。ノーマ・ジーン・モーテンセンと言う名の女性の死を伝えるものである。この名前では分かるまい、1950年代のアメリカと世界を沸かせた「性の女神」こと「マリリン・モンロー」その人である。
彼女の死は40年近くなった現在でも尚、自殺説、他殺説が交錯しケネディの死同様にアメリカ国民の猜疑の目でみられている。そのモンロー自身もケネディの愛人であり、「キャメロット伝説」の重要な脇役の一人であった事実は当時のアメリカ国民が驚きながらも、現在では受け入れられつつある。

しかも彼女の交友関係は一人大統領にとどまる事無く、弟ロバートとの錯綜した愛情関係がからんでいたと言う衝撃的な事実もあきらかになってきている。

写真は1962年5月20日、大統領の誕生日祝賀パーティーの席上でマリリンが「ハッピー・バースデイ」を歌って祝福した時に舞台裏で撮影された、ケネディ兄弟とマリリンの三人が写った写真であるが、この写真を見たロバート・ケネディは激怒し、この写真を司法省の権力を使って非公開とさせたと言われるいわく因縁付きの写真である。
彼女が死亡した頃のマリリンの自宅周辺はFBIやマフィアの手先達がうろつき、彼女自身の行動はこの二つの組織の完全な監視下に有った事が明らかになっている。

ではなぜ一介の映画俳優(とは言ってもモンロークラスになれば”一介の”とは言えないであろうが)の行動が公の国家捜査機関や暗黒街組織の監視の対象になったのであろうか?FBIの監視は国家安全上の大統領に対する”保護処置”との名目に守られたフーバー長官の延命工作の一環であり、同様にマフィアの監視はマフィア組織の存続をかけた対ケネディ一族との戦いの一環であった事は明らかである。

そして、このマリリンとジョン・ケネディとの交友関係の始まりにも、マフィアの魔手が働いていたという事実も又明らかになっているのである。ケネディ大統領の危険な「火遊び」の相手は、当然ながらマリリン・モンローだけではなかった。

80年代後半に公表されたFBIの報告によると、フーバー長官直々の指令でケネディのホワイトハウスを事実上”監視”していたFBI当局は2年10ヶ月あまりの短い在任期間中に、ケネディ大統領がホワイトハウス及び遊説先の各地で「親密な関係」を持った女性を少なく見積もっても32人以上であるとし、そのリストをフーバーに報告している。

この中ではマリリン・モンローの知名度には及びもつかないが、交遊の深さと、とりわけマフィアの巨頭と大統領の連絡をとりもったことで重要な役割をはたした女性が、前述のジュディス(愛称ジュディ)・キャンベルであり、その存在は際立っている。

ケネディは、大統領選挙戦中から始まり、当選して大統領就任後も二年足らずの間にジョージタウンの自宅やホワイトハウスで確認されただけでも約20回ジュディと二人だけの時間を過ごした。

ジュディがホワイトハウスにかけた電話の回数が約70回、すべてFBIによって確認されており、なかにはジュディのもう一人の愛人でシカゴ地区を取り仕切っていたマフィアのドン、サム・ジアンカーナの自宅から公然とかけていたものも含まれている。

ジュディの後年の回想によると、大統領とマフィアののボスとの共通の愛人と言うユニークな立場にあって彼女が「使者」として実現させたケネディとジアンカーナの直接の会談は10回に及び、その内の一度は所もあろうにホワイトハウスで行われたと言う。

モンローとジュディに代表されるケネディ大統領のきわどい女性関係は、当然ながらマフィア首脳たちから詳しく監視され、しばしば秘密のテープレコーダーで録音された。

これがマフィアによって脅迫の材料にされたら、ケネディの大統領職の遂行にも重大な影響が出るだけでなく、アメリカ国歌の安全保障にさえも影響が出る可能性が十分にあった。ジャクリーン婦人の従兄でケネディ研究家として知られるジョン・デービスは「200年に及ぶアメリカ大統領政治のパノラマの中で、モンローとジュディを相手にしたケネディの二つの情事は、きわめつきの”危険な関係”であった」と断言している。

その後のジュディスは大統領暗殺後、一時ジアンカーナと共に暮らし1972年一回り年下のプロゴルファー、ダン・エグスナーと結婚つい先年1999年9月27日、65歳で亡くなった事は談話室においてご報告した通りです。

利用された情事

モンローの監視、さらにはホワイトハウスの監視と、少なくとも政府直属の機関が直属の上司のトップである大統領の周辺を監視するなどと書いたが、ある意味では、フーバー長官が、アメリカ政府の神経中枢であるホワイトハウスにマフィアの巨頭たちの影響が及ぶのを恐れて、ホワイトハウスを秘密のうちに監視下に置いた。と、好意的に解釈する事は可能である。
しかし現実は違っていた。フーバー長官はその在任中「アメリカにはマフィアと言うような犯罪組織は存在しない」と公言していた事は有名な話である。

したがって、フーバーが部下達にケネディのホワイトハウスを監視させ、詳細な報告を本部に送らせていた最大の理由は、時の権力者ケネディの個人的な弱みを握り、FBI長官としての自分の地位を半永久的に守るための道具にしたと考えるほかない。

ある日FBIの執拗なまでの監視に思い余ったジュディは、ケネディに訴えた。国の最高権力者だから、政府の一組織に過ぎないFBIの「行き過ぎ」など、ツルの一声で終わらせてくれるものと期待したのである。

ところが、帰ってきた返事は意外にもそっけないものであった。「気にするな。連中はなにもしやしないよ。放っておけばいい、フーバーが私に仕返しをしているだけなんだ。あの妙ちくりんな野郎め!」というものだったとジュディは回想している。

そして1962年3月22日、決定的な瞬間がやってきた。この日の午後1時、フーバーはケネディ大統領からホワイトハウスでの昼食に呼ばれたのである。ケネディはこの会談でフーバーにFBI長官としての「引導」を渡すつもりであったといわれている。

若くしてフーバーの上司となったロバートは、自分が先頭に立って大々的に進めている犯罪組織”マフィア”撲滅運動にフーバーが全く協力する姿勢をみせないのに激怒し、兄、大統領に対してフーバーの更迭をしきりに訴えていた。

大統領はフーバーを嫌う点では弟にひけをとらなかったものの、政財界、報道界などに隠然たる影響力を持つこの老獪な官僚のクビをうまく切れるかどうか確信が無かった。そして、フーバーが自分の私生活の隅々まで熟知しており、フーバーと政治的に「心中」でもしない限り、FBI長官の座から追い払う事の出来ない事を、まもなくいやというほど知らされる事になるのである。

3月22日の会談はホワイトハウスの二階にあるダイニングルームで昼食をはさんで延々4時間に及んだ。同席したのはただ一人、大統領の”忠臣”オドンネル補佐官であった。会談の中味については後年いろいろな事が書かれているが、詳しい事は何一つ解っていない。

ただ一人生存しているオドンネルはずっと後になって、会談が終わったあとケネディが怒りを爆発させ「あの野郎を片つけてしまえ!どうしようもなく目ざわりな野郎だ!」と自分自身に叫んだと回想している。上品なカソリックの家庭に育ち、名門ハーバードを出ているのに、ケネディの乱暴な言葉つかいは知らぬ者とてなかった。

フーバー長官も、通常はいつも会談の内容を几帳面なメモとして残す事で有名であったが、この時ばかりは、一切のメモ、記録を残させなかったと言う。

しかし、あらゆる状況証拠を総合すると、この席上フーバーはFBIが集めた資料や情報の結果として、ジュディス・キャンベルなる女性が頻繁にホワイトハウスに電話をかけている事、この女性はマフィアの首領ジアンカーナ、さらにはその右腕と言われるロゼリと情を通じている事、さらにはCIAが暗黒街の首領達を動員してカストロ暗殺計画を進めており、ジアンカーナもその計画に参画している事などを大統領に告げ、早急な対応を要請したと見られる。

ジュディとの関係は1960年の時点でフーバーの耳に入っていたが、この会談の席上フーバーが直接大統領に向かって、マフィアの愛人と手を切るように進言したとは思えない。頭の回転が人一倍速いケネディには、きわめて間接的な表現で攻めるほうが効果がある事をこの老獪な情報官僚は熟知していたと思われるからである。

この瞬間、ケネディはフーバーの首を挿げ替える事をあきらめた。フーバーは合衆国大統領を相手に一世一代の「脅迫」を試み、まんまと成功したのである。

しかしながら、その後明らかになった事実、フーバーが自分自身では存在すら否定していたマフィアの首領達との「黒い交際」の事実が明らかになるに及んで、フーバーがケネディ兄弟の自分に対する憎悪が頂点に達していることを知った彼が、みずからの保身のために(勿論、積極的ではないにしても)何らかの陰謀を知ったと仮定した時点でそれを「黙殺」した可能性を全く否定することが出来ない状況下にあった事は、あくまでも「私の個人的な意見」とお断りした上での状況判断であると言わざるを得ない。

事実、フーバーを解任しようと試みた大統領は、彼が長官として仕えた7人の大統領の中でケネディ大統領ただ一人である。そして1972年、77歳のフーバーは現役のFBI長官としてこの世を去った。時の大統領ニクソンは彼の死にたいして「国葬」の礼をもって臨んだのである。

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北朝鮮は日本の脅威ではない

北朝鮮の核開発問題は、日本にいろいろな教訓と示唆を与えてくれる。現在日本は、米韓と共に北朝鮮と対峙しているが、日本は、北朝鮮となぜ敵対しているのか、本当の敵は北朝鮮なのかという根本的な命題は、マスコミはじめ識者でも語られないままだ。今回はその辺を整理しよう。


北朝鮮問題の歴史的経緯 朝鮮民主主義人民共和国建国 1910年8月29日、大韓帝国は、日韓併合条約を専制君主である皇帝純宗が裁可することで、大日本帝国との合邦国となった。1945年4月12日、米国は、大日本帝国敗戦後の朝鮮半島統治に関して38度線での分割統治を提案する。1948年9月9日朝鮮民主主義人民共和国の成立は、その年の8月15日大韓民国の成立とともに、朝鮮半島における米ソの対立をより明確にすることになった。

共産主義による世界統治の実現のため、1950年6月ソ連及び、1949年に建国した中華人民共和国の支援を受けて、38度線を越境し大韓民国に進攻戦争を開始して朝鮮戦争が勃発する。大韓民国に駐留していた米軍を中心に国連軍―正式な手続きを経ていないので実質は国連派遣軍若しくは多国籍軍、が組織され、これを迎撃することになる。
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韓国軍の崩壊と国連軍の敗走 韓国の李承晩大統領は、6月27日南朝鮮労働党関係者の処刑を命じ、韓国軍や韓国警察によって共産主義者の嫌疑をかけられた20万人から120万人に上る民間人を裁判なしで虐殺した―保導連盟事件。同時に、ソウルを放棄して水原に遷都した。このとき漢江にかかる橋を避難民ごと爆破した―漢江人道橋爆破事件。これにより漢江以北には多数の軍部隊や住民が取り残され、韓国軍の士気がさらに下がることになる。

国連軍を指揮した、マシュー・リッジウェイ将軍は、退却する韓国軍が放棄した装備は、数個師団だったと述べる…

山尾議員の離党を憲法で考える

民進党山尾志桜里議員が週刊文春の不倫疑惑報道を受けて党を離党した。僕は民進党の支持者ではないし、山尾議員を評価もしていないが、不倫で離党する必要はないと考える。勿論、議員辞職する必要は全くない。それらを少し憲法との関連で考えたい。

目に余る週刊誌の人権侵害  昨年のロックバンドのボーカルとタレントの不倫報道を端を発し、今年も数々の不倫疑惑が取りざたされている。僕は週刊誌のこれらの報道は明確にプライバシー権の侵害ではないかと考えてる。人は公共の福祉に反しない限り自由を認められる、という自由権は憲法が保障する各種の権利の根幹をなす権利である。
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
 幸福を追求する権利を「立法その他の国政上で、最大限の尊重を必要とする」わけだから、私人が不幸になることを制限若しくは抑止する立法もまた必要だということになる。 プライバシー権成立の要件 山尾議員はじめ、芸能人の不倫疑惑報道すべて、私生活の事実の暴露であることは間違いない。人は恋愛する自由があり、たとえ結婚制度が確立している個人でも、その衝動は抑えられない。しかも、だれがだれと恋愛するかは、その個人の自由だ。
 プライバシーの侵害について法的な救済が受けられる要件は、①私生活上の事実、または事実らしく受け取られるおそれがあり、 ②一般人の感受性を基準にして、当該私人の立場に立った場合、公開を欲しないと認められることがらであること、③一般の人々に、未だ知られていないことがらであること、 と判示している。これを私事性、秘匿性、非公知性の基準としよう。
 山尾議員の場合は、―というより、ほとんどの不倫報道は、①②③すべての要件に合致しているといえる。但し、言論、表現の自由を法人としての報道機関は有しているということも重要な憲法上の権利になる。
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日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 前文

これから日本国の新憲法草案を提案しよう。どうしてそう思ったかは単純だ、今の日本国憲法は近代憲法の要件を満たしていないと思われるからだ。近代における国家は主権者である国民の国家形成への強い意志によって成り立っているとする。―するとしたのはもっと奥深い部分では違うと考えているが、近代に対応するためにそう仮定することにしよう。

近代思想において国家は、たとえ国民がひとりでも、国民意志があれば形成することができるとされる。しかしそれは利己的な個人意志ではない。五箇条の御誓文で公論と示された、意志を国民主権では民意というのであって、それがなければ近代国家は存在しないのである。さらにその意志は個々人の中にある不条理で熱い志であり、それを顕現しあるいは不当な隷属の強要から擁護されなければならないと考えている。

そして近代における憲法はその国家を統治する権力を制限するために制定するものであり、国民から政治権力への手紙であり、もっと強く表現すれば命令書として機能するのもである。よって国民が必ずしも従うべきものではないという性質のものである。
統治体というのは国際的には近代国民国家が国際関係を維持するため、またはその関係が破綻した場合に起きる紛争を解決したり、戦争を遂行し条約を締結するための代表府である。同時に国内においては共同体秩序を維持発展させるために制度や法律を制定する立法府、制定された法律をもとにそれを執行する行政府、そして行政が正しい手続きで行われているかを監視したりあるいは手続きの瑕疵を判断する裁判所などの組織のことである。

しかしこれらの組織は主権者である国民の自由を拘束したり法律を不当に行使したりする可能性があるので主権者は組織に対し、してはいけないことと、積極的にしなければならないことを文書によって命令する、それが憲法の本質なのである。そういう視点をもって世界最初の憲法らしい憲法であるアメリカ合衆国憲法と戦後アメリカの占領下制定された日本国憲法を比較してみよう。

アメリカ合衆国憲法(日本語訳)
前文
われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。The Constitution o…

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 第1章

近代憲法は、主権者である国民の意志として、組織される政府に対する命令書なので、前文は、その意志を表現したものがふさわしい。そしてその目的を明確にする必要がある。さらにその目的のために、憲法を制定するわけなので、そういうことを頭に入れたうえで、再び前文を読むと、合衆国憲法は、

われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここに アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。
目的意志がシンプルかつ明確に表現されている。これと比較して、日本国憲法における国民意志もしくは達成したい目的は、

政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。に色濃く現れ、

これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
が次にくる。なぜわざわざ一切の憲法と法令と詔勅と断る必要があるのだろうか。ここにこの憲法を制定した意志があるのではないだろうか。そして最後には、

国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

目的を達成することを、宣言命令するのではなく誓ふ。さらに誓ふ対象も明記されていない。我々日本国民は、誰に対して目標を達成することを誓ふのだろうか。 これに答えを出せる憲法学者や国会議員が、我が国にはどれほどいるのだろうか。国民はそれを疑問とも考えていないのだろか。

第 1 章はその意志を具体化する、そして目的を達成するための第一歩ということだ。最重要なことを最初に申し述べているのである。アメリカ合衆国にとって最重要なことは法の支配、法による秩序であり、日本国では天皇―スメラミコトによる秩序―これをしらすという―であるということだ。大日本国憲法では、

大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

と統治の根拠となる天皇が過去、現在、未来に渡つて、日本国と日本民族の秩序の源であることを示している。この場合の統治とは伊藤博文が解説するように、しらすであり現実的な権力、うしはくと厳密に分けなければならないのである。

合衆国憲法は合衆国の秩序は法によって護られるゆえ、第 1 章では立法府についての規定が列記される。一方、日本国憲法では天皇についての条項が…

国際関係論で論じられる理想主義

―リベラリズムー 誤解されるリベラリズム リベラリズムほど解釈が多様にある言葉はないと思う。日本語では自由主義と訳される場合が多いのだが、昨今では自由主義とリベラリズムは対立する政治姿勢ともいえる。よって自由主義をリバタリアニズムと呼ぶのが一般的になりつつある。本稿の場合はリベラリズムを社会自由主義的な用法、ようするに国際関係論で論じられる理想主義として論じることにする。




20世紀の戦争 20世紀は戦争の世紀と呼ばれるように産業革命による技術革新が戦争を巨大化、無慈悲化させた。世界は巨大化・無慈悲化する戦争に対して、一定の規則を締結したが、その後に勃発した第一次世界大戦は大規模かつ無慈悲な消耗戦によりヨーロッパ社会に大きな衝撃を残した。

第一次世界大戦の塹壕戦や化学兵器の使用は、ただ敵を消耗させるための戦略で、それまでの戦争とは様相が大きく変化した。戦争は国家が軍に命令して、軍が名誉をかけて行う営みから、国家国民全体で行う営み全体戦争つまり総力戦へと変容した。

パリ不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)は大戦のような悲惨な戦闘を二度と繰り返さないために交戦国、非交戦国も含めて63カ国が署名した。目的は戦争の違法化、特に侵攻戦争の違法化を目指したが、最終的には侵攻戦争を非難するにとどまった。




貧困が戦争を起こす もし社会が現状で固定されるとしたら、現在比較的幸福な人はいいが、もし不幸な人はどうだろうか。それはその人の希望を奪い去ることになる。国家同士の戦争もある一面では現状に満足できない国家と、それを阻止しようとする国家の営みといえる。

第一次大戦後ヨーロッパの比較的裕福な人々の間で戦争が二度と起こらないように、家族友人の死、あるいは戦争による破産などの不幸をなくすには、どうしたら良いか考えられたのは自然なことだ。そして彼らは結論した。「貧困が戦争を起こす」。

大戦中ロシアでは革命が起こりソ連邦が誕生する。国民(ソ連に国民がいたかは定かでないが)に貧困のない平等な生活を提供する統治体の出現に、ヨーロッパのエシュタブリッシュメントは期待と不安の眼差しを向ける。

リベラリズムの誕生 フランス革命の惨劇を経験しているヨーロッパの裕福な人達は、現状を維持しながら戦争を防止する政治体制の確立を急いだ。そのような背景でリベラリズム理論が誕生することになる。その理論は金持ちはそのまま…

立法府の議員が法令違反では国民は法令を守らない ―自民党小野田議員、民進党蓮舫代表は議員辞職すべき

昨日BBCで、こんな記事を目にした。
豪上院議員が辞職表明、二重国籍判明で 先週末から二人目

豪州で先週と今週で2名の議員が二重国籍問題で議員辞職している。一人は党の副党首ラドムス元上院議員、もう一人は同じく副党首で、今年5月、連邦議会の議場内で授乳した初めての母親となり話題を集めた、ウオーターズ議員だ。 記事のよると、ラドムス元上院議員はニュージーランド生まれで、3歳の時に家族と共に渡豪したという、そして10代の時にオーストラリア国籍を取得した際に、ニュージーランド国籍を放棄したと思っていたが国籍離脱を怠っていた。
ウオーターズ議員はラドムス議員の二重国籍問題で自身の二重国籍を知ったという。「カナダで70年前から存在する法律のために、生まれたカナダの二重国籍があり、私が生まれた1週間後に法律が改正されたために、能動的にカナダ国籍を放棄する必要があったと知って、強く打ちのめされた」と語っている。



豪州は移民国家で二重国籍に寛容であるが、議員の二重国籍は憲法で禁じられている。ウオーターズ氏は記者会見で「議員にも海外生まれは多い。辞職者がこれ以上出なければいいが」また、「うっかりミス」だったと語った。緑の党は対策として、候補者の国籍保有状況を事前に確認する仕組みを導入する考えだ。―時事ドットコム
さて、この豪州議会の対応をふまえて日本の自民党小野田議員と民進党蓮舫代表、二人の対応を考えてみよう。小野田議員は本年5月18日、
「以前フェイスブックに書かせて頂いた通り、義務である『日本国籍選択と米国籍放棄手続き』については立候補前の平成27年10月に終えておりましたが、努力義務である『外国の法においての国籍離脱』という手続きについては、当時進行中で終了しておりませんでした。大変時間がかかりましたが、この度、アメリカ合衆国から2017年5月2日付での『アメリカ国籍喪失証明書』が届きました」
と産経ニュースが伝えている。つまり、当時努力義務である外国法においての国籍離脱が進行中であったことを認識しながら、議員に立候補したことになる。小野田議員は努力義務にせよ完全に二重国籍を解消していない状態を認識していながら議員になっていたことになる。
次に民進党蓮舫代表は7月19日完全に二重国籍を解消したことを戸籍を公開することによって証明した。こちらも日本国籍選択をしたあと国籍離脱…

日韓併合 百年目の真実 李完用が救った大韓帝国

本年2010年8月29日は法律上の専制君主大韓帝国皇帝純宗が勅諭を発表して日本と韓国が合併したことを内外に示してから100年目にあたる。


韓国皇帝の勅諭 皇帝、若(ここ)に曰く、朕否徳にして艱大なる業を承け、臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望み無し。中夜憂慮善後の策茫然たり。此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底(いた)らん。寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せいむるに如かず。

故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、自ら断じ、茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国日本皇帝陛下に譲与し、外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。惟爾大小臣民は、国勢と時宜を深察し、煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。

朕が今日の此の挙は、爾有衆を忘れたるにあらず、専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ。爾臣民は朕の此の意を克く体せよ。

隆煕四年八月二十九日 御璽

日韓併合100年目を前に韓国の反日派からの様々な動きがあるのでまとめてみたい。

2010年5月11日のこのようなニュースを目にした。

日韓知識人が共同宣言「日韓併合は当初から無効だった」
看過できないのは多くの日本人学者が関わっているという点 …今回の声明には発起人である和田春樹東京大学名誉教授をはじめ、日韓歴史共同研究委員会の日本側の座長を務めた三谷太一郎東京大学名誉教授など105人が声明に署名している。一方、韓国ではイ・テジンソウル大学明楊教授やカン・マンギル高麗大学名誉教授、詩人の高銀氏や金芝河氏のほか、幅広い層から109人が声明に署名した。… …声明では、「併合は大韓帝国の抗議を軍事力で押さえつけたもので、韓国側が国権の譲与を申し出たとする内容も虚偽(きょぎ)である」と指摘し、日本政府が日韓併合条約について「無効」であることを認め、8月の総理談話に関連内容を盛り込むように、積極的に働き掛けるとしている。… 2010年07月18日には、

日韓併合100年で日本が韓国へ謝罪、中国も大きな注目

8月29日に日韓併合100年を迎えるにあたり、日本政府は韓国に過去の植民地統治を謝罪する方針を明らかにした。17日、環球時報は「日本は韓国側…

TPPとはなにか ―GATT・WTO体制から考えるTPP

TPPというのはWTOが認めるGATT体制の例外で、自由貿易協定や関税同盟などの地域貿易協定のことだ。そのことについての議論が国会の場でもあまりされていないように思う。おがた林太郎元衆議院議員のブログそもそもFTAとはというエントリーがあり、自由貿易協定の根拠はガット24条だということを知らない議員が多いと指摘している。

経済産業省の説明では自由貿易協定(FTA: Free Trade Agreement)と関税同盟(Customs Union)を総称して地域貿易協定としている(RTA: Regional Trade Agreement)が、これらはGATT・WTO体制の例外として認められている協定で、それを規定しているのがガット24条という事になる。経済産業省のHPに関税及び貿易に関する一般協定、GATTの翻訳が掲載されている。
この協定の適用上、
(a) 関税同盟とは、次のことのために単一の関税地域をもつて二以上の関税地域に替えるものをいう。
(i) 関税その他の制限的通商規則(第十一条、第十二条、第十三条、第十四条、第十五条及び第二十 条の規定に基いて認められるもので必要とされるものを除く。)を同盟の構成地域間の実質上のすべての貿易について、又は少くともそれらの地域の原産の産品 の実質上のすべての貿易について、廃止すること。
(ii) 9の規定に従うことを条件として、同盟の各構成国が、実質的に同一の関税その他の通商規則をその同盟に含まれない地域の貿易に適用すること。
(b) 自由貿易地域とは、関税その他の制限的通商規則(第十一条、第十二条、第十三条、第十四条、第十五条 及び第二十条の規定に基いて認められるもので必要とされるものを除く。)がその構成地域の原産の産品の構成地域間における実質上のすべての貿易について廃 止されている二以上の関税地域の集団をいう。 TPPも含む地域貿易協定の根拠は24条にある。つまりTPPにも最恵国待遇が適用されるということだ。一応経産省のHPから最恵国待遇のPDFにリンクを張る。

WTOはその前進であるGATT(General Agreement on Tariffs and Trade) 関税及び貿易に関する一般協定が機関に昇格したものだが、実は国際通貨基金、世界銀行と並びブレトン・ウッズ体制の枠組みとして発足する…

朝鮮人民軍の実力

北朝鮮軍事の組織 2010 年 11 月 23 日、韓国が黄海上の軍事境界線と定める北方限界線 (NLL)に近い韓国西方沖の延坪島と周辺の黄海水域に、北朝鮮側が砲撃。100発以上が着弾し、民家が炎上。韓国軍も80発以上を応射。韓国軍の兵士2人と民間人 2 人の計 4 人が死亡、兵士 16 人、民間人 3 人の計 19 人が重軽傷を負った事案は、韓国の世論にのみならず、日本の世論も激高させる事になった。

2002 年の小泉訪朝により、一時政権与党でもあった日本社会党は、朝鮮労働党との友好関係の実態が知られることになり、解体の原因ともなった。朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法第 11 条には「朝鮮民主主義人民共和国は、朝鮮労働党の指導の下にすべての活動を行う」と規定されており、朝鮮労働党は国家の行政機構より上位にあって、事実上の一党独裁制を現在でも堅持している。

党の最高ポストは総書記で、現在は金正日である。1998 年の憲法改正で国防委員会が事実上の国家の最高指導機関と位置づけられ、金正日は党軍事委員会とともに国防委員長であり、事実上の北朝鮮国家の最高権力者である。朝鮮人民軍は「党の軍事政策を遂行する方策を討議・決定し、朝鮮人民軍をはじめとする武力全般の強化と軍需産業の発展に関する事業を指導し、我が国の武力を統括する」として、党中央軍事委員会隷下に置かれており、党規則上は党の軍隊である。統帥権は国家機関の国防委員会にあるために実質的には金正日「首領の軍隊」と言える。



朝鮮労働党の軍事組織 軍事組織は複雑で国防委員会の隷下に人民武力部と国家安全保衛部が置かれている。また内閣の隷下には人民保安部(警察機構)がある。人民武力部の隷下に総政治局、総参謀部、保衛司令部がある。総参謀部隷下に三軍がある。党中央委員会は中央軍事委員会を通じて総政治局に影響力を持ち、間接的に三軍に影響力を行使する。

北朝鮮国家は運営の全てを党の指導のもとに行うことになっているのだが、現在では形骸化しているようだ。実質的には国防委員会が実質の最高意思決定機関であり、1998 年の憲法改正では国家主席が廃止され国防委員長が国家最高職となった。よって国防委員長兼人民軍最高司令官である金正日一人に決定権が集中している。

人民武力部は国防省にあたり、軍事全般を統括して、対外的には軍事部部門の代表機関であるが…

朝日新聞も毎日新聞も、今こそ憲法第9条を遵守するよう社説を書くべき

―国連軍創設が憲法第9条の要請― 国連常備軍と戦力の放棄は契約 少し過激なタイトルだが、憲法解釈上そういう結論になる。そもそも日本国は「公正と信義に信頼して」自国の安全と平和を確保しようとしたので、自国を防衛するための戦力はいらないと宣言している。つまり国際的に平和を実現するためには、各国が戦力を縮小して、国連常備軍がそれらより強力な唯一の戦力になる必要がある。それが第9条の要請だ。

II War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.

No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.

マッカーサーは日本国の防衛と保護をある崇高な理念に委ねる、ことを指示している。この崇高な理念とは国際連合のことである。もう少しつめると、国連軍もしくは国連常備軍ということになる。国連憲章は、
第42条 安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分であろうと認め、又は不充分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。

として、国連軍としての行動と加盟国の軍の行動を規定しているが、その頼みの国連常備軍は待てど暮らせど組織されたことはいまだない。当然国連常備軍は各国にもしくは各地域に常駐することになる。米国を例にすると、州軍と連邦軍の関係といえる。
ICBM迎撃も憲法違反 現在の北朝鮮は国連の決議に反して核ミサイルを開発し…