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知的財産権の基礎 ―日本ボロ負けの仕組み

知的所有権"Intellectual property”は工業所有権”Industrial property”との整合性からそのように訳されることが一般的だが、法的概念から云へば知的財産権と訳したほうがよいという意見があるので、よって、この投稿は知的財産権で統一することにする。

知的財産権の概要

世界知的財産権機関" World Intellectual Property Organization、WIPO”は条約の第2条で知的財産権の定義が規定されている。
  • 文芸、美術及び学術の著作物
  • 実演家の実演、レコード及び放送
  • 人間の活動のすべての分野における発明
  • 科学的発見
  • 意匠
  • 商標、サービスマーク及び商号その他の商業上の表示、不正競争に対する保護に関する権利、産業・学術・文芸・美術の分野における知的活動から生ずる他のすべての権利
具体的には、特許権、実用新案、商標権、サービスマーク、商号、意匠権、不正競争防止法、著作権、企業秘密(トレード・シークレット)などで、工業所有権の分野に含まれるのは、特許権、実用新案、商標権、意匠権、不正競争防止法などで認められる権利だ。工業所有権四法とは特許法、実用新案法、意匠法、商標法になる。之と対峙して著作権がある。近年では半導体の配列、植物の品種、レンタルビジネス、インターネットなどそのカバーする範囲は拡がっている。

米国の戦略

知的財産権強化の動きをプロパテントといい、米国は1970年代まで独占を禁止する、アンチプロパテントの傾向にあった。しかし1980年代、いわゆる双子の赤字(貿易赤字と財政赤字)対策としてレーガン政権時代に政策を転換、プロパテントがに方向転換することになった。

1982年、特許事件の判例統一を目的として連邦巡回控訴裁判所(CAFC)を新設した。これにより日米間で特許紛争が勃発して、TI社と日立、東芝やIBMと富士通など日本企業、ハネウエル社とミノルタの巨額賠償裁判、1988年にはいわゆるスーパー301条による対象国への報復措置などが一面を飾ったことを記憶している方は多いだろう。

特筆すべきは、1988年の法改正でUSTR(米国通商代表部)に大幅な権限を付与し包括通商法182条、いわゆるスーパー301条に基づく調査権だ。これによりアメリカ製品の知的財産権を侵害しているとして国際知的財産権連盟(IIPA)は包括通商法スーパー301条の対象国として中国、韓国、インド、台湾を名指しし、損害は146億ドルにのぼるとした。

さらに関税法337条の改正によって不正な競争の排除要件を知的財産権事案において、申立人に有利な改正を実施、投資要件の緩和を行うことにより国内産業の保護強化を図った。1989年、米国ビジネスソフトウエア協会(BSA)は加盟6社で設立され、台湾、シンガポールなどの企業に著作権侵害で訴訟を起こした。

ちなみにアップル社(1977年)とマイクロソフト社(1975年)は、1988年アップル社から著作権侵害の提訴、1995年にアップル社が敗訴以来、敵対関係にあったが、1997年兩社は和解協調体制をとることになる。このころから米国企業は特許侵害による輸入や販売差し止めなどを求める戦略から巨額な賠償を求める戦略へ切り替えたと云へる。この戦略転換によって日本企業は米国企業へ巨額の賠償を請求され、和解金として数百億円を支払う例も発生した。

訴訟は企業ばかりでなく個人も高額の特許使用料金を請求する事例も出て1990年代の日本企業はバブル崩壊の痛手とともに、巨額賠償のリスクに怯えることになった。これらは米国の陪審制度、特許基準の甘さ、国防政策としての特許政策などが米国連邦政府主導で行われ、日本政府企業の対策が遅れたことが、敗因の一つにあげられる。

これらの経緯が本年の米韓FTA、そしてTPPなどにおける知財部門の要求の根拠となっていることはお分かりだろう。

合衆国憲法第1章[立法部]第8条第8項

著作者および発明者に対し、一定期間その著作および発明に関する独占的権利を保障することにより、学術および有益な技芸の進歩を促進する権限。

米国は1980年代からアンチプロパテントから政策転換をしたと指摘した。ちょうどレーガン大統領時代なわけだが、レーガン大統領と云へば、英国サッチャー首相と同時期で、両名はハイエクやフリードマンといった、新自由主義(neoliberalism)あるいは新保守主義(Neoconservatism)的な政策を推進したのは周知の通り。そのレーガンがそれまでの競争重視の独占禁止政策を捨てて保護主義的に政策転換したのは双子の赤字解消という「市場の要求」だった。

米国企業の特許戦略

ゼロックス社は1975年、FTC(連邦取引委員会)の勸告に因つて、ゼログラフィーのライセンス化を強要され、その後日本メーカーの廉価品が津波のごとく押し寄せて市場優位を失つた。同じくPCのOSにおけるGUIの基本的な技術を発明しているが、特許化を躊躇し―先のFTCの勸告が尾を引いて、その後マイクロソフトやアップルに出し抜かれることになる。損失は5億ドルと云われている。

1980年代の米国企業のプロパテントはおもに防衛目的だつた。つまり自社技術をライバル会社に使用させない(独占排他権)ということが目的だつた。1990年代に入り、弁護士出身のクリントンが大統領に就任すると「スーパー情報ハイウエイ構想」を打ち出し、それとともに経済安全保障と銘打つて、国家安全保障に関わるハイテク技術を保護するため、特許基準を甘くしたり、あるいは陪審員制度を巧みに利用した、訴訟戦略で米国企業は他国を圧倒し始めることになる。

パテント・トロールの出現

パテント・トロールという言葉を知つておられるだろうか?大半の方が初めて耳にする言葉だらう。トロールというのは北欧神話の怪物のことで、他にパテント・エクストーショニスト(強奪者)やパテント・パイレーツ(海賊)、パテント・マフィアなどとも呼ばれている。カナダのトロール、NTP 社が、ブラック・ベリーを製造販売するRIM 社と5 年間の法廷闘争の末に、6 億1 千2 百万ドル(約550 億円)という和解をした事例がある。米国の弁護士ヘンリー幸田氏は論文で、トロールの特徴として、次の4点を擧げている。
  1. 自ら開発した発明ではなく、他社の所有する特許を入手する。多くは破産の危機に瀕した企業の所有する特許権を低価格で入手する。オークションを活用する場合も少なくない。
  2. 自ら特許発明を実施する意思・能力・施設を持つことなく、実施する企業に対し警告を発し、あるいは提訴することにより、高額の損害賠償・和解金を要求する。
  3. 組織内に、有益な休眠特許をかぎ分ける能力を持った技術者、係争・交渉経験豊かな弁護士、そして損害賠償の算定に精通した公認会計士(CPA)等のプロを置く。
  4. 自ら実施しないため、相手方企業としては、自社の保有する特許権を根拠とする反訴、あるいはクロス・ライセンスによる交渉の余地がない。
そしてその戦略は以下の7点、
  1. 無数の休眠特許の中から有望な特許を低価格で買い集め、
  2. カテゴリー別にパテント・ポートフォリオを分類し、
  3. ポートフォリオごとに子会社を設立し、
  4. 子会社ごとに目標額を設定した上で投資家を募り、
  5. 標的となる企業(和解に応じやすい)を選別し、
  6. 有利な管轄地(テキサス州東地区、ウィスコンシン州西部等)において提訴し、
  7. 被告企業に迷いの出るタイミングを予測し早期和解を提唱する。
日本企業は1970年代、ゼロックス社を追い込んだ仕返しにパテント・トロールに巨額の訴訟を起こされ和解に応じている。

均等論

日本では平成10年2月24日にボールスプライン軸受事件最高裁判決が出て―判決の影響と真実には差異があるようだ、均等論が日本でも認められた。特許侵害訴訟において、侵害製品が特許製品の一部を変更したものであっても、次の要件によって特許侵害を認めるというものである。
  1. 右部分が特許発明の本質的部分ではなく、非本質
  2. 右部分を対象製品におけるものと置き換えても、特許発明の目的を達成することができ、同一の作用効果を奏するものであって、作用効果同一
  3. 右のように置き換えることに、当該発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者(当業者)が、対象製品の製造等の時点において容易に想到することができるものであり、製造時に置換容易
  4. 対象製品が、特許発明の特許出願時における公知技術と同一又は当業者がこれらから右出願時に容易に推考できたものでなく、出願時に推考容易
  5. 対象製品が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的の除外されたものにあたる、意識的除外
  6. などの特段の事情もないときは、右対象製品等は、特許請求の範囲に記載された構成と均等なものとして、特許発明の技術的範囲に属すると解するのが想到である。
※但し特許発明に公知例が存在するときは「均等」の原則は適用しない。

均等論の法理論はプロパテント政策を推進する意味において核心となる理論だ。 米国では1982年CAFC設立と同時に適用されたことによって、その後の米国および米国企業の訴訟を後押しすることになる。

テキサス州東地区マーシャル分署

テキサス州マーシャル市は知財に関わる人達にとっては聖地―三途の川かも知れないが、といえる。2008年度には訴訟件数が全米第1位という。ニューヨークやロサンジェルスを大きく引き離しての結果だ。大型先端技術訴訟だけをピックアップしても、
  • ノースイースタン大学対グーグル(データ探索方法)
  • オプティ対AMD(キャッシュ処理方法)
  • シスコ・システム対ホアウェイ(ソフトウエア)
  • モザイド対ハイニックス(DRAM)
  • パラレル・プロセッシング対ソニー(プレステ3)
  • シャープ対サムスン(LCD)
アップルもグーグルも今ではマーシャル分署のお得意さんだ。ではなぜこんな田舍町に先端技術訴訟が集まるのかの秘密は、原告勝訴率80%という、超原告有利な結果によるという。外国企業―当然我国の企業も、に至つては被告事案では特許権無効とした事案が皆無(2009年時点)という、超偏向地元有利裁判所なのだ。

ヘンリー幸田弁護士は理由として、
  1. テキサス東部の保守的な住民気質
  2. 判事のルール尊守
擧げている。1については省くが、2について、

”連邦地方裁判所には、その地特有ローカル・ルールの適用権限が許される。マーシャル地区裁判所における特質は、極端とも思われるルール遵守方針である。誤解を避けるために言明すれば、厳格なのはルールの中身ではなく、ルールを適用する上での実務にある。特に期日、そして書面の分量、質問項目の数・・・、ルール違反に対し宥恕の余地は皆無に近い。この極端な方針は、実務的に見るとき、被告にとって特に過酷な負担を強いることになる。何故ならば,原告側は提訴前からの準備が可能である。これに対し、被告側は通常、提訴された後に具体的に訴訟対策を開始する。この差は意外に大きい。特に期日の遵守に厳しいため、手続の進行は、他の裁判所地区と比較して遥かに早い。このため準備が遅れがちな被告側の負担は特に厳しくなる。”

こんなからくりでは日本企業はかたっぱしから敗訴だろう。

裁判員制度

ここで面白い推測をしてみよう。2004年5月21日小泉内閣で成立、2009年5月21日に施行された裁判員制度は何故か民事訴訟ではなく、殺人事件、強盗致死事件、傷害致死事件、危険運転致死事件、現住建造物等放火事件、身代金目的誘拐事件、保護責任者遺棄致死事件など重大刑事事件を対象とした。

私のような素人が考えればまず、民事訴訟でスタートさせ、国民が意識も高まり知識も蓄積したところで殺人などの刑事事件へと発展させたほうがより入りやすいと思うが、司法行政官はどうしても殺人事件などを一般国民に司法参加させて、原告からの批判を和らげたいということだなと勘ぐりたくなる。

さらにこの裁判員制度導入には年次改革要望書等の米国からの圧力もあつたと推測される。

しかし市場開放要求し日本がそれに応じた場合、特許訴訟では日米逆転現象が起こり、日本市場内での米国企業の特許侵害で日本企業が提訴するという事案が発生する。

愛国心と復讐心の燃える我国の裁判員は軒並み米国企業敗訴の評決をするだろうから、そうなっては困る米国は民事における裁判員制度導入へ圧力をかけたと推測できないだろうか。

これはあくまでも推測だ。以下の様なやり取りを見ていると當局が必死になっていることが読んで取れる。

裁判員制度の対象が、重大な刑事事件に限定されているのは、なぜですか?

「ボールスプライン軸受事件」の真実
ボールスプライン軸受事件

コメント

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日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 前文

これから日本国の新憲法草案を提案しよう。どうしてそう思ったかは単純だ、今の日本国憲法は近代憲法の要件を満たしていないと思われるからだ。近代における国家は主権者である国民の国家形成への強い意志によって成り立っているとする。―するとしたのはもっと奥深い部分では違うと考えているが、近代に対応するためにそう仮定することにしよう。

近代思想において国家は、たとえ国民がひとりでも、国民意志があれば形成することができるとされる。しかしそれは利己的な個人意志ではない。五箇条の御誓文で公論と示された、意志を国民主権では民意というのであって、それがなければ近代国家は存在しないのである。さらにその意志は個々人の中にある不条理で熱い志であり、それを顕現しあるいは不当な隷属の強要から擁護されなければならないと考えている。

そして近代における憲法はその国家を統治する権力を制限するために制定するものであり、国民から政治権力への手紙であり、もっと強く表現すれば命令書として機能するのもである。よって国民が必ずしも従うべきものではないという性質のものである。
統治体というのは国際的には近代国民国家が国際関係を維持するため、またはその関係が破綻した場合に起きる紛争を解決したり、戦争を遂行し条約を締結するための代表府である。同時に国内においては共同体秩序を維持発展させるために制度や法律を制定する立法府、制定された法律をもとにそれを執行する行政府、そして行政が正しい手続きで行われているかを監視したりあるいは手続きの瑕疵を判断する裁判所などの組織のことである。

しかしこれらの組織は主権者である国民の自由を拘束したり法律を不当に行使したりする可能性があるので主権者は組織に対し、してはいけないことと、積極的にしなければならないことを文書によって命令する、それが憲法の本質なのである。そういう視点をもって世界最初の憲法らしい憲法であるアメリカ合衆国憲法と戦後アメリカの占領下制定された日本国憲法を比較してみよう。

アメリカ合衆国憲法(日本語訳)
前文
われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。The Constitution o…

国際関係論で論じられる理想主義

リベラリズムほど解釈が多様にある言葉はないと思う。日本語では自由主義と訳される場合が多いのだが、昨今では自由主義とリベラリズムは対立する政治姿勢ともいえる。よって自由主義をリバタリアニズムと呼ぶのが一般的になりつつある。本稿の場合はリベラリズムを社会自由主義的な用法、ようするに国際関係論で論じられる理想主義として論じることにする。

20世紀の戦争 20世紀は戦争の世紀と呼ばれるように産業革命による技術革新が戦争を巨大化、無慈悲化させた。世界は巨大化・無慈悲化する戦争に対して、一定の規則を締結したが、その後に勃発した第一次世界大戦は大規模かつ無慈悲な消耗戦によりヨーロッパ社会に大きな衝撃を残した。

第一次世界大戦の塹壕戦や化学兵器の使用は、ただ敵を消耗させるための戦略で、それまでの戦争とは様相が大きく変化した。戦争は国家が軍に命令して、軍が名誉をかけて行う営みから、国家国民全体で行う営み全体戦争つまり総力戦へと変容した。

パリ不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)は大戦のような悲惨な戦闘を二度と繰り返さないために交戦国、非交戦国も含めて63カ国が署名した。目的は戦争の違法化、特に侵攻戦争の違法化を目指したが、最終的には侵攻戦争を非難するにとどまった。


貧困が戦争を起こす もし社会が現状で固定されるとしたら、現在比較的幸福な人はいいが、もし不幸な人はどうだろうか。それはその人の希望を奪い去ることになる。国家同士の戦争もある一面では現状に満足できない国家と、それを阻止しようとする国家の営みといえる。

第一次大戦後ヨーロッパの比較的裕福な人々の間で戦争が二度と起こらないように、家族友人の死、あるいは戦争による破産などの不幸をなくすには、どうしたら良いか考えられたのは自然なことだ。そして彼らは結論した。「貧困が戦争を起こす」。

大戦中ロシアでは革命が起こりソ連邦が誕生する。国民(ソ連に国民がいたかは定かでないが)に貧困のない平等な生活を提供する統治体の出現に、ヨーロッパのエシュタブリッシュメントは期待と不安の眼差しを向ける。
リベラリズムの誕生 フランス革命の惨劇を経験しているヨーロッパの裕福な人達は、現状を維持しながら戦争を防止する政治体制の確立を急いだ。そのような背景でリベラリズム理論が誕生することになる。その理論は金持ちはそのまま、貧乏人はもう少しお金持ちにすることだ。

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 第1章

近代憲法は、主権者である国民の意志として、組織される政府に対する命令書なので、前文は、その意志を表現したものがふさわしい。そしてその目的を明確にする必要がある。さらにその目的のために、憲法を制定するわけなので、そういうことを頭に入れたうえで、再び前文を読むと、合衆国憲法は、

われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここに アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。
目的意志がシンプルかつ明確に表現されている。これと比較して、日本国憲法における国民意志もしくは達成したい目的は、

政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。に色濃く現れ、

これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
が次にくる。なぜわざわざ一切の憲法と法令と詔勅と断る必要があるのだろうか。ここにこの憲法を制定した意志があるのではないだろうか。そして最後には、

国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

目的を達成することを、宣言命令するのではなく誓ふ。さらに誓ふ対象も明記されていない。我々日本国民は、誰に対して目標を達成することを誓ふのだろうか。 これに答えを出せる憲法学者や国会議員が、我が国にはどれほどいるのだろうか。国民はそれを疑問とも考えていないのだろか。

第 1 章はその意志を具体化する、そして目的を達成するための第一歩ということだ。最重要なことを最初に申し述べているのである。アメリカ合衆国にとって最重要なことは法の支配、法による秩序であり、日本国では天皇―スメラミコトによる秩序―これをしらすという―であるということだ。大日本国憲法では、

大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

と統治の根拠となる天皇が過去、現在、未来に渡つて、日本国と日本民族の秩序の源であることを示している。この場合の統治とは伊藤博文が解説するように、しらすであり現実的な権力、うしはくと厳密に分けなければならないのである。

合衆国憲法は合衆国の秩序は法によって護られるゆえ、第 1 章では立法府についての規定が列記される。一方、日本国憲法では天皇についての条項が…

年次改革要望書

サイトで偶然みつけた原文の、いわゆる「年次改革要望書」だが、TPPと比較してみても面白い。アメリカの戦略なのか執念なのか、はたまた信仰なのか、1994年からもう20年くらいやってる市場開放交渉だ。我国政府も辛抱強くそれに対応していることがわかる。

TPPとはなにか ―GATT・WTO体制から考えるTPP

TPPというのはWTOが認めるGATT体制の例外で、自由貿易協定や関税同盟などの地域貿易協定のことだ。そのことについての議論が国会の場でもあまりされていないように思う。おがた林太郎元衆議院議員のブログそもそもFTAとはというエントリーがあり、自由貿易協定の根拠はガット24条だということを知らない議員が多いと指摘している。

経済産業省の説明では自由貿易協定(FTA: Free Trade Agreement)と関税同盟(Customs Union)を総称して地域貿易協定としている(RTA: Regional Trade Agreement)が、これらはGATT・WTO体制の例外として認められている協定で、それを規定しているのがガット24条という事になる。経済産業省のHPに関税及び貿易に関する一般協定、GATTの翻訳が掲載されている。
この協定の適用上、
(a) 関税同盟とは、次のことのために単一の関税地域をもつて二以上の関税地域に替えるものをいう。
(i) 関税その他の制限的通商規則(第十一条、第十二条、第十三条、第十四条、第十五条及び第二十 条の規定に基いて認められるもので必要とされるものを除く。)を同盟の構成地域間の実質上のすべての貿易について、又は少くともそれらの地域の原産の産品 の実質上のすべての貿易について、廃止すること。
(ii) 9の規定に従うことを条件として、同盟の各構成国が、実質的に同一の関税その他の通商規則をその同盟に含まれない地域の貿易に適用すること。
(b) 自由貿易地域とは、関税その他の制限的通商規則(第十一条、第十二条、第十三条、第十四条、第十五条 及び第二十条の規定に基いて認められるもので必要とされるものを除く。)がその構成地域の原産の産品の構成地域間における実質上のすべての貿易について廃 止されている二以上の関税地域の集団をいう。 TPPも含む地域貿易協定の根拠は24条にある。つまりTPPにも最恵国待遇が適用されるということだ。一応経産省のHPから最恵国待遇のPDFにリンクを張る。

WTOはその前進であるGATT(General Agreement on Tariffs and Trade) 関税及び貿易に関する一般協定が機関に昇格したものだが、実は国際通貨基金、世界銀行と並びブレトン・ウッズ体制の枠組みとして発足する…

TPPを締結できるか ―日本国憲法から考える

日本国憲法はその制定過程に疑義があるが、陛下の御名御璽のもと、施行されたのであるから、現在の政府はそれを遵守しなければいけないことは当然だ。しかし今回TPPについての議論を憲法の論点から整理をしながら思うことは、憲法を国会議員が全く意識していないし、ましてや遵守など微塵もされていないことに愕然とする。条文は、
第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。 つまり、政府関係者は尊重擁護する義務があるのだが、自らの権限範囲つまり既得権擁護の議論にしか終始していないことには悲しみを覚える。

まずTPPなどの多国間協定は名は協定だが国家間の約束であるから、条約法に関するウィーン条約で定義される「条約」である。
第二条 用語
1 この条約の適用上、
(a) 「条約」とは、国の間において文書の形式により締結され、国際法によつて規律される国際的な合意(単一の文書によるものであるか関連する二以上の文書によるものであるかを問わず、また、名称のいかんを問わない。)をいう。 さらに関税などの通商に関わる条約を通商条約といい、現在はWTO・GATTで規定されている。日本国憲法では、条約などの外交交渉は、内閣の専権事項である。
第七十三条 
三  条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。 しかし、内閣は事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とするとあるように、締結した条約の批准は国会の権限になる。国会が批准しなければ国内的な効力は発生しない。

日本国政府は世界貿易機関を設立するマラケシュ協定を締結批准しWTOの構成国である。これは憲法の九十八条第2項の規定により国内法を改正して対処しなければならない。
第九十八条  この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2  日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。 しかし憲法の条規に反する如何なる法律、命令、詔勅、及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しないとあるように、もし内閣が事後承認を要求した場合、締結した条約は国際的な効力を発生させるとされるのだが、国内的…

小和田恒悪玉論を問う ―衆 - 外務委員会 - 1号 昭和60年11月08日 その2

引き続き、村田春樹さんが國民新聞に書いた記事「小和田恒悪玉論を問う」への激励投稿を続けたいと思う。さて国会会議議事検索システムで昭和60年11月8日衆議院外務委員会の土井たか子委員の質問に対する答弁を検証しよう。

北朝鮮は日本の脅威ではない

北朝鮮の核開発問題は、日本にいろいろな教訓と示唆を与えてくれる。現在日本は、米韓と共に北朝鮮と対峙しているが、日本は、北朝鮮となぜ敵対しているのか、本当の敵は北朝鮮なのかという根本的な命題は、マスコミはじめ識者でも語られないままだ。今回はその辺を整理しよう。


北朝鮮問題の歴史的経緯 朝鮮民主主義人民共和国建国 1910年8月29日、大韓帝国は、日韓併合条約を専制君主である皇帝純宗が裁可することで、大日本帝国との合邦国となった。1945年4月12日、米国は、大日本帝国敗戦後の朝鮮半島統治に関して38度線での分割統治を提案する。1948年9月9日朝鮮民主主義人民共和国の成立は、その年の8月15日大韓民国の成立とともに、朝鮮半島における米ソの対立をより明確にすることになった。

共産主義による世界統治の実現のため、1950年6月ソ連及び、1949年に建国した中華人民共和国の支援を受けて、38度線を越境し大韓民国に進攻戦争を開始して朝鮮戦争が勃発する。大韓民国に駐留していた米軍を中心に国連軍―正式な手続きを経ていないので実質は国連派遣軍若しくは多国籍軍、が組織され、これを迎撃することになる。



朝鮮戦争 1950年6月25日宣戦布告なしに38度線で北朝鮮ソ連中国連合軍の砲撃が開始され、10万を超える兵力が38度線の越境を開始する。当時の韓国軍は兵力約11万人で装備は脆弱であった。さらに、北朝鮮のスパイ掃討戦や軍内部のスパイ粛清で士気は疲弊していた。米国及び国連は動揺するが、6月27日には国連安保理で北朝鮮を侵略者と認定して、その行動を非難する。さらに軍事行動の停止と軍の撤退を求める「国際連合安全保障理事会決議82」を賛成9反対0:棄権1の全会一致で採択した―ソ連は欠席。
韓国軍の崩壊と国連軍の敗走 韓国の李承晩大統領は、6月27日南朝鮮労働党関係者の処刑を命じ、韓国軍や韓国警察によって共産主義者の嫌疑をかけられた20万人から120万人に上る民間人を裁判なしで虐殺した―保導連盟事件。同時に、ソウルを放棄して水原に遷都した。このとき漢江にかかる橋を避難民ごと爆破した―漢江人道橋爆破事件。これにより漢江以北には多数の軍部隊や住民が取り残され、韓国軍の士気がさらに下がることになる。

国連軍を指揮した、マシュー・リッジウェイ将軍は、退却する韓国軍が放棄した装備は、数個師団だったと述べ…

農協は必要か ―農業保護政策は農家保護ではなく、農林水産省OBとJA職員の保護にすぎない

この冬、北海道にずいぶん出張したのだが、その時聞いた話題を提供しようと思う。

通州事件の体験記 ―気の弱い人は讀まないでください

通州事件は 、1937年(昭和12年)7月29日に発生した事件で、冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)による日本軍部隊・特務機関に対する襲撃と、それに続いて起こった日本人居留民に対する虐殺事件である。その体験記がある。讀むのも恐ろしい体験が綴られているのだが、歴史的事実を知るには貴重な記録であるので本誌の読者にも紹介する。あまりも惨たらしい体験記なので気の弱い人は讀まない方がいいと思ふ。
日本人皆殺しの地獄絵 私は大分の山の奥に産まれたんです。すごく貧乏で小学校を卒業しないうちにすすめる人があって大阪につとめに出ることになりました。それが普通の仕事であればいいのですけど、女としては一番いやなつらい仕事だったので、故郷に帰るということもしませんでした。そしてこの仕事をしているうちに何度も何度も人に騙されたんです。小学校も卒業していない私みたいなものはそれが当たり前だったかも知れません。それがもう二十歳も半ばを過ぎますと、私の仕事のほうはあまり喜ばれないようになり、私も仕事に飽きが来て、もうどうなってもよいわいなあ、思い切って外国にでも行こうかと思っているとき、たまたまTさんという支那人と出会ったのです。

このTさんという人はなかなか面白い人で、しょっちゅうみんなを笑わしていました。大阪には商売で来ているということでしたが、何回か会っているうち、Tさんが私に『Sさん私のお嫁さんにならないか』と申すのです。

私は最初は冗談と思っていたので、『いいよ。いつでもお嫁さんになってあげるよ。』と申しておったのですが、昭和七年の二月、Tさんが友人のYさんという人を連れて来て、これから結婚式をすると言うんです。そのときは全く驚きました。冗談冗談と思っていたのに友人を連れて来て、これから結婚式というものですから、私は最初は本当にしなかったんです。

でも、Yさんはすごく真面目な顔をして言うのです。Tさんは今まで何度もあなたに結婚して欲しいと申したそうですが、あなたはいつも、ああいいよと申していたそうです。それでTさんはあなたと結婚することを真剣に考えて、結婚の準備をしていたのです。それで今日の結婚式はもう何もかも準備が出来ているのです。とYさんは強い言葉で私に迫ります。

それでも私は雇い主にも相談しなくてはならないと申すと、雇い主も承知をして今日の結婚式には出ると申すし、少しばかりあっ…