北朝鮮は日本の脅威ではない

北朝鮮の核開発問題は、日本にいろいろな教訓と示唆を与えてくれる。現在日本は、米韓と共に北朝鮮と対峙しているが、日本は、北朝鮮となぜ敵対しているのか、本当の敵は北朝鮮なのかという根本的な命題は、マスコミはじめ識者でも語られないままだ。今回はその辺を整理しよう。

朝鮮戦争の侵攻状況

北朝鮮問題の歴史的経緯

朝鮮民主主義人民共和国建国

1910年8月29日、大韓帝国は、日韓併合条約を専制君主である皇帝純宗が裁可することで、大日本帝国との合邦国となった。1945年4月12日、米国は、大日本帝国敗戦後の朝鮮半島統治に関して38度線での分割統治を提案する。1948年9月9日朝鮮民主主義人民共和国の成立は、その年の8月15日大韓民国の成立とともに、朝鮮半島における米ソの対立をより明確にすることになった。

共産主義による世界統治の実現のため、1950年6月ソ連及び、1949年に建国した中華人民共和国の支援を受けて、38度線を越境し大韓民国に進攻戦争を開始して朝鮮戦争が勃発する。大韓民国に駐留していた米軍を中心に国連軍―正式な手続きを経ていないので実質は国連派遣軍若しくは多国籍軍、が組織され、これを迎撃することになる。



朝鮮戦争

1950年6月25日宣戦布告なしに38度線で北朝鮮ソ連中国連合軍の砲撃が開始され、10万を超える兵力が38度線の越境を開始する。当時の韓国軍は兵力約11万人で装備は脆弱であった。さらに、北朝鮮のスパイ掃討戦や軍内部のスパイ粛清で士気は疲弊していた。米国及び国連は動揺するが、6月27日には国連安保理で北朝鮮を侵略者と認定して、その行動を非難する。さらに軍事行動の停止と軍の撤退を求める「国際連合安全保障理事会決議82」を賛成9反対0:棄権1の全会一致で採択した―ソ連は欠席。

韓国軍の崩壊と国連軍の敗走

韓国の李承晩大統領は、6月27日南朝鮮労働党関係者の処刑を命じ、韓国軍や韓国警察によって共産主義者の嫌疑をかけられた20万人から120万人に上る民間人を裁判なしで虐殺した―保導連盟事件。同時に、ソウルを放棄して水原に遷都した。このとき漢江にかかる橋を避難民ごと爆破した―漢江人道橋爆破事件。これにより漢江以北には多数の軍部隊や住民が取り残され、韓国軍の士気がさらに下がることになる。

国連軍を指揮した、マシュー・リッジウェイ将軍は、退却する韓国軍が放棄した装備は、数個師団だったと述べるとともに、韓国軍1個師団の崩壊によって、他の国連軍部隊の各側面が危険にさらされ後退を余儀なくされたとも述べている。

米国軍の参戦

6月29日、マッカーサーは日帰りで、敗走をする韓国軍の前線を視察する。7月7日に米国25万人を中心に、日本に駐留していたイギリス連邦軍など22ヶ国で国連派遣軍が編成される。しかし劣勢は回復することなく8月には釜山まで後退をする。釜山橋頭堡の戦いは、山口県に6万人規模の人員を収用できる亡命政府を建設しようとし、日本側に準備要請を行っているほど、絶望的であった。しかし、国連軍は、韓国にダンケルクはないと、撤退を拒否して釜山の周辺においてようやく北朝鮮軍の進撃を止める。

仁川上陸作戦

国連軍が釜山で徹底抗戦を続ける9月15日、マッカーサーは新たに第10軍を編成して、アメリカ第1海兵師団および第7歩兵師団とともに仁川に電撃上陸作戦を敢行する。側背をつかれた北朝鮮軍は、逆に崩壊して9月28日にはソウルを奪回する。これをいいことに10月1日、李承晩は祖国統一の好機とばかり、マッカーサーの承認なしに38度線を越境北進する命令書にサインをする。マッカーサーもトルーマン大統領から条件付きではあるが、事前承認を受けており、国連も10月7日総会で、「統一され、独立した民主政府」を樹立することが国連の目的とする決議が採択されていることで、マッカーサーに北進のお墨付きを与えている。

中国の反応

10月1日、中華人民共和国国務総理周恩来は、中国人民共和国建国一周年のこの日に「中国人民は外国の侵略を容認するつもりはなく、帝国主義者どもがほしいままに隣接の領土に侵入した場合、これを放置するつもりはない。」とする明白な警告の声明を発表する。毛沢東は、早い段階で中国軍の介入は不可避と考えており、中朝国境に兵力を展開している。金日成にも仁川上陸について警告を与えているが、金日成はこれを黙殺している。国連軍は10月20日には平壌を制圧する。10月26日には鴨緑江付近に到達して統一近しとなった。

日本の対応

米国の命令を受けて特別掃海隊が組織され、海上保安官や民間人など、8,000人以上の日本人が朝鮮半島およびその周辺海域で活動し56人が命を落とした。当然だが、特別掃海隊に対して北朝鮮、ソ連は非難する。李承晩韓国大統領も1951年4月、「万一、今後日本がわれわれを助けるという理由で、韓国に出兵するとしたら、われわれは共産軍と戦っている銃身を回して日本軍と戦う」と演説で述べる一方、日本側は掃海隊員を上陸させないよう指示していたが、やむをえない事情で元山に上陸すると、韓国兵に見破られたが、隊員が理由を話すと、韓国兵は日本語で「ご苦労さんです。どうです一杯」と歓迎したという。

金日成の対応

北朝鮮人民軍の崩壊の危機に、金日成はスターリンに対して再三の支援要請を行うが、スターリンは曖昧にこれを拒否して、中国の支援を受けるよう指示する。スターリンは、米国と直接の対峙を避けて中国を参戦させ、欧州の兵力を極東に集めさせて、手薄になった欧州の侵略を考えていた。10月2日、金日成の要請を受けた毛沢東は反対する林彪らを退けて参戦を決意する。このとき派遣軍の司令官就任を、林彪は病気を理由に辞退している。人民解放軍の精鋭が中心となる抗美援朝義勇軍は、ソ連から支給された最新鋭の武器のみならず、第二次世界大戦時にソ連やアメリカなどから支給された武器と、戦後に日本軍の武装解除により接収した武器を使用し、最前線だけで20万人規模、後方待機も含めると100万人規模の大部隊であった。

人民解放軍対国連軍

10月19日、人民解放軍が鴨緑江の渡河を開始すると、地理に不案内な国連軍は再び劣勢になる。米国政府は、ソ連が全世界戦争を決意しない限り中国も大規模介入はしないとの分析を信じており、また、マッカーサーもウイロビーによって下方修正された情報によって、渡河した兵力を3万程度と判断して、渡河軍への攻撃を命令している。11月1日から、人民解放軍は大規模な侵攻を開始する。国連軍は、11月末までに人民解放軍の人海戦術に完全に翻弄されることになる。人民解放軍はまず韓国軍を攻撃して崩壊させ、抵抗する国連軍を次々に撃破することになる。韓国軍は人民解放軍との戦闘を極度に恐れており、あてにならないとの評価通り、人民解放軍の最初の攻撃でほとんどが戦意を喪失してしまって、ある連隊では500人の兵士のほとんどが武器を持ったまま逃げ散ったという。

米国軍はそれでも、あてにならない韓国軍を味方によく戦った。しかし戦況は好転ぜず、「アメリカ陸軍史上最大の敗走」を行う。退却した距離は10日で200kmだった。退却で国連軍は壊滅を逃れたが、受けた損害は大きく、国連軍の死傷者数は12,975人、中国軍の人的損害はその数倍に及んだ。

休戦合意

人民解放軍は追撃を開始して、12月5日に平壌を陥落させ、1月4日には再びソウルを陥落させる。この間、12月11日に李承晩は、さらに40万人の動員を行って国民防衛軍を組織する。ソウル陥落で韓国軍は、江華島住民約1,200人を北朝鮮に協力したということで虐殺している。さらに、2月には国連軍は、ソウルの南、忠清道まで撤退している。この間、国民防衛軍幹部が、食料を横領するという事件があり、、国民防衛軍9万人が餓死する、いわゆる国民防衛軍事件がおこっている。着服した資金の一部は李承晩大統領の政治資金として使われたことも明かにされている。

第8軍の司令官だったウォーカーが事故死すると、後任にリッジウェイが就任する。リッジウェイは36万の国連軍で48万の中朝軍を撃破できると自信をのぞかせた。3月14日ソウルを奪回したが戦線は38度線で硬直状態になる。最終的には、中朝軍は86万を38度線以北の北朝鮮地域に展開して、国連軍60万を上回っている。

朝鮮戦争休戦協定は、1953年7月27日に、国連軍代表アメリカ陸軍のウィリアム・ハリソン・Jr中将と、朝鮮人民軍及び人民解放軍を代表して南日大将の署名後、国連軍総司令官のマーク・W・クラーク大将、人民解放軍司令員の彭徳懐と朝鮮人民軍最高司令官の金日成が署名し成立する。「最終的な平和解決が成立するまで朝鮮における戦争行為とあらゆる武力行使の完全な停止を保証する」と規定された。しかし現在も「最終的な平和解決」は未だ成立していない。

コミンテルンの関与

大日本帝国の敗戦間近の8月10日、呂運亨は、大日本帝国敗戦による統治権の放棄を見越して、朝鮮建国準備同盟を結成する。8月9日に参戦したソ連の朝鮮半島への侵攻に、朝鮮半島掌握の危機を感じた朝鮮総督府は、8月15日、行政権の移譲を通告した。呂は政治犯の釈放と独立運動への不干渉を条件に受け入れ、朝鮮建国準備委員会を発足させる。呂は左右合作の統一国家を考えていたが、意に反し準備委員会は共産主義者に乗っ取られる。9月6日、同委員会は朝鮮人民共和国の成立を宣言するが、李承晩、金日成、朴憲永、金九、曺晩植らが名を連ねていた。この時点ですでに朝鮮半島はコミンテルンに掌握されかかっている。

朝鮮総督府の心変わりと米国の関与

この事態に、米国は朝鮮総督府にポツダム宣言違反の意向を伝え、半島の共産化を望まない朝鮮総督府もその意向にそって、建国準備委員会に解散を命じる。9月9日、総督府は降伏文書に署名して、アメリカ軍に総督府の権限を委譲する。これらの教訓は、朝鮮半島には常に共産化と半日という思想が存在し韓国は半日反共政権として発足し、北朝鮮は反米容共政権として発足したという経緯がある。これらは思想戦として今も続いているという認識が必要だ。さらに、朝鮮総督府の一連の態度は、親日的であった勢力の反感を買った。

大日本帝国の朝鮮統治の失敗

このように、大東亜戦争開戦のよって一時的に盛り上がった日朝の協力体制も敗戦と共に瓦解した。最後の朝鮮総督府が行った対応は、敗戦国として仕方ないとしても、日本への協力者を裏切るような行為だった。大日本帝国の朝鮮統治は最終的に失敗に終ることになる。その後、南朝鮮を掌握した李承晩によって、大日本帝国朝鮮統治への協力者は粛清されることになる。これにより、韓国国内には日本に良い感情をもつ国民は殆どいなくなる。金正恩北朝鮮との戦争でも、自衛隊の戦闘参加には先に示した李承晩の演説、「万一、今後日本がわれわれを助けるという理由で、韓国に出兵するとしたら、われわれは共産軍と戦っている銃身を回して日本軍と戦う」を肝に銘じなければ、韓国国民の感情を逆なですることになる。

朝鮮人民軍及び韓国軍の士気と戦闘力

開戦当初の韓国軍の兵力は、8個師団約10万人、装備は戦車なし、砲91門、迫撃砲960門、航空機22機である。一方朝鮮人民軍は10個師団、その他に6個旅団1個連隊を有し、その中には人民解放軍で、実戦経験豊富な朝鮮系中国人が師団がごと編入されて、総兵力約20万人、装備は、戦車240両、砲552門、迫撃砲1728門、航空機211機で、朝鮮人民軍が圧倒している。韓国軍には北朝鮮のスパイが跋扈して韓国軍は、その検挙粛清に腐心している。朝鮮戦争で韓国軍は概ねよく戦った。しかし北朝鮮は思想戦においてかなりの成果を上げており、部隊ごと戦わずして壊滅敗走することがしばしばあった。司令官のリッジウェイは著書でそのことを指摘している。

戦闘の開始は、軍事力に劣る李承晩南朝鮮を、金日成北朝鮮が武力で制圧して半島統一を目論んだということだ。先に侵攻を開始したのは金日成であり、李承晩は防衛側であったということだ。しかし、仁川上陸で戦況が一変すると、李承晩は北進統一を指示して侵攻側になり、金日成はその防衛をすることになる。よって、両陣営に正義があり、相手に非があるという構図は今も変わりない。

暴動の鎮圧、スパイの粛清、住民の虐殺

編成間もない韓国軍は、北朝鮮のスパイとそれに呼応する南朝鮮労働党の活動に腐心する。1948年から1953年まで続いた済州島四・三事件―被害者6万人、の鎮圧の過程で、鎮圧部隊内の北朝鮮シンパが蜂起して、それに呼応した部隊全体の2千人が反乱を起こした麗水・順天事件では、反乱部隊が官憲民間合わせて600人を虐殺すると、正規軍が急行してこれを市街地戦で鎮圧する。すると今度は、麗水順天地域の南朝鮮労働党への報復が行われ、最終的には民間人被害者8千人―諸説ある、が虐殺される。

1950年6月25日の北朝鮮軍の38度線越境後の2日後の27日、李承晩による政治犯と民間人の虐殺事件、いわゆる保導連盟事件が起きる。この事件は長らくタブーとされ、李承晩が下野した1960年の4月革命後の報告書では114万人が虐殺されたという。1950年6月27日ソウルを放棄した李承晩政権は、敗走中に漢江人道橋を爆破し民間人約800人が死亡させる。

一方、北朝鮮側も国連軍退却後、各地で韓国政府の官憲、協力者、地主及び民間人を数十万人虐殺する。また、捕虜となった米軍兵士を処刑する事件も起きれている―303高地事件。休戦後米国は1,800件のジュネーブ条約違反を糾弾している。

1951年1月、江華島の北朝鮮協力者―協力者とはいえ非武装の民間人を、最大で1,200人を虐殺する。同年2月にはパルチザン討伐を名目に民間人約700人―居昌事件を虐殺している。また、民間防衛軍幹部による食料の横領で9万人が餓死している。
 韓国李承晩政権側が、圧倒的に虐殺の程度も人数も多く―北朝鮮側の記録がなわからないが、民間防衛軍幹部による横領と、それを原因とする餓死事件などもあり、韓国人民の政府不信の遠因ともいえる。

現在の北朝鮮と韓国

休戦中である米韓と北朝鮮は、今再び戦闘を開始しようとしている。原因は北朝鮮のよる核開発と度重なるミサイル発射実験だ。休戦協定は「最終的な平和解決が成立するまで朝鮮における戦争行為とあらゆる武力行使の完全な停止を保証する」と規定しているが、平和解決は、日一日困難になりつつある。

北朝鮮は世襲型の軍国共産主義国家として、その生存のすべてを核とICBM開発に注いでおり、その放棄を前提とした交渉を主張している米国とはかみ合わない。北朝鮮はこれまでも国連決議や6カ国協議の決議をことごとく破棄していて、まともな交渉ができないという認識で各国は一致している。

北朝鮮は、ソ連の支援で建国をして朝鮮戦争では、毛沢東に強い姿勢に助けられて、現在も朝鮮半島の38度線以北を統治しているが、ソ連は崩壊しており頼みの中国も米国との関係を経済分野では築いていることで、自存のために核開発を目指したことは戦略の理にかなっている。

韓国大統領に親北朝鮮といわれる文在寅氏が就任してから北朝鮮は、活発に核実験、ミサイル発射実験を行う。一説には、朴槿恵元大統領は北朝鮮の謀略によって、失脚に追い込まれ、文在寅大統領を後押ししたといわれるほどだ。よって、北朝鮮への対応が、日米韓で歩調がそろっているようには思われない。

朝鮮戦争への提言

平和安全法を越えた派兵要請にどう答える

先の朝鮮戦争では、米軍は韓国軍の士気の低さに各戦線で苦戦を強いられる。韓国軍は会戦時に部隊ごと離脱するケースが多々あり、米軍はそのたび戦線の維持に腐心したトラウマがある。一方、先の世界大戦では、戦争には負けたといえ、米軍との各戦闘で示した帝国陸海軍の武勇は、日米軍人間で称賛を呼んでいることは歴史的な事実だ。さらに、憲法上の問題はあるにせよ、自衛隊の装備は極東における米軍の補完をするために整備されており、連度は極めて高いので、米国が戦闘のパートナーとして自衛隊に戦闘派兵を要請する公算はきわめて高い。しかし、平和安全法では戦闘地域に自衛隊を派遣することはできない、ではどうするか。

休戦が終わり戦闘が再開した時点で、日本国民の安全は極めて危険な状態に陥るという認識が、政府国民間で共有されなければならない。核兵器とそれを運ぶミサイルと保持した軍隊が、韓国及び米国さらに日本国も敵視している指導者に率いられて戦争を再開するのである。この時点で派兵要請があれば、自衛権の行使ということで派兵をすることは可能かもしれない。しかし、その公算は低いだろう。

米韓軍は圧倒的な戦力で瞬く間に北朝鮮人民軍と金正恩を屈服さることができる。よって、開戦劈頭は、自衛隊の支援はおろか韓国軍さえ必要ないといえる。しかし戦闘はそこで終わらない。北朝鮮の工作によって北朝鮮シンパが、韓国国内や日本国内でマスコミを利用した思想工作や、テロといった戦闘を継続するからだ。

空母艦載機による空爆と、潜水艦からの巡航ミサイル攻撃は顔の見えない攻撃だ。しかし、その後に起こるテロは、相手の顔が見える戦争であり、思想戦も同様に顔が見える戦争といえる。そのとき、韓国国内と韓国軍の動揺は激しいと予測される。そのような状態で、北朝鮮地域の残党と、韓国地域の武装蜂起の鎮圧に、自衛隊の派遣要請があったとき、どう措置するかが難しい。戦争の趨勢は決しており、核兵器とミサイルも使用不能になった情勢は、日本国民の安全に直接の脅威はないといえる。よって個別的自衛権の行使の条件には合致しない。

日本国内であれば警察権の行使として、テロ鎮圧には断固とした措置が可能だろう。朝鮮半島でのテロ鎮圧に自衛隊を派兵することに対しては、韓国政府と日本国内世論の反発は必至だ。しかし、僕はその要請には応じなければならないと考えている。派兵しても、しなくても非難されるのであれば、善良な韓国国民の生命と人権を守るために行くべきだろう。

自衛隊員は殺人罪に問われるかもしれない

自衛隊員は、戦闘によって北朝鮮軍兵士を殺害する可能性はゼロではない。そのとき、正当防衛以外の殺害は殺人罪に問われることも否定できない。他方、自衛隊員が戦死したときの、保障や埋葬の方法、弔慰金その他の手続きが憲法上もその他の法制上も充分ではない。家族は、単に業務死として処理されることに反駁するのではないだろうか。政府国民はそのような事態に対しての心構えを共有して、戦死者の帰国をデモで迎えるようなことは避けなければならない。また、先の朝鮮戦争でも、連合国の命令で日本の保安庁が機雷の除去を行ったとき、そのことに対して李承晩大統領は、痛烈な非難をしいているが、文在寅大統領も同じように日本の支援に対して痛烈な批判をするであろう。日本人はそのことについても心構えを用意しなければならない。

朝鮮半島は乳房かナイフか

日本は、朝鮮半島に対して一定の影響力を持たなければならないと考える。朝鮮と日本の交流史では、日本は多くの大陸文化を朝鮮半島と朝鮮人から吸収した。その意味では、朝鮮半島は日本にとって乳房ともいえる。また、日本海は、大陸のロシア、支那との距離を保ち生存を保障しているが、半島が敵勢力に制圧されたとき、安全が危機にさらされることになる。よって日本にとって喉仏に突き刺さったナイフのようなものだともいえる。歴史の教訓は、少なくとも半島に味方ではなくとも敵ではない勢力よって統治されていなければならないことを教えてくれる。

韓国政府からは、日本の軍事支援を非難され、それでも支援を行い、死傷者が発生すれば、国内からも非難があがる、という状況を耐え忍んで韓国を支援しなければならない。支援を行ったことに対する非難より、支援を行わなかったときの非難の方が何倍も大きく、日韓両国に遺恨を残すことになると考えるからだ。

血と汗は友情の証

先に紹介した掃海作業においての韓国軍兵士と保安隊の交流が示したように、現場では違う感情が働くものだ。我々国民は韓国国民を支援するという気持ちが大切だ。反日政府が公式見解をどのように表明しようとも、戦争の現場では血と汗が友情の証なのだ。また、国内においても自衛隊戦死者に対する心無いマスコミが非難をするだろうが、そのような事態にならないよう、国民の死者に対する敬意を促すように、政府は事前広報を行い韓国支援の必要性と正統性を周知しなければならない。

本当の敵はだれか

冒頭に「本当の敵は北朝鮮なのか」という命題を提示したが、それについて少し議論しよう。僕は、朝鮮半島は敵ではないと考えている。勿論味方でもない。朝鮮半島の勢力が南下するのは、歴史的に大陸からの圧力を南下で調整するからだ。朝鮮半島の歴史は、常に大陸側の強大な勢力に翻弄される歴史だ。大陸の勢力によって支配されずに、独立をしながら半島を統一した勢力は朝鮮半島にはこれまで存在していない。高麗や李氏朝鮮は現在と同じ領土を保持していたが、北方や支那勢力の属国となっている。大韓帝国は大日本帝国の支援で建国しており、現在も大韓民国は米国の支援、朝鮮民主主義人民共和国はロシアと中共の支援なしでは生存できない。

日本は常にこれら朝鮮半島へ影響力を行使している勢力と対峙してきた。元が影響力を持ったときには元寇があり、ロシアの影響が濃くなったときには日露戦争を戦った。朝鮮半島合邦後は、満州国建国を支援してソ連との距離をとった。相手からすると、日本が朝鮮半島に影響力を行使することは、自国の安全が脅かされることになる。よって、朝鮮半島が大陸色に染まることは日本の安全が脅かされ、日本及び米国色に染まることは、ロシアと中共の安全が脅かされるということだ。

現在、米国の強硬姿勢とは対照的に、ロシア、中共が冷静な対応を求めているのは、このような背景があることを、マスコミは、報道する必要があるのだが、相変わらず強硬姿勢の日米と平和的解決を求める中露という報道に終始している。それでは、北朝鮮のみが脅威だということになり、本当の脅威が何かを見失うことになる。

補足韓国の反日法

反民族行為処罰法

1948年9月制定、1000人以上が親日反民族行為者に認定されている。

日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法

2004年3月に公布、「真相糾明委員会」を設置し、大統領推薦4名、国会同4名、最高裁長官同3名による11名の委員が、「反民族行為」を調査するための法律である。

親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法

親日反民族行為者財産調査委員会を設置し親日であった反民族行為者の財産を選定して国家に帰属させることを目的としている。