小池代表がいうしがらみは自民党の世襲制のことだろう

希望の党の出現でにわかに保守系二大政党制が実現の可能性が出てきたことは、長らく一党優位体制で一極が中道左派と共産勢力である、不毛な選択しかなかった日本には、希望が見えてきたようにも感しるが、その合流の仕方は単なる選挙互助会で、過去あった政界再編と何ら変わりない。

民進党の希望の党への身売りを観ていると、政策協議も何もないなかで、ただ選挙のためだけに集散離合を繰り返す政党政治が、国民生活にとってプラスになるはずがないことを確信する。国民は政治家への不信感を増すばかりだ。また、総理の解散権も候補者にとって政党や派閥また団体への依存を高めるだけで結局命令的委任になる。少しそのあたりを解説したい。

戦後日本政治の流れ

敗戦から10年後の1955年、社会党が再統一されて「護憲、革新、反安保」、自由党と日本民主党が合同して自由民主党となり、「改憲、保守、安保維持」を掲げ、憲法改正は党是とした。その3年後の総選挙で自民党が2/3弱、社会党が1/3強を獲得した。政権は自民党一党なのだが、改憲に必要な2/3を常に確保できない、一と二分の一政党制呼ばれる勢力関係が20年続く。

75年には社会党の右派が民社党を結成、共産党の躍進、公明党の結党など自民党の勢力は減衰するが、対抗する勢力が分裂することによって自民党政権は維持された。80年代にはいると自民党の凋落はさらに加速して、新自由クラブとの連立など過半数割れを始める。93年、細川護熙氏率いる日本新党の躍進があり自民党は下野する。

この間を55年体制というが、自民党が過半数を獲得するも、社会党も奇跡的に改憲を阻止できるだけの議席を確保する。政権与党と第2党は、政権交代は不可能だが、第2党もある程度の政策に関与できる微妙な関係だ。政権交代が可能な緊張関係がなく、与党と野党がそれぞれの主張を反対しながら、そのときそのときの空気を国対が読んで政策決定がなされた。

その後94年には、自社さ連立政権が発足して、衆議院第2党が新進党になる。96年には、衰退が顕著な社会党が社民党と改組し、同じ年、民主党が結成される。97年には野党第1党の新進党が分裂、それらを民主党が吸収して、03年自由党との合同後09年民主党、社民党及び国民新党で政権交代をするも、12年の総選挙で大敗した。16年には維新の党と合流した際に民進党と改組したが17年、解党しるように希望の党と合流した。


二大政党制は存在しなかった

概観したように、日本政治は護憲、革命(革新)、反安保の勢力が常に1/3を保持する体制で推移した。この間は理念による政策、手続きによる調整で意思決定できず、常に世論の空気と国対による野合で、与党は経済政策を優先して、安全保障政策で妥協する、中道野合政治が行われる。

冷戦の終結は、世界の安全保障を激変させた。その余波は日本の政治に影響して、護憲、反安保勢力を減衰させる。90年代、改革を旗印に野党が大同団結して自民党を下野させた。しかし、自民党は社会党とさきがけといったリベラル左派政党と連立を組むウルトラCで政権を奪取する。この時点で日本には保守政党は存在していない。この連立で社会党はリベラルから見放され党勢は急激に衰える。

自社さと対立を演出して民主党が結党されるが、小泉純一郎人気で、いわゆる郵政解散後は自公で2/3を確保するまでに躍進する。小泉純一郎は「自民党をぶっ壊す!」という、キャッチフレーズが改革者というイメージを演出してブームを起こす。小泉の政策は米国ブッシュ大統領に追随する自由主義的であったが必ずしも保守的とはいえない政策もあった。

特に郵政の民営化法案では平沼赳夫など自民党内の保守派の頑強な反対にあう。政策のない改革者人気によって総選挙では勝利するが、この時点でも自らが改革者を演出して、リベラル世論を味方につけたに過ぎない。その後、小泉の総裁任期満了にともない安倍第1次内閣、麻生内閣へと継承されるが、この時点では明確な主張はなされていない

09年、リーマンショックの混乱で、民主党は政権を奪取するが、党内左派と右派の調整ができず政策は右往左往、11年東本大震災時の菅総理対応は杜撰で12年には下野する。この時点でも、自民党は相変わらず、封建世襲制等であり、民主党内には左派勢力が力を持っており二大政党とは程遠い状態である。政権を奪取するキーワードは改革である。

後退するリベラル

このように、日本の戦後政治は、改憲勢力である右派及び中道右派の2/3弱と改憲阻止である中道左派とリベラルの1/3強が常に存在して、両者の妥協政治から始まり90年代からは、その間を行ったり来たりする勢力によって政権交代がおこり、リベラルを含んだ側が常に、一定の方針を提示できないまま瓦解する繰り返しである。

今回の政変は少し状況が変化してきたといえる。北朝鮮の問題を目の当たりにした国民の多くは、安保法制や改憲議論を通じてリベラル勢力に疑問を抱いていることは想像に難くない。つまり右派から中道右派が2/3以上の勢力を持ちつつあり、改憲反対、安保反対の空論を主張するリベラルが1/3以下に減少しつつある。

希望の党は民進党受入の条件として、改憲と安保法制を踏み絵にした。希望の党は寛容な保守として、封建自民党とは一線を引いた形で中道右派勢力の結集をはかっているが、それらは現役の議員にいえることで、新たに公認する候補者の資質については未知数だ。

議会の安定こそが日本政治を正常化する

衆議院選挙後議員の最初の業務は首班指名だ。つまり衆議院選挙は政権選択選挙なのである。しかし、今回の総選挙でも唐突に行られる感は否めない。立候補希望者が準備する期間は長くて2カ月、本格的に活動できるのはせいぜい1か月程度だろう。このよう状況では政党に関係していない候補者が立候補することは困難だ。

よって短期間に候補者を選択できる世襲制がはびこることになる。能力があっても政党とのパイプがなければ議員になることはできないのが現状だ。それは与野党変わりない。短期間での候補者の選定から選挙戦は組織のバックアップがなければ不可能だ。だから自民党は世襲制、中道右派第2党は労働組合との候補者調整となる。

議会の解散権がなければ、任期は安定し候補者は選挙に向けて準備ができる。政党や団体などに依拠しない選挙が可能になるはずだ。希望の党はしがらみのない政治を標榜しているのであれば、総理の解散権—厳密には天皇の国事行為、と総理の不信任案をなくすことが政治の安定につながる。僕の憲法草案では議員の任期2年として常に世論の判断を仰ぐことようにしている。


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